第24話 決裂

 天真くんは何だか泣き笑いのような顔で扠廼を見ていた。それはまるで……迷子の子供のような。


 扠廼はきっと、彼に全てを伝えようというのだろう。だけど扠廼自身はまだ何も口にしていない。

 それなのに酷く狼狽した様子の天真くんが奇妙に思えてしまう。


「日比谷……能力者って何? 昨日、何があったの?」

「え?」


 声を上げたのは私だ。

 まだ何も言っていない扠廼。そして、そんな彼に怯えたような目を向ける天真くん。

 その瞬間、脳裏を過ぎったのは湖鷺さんだ。初めて彼を見た時、何もかも見透かしたような瞳だと感じた。でもそれが、比喩でも何でもなく本当にその通りだったのだとしたら。


「昨日、力を持つ女に会った。そいつに色々と話を聞いてな。……テンリ達に関して、いくつか分かったことがある」


 ──天真くんも、能力者。それも湖鷺さんと同じ、人の心を読む力。

 思い当たる節が無いわけじゃない。湖鷺さんほど露骨じゃないけど、彼は私の顔を覗き込んで不自然に言葉を止める事があった。

 扠廼が、一連の説明を自分に一任してほしいと言った理由が分かる気がした。私は余計な事を考えてしまうから、きっと彼を傷付ける。


 扠廼は出来るだけ簡潔に全てを伝えた。私の中にチトセはもういないこと、扠廼からシノは切り離せないこと、湖鷺さんの見立てでは天真くんも無理だろうということ。

 そして。


「──何、それ。どういう意味?」

「そのままの意味だ。俺もお前も、このままだと近い内に死ぬ」


 あくまで淡々と扠廼は語る。他人事のような態度。だけど私は昨日の彼とのやり取りで知っている。扠廼はどうでも良いと思っているわけじゃない。ただどうすれば良いのか分からないのだ。理不尽への憤りを、せめて押し殺すことでしか。

 だけどそれを見た天真くんの目に、明確な怒りが灯った。


「……昨日からテンリが表に出てこないのは同化の影響って事か」


 出てこないのはシノも同じだ。

 嵐の前の静けさのように、不気味なまでに彼らは沈黙を見せている。


「じゃあ、どうしろって? 黙って死ねとでも?」

「……それは、」

「答えろよ日比谷!」


 立ち上がった天真くんが扠廼の胸ぐらを掴む。扠廼は天真くんの為を思って冷静な振りをしているだけなのだろう。それが天真くんに分からないはずないのに、きっと感情が理性を阻んでいる。


「……俺達は身の振り方を考えるべきだ。冷静になれとは言わない。だけどそうやって癇癪を起こしたところでどうにもならないのは分かってるだろ」


 扠廼は、昨日から何度か“身の振り方”との言葉を繰り返す。意味こそ見えなかったけど、そこに含まれるのは決して良いものではないのは理解していた。

 だから天真くんの怒りをさらに増長させたのもその言葉だ。


「それ、本気で考えてるわけ」

「……」

「あの時は形振り構わず生きろって言ったくせに、今度は、今度は! 日比谷はいつもそうやって勝手な事ばかり……ッ」


 違う。

 扠廼は身勝手なんかじゃない。天真くんの言葉で痛そうな顔をした彼が、そんな事をするはずがない。

 こんな二人は見たくなかった。まだ出会って二日目なのに、この二人が言い争う姿を見るのは耐えられない。昨日から何度も感じた事だ。二人の辛そうな顔を見ると、思考に靄がかかって私自身を阻む。何かに無理矢理堰き止められているかのように言葉が出てこなかった。お前にその資格は無いのだと、見えない手が喉を押し潰しているかのように。


「もう、良い……出て行って」

「亜砂、」

「出て行けって言ってるだろ! お前の顔なんかもう見たくない!!」


 言葉を失って立ち尽くす扠廼を、天真くんは突き飛ばす。そのままするりと私達の側を通り抜けて出て行ってしまった。止める暇すら無く。


「……ぁ、」


 取り残されて呆然とする扠廼は、崩れ落ちるように座り込んだ。その顔は真っ青で、今にも死んでしまいそうに見えるほどに。

 ようやく膠着から解放された私はそっと彼に近付く。きりきりと痛む心臓は何を訴えかけているのか分からない。


「扠廼、天真くん……追い掛けなきゃ」


 酷い顔色だったし、何より辛そうだった。何処へ行くつもりなのか分からないけどまだ走れば追い付けるだろう。

 だけど扠廼はゆっくりと首を振って、顔を覆った。


「暫く放っておいた方が良い……。頭を冷やすべきだ。あいつも、俺も」


 場所を移そう、と彼は言う。話したいことがある、とも。

 ここにいては先生がいつ戻ってくるか分からないし、天真くんがいない事への言い訳をしなくちゃいけない。悩んだ末、私達は保健室に放置されていた天真くんの鞄を回収しておく。その上で、職員室にいる保健の先生に「天真くんは家が近いから歩いて帰った」との嘘をついた。家が近いのは扠廼曰く事実のようだし、まさか先生も生徒がそんな嘘をつくとは思わないだろうから。……だって大人は、「子供」と向き合ったりしないもの。


「……話したいことって?」


 空き教室に忍び込んだ私達は壁に背を預けて適当な場所に座り込んだ。扠廼の目は虚空を見つめていて、その横顔は物悲しく映る。重い溜息と共に扠廼は小さく呟いた。


「俺と亜砂は、同じ孤児院で育ったんだ」

「え……」

「同情はしなくても良い。そう悪い暮らしじゃなかったし、多分あの生活は幸せだったんだろうと思うから」


 ふ、と扠廼の口元が笑みを作る。懐かしさと、痛みが綯い交ぜになった表情。

 大切にしまっていた宝物を手に取って眺めるような、もう戻ってこない日々を慈しむその目は、彼と天真くんの関係が私には口を出せないものであることを教えてくれる。


「くだらない思い出話だ。……聞き流してくれて構わない」


 そうして扠廼は、語り始めた。

 彼と天真くんと──そして、の過去の話を。


 ♦


 親に愛されて育つのが子供としてのだと。そんな当たり前を無責任に押し付ける連中が嫌いだった。

 少なくとも日比谷 扠廼にとってそれは当たり前ではなかったから。

 気持ちの悪い笑顔を浮かべて、気持ちの悪い偽善を吐く。そんな大人達が正しくて、自分は異端なのであると。そう気が付くまでに時間はかからなかったように思う。


 そして同じように、彼の両親も世間から見れば異端者だった。

 酒や煙草、ギャンブルに溺れる父と母。それ故に金銭の余裕などなく家庭では両親の言い争う声が絶えなかった。それだけならきっと、幼き少年は何もかも諦めて納得出来ただろう。そういうものだと受け入れて抗おうともしなかった。

 だけど、たった一つだけ少年には許せなかったことがある。


 自分が生まれるより何年か前に、兄に当たる男が病で死んだらしい。遺影どころか仏壇さえ無い家では兄の顔を知る機会すらなかった。『保険金が手に入ったのは儲けものだった』と、そんな悍ましい父の声を聞いたのは今でも鮮明に覚えている。

 あの両親に、実の子の死を嘆くような情緒が備わっていないのは知っていた。だからそれは何とも思わなかったけど、奴等はこう言って残された少年を殴るのだ。


『お前は、あいつに似ている』

『死んだガキにそっくりだなんて、気色が悪い』


 兄弟で顔の作りが似るのは自然の摂理だろう、と思う。だけど暴力の嵐は止まなくて、少年はボロ雑巾のように甚振られるのがあの家でのだった。


 そんな当たり前が何年か続いて、ある日当たり前のように少年は捨てられた。

『初めからこうすれば良かった』。そう吐き捨てたのは母だったか。


 その人生が世の中にとっては当たり前でないことはもうとうに気付いていて、その理不尽さがやるせなくて。


 そうして少年が入れられた孤児院には、少年のような人生がの子供達ばかりが揃っていたのだ。


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