第5話 非日常との邂逅

《ああっ!!》


 悲鳴にも似た歓喜の声に、水蓮寺は端整な顔立ちを思いっきり顰める。

 一度は電源を切ってしまった携帯電話だったのだがそれでは結局“主探し”が捗らない。なんせ、「気配を感じる」だとかいう漠然とした理由で歩き回る羽目になっているのだから。

 とにもかくにもそんな訳で再び電源を入れ直した携帯を片手に、彼女らが行き着いたのは公立中学校の校門前だった。


《間違いありません! 此方にいらっしゃいます!! あの方の気配が伝わってきますもの!! ええ、ええ! まさに!》

「……いちいちそのキンキン声を上げないと状況の説明が出来ないんですか?」


 ヒートアップするネルは水蓮寺の吐き捨てるような嫌味など全く耳に入らないらしく、同じ言葉を延々と繰り返している。幸いにも、と言うべきかネルのそんな態度にすっかり慣れてしまった水蓮寺は溜息を吐くに留めた。


 ちなみに平日の真昼間から学生服で街を彷徨く水蓮寺や夕凪だが、簡単な話授業は“自主欠席”で済ませている。本来、水蓮寺は真面目に勉学に勤しむ性格ではないし彼女の付き添いという形を取る夕凪もまた同義。

 そして当然主人を探すことしか頭に無いネルもそんな事は気にしない。誰も気にしていないのならそれで良いのである。


「ううん、それにしても……」

《どうされました? 主人は此方におわしますよ? 早く中に入りましょう》


 何の変哲もない校舎を前に、さてどうしたものかと足を止めた夕凪をネルが急かす。

 そうは言うが、普通の学生はこの時間は授業を受けているのだ。その主人とやらがここの生徒なのかはたまた教師なのか、それとも何の関係もない部外者なのかは知ったことではないが夕凪や水蓮寺といったただの高校生がおいそれと足を踏み入れて良いものでもない。一歩間違えば不審者扱いで警察を呼ばれる。

 自分一人なら穏便に人探しを済ませる自信のある夕凪だが、こちらには常識外の行動をする者が二人もいるのだ。

 ……余談だが、一見するとお淑やかで気品溢れる水蓮寺 雲雀という少女は世間擦れしていない為かどうにも突拍子の無い行動を取ることがままある。主が関わると暴走しがちなネルも加え、この二人を連れて校内に潜入となるとロクなことにならないのは目に見えていた。


「……よし、」


 よって夕凪は一つの決断を下す。


「ここで待とう」


 相手が生徒であれば授業が終われば出てくるだろう。現れる気配が無ければそれから校内に乗り込めば良い話だ。授業中に潜入するよりは大きくリスクが下がる。


 そんな!! という声を上げたのはネルよりも水蓮寺の方が早かった。

 勿論ネルの為に早く人探しを済ませてあげたいとかそんな理由ではなく。


「折角この騒がしい娘から解放されるのに! ツバメ、考え直しましょう? 早く終わらせて帰りたい……!」

《ちょっ……雲雀様!? 騒がしいってどういうことですか?!》

「そのままの意味です!」


 うっかり本音を口滑らせる水蓮寺と、それを耳聡く聞き付けたネルがまたも始める程度の低い言い争い。

 傍目から見ると、水蓮寺が一人で携帯電話に向かって喚き散らしているようにしか見えないのだが……。この場合幸いにも、と言うべきか水蓮寺は人の目を気にしない少女である。通行人の不審の目を集めていることなど露知らず、彼女は珍しく声を荒らげる。


「この娘は五月蝿いし、歩くのには疲れたし、そもそもどうしてこんな事をしなくちゃならないのか分からないし! 人探しがしたいのなら探偵なり何なりに頼れば良いでしょう!」

「ひばり、そこを何とか……」


 口調の乱れからも分かるように、幼馴染の限界が近いことを悟り夕凪は空を仰ぐ。

 確かに、随分と我慢を強いたのは事実だ。そうでなくとも彼女は実年齢と比べると少し精神的に幼いのである。

 こうなっては奥の手を使うしかあるまい。本音を言うと、ちょっと卑怯な気がして使いたくなかったのだが幼馴染の心の平穏の為である。


「ね、ひばり。この辺りね、ケーキが美味しい喫茶店があるんだよ」

「……ケーキ?」


 夕凪の言葉に、水蓮寺は分かりやすいくらいにぴたりと動きを止めた。

 その姿に若干の罪悪感を覚えつつも夕凪は先を続ける。ついでに、甘い物を引き合いに出せば簡単に釣られてしまう幼馴染を心配しながら。


「うん。これ終わったら一緒に行こう? だからもうちょっとだけ我慢ね」


 何事もなく済めばの話だけど、との言葉は飲み込んでおく。

 こくこくと頷く水蓮寺を見て流石にそんな事は言えそうにない夕凪だった。

 ネルの方はいかに騒ごうとも彼女自身に移動手段が無い為、放置しておくことにした。よって宣言通り三人は校門前で待つことになる。


(本当に、何事もなく終われば良いんだけどなぁ……)


 果たして夕凪の悪い予感が当たるか否か。

 その答えはもう少し先の話である。




 ♦︎


「でも何とかならないのかなぁ、チトセ達……」

「そうだな……」


 私と日比谷くんは帰り支度を整えながら示し合わせたかのように溜息を吐いた。今日一日でどっとストレスが溜まった気がするなぁ……。ほんと、何でこんな目に。


 あの後、私は「もう今日は授業出なくても良いんじゃないか」とかほざき……じゃない、言い始めた日比谷くんと天真くんを説得し教室に戻った。勿論授業を受ける為である。

 それからというもの成り行きで三人で行動する事になっている。


 今日はチトセにとっても“様子見”のはず。だからそう問題も起こさないだろうと、侮っていたのが悪かった。


「初日から暴力沙汰なんて……停学にでもなったらお母さんになんて説明すれば……」

「死人は出なかったし良いでしょ。こんなもんだよ」

「天真くんは黙ってて……」


 そう、割愛するものの当然タダで済むはずもなくチトセはいきなりやらかしたのだ。

 一応、表向きは数名の生徒同士の喧嘩……と処理されたけど、大勢に囲まれて無傷ってそれはもう喧嘩にもなっていない。ちなみにそれにはテンリも参加していたので天真くんが私にフォローを入れる権利は無いと思う。突っかかってきたのは向こうだけど、「まだシノとテンリが手綱握れてない奴いたんだ」「喧嘩売ったらどうなるか教えて回ったのに」と彼が呟いていたのは……きっと悪い冗談だ。

 シノもシノで知らないところで何かやったらしく、日比谷くんは朝と比べると多少なりともげんなりしていた。


 そしてこれは後から知ったこと。この学校において日比谷くん達……と言うよりもシノとテンリの影響力はちょっと常軌を逸しているらしい。私達が謹慎処分を受けなかったのはそういう事情があったようだ。

 やりたい放題にも程がある。全くもって私が言えた義理ではないけど。


「まぁ亜砂の言うように、そう思い悩むな悧巧。それに今日のあいつらはまだ大人しかった」


 いや、悩むに決まってるでしょ。日比谷くんも何言ってんの。

 体内に大魔王飼ってて悩まなかったら頭おかしいでしょ。というか人様に怪我負わせたんだけど?


 この人もこう見えて軽いのだろうかと戦々恐々としながらも、私は二人の後をついて学校を出る。……ちなみにだけど、天真くんが側にいるからなのか朝はあんなに“時期外れの転入生”に浮き足立っていたクラスメイト達はあれから近寄っても来ない。チトセの件もあるから元々友達を作る気はなかったものの、何だかなぁと思う。まぁ今後は下級生殴り飛ばした転校生として遠巻きに見られるのは間違いないけど。


「じゃあ二人とも……あの、また明日ね」


 校門を出て二人に別れを告げる。満面の笑顔で手を振り返してくれる天真くんを見ていると何だか頭を痛めているのが馬鹿らしくなってしまった。


 チトセに寄生されて以来、失ってばかりだった。今だって対抗手段なんて勿論無く、どうすれば良いのかなんて分からない。

 だけど私以外にも同じ境遇の人がいる。それが分かっただけで随分と気持ちが楽になった気がする。

 ……まぁそれと同じくらい新しい問題も浮上したんだけど。学校に登校するという行為そのものが危険だし迷惑だけど、行かないという選択肢は許されていない。逆らって機嫌を損ねるよりも従順な振りをしていた方が背中を刺すチャンスが生まれるかもしれない。

 ともかく、希望を捨てちゃいけないんだ。気を強く持たないと。押し寄せる不安に呑まれないように。


 ところであの二人、一緒に帰ったりして大丈夫なんだろうか。

 天真くんはあんなだし、シノとテンリが揃って問題を起こしたりしたら手に負えないんじゃ。

 少し……いや、かなり心配。

 そう思いながらふと顔を上げると、


「ってあれ? 日比谷くん、何で?」

「……俺も帰り道こっちなんだよ」


 隣を歩いていたのは日比谷くんだった。

 何だか気まずそうにしている彼は、話を聞くに偶然私と家が同じ方向にあるらしい。

 いや、そうなるとますます天真くんが心配な気が。

 そんな事を考えていると私の表情から言わんとしていることが分かったのか日比谷くんはややあってこんな事を言う。


「亜砂なら問題無い。……あいつが住んでいる辺りには交番があるからな」

「それむしろ危ないんじゃ?」

「捕まったら捕まったでその時だ。そこまで面倒は見ていられない。……そもそも何で俺達が捕まらないのか分からない」


 それは本当にそう。

 苦虫を噛み潰したようなその横顔に、日頃の彼の苦労が伺える。

 多分、テンリじゃない時の天真くんの相手にも辟易しているのだろう。

 それでも一緒にいる辺り、親しいのだなと思う。天真くんの振る舞いにかなり問題があるせいで分かりにくいけど。彼の態度は完全に愉快犯と同じノリである。


「日比谷くんってシノに憑かれる前から天真くんと仲良いの?」


 ちょっと気になって世間話の感覚でそう尋ねる。


「まぁ、幼馴染……だな。一応」

「あ、成る程」


 それは納得。一応という言葉の意味が気になったものの、私は深く頷いた。

 日比谷くんはこうして話してる今も基本的に表情が硬いけど、天真くんと話している時はそれが少し和らぐ。きっと幼馴染であり親友でもあるのだろうなと思う。私にはそういう相手がいないので少し羨ましい。


「亜砂は、」


 日比谷くんは視線を彷徨わせる。

 そこでふと、「そういえば天真くんは日比谷くんを苗字で呼ぶよなぁ」と関係の無い事が頭を過ぎった。別に幼馴染だから下の名前で呼び合わなくてはならないという規定は存在しないはずなので、二人はそういうものなんだなと納得する。

 日比谷くんに意識を戻すと彼は伏し目がちに言葉を続けた。


「亜砂は何を考えているか分からないけど、何も考えてないわけじゃないんだ」

「……? う、うん」


 突然どうしたのだろう。

 私を見る日比谷くんの目は何処か不安そうにも見えた。

 その目は、私を捉えている。だけど私を通してを見ているように、何処か遠い。


「だから……どうか、二度とあんな……」


 悲しい目だと思った。

 彼が何を言おうとしているのか分からないのに、胸が締め付けられるかのように痛い。

 どうしてだろう。この人の、こんな顔は見たくない。


 ──泣かないで。


 頭が痛い。

 視界が明暗を繰り返している。


 ──私は、あなた達には、笑っていてほしかったの。


 耳鳴りが、五月蝿くて、もう。


「悪い、少し喋り過ぎた」


 日比谷くんがふい、と顔を背けた同時、嘘のように頭痛が引く。まだ目の前はチカチカしていたけど、先程までの嫌な感じは何処かへ消えてしまっていた。

 ……何だったんだろう、今の。チトセが何かしたんだろうか?

 日比谷くんの雰囲気はもう元通りになっていて、今の一瞬の出来事は夢だったのではと思うほどだ。

 考えたところで答えは出そうになかったので、私は気の所為だとして片付けることにする。


「まぁあいつはちょっとだからな。気を付けてはいるんだが……」

「特殊?」


 含むような言い回しに私は思わず言葉を返した。だけど日比谷くんは、それは耳に入っていなかったのかふと足を止める。


「どうしたの?」

「いや、何だ? あいつら」


 そう呟いた日比谷くんの視線の先。学校の敷地沿いに建つ電柱の影に、二人の女の子が立っていた。

 歳は多分、私達と同じかそれよりも少し上くらいだろう。恐らく学校指定のものであろう制服に身を包んだ彼女らは一見するとただの学生に思える。

 思えるのだが……その二人は、私の気の所為でなければ私達の方を凝視していた。茶髪で小柄な女の子の方は様子を窺うようにこちらを見ているだけだけど、もう一人の長い金髪の女の子はどちらかと言うと敵意を感じられる目で睨んでいる。その人の容姿がキツい感じの美人だというのも相まって、射竦められたかのように背筋が冷たくなった。


「……明らかにこっち見てるな。しかもあんまり穏やかじゃなさそうだ。……知り合いか?」

「し、知らない。日比谷くんの知ってる人じゃなくて?」

「俺は少なくともあんな派手な金髪の女は知らない。忘れそうにもないしな」


 それに関しては日比谷くんの言葉に激しく同意しておきたい。

 あの人は良くも悪くも印象に残る。こんな状況でもなければ見惚れてしまうような綺麗な人だ。

 ところで、最近の私においては“私”自身に覚えがなくとも知らない間にチトセが何かやらかしていた──なんて事がままある。これは日比谷くんも同様だろう。

 だとしたら、いつの間にやら人の恨みを買っていたなんて可能性は決してゼロではないのだ。


《あのお方です! あのお方が私の御主人様です!!》


 一体全体何処から聞こえたのかは分からないけど、その声を合図に二人は私達の方へと近付いてくる。


「……よく分からないけど穏便に済みそうにないな。逃げるか」


 そうは言っても足が竦んで動けない。

 私がそう訴えると、日比谷くんは私の腕を引いて近くの路地裏に飛び込んだ。


「え、あ? に、逃げちゃった!」

「追いましょう。こんな物を押し付けてくれたんです、ただで済ませませんよ……!」

「ひばり、あの、あんまり無茶しちゃ駄目だからね!?」


 どうやら本当に私達に用事があるらしく、そんな言葉が背後から聞こえてくる。

 ただでは済まされないらしいのでやはりお礼参りで間違いない。捕まったら殺される……!


「走れ悧巧! 撒くぞ!!」

「う、うんっ!!」


 それを合図に、私達は脇目も振らずに駆け出した。

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