第22話 前兆

《そういう訳で私は六角が主、チトセ様の忠実なるしもべ、ネルにございます》

「それは昨日何回も聞いたってば……何で私の携帯に居着いてるの……?」


 通学路を歩きながら、大きく溜息を吐く。

 チトセが私の中からいなくなり、久しぶりに穏やかな夜がやってくる──と、そう思ったのも束の間、帰宅した昨日の私を襲ったのは別種の悪夢だった。

 雲雀さんによって押し付けられた、このネルとかいう謎の生命体が原因である。


《何でと言われましても。この身は御主人様に捧げるべき定め。しかしながら、我が主は行方知れずとなってしまいました。千妃路様のせいで》

「何で私が悪いみたいになってるの?」

《故に、千妃路様にはチトセ様を探して頂かなくてはならないのです! 千妃路様が我が主に通ずる唯一の手掛かりなのですから!! ええ、ええ! その通りにございます!》


 この調子なのである。こちらの話はまるで聞いていない上に、口を開けばチトセ様チトセ様……喧しい事この上ない。

 騒がしいという点では、チトセより数倍害悪だ。


 特に敵意は無いようだが(というか携帯に居着いているので何も出来ないみたいなんだけど)それ以外のメリットは何も無い。折角、チトセの事を知っているようだから色々聞き出そうとしたものの、「偉大なる我が主の胸中を推し量るなど、過ぎた真似にございます」の一点張り。何が偉大だ。要は何も分かってないだけじゃないの。


 ただでさえ問題だらけで気が重いのに……本当は学校にも行きたくないのだ。

 扠廼はともかく、天真くんは昨日の騒動を知らない。私だけチトセから解放されてしまった以上、どういう顔で会えば良いのだろう。


 彼は私達が思うより同化が進んでしまっているかもしれないという事実、そしてこのままではいずれ完全に意識を食われて消滅してしまうだろうという事実。

 既に蚊帳の外とも言える私が、どんな言葉を掛けたところできっとただの上から目線の憐れみになる。


 そもそも私は、これからどうするべきなんだろう?

 チトセを見つけなくちゃいけないのか、見つけたとしてその時どうするのか。

 同化を防ぐ方法があるのか──それとも。


 きっと遅かれ早かれ、決断を迫られる。

 その時私は……どうするのだろうか。


《千妃路様? 我が偉大なる主に関して思いを馳せられているところ申し訳ありませんが》


 いや別にそんな事はしてないけど。偉大だとも思ってないし。


《見られております》

「え?」


 ネルの声に釣られて辺りを見回す。

 物言いから考えて誰かに、という意味だと思うものの、通学中の学生の姿がちらほらあるだけで特におかしなものは見当たらない。


「気の所為じゃない? だって何も……うわっ!?」


 振り返った、すぐそこ。私が半歩でも後ずさればぶつかってしまうであろう位置取りに、見知らぬ女の子が立っていた。

 気配なんて微塵も感じさせなかった為、下手すれば心臓が止まったんじゃないかと思うほど度肝を抜かれたのはここだけの話である。


「…………」


 じ……と、ガラス玉のような無機質な瞳が私を真っ直ぐに捉えていた。

 成る程確かに、これは見られている。まさかこんな至近距離だとは思わなかったけど。


「あ、あの……何か?」

「…………」


 歳は私と同じか、少し上くらいだろうか? 身長は私よりもちょっと高いかどうかといったところなので、否が応でもばっちりと視線が交わる。


 とろりとした光を放つ蜂蜜色の長い髪も、同色の瞳も、それはそれは煌びやかで美しい。だが華やかな風貌とは裏腹に、無表情でこちらを見つめている彼女はやけに作り物めいた雰囲気を纏っていた。いっそ、不気味なほど。

 桜華ちゃんをビスクドールに例えるのなら、彼女は蝋人形のようだ。感情が抜け落ちたままに佇む、人の形をした何か。


 身を包んでいる学生服に見覚えは無い。少なくとも同じ学校じゃないということだが、だとするとこんなに穴が空くほど見つめられる理由も無い。


「……もしもし?」

「落とした」

「え?」


 ようやく薄い唇を動かした彼女は、しかしその一言を述べただけだ。

 コミュニケーション能力に難があり過ぎる。朝から変なのに絡まれてしまった。……と、そう思ったのだが、よく見ると彼女は小さな手帳をこちらに差し出している。生徒手帳だ。


「貴女の」

「え、私の? 鞄に入ってたんだから落とすはずは……ほんとだ、無い!」

「返す」


 ずい、と生徒手帳を突き付けられる。中を確認すると確かに私の名前が書かれていた。

 な、何で落としたんだろう? 鞄に入れたつもりでポケットにでも入れてたんだろうか。


「すいません、わざわざ親切に拾ってもらって……!」


 慌てて受け取ってお礼を言うと、彼女は無表情のままぱちぱちと瞬きをする。

 完全なる変質者だと思ったが、誤解も良いところだったらしい。私は思い遣り溢れる人に何て失礼な事を考えるんだ。


「……親切?」

「え、あ、はい。ありがとうございます」

「これを、親切と言うのだろうか?」


 ……変な人である事には違いないらしい。奇妙な沈黙が生まれるが、私はこの問いに関する答えを持たない。意味不明だからである。


 彼女はもう一度瞬きをすると、くるりと背を向けて立ち去ってしまった。


 な、何だったんだあの人。

 昨日と言い今日と言い、おかしな人にばかり絡まれる。

 呪われているのかもしれないが、そもそもチトセみたいな変なものに取り憑かれていた事を踏まえると本格的にお祓いをしてもらった方が良い気がしてきた。


《……今のは》


 思い出したかのように携帯の画面を覗き込むと、ネルは何だか難しい顔でぶつぶつと呟いている。

 私の視線に気が付くと、ぱっと顔を上げてわざとらしい作り笑いを見せた。


《どうなさいました?》


 それはこっちの台詞である。


 明らかに様子がおかしかったが、問い詰めてものらりくらりと躱されてしまった。何なんだ。

 まぁ、所詮はチトセの手下である。私も彼女のことはあまり信用していないので、放置するのが最善だろう。


《それより、千妃路様? ええと……扠廼、様? が何か言いたそうにしておられますけど》


 ネルが画面の中から指差すように、もう一度背後を見遣る。そこには扠廼が何とも言葉に表しにくい微妙な表情で立っていた。


「扠廼。おはよう」

「ああ、おはよう……お前、外でそうやってそいつと話すのはやめた方が良いんじゃないのか。丸っきり不審者だぞ」


 ちなみにだが、彼には昨日メールでネルの存在については伝えてある。


「やっぱり怪しい?」

「かなり。周りの奴らもチラチラこっち見てるし」


 もう学校も目前なので、周りは同じ学校の生徒ばかりだ。

 とは言えもうこの際、変人扱いは仕方ないだろう。ただでさえ昨日はチトセのせいで転校初日からやらかしている。こちらに向けられている視線には恐怖も滲んでおり、多分あれはクラスメイトによる「あの転入生また何かするつもりなのか」みたいなあれだと思う。


 というわけで、今更印象を良くするのも不可能なので放置しようと思っている。

 扠廼は「お前意外と……アレだな」とか苦い顔で呟いていたけど、それについては無視した。


「ところで、シノは?」


 いつまでも突っ立っていては遅刻するので、教室へ向かいながら話を振る。

 校内では携帯は使用禁止なので電源を落としておくことも忘れなかった。大体、ネルの事だからそのままにしておくと絶対に所構わず話し掛けてくるだろう。そうなれば職員室に呼び出されること間違いなしだ。


「いや、それが……まだ寝てる」

「……あれからずっと?」


 ああ、と短く返す扠廼。

 ただ寝ているだけ。そう言うと聞こえは良いけど、扠廼の表情を見るにこれは今までになかった事なのだろう。


 心当たりは、ある。

 それは、別れ際の湖鷺さんの言葉だ。


『“同化”が完了するに至って、考えられる限りのは大きく分けて二つだ』


『一つは、宿主……つまりは取り憑かれてる側の身体的・精神的な不調。まぁそりゃ意識がバラバラに砕かれて取り込まれるんだから当たり前だわな』


『そしてもう一つ。調は恐らく取り憑いている側にも現れる。……全くの他人の精神を自分の中に改めて取り込んで体を完全に奪い取るんだ。いくら奴らが化け物っつっても、馴染むまで何事もなく済むとは思わない』


 だからと言って、どうする事も出来ねぇけどな──と、彼女はそう語った。


「まぁ、今のところ俺自身は何ともない。とりあえず馬鹿シノが静かならこの方が楽だ」


 このように、扠廼は何とも反応に困る調子である。

 まぁ彼はあまり表情が動かないタイプのようなので、何を考えているのか分からないというのもある。その点では私と足して二で割りたいくらいだ。


「それより、俺よりも心配なのは」

「天真くん、だよね」


 彼は恐らく、扠廼よりも同化が進んでいる。

 絶対ではないが、ほぼ確実に。


 昨日知った諸々の情報は、扠廼から天真くんに伝える……という事になっている。

 扠廼曰く、「悧巧は駄目だ」とのこと。よく分からないが「亜砂はややこしいから」とも言っていた。

 そこまで言うのなら、いっそ言わない方が良いのでは? とも思うけど……。


「他はともかく、亜砂にそれは無理だ。それに俺は……あいつとは対等でいたい」

「……?」

「俺はもう、亜砂に隠し事はしない」


 それだけ言って彼は口を噤んでしまった。


 チトセはもう私の中にいないとは言え、私も彼らと同じ穴の狢であることには変わりない。

 出来る限り天真くんとは円滑な関係を築いておきたいので、扠廼に任せる事に異存はない。天真くんが苦手な事にもまた変わりはないけど。


「とにかく、俺に任せろ」


 扠廼は覚悟を決めたような表情で、教室の扉をくぐったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る