第6話 厄日

 不幸というのは、まさに私の今日そのものを表す言葉なのだろう。


 大通りや裏路地をデタラメに駆け回りながら、そんな事を考える。

 チトセは転入初日から大人しくしてくれないし、下校中に暫定不良の謎の人達に追い回されるし、走っても走ってもその人達は撒けないしおまけに。


 思わずぽかんと口を開けて空を見上げる私の視界を覆い尽くすのは、工事中のビルからいきなり降ってきた真っ赤な鉄柱。


「──悧巧!!」


 危うく挽肉にされるその直前で日比谷くんに突き飛ばされて我に返る。轟音を立ててすぐ側に落下した鉄柱は私に冷や汗をかかせるには充分過ぎた。余波で近くの窓ガラスが割れ、私がさっきまでいた場所にあったゴミ箱は無残に潰れている。……日比谷くんがいなかったら、私もああなっていた。


「何やってんだ! 死にたいのか!?」

「ご、ごめん。足が動かなくて」


 日比谷くんにものすごい剣幕で怒鳴られつつも再び私達は走り出す。自然と人通りが少なく、狭い路地を選びながら。


 それにしてもいきなりあんな物が落ちてくるだなんて!

 しかも、まるで直接私を狙ったみたいに……!


「ひばり、駄目ッ!! そんな物……当たったら死んじゃうでしょ!」

「ですがツバメ、逃げるんですよ!」

「良いから落ち着いて……! こんな所でを濫用しないの……!!」


 後ろから聞こえてくる声が近い。

 体育の授業以外でこんなに全力疾走したことが今までにあっただろうか。

 とにかく、路地を抜けなくちゃ。

 障害物を蹴り倒し、鉄パイプみたいなものが転がっている横を走り抜け、心臓が破れてしまうのではないかと思うくらい苦しくなってもまだ走った。


「わざわざ朝から動いているのです、逃がしませんよ……!!」


 怒りで熱を持った声が背中に突き刺さる。

 それと同時、台風みたいに強烈な風が足元から吹き上げた。


「うわ、わわ……っ!?」

「何だ?!」


 足を取られるほどの暴風に、私達は急激に減速する。

 それに呼応するかのようにあちこちでさっき踏み越えたゴミ箱や鉄パイプ、さらには箒……挙げ句の果てには件の鉄柱までが宙を舞い始めた。鉄柱なんて、もうずっと後ろにあったはずなのに!!

 状況が飲み込めず私達は瞠目する。

 何……これ。ポルターガイスト!?


「あの女がやってるのか!?」

「わっ……かんない……でも……──」


 とにかく、逃げないと。

 日比谷くんにそう返そうとした私の言葉は最後まで紡がれなかった。

 ぐん、と全身を掴んで引きずり下ろされたかのような、あの悍ましい感覚。


『……ッ、チトセ! 何でこんなタイミングで……!』

「こんなタイミングだからこそ、と言えないのかしら。だからお前は駄目なのよ」


 人の体を奪っておきながらいきなり理不尽な罵倒を述べるチトセは、不敵な笑みを浮かべる。


「愚かな子ね。代わりなさい千妃路」


 いやもう代わってますけど?!

 ……が、往々にして私の抗議は無視される傾向にある。無論チトセは私の言葉に何のリアクションも取らなかった。


「お前もだ扠廼。──俺にもやらせろ」


 隣の彼のそんな口ぶりからして、日比谷くんもシノに体を奪われたのだろう。

 シノは愉快そうに目を細め、大きく両手を広げた。


「なかなか面白そうじゃないか」


 ああ、二人は今の状況を愉しんでいる。それも、この上なく。

 一体全体、現状の何が愉快だと言うのだろう。別に分かり合いたいだなんて微塵も思わないけどチトセ達とは根本的に考え方が違うのだと痛感する。


 瞬間、ふわりとした浮遊感があった。

 今の私の体は私の物でありながら私の制御下には無い。チトセ達が重力に逆らって宙に浮いたことに一瞬間を空けてから気付く。

 チトセやシノが何をしたのかは分からない。だけど、吹き荒れる風に乗って踊っていた鉄柱達は音を立てて地面へと叩き付けられた。

 普通の人間ではあり得ない、空を飛ぶという行為。「流石は魔王。空まで飛べちゃうんだー」なんて呑気な事を考えている場合では当然なく、私は卒倒しそうになった。

 目眩がするような高さから、追ってきていた人達を見下ろしながらチトセはくすくすと含み笑いを漏らす。


「あら……思ったよりも骨が無い雑魚なのね。この程度で終わりなのかしら」


 囁くような声に過ぎなかったけど、チトセの声はどうしてか直接心臓を撫でられているかのようによく響く。

 金髪の彼女にもそれは届いたらしく、彼女は肩を震わせてこちらを見上げた。

 黄金の瞳に明確な怒りを滲ませながら。


「誰が……雑魚だと?」

「ひばり怒らないで! 落ち着いて!!」


 悲鳴にも似た金切り声が、彼女を制止する。だけど溢れた水が元に戻らないのと同じように、火が着いてしまったらしいその人の怒りを鎮めることなど出来なかった。


 辺りがふ、と暗くなる。さっきまで晴れていた空に、嘘のような暗雲が立ち込め雷鳴が轟いた。

 まるで──彼女の怒りに応じたかのように。

 ううん、違う。ように、じゃない。

 嘘でしょ? 雷雲を……“喚んでる”?!


 だとすればあの人は、今まさにチトセ(ではあるけど私の体)に雷を落とそうとしてるんじゃあ……!?

 雷の音が段々と近付いている。今、確実に真上で鳴った。

 いやいやいや、死ぬ! 絶対に死ぬ!! 雷が直撃して生きていられるはずがない!!


「ふぅん、そんな事も出来るの」

「最近の人間は昔と比べて手品のタネが増えたらしい」


 一方、チトセもシノも余裕綽々といった感じで態度を崩さない。あまりの狂気に正気を疑ったけど残念なことにこの人達は元から頭がおかしい事を思い出す。

 どうせなら雷が直撃した影響で一周回ってまともになってくれる事を期待したいけど、落雷を受けるのはこの体なのだ。チトセ達が真人間になる前に私の体が目も当てられない有様になる。


 死を覚悟して目を瞑った。

 ああ、私の人生もここまでだなんて。


 そうやっていよいよ意識を手放しかけた、その時だった。


「おーい、君達。こんな所で何やってるんだ。危ないから早く帰りなさい。何でも、ついさっき近くの工事現場から鉄柱が落下する事故が……」


 間延びした男性の声が下の方から聞こえてきて、私は視線をそちらに移す。どうやらパトロール中の警察の人が先の騒ぎを聞きつけてかこんな裏路地まで入ってきたらしい。

 事態が悪化する予感しかしないので私は頭を抱えたくなったけど、予想に反して状況は好転した。

 というのも、警察官を目にした金髪の女の子が露骨に顔を顰めたからだ。


「……警察?」


 警察に嫌な思い出でもあるのだろうか。真偽は不明だが、彼女の気が逸れたことで雷鳴がピタリと鳴り止む。やっぱりあの人が雷を喚んでいたのは間違いないらしい。


 ああ、とにかく助かった……!

 後は“こっち”を何とかしないと!!


『チトセ! あれ、あの人! 警察!!』

「……それが?」

『捕まると牢屋に入れられるの! 血がどうこうとかも言えなくなるけど良いの!?』


 ちなみに、正直なところ私にとってはいっそその方がありがたいのではという気もしている。だけど多分この人が大人しく捕まってくれるはずもないので今はチトセを収めるしかないのだ。


「別に、そんなもの。壊して出れば良いじゃないの。邪魔をする連中がいるのであればその程度皆殺しにしてあげるわ」

『日本の国家権力を舐めてもらっちゃ困る!!』


 案の定としか言えない返答をするチトセに、私は全力でハッタリを効かせることを心に決める。

 日本の国家権力とやらがどれくらいの実力があるのか一女子中学生に過ぎない私は勿論全く分からないのだけれど、ここで引くとまた雷に怯えなくてはならないかもしれないのだ。そうならなかったとしてもチトセが何をやらかすか分かったものじゃない。


『今まで何度凶悪犯が捕まって牢屋にぶち込まれてきたと思ってるの! 日本の警察の前ではどんな奴らも赤ん坊扱いなんだからね!?』


 大嘘である。

 少なくとも警察は魔王を相手にすることなど想定していないはずなので、チトセやシノが大人しくぶち込まれる可能性はゼロに近い。


 とりあえず、チトセにはすぐに出るのは不可能だと思い込んでもらわないといけないのだ。

 あと、この人は多分一般的な人間の常識がほとんど備わっていないので細かい事までは想像が及ばないはずだ。


「……要するに殺せば済むという話ではないの?」

『ない!』


 済みますけどね。

 大抵はそれで何とかなりますけどね。

 ちなみにその件の警察官と言えばまさか人が空を飛ぶとは思わないのだろう、金髪さん達に何やらくどくどと高説を垂れていてこちらを見る気配は無い。


 チトセはしばしの間無言を貫いていたけど、


「……それは、面倒だわ」


 心底嫌そうにそう吐き出すチトセに私は心の中でガッツポーズを決める。

 最近気付いたことだけど、彼女は力技で解決出来ないトラブルを嫌う。どうせなら厄介事そのものを忌避してくれれば良いものを、先程までを思うと分かるようにそうはいかないのが世の常だ。


 一方、男性警察官は話が済んだのか立ち去ってしまったのだが周囲に気を配らないチトセがそれに気付いた様子は無い。


 しかしほっとしたのも束の間、続く彼女の言葉に私は目を剥く羽目になる。


「飽きた。“返す”」

『え? いや、このまま返されるのは困──』


 言い終わる前に視界が開ける。チトセの意識が沈んだのと引き換えに私の意識が浮上したのだ。


 だけど、忘れてもらってはならないのは私はただの人間に過ぎないのだということだ。

 つまり普通の人間は重力に逆らって宙に浮いたりしないのである。そして今の私の体は建物で言えば四階くらいの高さで静止している。勿論、チトセの力で。

 パッ、と。足元が突然丸ごと消失したかのような感覚。天地がひっくり返って、私の体は真っ逆様に落ちる。


「ひ、いぃぃいいッ!?」


 信じられない勢いで迫り来る地面に、さっきとは違った意味で死を覚悟した。

 私の名前を呼ぶ日比谷くんの声が頭上で聞こえた気がするけどそう言う日比谷くんも落下真っ最中ですよね?


「ひ、ひばり!! 何とかしなきゃ!」

「あなたの願いなら、仕方ありませんね……ツバメ」


 最後に耳に届いた言葉は混乱した頭じゃ意味を掴めなくて、潰れた果実のようになる一歩手前で意識を手放した私は「今日はやっぱり厄日だなぁ」なんて考えていた。

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