第11話 決着

 分の悪い賭けに命を預けることが出来るほど、水蓮寺 湖鷺は愚かにはなれない。


 元々、湖鷺の能力は他人の精神や思考に干渉出来るが故に人の考えが読めるのであってそれ以外の用途は湖鷺自身も把握していない。

 大口を叩いたは良いものの、本当にそんな事が出来るのかは彼女自身にも分からないのだ。


 だが、運命とやらに身を委ねて全てを諦めてしまうような愚直さも彼女は持ち合わせていなかった。

 どうせなら、抗えるだけ抗うのが彼女の主義だ。例えどれほど勝算が低かろうと。


 何せ姉も夕凪も役に立たないのだから。

 水蓮寺の方は何やら先程からソファの辺りでごそごそとしているのだが、何をしているかまでは分からない。目の前の少女を刺激する可能性がある以上はどうせなら大人しくしていてほしいものである。


 ところで、目の前の娘──悧巧はチトセと呼んでいた──は先の騒動で随分と苛立っているようだ。しかし、湖鷺が振るう鋏を捌くだけで具体的なアクションは何一つとして起こす様子は無い。

 この至近距離で初撃のように不可視の斬撃を放たれては対処のしようもない。だが一向にその素振りが無いことから、どうやら“やらない”というよりも“出来ない”らしかった。


(さっき、一瞬動きが鈍ったが……その時に悧巧が何かしやがったのか?)


 そんな事を考えていても仕方がない。今はとにかく、「引き剥がし」に集中しなくては。


『あの、湖鷺さん! 本当にそんな事出来るんですか!?』


 困惑した様子の悧巧は一先ず無視しつつ、湖鷺は息を整える。このままでは泥試合だ。そして、長引けば長引くほどこちらに不利になることは間違いない。


 人間という枠組みに限定するのであれば、水蓮寺 湖鷺は単純な戦闘力で言えば随一を誇る。その点では湖鷺自身も自己に高い評価を下していることは確かだ。


 であれば、目の前の存在は人の形を取りながらも人の枠をとうに超えている。

 ここまで来てなお、人の姿を保っているという事実の方がいっそ悍ましい。

 こんなものを人間と呼ぶのなら自分は人間でなくとも構わないと思えてしまうほどに。


「この程度の人間に手こずるなんて……やはり駄目ね」

「ッ!」


 チトセのしなるように振り抜かれた左脚を、後ろに倒れ込むようにして回避する。

 人の身を外れた化け物。

 それでも殺す気で挑めば、何とかなるのかもしれない。そんな誘惑が鎌首をもたげるが、こうなった今となっては目の前の少女の体に傷を付けるわけにはいかない。


 目的は魂の分離だ。

 やるのであれば、一瞬の隙を突いて──そして迅速に。

 深く腰を落としたまま、湖鷺は鋏を握る手に力を込める。愛用の武器ダガーを盗られたことを言い訳にする意図はないが、それでも馴染みがないそれはどうにも扱い辛い。


 獲物を仕留めんとする鷹のように鋭く細められていた金色の双眸。

 しかし……それは次の瞬間驚愕で見開かれることになる。


「飽きたって言ったでしょう? この私が、いつまでもお前のような者に付き合ってやるとでも思って?」


 蒼い目を細め、少女は指を鳴らす。

 いつの間に現れたのか、その白い手には一丁の銃が握られていた。


「なん、」

「……まさかこんな物に頼る羽目になるだなんて。確かに、最初の一撃で殺せなかったのは私の失態ね。この恥は甘んじて受け入れる事にしましょう」


 屈辱の一言だったのだろう。その目に宿る怒りは他の誰でもない己自身へと向けられたものだったのかもしれない。

 忌々しげに唇を噛んだ少女は湖鷺へと銃口を向ける。


(どうやって出しやがった!? いや……それよりも!)


 ダガーを奪った以上、武器を持ち合わせてはいないのだろうとタカをくくっていた。

 だが、それは誤りだったのだと遅まきながらに少女は理解する。

 ……悧巧達の精神を分離させるには、一先ずチトセの気を逸らさなくてはならない。しかし、この状況ではそれも叶わない。


 チェックメイト。

 全身が総毛立つと共にその一言が脳裏を過り、引き金に掛けられた指が動く──その、直前で。


《──おやめください、姫様!!》


 響いたのは銃声ではなく、悲鳴にも似た金切り声だった。

 不思議とそれに釣られるようにして動きを止めた蒼い少女は、声が聞こえた方へと振り返る。


「…………?」


 少女が自分から視線を外した瞬間を湖鷺は見逃さなかった。

 意識の全てを異能の操作へ。繊細な作業をしている暇などない。古くなった壁紙を無理矢理に引き剥がすような強引さで、湖鷺は一人の少女の中で重なり合う二つの精神の分離を試みる。


『なんか体からバチバチ音が鳴ってるんですけど大丈夫ですかこれ!?』

「知るか! 歯ァ食いしばれ!!」

『食いしばって何とかなるの!?』


 これを逃せば恐らく次はない。

 チトセが一体何に気を取られたのかは湖鷺には分からないが、今この瞬間が天に与えられた最後のチャンスだ。

 悧巧の言う通り彼女の体から響くのは火花が散るような異音。

 大凡、人間の体から発生して良いようなものではないがこの状況でそんな事を気にかけるような繊細さが湖鷺には無かったのがせめてもの救いだろう。


「……っ、よし!」


 ずるり、と。

 何かを引き摺り出したような手応えを覚え、湖鷺は口角を上げる。それと同時に、蒼い少女が握っていた銃は霧散するように消失してしまった。

 得体の知れないは今自分の手の中にある。正体こそ不明だが、野放しにして良い存在ではないことも確かだ。

 故に、実体を持たない状態のまま捻り潰してしまおうとしたのだが……。


「……チッ、逃げやがった」


 悧巧から切り離した矢先、チトセは大気に溶けるように、跡形も無く消えてしまった。

 消滅したわけではないだろう。自ら立ち去ったのだ。この場に興味を失くして。


 これは彼女らの話を聞いていただけの湖鷺による推測だが、少なからずチトセには悧巧の体から解放されたいという意思があったと見て間違いない。

 チトセが気を逸らしたのは時間にすればほんの数秒のこと。それなのにこちらが“引き剥がし”を行う際、抵抗する素振りが無かったことを考えると上手く利用されたのだろう。やけに手応えが無かったのもそのせいに違いない。

 成り行きとは言え、悧巧 千妃路という少女の体から抜け出すことが出来たのだから。


「ね、ねぇこさぎちゃん……何が起きてたの? あとあの子気を失っちゃったみたいだけど良いの?」


 精神を切り離すなどという荒業のせいか、気絶してしまった悧巧を指差し困惑した表情を湖鷺へと向ける夕凪。先の騒ぎをその程度の言葉で片付ける辺り流石にとも言えるが、湖鷺はそれには返事をせずに悧巧の側に落ちているダガーナイフを拾い上げる。


「どうやら片付いたらしいわ。……いや、まぁまだ一人残ってっけど……」


 誰も彼も忘れていたかもしれないが、悧巧と一緒に連れてきた黒髪の少年は未だに気を失っていた。

 もう先の騒動のような事は避けたいので本格的に縛り上げる為の縄か何かが無いか思案しつつ、湖鷺は一度姉の方へと意識を向ける。


「つーか姉貴、さっき何しやがった? お前だろ、あいつの注意引いたの」


 あの時、チトセが振り向いた先にいたのは水蓮寺だけだった。ただ突っ立っていただけだった姉がよもや役に立つとは思っていなかったのだが、人の可能性とは思いもよらないものである。

 湖鷺の疑問に水蓮寺はああ、と軽く頷いて、


「私自身は何も。あの時使ったのはこれですよ。……まぁ、あまり期待はしてなかったんですが」


 そう言った水蓮寺がひらひらと掲げているのは彼女の携帯電話だった。そこには顔を覆って崩れ落ちている少女──ネルが画面いっぱいに表示されている。


《折角……折角お会い出来ましたのに……また私を置いていかれるだなんて……》

「そういや、初めはそいつの主人だとかいう奴を探すって話だったっけ……」


 本来は悩みの種もといネルと縁を切る算段だったのだが。

 悩みが減るどころか、増えたのだから最早溜息しか出ない。

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