第27話 報せ
叔父さんが怖い。
そう、椎做から相談されたのは前日のことだった。
そんなことない、お前の気の所為だ──なんて。
そう言って椎做を励ますことは出来たけど、しなかった。もしかしたら頭の何処かで打算が働いていたのかもしれない。
椎做が引き取られると聞いて、素直に祝福の言葉は出てこなかった。嫉妬していたとか、そういうわけじゃない。ただ漠然と、椎做がいなくなるということだけは理解していた。だから……ショックだったんだ。
先生に相談してやる。大丈夫だ。
結果、あの時の俺はそう告げて椎做の手を引いた。好きな子を守ってやりたいという義憤に駆られていたのもあるだろう。椎做が嫌がればこのまま孤児院に残ることも出来るんじゃないかと思ったのもある。
『新しい生活が不安なのね。心配しなくても良いのよ』
椎做と俺の頭を撫でながら先生は言った。何も心配は要らないと。環境が変わることを不安に感じるだけだと。
あの男は、良い人だからと。
良い人。善い人。
何の根拠もないその言葉に椎做は殺された。俺も椎做もあの孤児院が絶対だった。先生達はまるで神様みたいに正しいものだと思っていた。
先生がそう言うのなら、本当に大丈夫なんだと、俺はあっさりと納得して引き下がった。そして先生が決めたことなら、もう覆らないのだと。
椎做だけは知っていたのに。
椎做が捨てられてから何年も経ってようやく現れた男。今更のこのこやって来た叔父。
「こんなことになっていたなんて知らなかった」だなんて。
あの男に伝わらない、伝えられないだけの理由があったのだとどうして誰も気付かなかったんだ。きっと椎做の両親の、親としての最後の情がそうさせたんだろうと、どうして……誰一人として。
「亜砂はずっと、椎做を救えなかったことに罪の意識を抱いていた。亜砂が悪いはずなんてないのに。知っていたのは俺で、知らなかったのは亜砂だ」
俺なんか椎做の代わりに死ねば良かった。いつしかそれが亜砂の口癖になっていた。
椎做がいなくなって、亜砂までいなくなるなんて耐えられなかった。だから死なないでくれと、何度も何度も言い聞かせてやっと──ここまで、来たのに。
「全部……俺が悪かったのに」
今朝、あいつを前にして最低なことを考えた。
シノもテンリも野放しに出来ない。もう自分の意思では止められない。だったら方法は一つしかない。
シノをこの身体に閉じ込めたまま死ねば良い。
♦︎
バチンッ! という音の正体に気付いたのは、じわじわと熱を持ち始めた頬に触れた後だった。なかなか状況を飲み込めないまま隣を見ると両目を釣り上げている悧巧が目に入る。
「いつまでもうじうじしてたって、しょうがないでしょう」
唐突に俺を引っ叩いた女は、そんなことを言った。
「チトセがいなくなった今の私が何を言っても“憐れみ”になる。そう思ってずっと聴き役に徹してた。その叔父って人も孤児院の人達も最悪だし本当に正直もう死ねば? って思う。だけど」
あまりにあけすけな物言いに、口を挟むことも出来ない。馬鹿みたいな表情のまま見つめ返すだけだ。
俺が今“シノ”だったなら、いくらはたいただけとは言え無事に済まなかった可能性もある。それが分からない悧巧じゃないはずだ。
その言葉は叱咤や激励というよりも、呆れの色が濃いような気もした。だからなのか、驚くほどすんなりと受け入れることが出来る。……さっきまで、酷い顔色で聞いてたくせに。
「天真くんは悪くないよ。でも、扠廼も何も悪くないでしょ。ふざけんなって喚いて暴れる権利はあっても自己嫌悪する必要なんて何処にもない。二人とも悪くないんだから──さっさと仲直りしてきなさいよ」
……仲直り。
そうだ。何でこんな話をしたかって、亜砂と喧嘩になったからだ。
次に“喧嘩”になればもう二度と許してもらえないと思っていた。
椎做が死んだ時。俺が隠し事をしようとしたせいで、亜砂を勘違いさせたから。酷く、傷付けたから。
次は、もう死んでも許してくれないのだろうと。
「でき……ると思うか?」
「すれば良いでしょう。誰も駄目なんて言ってない。天真くんが許してくれないなら許してくれるまで謝れば良いし、逆に何で許してくれないんだってあなたが怒って逆ギレしたって構わないの。私達、中学生だよ? 難しく考え過ぎでしょ」
「そう、か」
なんだ、そっか。
それだけで良いのか。
「天真くんを探さなきゃ。行こう、扠廼」
『ほら。早く行こう、扠廼』
目の前の悧巧と、懐かしい顔が重なる。椎做もきっと今の俺を見たら憤慨しただろう。あの時も今も、俺と亜砂の二人だけじゃ駄目だったんだなと漠然と思う。
「授業は受けなくて良いのか?」と揶揄うと、「真面目に受ける気なんてないくせに」と口を尖らせて返された。屋上に引き摺っていったのを根に持っているらしい。教室で話をしてシノ達が暴れ出したら最悪だったから連れ出したんだけどな。
「でも何処に行っちゃったんだろうね。体調悪いだろうし、そう遠くへは……」
《千妃路様! お電話でございます!!》
難しい顔をする悧巧のポケットから甲高い声が響く。電源切ってたのに!? と慌てふためく彼女は取り出した携帯の着信画面を見て眉を寄せた。
「ツバメさん?」
『あっ、良かったぁ。繋がった』
悧巧が咄嗟にスピーカーモードにしたらしい携帯電話からはのほほんとした女の声が聞こえてくる。「授業中かなとも思ったんだけどねぇ」と続くのんびりした声に悧巧が苦い顔をする。相変わらず顔に全部出るなこいつ。「今それどころじゃない」というのがありありと書いてある。
『うーんとね、ひばりが拗ねちゃってたから約束通りにケーキを食べに来てね。学校も行かないって言うし……。最近ほとんど行ってないからこのまま機嫌を直してくれないと困るなぁって。だから今向かってるんだけど、昨日ちひろちゃんとせのくんが写真を見せてくれたでしょう? 私はあんまり覚えてないけど、ひばりがね。間違いないって言うから』
「ちょ、あの……ツバメさん? 何の話ですか?」
『え? 見かけたら気を付けてって言ってたよね?』
要領を得ない説明に悧巧がますます険しい顔になっていく。ツッコミたいんだろうがふわふわした先輩に強く出られないらしい。
……写真。そう言えば昨日解散する前、あの連中にあいつの写真を見せた。チトセは能力者だとかいうあいつらに強い興味を示したらしい。俺……というよりもシノもそうだが、すれ違うだけで手を出してくる可能性は高い。
不用意に近付くな、気を付けろと──テンリに注意しろという意味で亜砂の写真を見せた。
「亜砂を、見たのか」
「え? あ、そういう!?」
『最初からずっとその話だよ?』
いや、ほぼ「ひばり」とやらの話だった。
『こんな時間に制服で歩いてたから変だなって。それに、ひどい顔色だったよ。なんかずっと独り言も言ってたみたいだし……。ひばりが昨日話に上がったひとだから近寄っちゃだめって言うから話しかけなかっ』
「ツバメさん! 場所は何処ですか!? 時間はどれくらい前!!?」
『ホントについさっきだよ。場所は──』
何で、そんな所に。
あいつが住んでいる場所ともまるで離れている。何の目的もなくうろつくにしてはおかしい。
嫌な予感がして顔から血の気が引く。
「ツバメさん! お願いします、すぐに追いかけてください! 私達も行きます!!」
『う、うん。でもどっち行ったんだろ……ひばりは見た? ……うん、うん、ちょっと待ってね。でも困ってるみたいだからね。そんなこと言ったらまたこさぎちゃんに怒られるよ? ……わぁ、すごいね。ちょっと見ただけなのに覚えてるの? じゃあ少しだけ追いかけてみようか』
「ええと、後でまた電話かけます!」
「ネル、マップ出して!」と悧巧が叫んで立ち上がる。
身動きが取れないままでいる俺の腕を強引に掴み、今朝と同じように教室から飛び出す。
一限目が終わる合図となるチャイムを聞きながら、悧巧の後を追いかける。俺の方が足は速い。でも先を行くと余計なことを考えてしまいそうで、わざと後ろに付いた。
「扠廼、心当たりない!? そっちの方向に、天真くんが行きそうな場所!!」
心配のし過ぎだったらそれで良いけど、そう彼女は付け加える。
そうだ。俺が初めに考えたように、ただ頭を冷やしに行っただけの可能性もある。その方がずっとあり得る。そう何度も自分に言い聞かせていた中──ふと、あの場所が頭を過った。
「病院……」
「えっ?」
「……廃病院が、あるんだ。昔よく忍び込んだ……上の方の階の窓からだと、孤児院が見えたから……」
ぞわぞわとした感覚が足元から忍び寄ってくる。それを後押しするかのように、無機質な声が響いた。
《調べましたが確かにその方角には十年以上前に経営不振で潰れている病院があります。十階建てとはまた……飛び降りて死ぬには絶好の高さでしょうね》
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