第15話 化け物か、それとも
「湖鷺さん、あの、とりあえず落ち着きましょう?」
そもそも悪いのは私達だ。不法侵入したわけだし、寝てるところを起こしたわけだし。
この女の子が怒る理由はあれ、それを棚に上げてこちらの要求を押し通す権利は私と湖鷺さんには無い。
いやまぁ、だからと言って背後から刃物を投げられても良いという意味じゃないんだけど。
「っ……まぁ、そうだけどよぉ……」
ちょっと冷静になったのか湖鷺さんはバツが悪そうに目を逸らす。
居心地悪そうにむくれている様子は彼女に怒られた時の雲雀さんにそっくりだ。性格が全然違う二人だと思っていたけど、意外と子供っぽいところとかはよく似ているのかもしれない。
「己の過ちを認め、帰る気になったか。それは何より」
鼻で笑う少女を私はちらりと見る。顔立ちは繊細な作りの人形のように美しい。ただ、湖鷺さんや雲雀さんが“美人”枠だとするならばこの子はどちらかと言うと“可愛い”枠の容姿なのかもしれない。もっとも、言動で何もかも台無しだけど。
……湖鷺さんの話から考えて、この子も能力者なのだろう。だとすれば、一体何の?
当たり前だけど私には湖鷺さんのように人の心を読む力は無い。なのでこうやってジロジロ人の顔を見たところでそんなもの分かるわけがないというのに、ついつい見つめてしまう。
「だからぁ、用事があるんだって。聞きたい事があんの。じゃなけりゃ蛇穴にわざわざ足運ぶかよ」
全然反省してなさそうな物言いの彼女に、心臓が跳ねる。そんな事を言ってまたナイフが飛んで来たらどうするんだ。
そうした気持ちを込めて非難めいた目を湖鷺さんに向けたけど予想に反して少女は溜息を吐いただけだった。
「お前に聞きたい事があったとして、私にそれに答える義務は無い。知りたい事があるなら自分で調べたらどうだ? 書庫くらいは貸してやる」
「お前が言う書庫ってあの訳分かんねぇ本がぎちぎちに並んでる部屋だろ? あんなもん調べるだけで何日かかんだよ」
「まさか字が読めんほど馬鹿だという訳でもあるまい。それとも恥も外聞も捨て、『この歳になって字もまともに読めないので協力してください』と頭を下げるか? それならば考えてやらんでもないが」
しっしっ、と彼女は手で湖鷺さんを追い払うような動作をする。
私としても居心地が悪いことこの上ないので帰れるものなら帰りたい。女の子は私のことは視界には入っているようだけど、意識に入れるつもりは毛頭無いのか思いっきり無視を貫いている。
それにしても、これだけ嫌がられて全然引かない湖鷺さんのメンタルも凄いな。それともこの二人は普段からこんな感じなのだろうか?
「大体、能力者なら
「あん? 悧巧の事か? 悧巧は能力者じゃねぇよ。別件だ」
不愉快そうに眉を顰める少女に、湖鷺さんは肩を竦めてみせる。
それを聞いた彼女は何故かぎょっとしたように突然私の方を見た。
感情表現が豊かな方ではないのか、あまり大きく表情が変わることはない子のようだけどそれでも彼女の、色が違う両の目は異様なものを見る目で私を捉えている。
目は口ほどに物を言うとのことだが、それはまるで得体の知れない化け物を見るかのような……。
「……なに? 無能力? 馬鹿を言うな、こんな──」
意図的か、それとも無意識にか。
彼女はそこで言葉を切る。
私を射抜く赤い左の瞳は、底知れない闇を携えているかのように昏い。湖鷺さんのものとはまた違う、人間の深層を暴くような目だと思った。
「ああ、そうか。お前、女神の…………」
突き刺さる視線が痛い。動きを止めてこちらを見る少女はその容姿も相まって本当に人形のようだ。
な、何だろう。私の顔そんなに凝視しなくちゃいけないほど変だったのかな。
「これどうしたら良いんですか?」という意味を込めて湖鷺さんを見たけど、彼女も彼女でものすごく険しい顔で女の子を見ているだけだった。ただし湖鷺さんの場合は、“何なんだコイツ”と考えているであろうことが表情に全て表れている。
私が言えた義理じゃないけど、この人めちゃくちゃ顔に出るな。
「聞こえてんぞ悧巧。つーか、おい桜華。今お前が考えてたのどういう意味だ?」
あ、やっぱり聞こえてたんですね。
とは言え思った事を反射的に口にしないだけ褒められて然るべきだと考えられるので、
暫くの間、女の子は選別するような目を私に向けていた。湖鷺さんの問いに答える気はないのか返事をする気配はない。
ややあって彼女は薄い唇を動かして言葉を紡ぐ。
「……………………気が変わった」
「へ?」
「気が変わったと言っている。可能な限り協力してやろう。そこのソファにでも座れ」
彼女が指しているのは高級そうな白いソファだった。
溜息をつく彼女は、どちらかと言うと嫌々な様子が見て取れる。とてもじゃないが親切心からではないのは明らかだ。だと言うのにどうして突然心変わりを?
湖鷺さんなら分かるんじゃないかと考えたものの、彼女はいきなり掌を返した少女に気を良くしたのかあまり気にしていないらしかった。
「お、マジかよ。珍しく話が分かるじゃん!」
まずはお前ら自己紹介したらどうだ? なんて呑気な事を言い出す始末である。
私自ら尋ねるということも選択肢にはあったけど、どうしてかそれは躊躇われた。……射竦めるような彼女の目が怖かったのかもしれない。
まるで私自身も知らない何かを糾弾するかのような、冷たい瞳が。
──ともかく、湖鷺さんに促され
失礼な話、雲雀さんの言う「蛇女」というのは案外的を射ているのではないだろうかと思う。何というか、言葉では言い表し辛い嫌な雰囲気を纏っているのである。
湖鷺さんが言うには私より二つ歳下……つまり十三歳ということらしいが、これが同い年かいっそ歳上であったのならここまで警戒心を抱かずに済んだかもしれない。
纏うオーラは大人びているけど、彼女は年齢よりもずっとあどけなさが残っている。見目の幼さに反した妙に達観した言動が、酷く不気味に思えてしまって近寄り難さを際立たせるのだ。
綺麗な薔薇には棘がある。成る程、その通りだと思う。そしてその棘に猛毒が含まれていたとしても、指に刺さるまではその脅威に気付けない。
「……で、六大陸の亡者共の話だったか」
桜華ちゃんは自分で淹れたコーヒーを口に運びながら目を細めた。
事情はある程度湖鷺さんの口から説明されている。そんな湖鷺さんは今、出されたコーヒーに角砂糖を三つほどぶち込んでいた。あんなに入れたら甘過ぎると思う。
そんなものは知らないと突っ撥ねてくれる事を期待していた身としては、現状にどうリアクションを取れば良いのか分からない。
「何だそんな事か」と話を聞いた桜華ちゃんが別の部屋から一冊の分厚い本を持ち出してくる様子を見てちょっと複雑な気持ちになったのはここだけの話である。
「その本になんか載ってんのか? ……つーかお前、これ英語じゃん。お前まさか洋書も並んでる本棚をあたしに自分で調べろとか言ってやがったのか?」
「五月蝿いな。だからその程度も読めんなら頭を下げろと言ったはずだ。というかティーカップを持ったまま人の周りを彷徨くな鬱陶しい。座ってろ」
「はぁ? ふざけんな、皆が皆お前みたいにバイリンガルだと思うなよ。あたしは日本語しか喋れねぇんだよ」
そうやって桜華ちゃんによく分からない絡み方をする湖鷺さんを宥めつつ、私達は彼女の話を聞く姿勢に入る。
まさかコーヒーで酔っ払ってるわけではないだろうけど、ここへ来てから湖鷺さんは妙にハイになっている気がする。チトセの一件があって以来やっと気が緩んできたのだろう。
……余談だが、桜華ちゃんは四分の一イギリス人のクォーターでイギリス暮らしの方が長いのだという。
「ところで、あの、亡者ってどういう意味?」
パラパラと本のページを捲っている桜華ちゃんに疑問を投げる。
チトセは自分達のことを“六大陸の主”と称し、桜華ちゃんにもまた同じように説明した。だと言うのに、そんな物言いをした彼女の意図を問う。
「順に説明してやろう。……そもそも、何故六大陸という地に人の形をした化け物共が発生したのか。それに触れる必要がある」
裏の世界を支配する六人の化け物。
人が人から産まれるように、彼らにも起源があるということ。
考えたこともなかったけど、彼らを生き物という枠組みに当てはめても良いのなら彼らもまた六大陸という地に産まれた存在なのだ。
「六大陸には六つの城が存在し、それぞれを一角から六角の城と称する。“角”に適応する者がその城の主という事だな。奴らは自身の城そのものを母胎として、
「し、城が母胎?」
お城が親ってこと? なんて不気味なんだ。
そんなものから産まれるだなんて私だったら願い下げである。
「厳密には城を介しているだけさ。
桜華ちゃんは口元に嘲笑を浮かべていた。
何か受け入れ難い情報が提示された気がしたけど、彼女の言葉の意味を私が理解するよりも早く言葉が紡がれる。
「奴らが初めから化け物として六の大陸に産まれたとでも? 違うな。奴らは人を憎み、見下しているだろうが……それは封印された事に起因するものではない。それよりもずっと前、生前の記憶に基づくものだ」
桜華ちゃんが言わんとする事を察したのか、隣に腰掛けていた湖鷺さんが盛大に噎せる。私も、きっとコーヒーを口にしていたら同じ反応をしただろう。
桜華ちゃんの言葉を反芻する。それでも頭は理解を拒む。
人の心が分からない、人の形をしただけの化け物。
チトセもシノもテンリも、根本的に話が通じない。私達人間と違う次元を生きているからだ。
だからそういうものだと納得していた。彼らは、人のようでいて人ではないのだと。
話し合いの余地すらない、ただの化け物なのだと。
「死者に再び肉体を与え、城という空虚な箱に縛り付けるのが“六大陸”だ。……分かるか? 主と謳われる六人の化け物は、本来我々と同じ──ただの人間なんだよ」
人として生き、人として死んで、人でなき者として彼らはこの世界を蹂躙しようとしている。
あれが、あんなものが、かつて私と同じくただの人間だったなんて。
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