第36話 選択を前にする者達

 結局あの後、璃鶴の代わりにアイスを買いに行ってあげたりと色々していたら(勿論、お金は璃鶴持ちで)日が暮れてしまっていた。時間を無駄にしたという事実にめちゃくちゃ後悔したものの、あとの祭りだ。

 でも放っておけなかったんだよね。生徒手帳を拾ってもらったお礼だと割り切るしかない。

 その場で彼女とは別れたけど、連絡先も聞かなかったしもう会うこともないだろう。


 荷物を取りに学校に戻った時には門限の時刻になっていたので、その日は大人しく家に戻るしかなかった。チトセは門限とか完全に無視してたからうちの両親も今更破ったところで怒りもしないだろうけど……というか多分帰ってきてないし……。

 まぁはっきり言って、何の手掛かりもない状態で私が一人で街をうろうろしていたところでって感じではあるんだよね。だったらネルの懐柔を試みた方がよほど情報収集には効果的だ。


 そう思って眠りについて、今日は土曜日。


 私は朝から携帯電話と睨めっこ中である。


「……この状態で叩き壊したらどうなるのかな」


 どうなるというのは、勿論中身ネルの話だ。メールで添付されて送られてきたくらいだし死んだりはしないだろうけど……。出られなくなったりする可能性は割とある。

 やらないけどね。私の携帯だもの。他の人のやつならともかく。


 ネルが私を敵視しているわけじゃないのは間違いないだろう。それなりにとは言え、頼んだことはやってくれてたし。

 黙り込んでるのも後ろめたさからだと思うんだよね。テンリを庇うような真似をしたから私に合わせる顔がない……というのはちょっと自意識過剰だろうか?


「……私はね。あなたのご主人様が嫌い。大っ嫌い」


 沈黙を守る携帯電話に語り掛ける。

 そうだ。私は彼女が嫌いだ。いなくなったからと言ってその感情は消えたりしない。

 チトセは私から多くを奪ったから。


「チトセのせいで友達が死んだの。何人も。無関係な人だって傷付けた。……何人も。……何で元は人間のくせに、人の痛みが分からないの?」


 人間のくせに。人間だったくせに。生まれついての怪物なら良かった。それなら『そういうもの』だと割り切れた。


 今日までの日々が全部夢だったら良いのにとさえ思う。

 思い出さないように、振り返らないようにしていた。そうでないと立ち止まってしまうから。

 きっと私は地獄へ落ちるのだろうけど、だとすればチトセもそうでないといけないはずだ。


「私が死んだ程度じゃ償えない。これはそういう話なの」


 天真くんに語った言葉は本心だ。私は、彼らに一泡吹かせてやりたい。復讐なんて大それたことが出来るとは思っていない。そんな真似をするには、私には何も無さ過ぎる。


「邪魔をするならそれでも良い。あなたは私じゃなくてチトセの味方であれば良い。……でもね、それならこの先二度と私に手を貸さないで」


 まるで味方かのように錯覚してしまうから。だから、ずっと私に背を向けたままでいてほしい。になって突然手を離すんじゃなく、初めから手を差し出さないで。


 私の吐息しか聞こえない部屋。だけど、外では蝉の声が鳴り止まない。照り付ける太陽の下で、今この時も誰かが神隠しに遭っているのだろうか。

 ぼんやりと外を眺めていると、ぴこんと小さな電子音が耳に届いた。


《……返事は、お待ち頂けますか。千妃路様》


 画面が暗いままの携帯電話からネルの声が聞こえてくる。


《千妃路様は仰いましたね。チトセ様の元へ戻れないというのは嘘ではないかと。……チトセ様のところへ戻れないのは本当ですわ。手段が無いのではありません。その資格が無いのです》


 相変わらず姿は見せてくれないけど、声色から落ち込んでいるだろうことは察せられた。静かなソプラノの音色は、何だかあのネルだとは思えない。


《きっと、全てをお話ししなくてはならない時が来るでしょう。その時はどうか、私を恨んでくださいませ》



 ♦︎


 意味深な言葉と共に再び黙ってしまったネルを前に私もただ閉口する。彼女が口にしたことの意味を考えようとして、上手くいかない。

 そんな中で静かな沈黙を打ち破ったのは、けたたましい着信音だった。


「な、なに?」


 何で最大音量にするかな。弄ったのはネルなんだし戻しておいてほしい。

 ぶつくさ言いつつも相手すら確認せずに通話ボタンを押す。鼓膜が破れそうな大音量から早く解放されたかったからだ。


『悧巧!! 無事か!?』


 キン、と耳鳴りがする。着信音すら上回る大声に顔を顰めた。慌てて耳から離して画面を見る。


「な、何ですか湖鷺さん……大声出して……」

『お前、今何処だ! 外じゃねぇだろうな!?』

「へ?」


 外か中かで言えば普通に中ですけど?

 それにしても朝から元気ですね湖鷺さん。……と、ついつい口を動かさずに会話をしようとして気付く。そっか、電話越しだと湖鷺さんの能力発動しないんだった。


『外じゃねぇなら良い! 姉貴に……いや、夕凪に連絡入れろ! マンションの奴らに誰一人外に出ねぇように言えってな……!』

「ちょっ、ちょっと待ってください湖鷺さん! 何の話!?」

もう一回連絡する! お前、出掛けるなよ!? 振りじゃねぇからな! 家にいろ!!』

『お、おい! 揚羽を守ってくれるのだろうな!? オレは何の役にも立たんぞ!!』


 呆気に取られる私をよそに、ブツン! と勢い良く通話が切られる。最後に聞こえたの、揚羽ちゃん……というかアキハの声だよね? 二人とも一緒なんだ。

 アキハの情けない言葉はさておくとして、それでも只事じゃないのは分かった。ほぼ条件反射で携帯を操作して──いつの間にか普通に使えるようになっている──ツバメさんに電話を掛ける。

 ……明らかに切羽詰まっていた。あの焦り方は尋常じゃない。なんせ、あの人はチトセに殺されかけた後もけろっとしていたのだ。

 湖鷺さん、なんて言ってた? 確か、「マンションの奴らに外に出ねぇように言え」って……。


『はい、もしもし?』


 のほほんとした声に気が抜けそうになる。どうしたの? と続く言葉に、「緊急なんです」と返す。


「湖鷺さんが……外に出ないようにって。ツバメさん達のマンションに住んでいる人達に伝えてほしいらしいです。理由は分かりませんけど……」

『マンションのってことは、能力者のみんなってことだよね? わかった』


 すんなりと了解の合図が返ってきてくる。これまでも何度か感じたことだ。彼女達は踏んできた修羅場の数が違う。だから私だったら「どうして」「何で」と理由を問い質す場面で、疑問を抱くよりも先に受け入れる姿勢を取る。


『もし出掛けてる子がいたら帰ってきてもらった方が良いってことかな? ほとんどみんな寝てるだろうけど、そんな子がいたら私の話聞いてくれるかな……』

「……ツバメさん自身は何処に?」

『私? ひばりの部屋だよ。起こしに来たの』


 当たり前みたいに言うけど、ツバメさんは雲雀さんの何なんだろう。やっぱりお母さん?

 もう十時過ぎてるのに雲雀さんまだ寝てるのか。ツバメさんの言葉を聞く感じ、あそこに住んでいる人は案外それが普通なのかもしれない。


「ちょっと待っててね」というツバメさんの声を最後に、通話が切れる。のんびりマイペースに思えるツバメさんは、その分受け入れる能力が高いのかもしれない。

 何をするでもなく、言われた通りにじっと待っていると、しばらくしてツバメさんから電話が掛かってきた。


『お待たせ。みんなに言っておいたよ。あと念の為にちひろちゃんの友達の子達にも連絡しておいたから』

「友達の子?」

『お友達じゃないの? 昨日落ちてきた子と黒髪の子と、緑の髪の子……は繋がらなかったけど……』


 あ、天真くん達か。ツバメさんコミュ力凄いですね。名前も覚えてないのに連絡先は交換してたんだ。……いやいや、やっぱり扠廼と揚羽ちゃんはともかく天真くんはおかしいな。いくら何でも昨日の出会い方で連絡先交換するのは変だもの。「集めておくと役に立つからね」とコレクション扱いするみたいな返答が聞こえたのはちょっとアレだけど、事実として役に立っているので何も言わない。


「揚羽ちゃんは湖鷺さんと一緒にいるみたいです。割と余裕ありそうに騒いでたけど」

『そうなんだ、よかった。じゃあ安否がわからないのは一人だけだね』

「え?」

『おうかちゃんだけ連絡が付かないの。家にもいないみたい』


おっとりとした声は、まるで明日の天気を告げるくらいの軽さだった。



 ♦︎


「ハァ!? 桜華が!? クッソ、最悪だ……!」


 隠れ潜んだ路地裏で息を切らせながら、湖鷺は思わず側に転がっていたゴミ箱を蹴り飛ばした。額に生温かい液体が伝う感触に舌打ちと共に腕で拭う。肌が赤く汚れたが、それだけだ。大した傷ではない。

 腰にしがみついている無傷の緑髪の娘を蹴り飛ばさなかったのはよく我慢したものだと自分でも思う。


「すっ、すまない! オレが足手纏いだから怒ったのか!?」

「……ちげぇ。本気でそう思ってんならお前盾にして逃げてる」


 はぁ、と湖鷺は大きく溜息を吐く。軽い見回りのようなつもりだったのだ。神隠しとやらに遭遇すればそれで良し。自分の危機察知能力であれば問題は無いという驕りが多少はあったのも事実だ。

 放っておくと暴走しそうな三角も連れ出してきたのは湖鷺の判断だが、これに関しては明確に失敗である。


 ……ともあれ、背後から近付いてきたその存在に寸前で気付いたのは、やはり湖鷺の能力ゆえだろう。


 ──成る程、が主君の言う奇妙な人間か。


 ──主君の仰る通りだ。他の人間とは気配が異なる。手始めに一匹……。


 そこまで聞こえた段階で、ダガーを振り抜くことに躊躇など必要なかった。まさか気配を殺して近付いたというのに先手を取られるとは相手も思わなかったのだろう、驚愕に目を見開いていたのは忘れられない。

 長い藍色の髪を一つに纏めた長身の男だ。見目だけで言えば普通の人間となんら変わりない。


 殺す気で振るったダガーナイフ。しかし、僅かに及ばなかった。


 あと半歩でも踏み込んでいればその首に刃を突き立てることが出来ただろうに。


 獲物が突如攻撃に転じたことには驚いたようだが、襲撃者の判断は早かった。即座に体勢を整え、反撃に出たのだ。

 暫く斬り合ってみて察する。深追いは危険だと。


 ……恐らく狙いは能力者だ。三角に見向きもしなかったことからも分かる。そしてこの男が天真の言う“神隠し”の元凶だろう。


 ならば相討ち覚悟で挑むよりも警告を発するべきだと湖鷺は結論付けた。この時全く手を出してこなかった三角を後から疑問に思ったところ、どうやら湖鷺と襲撃者の動きがほとんど見えなかったらしい。

 そして悧巧に連絡を入れたのが数十分前。彼女も狙われる可能性はゼロではない。あとはああ見えて手を回すのが上手い夕凪が何とかするはずだ。実際、本当にその通りになった。ある一点を除いて。


「何でこんな時に限ってあの引きこもりが外に出てやがるんだ……!」


 隠れていることも忘れて悪態をつく。通話口の向こうの悧巧が困惑している気配があるが、そんなことを気にしている場合でもない。

 芙蓉だけが連絡が取れない。家にもいない。となると、本当に珍しく外出しているに他ならない。その上で既にトラブルに巻き込まれているという可能性もある。だが、芙蓉は元々携帯電話に頓着しないタイプだ。単純に着信に気付いていないだけだろう。

 生活必需品の買い出しか、植物関連の買い物以外で外に出ないくせに──と考えて、湖鷺の脳裏に粉々に砕けた植木鉢の映像が過ぎる。そしてついでに側の少女を見る。


「テメェがぶっ壊した鉢植え……」

「ひっ!?」


 見た目だけは愛くるしい少女が体を跳ねさせる。

 本当に最悪だ、と彼女は呟く。十中八九理由はそれだ。「テメェ……後でぜってぇ顔面変形するまで殴る」と地獄の底から這い出るような声を出した湖鷺は三角を睨み付けた。もっとも、そんな真似をすればダメージがいくのは身体の持ち主の方だが。ともあれ、彼女は一度深呼吸をする。


『その、桜華ちゃんなら大丈夫じゃないんですか? 強いし……』


 説明こそしたものの、緊迫感はあまり伝わっていないであろう悧巧から疑問が飛んでくる。彼女からすれば芙蓉 桜華というのはアキハを圧倒したという部分しか見えていない。

 確かに彼女の異能は凶悪だ。異能力を用いてまともにやり合えば湖鷺も確実に膝をつく。だが、それもご丁寧に「始め」の合図で戦闘を開始した場合の話だ。


「……あいつの危機察知能力は別に低くねぇ。でもそれだけだ。闇討ちでもされりゃ対処出来ない。桜華の異能は、桜華本人だけは絶対に安全な位置にいなくちゃ活きねぇ」


 芙蓉本人も決して弱くはない。普通の人間よりは戦えるはずだ。一通りの護身術も身に付けている。だが、如何せん身体が未発達過ぎる。同じ年頃の少女の平均的な身体の大きさに全く届いていないのだから。


『どうするんですか……?』

「見つけて、首根っこ捕まえて、連れ帰る。あの男は特定の獲物に執着するように見えなかった。その辺ほっつき歩いてる能力者がいりゃ、そっちを狙う。あたしはもうターゲットから外れてる」

「あの男は六角の側近だ。六角ほどではないと言え、人に敵うものではない……」


 項垂れた三角が呟く。自身の無力を呪っているようだ。……己の力量も分からず特攻をかけるよりよほどマシだが。六角本人が絡まない限りはそこまで頭に血が昇らないのだろう。


「それではいそうですかっつって尻尾巻いて帰るようなら、そもそもこんなことに首突っ込まねぇんだよ」


 ……まだ大丈夫だ。双子の姉が狙われるよりよほど無事である確率は高い。冷静になれ、と自身に言い聞かせ──湖鷺は日頃はあえて抑えている能力を解放する。頭痛を堪えるように額を抑えた湖鷺は、隣の少女が見せた僅かな表情の変化に気が付かなかった。


「……安全な方向を教えてやる。だから三角は帰れ、邪魔だ」

「だが、これはオレ達の問題で──!」

「美濃が大事ならその義務感は捨てろ。言っとくが、さっきの男がお前に興味を持たなかったから無事で済んでるだけだぞ。標的がお前に移ってりゃ、間違いなく殺されてた。お前はその意味が分からねぇほど馬鹿なのか?」


 それ以上の問答は起きなかった。そして、興味も無い。が来れば躊躇なく殺すと決めた相手に情けはかけない。

 湖鷺は再び集中を高める。目に見えるような変化は起こらない。普段は意識して近くの人間の声しか拾わないようにしているそれを、最大出力にするだけだ。


(……能力者の思考は読み辛い。そのノイズを逆に利用する。あたしの能力が上手く作動しない方角を、探る)


 常人であればありとあらゆる方向から聴こえてくるに気が触れてもおかしくはない。しかし、彼女にとってはそれが普通だ。ゆえに、その時は唐突に訪れる。


「──見つけた」

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