第35話 幕間.伸びる魔の手

 満たされない。


 満たされない。




 満たされない。





 乾いて、渇いて、ただ飢えていく。






 ──だって、何を望んでいたのかなんて、忘れてしまったもの。















「……チトセ様」


 男は、出来る限り抑えた声で彼の主に声を掛けた。玉座に頬杖をついてうたた寝をする彼女の表情は、険しい。


(……魘されておられる)


 もう一度名前を呼ぶ。僅かに身動ぎこそすれ、主人が目覚める気配は無い。男は一瞬だけ考えるような素振りをした。体に触れれば目は覚まされるだろう。だが、いかに主人を悪夢から救う為とは言えそのような不敬は許されない。

 自分の首が飛ぶで済むならばともかく、そのような不敬を働いたという事実は消えてなくなりはしないのだから。


「どうか、御目覚めを──主君」


 思案した末、声量を先程よりも上げる。

 彼の主人は薄らに目を開け、不機嫌さを隠そうともせずに舌打ちをした。


「……寝かせろと言ったはずよ。偉くなったものね──アマテラス」


 男は即座に跪き、こうべを垂れる。

 だが、それも今更だ。彼女の眠りを妨げたという罪は変わらない。それでも魘される主人を放置するより余程マシだろうと彼は判断した。


「魘されておられたようですので。勝手ながら声をお掛けしました。お顔の色も優れないようですが……?」


 彼女は不快そうに顔を顰めたが、それだけだ。処分という二文字が浮かばなかったはずはない。そして、自分の首がまだ繋がったままであるのは彼への情からくるものではないことも知っている。

 従者を量産するはずの城は沈黙している。平時であれば主人は手駒がゼロまで減ろうとも気にも留めない。しかし、今は別だ。


「捕まえてきた人間共のほとんどは殺しました。ですが……


 アマテラスはちらりと彼の背後に視線をやった。そこには恐怖で顔色と声を失っている人間達が僅かばかり残っている。啜り泣いている者もいるがほとんどは表情すらなくして放心している。

 攫ってきた直後、城の地下へと押し込んだ時には多くの人間が何やらぎゃあぎゃあと喚いていたものだが……。騒がしいことを嫌う彼の主人の耳に入れるわけにはいかなかった。見せしめで少しずつ殺していくうちに、残った者も静かになったことは救いだったと言うべきか。あれほど多く捕らえてきたというのに、片手で足りるほどしか残らなかったのはアマテラスが反省すべき点だ。

 その上で万が一があってはならない為、玉座の間に連れてきた人間達は舌を抜いて喉を潰してある。


 少女の形をした彼の王は、冷たい目でそれらを一瞥した。

 彼女が求めることを察したアマテラスは立ち上がり、一番手近にいた女の髪を乱暴に鷲掴む。呻き声のような何かが上がったが無視して主の目の前まで引き摺っていく。

 偉大なる六角の王の贄に選ばれたのだ。歓喜こそすれ恐怖するなど許されることではない。むしろ進んで心臓を抉り捧げるべきだろうに、女は潰れたヒキガエルのような音を口から漏らしながらじたばたと暴れるだけだ。


「ぃ、ぎぁっ!?」

「騒ぐな」


 玉座までは僅かとは言え階段が存在している。ガッ、ゴンッ、と女の顔が何度も段差に打ち付けられた。


「平伏せ。我が主の御前だ」


 切れた額から血を流すその女を、アマテラスは床に叩き付けるようにして平伏させる。全身がガクガクと震え、顔中があらゆる粘液に塗れていた。

 穢らわしいその様を見て、彼はいよいよ顔を顰めた。いっそ首から上だけにして献上出来れば良かったのだが、死んでしまっては元も子もない。

 人は食糧としてのレベルがあまりにも低い。隙があれば逃げ出そうとするだけでなく、愚かにも歯向かってくる者まで存在する。順に整列し、屠殺されるというだけの簡単なことが何故出来ないのかがアマテラスには分からない。


「ただの人間……」


 ぽつり、と六角の少女が呟いた。声に釣られて女が顔を上げようとした為、頭を踏み付けにして姿勢を保たせる。額を床に打ち付ける音が響き、主君の気を損ねたのではとひやりとした。


 そうだ。ただの人間だ。何の変哲もないゴミのようなものだ。何故このような生ゴミ風情が主人達に必要なのだろうか。

 お気に召しませんか、と問うと返事の代わりに足を退けるようにと仕草だけで命じられる。


「封印以前は、で事足りたわ。……いいえ、それどころか少し前までも」


 その呟きに感情は乗せられていない。アマテラスへの語り掛けでもない。彼は従者で、彼女は主人。孤高の王には対等に会話が出来る存在など不要だからだ。

 細くしなやかな脚を組むのをやめ、彼の主は餌を見下ろした。

 そのままゆるりと左脚を動かし──




 ドチュッ! という奇妙な音と共に、用意した女の頭が弾け飛んだ。




「ああ、駄目ね……靴が汚れただけだわ」


 人間の頭を蹴り砕いた彼女は、血が滴るヒールを見て顔を歪める。一瞬で充満した血の臭いに残された人間達がパニックを起こして潰れた喉から奇妙な音を出す。それでも脚の腱を切っておいた為に逃げ出す者はいない。

 頭部を失った死体はビクビクと指先を痙攣させていたが、すぐに動かなくなった。


「力の増幅が止まっただけかと思っていた。だけど、違うわね。……徐々に溢れていく。この程度では補えぬほどに」


 主は軽く息を吐き、指を鳴らした。それだけで残っていた人間達の全身がぐしゃりとひしゃげて絶命する。あとに残されたのは不気味な静寂だけだ。


 本来であればその時点で魂というものは彼女に吸収され、エネルギーに変換されるはずなのだ。目に見えるものでこそないが、感覚で分かる。文字通り自身の血肉となったことを。

 だと言うのに、殺しても殺しても一向に満たされない。まるで、身体という器に穴が空いているかのように。注がれたエネルギーがそのまま穴から流れ出ていく。


 ……それを主人から聞かされた時、激昂したのは他でもないアマテラスだった。


 人間などという下等な生き物の分際で、我が主の養分にすらならないとは!


「……この前も言ったはずよ。愚図で無能なのはお前も人間もそう変わらないと。こんな塵屑どもを何人揃えたところで意味はないわ」


 アマテラスは再び跪き、主人の声が降ってくるのを待つ。老若男女問わず、様々な種類を集めたが駄目だった。

 初めのうちはその場で殺していた。それがいけないのかと城まで攫ってきた。それでも主の糧にならないと聞き、今度は主人自身に手を下して頂くことになってしまった。アマテラスは顔を伏せたまま歯軋りする。早く、早く主君に人間どもを根絶やしにして頂きたいというのに──。


「我が器の側に、奇妙な人間達がいたわ。ここに転がっている役立たずどもとは気配が違うのよ」


 つまらなさそうに彼女は続ける。昔の彼女はの際も楽しそうだった。嗜虐に歪んでいたとは言え、もっと愉快そうにしておられた。だが、いつからほとんど笑わなくなってしまったのか、アマテラスには分からない。それは恐らく全て、人間などという虫ケラどもが偉大な主君に楯突いたからに他ならないはずだ。

 彼女が言う“奇妙な人間達”は魔術師とはまた異なるらしい。


「見れば分かるわ。お前のような能無しでもね。……遊んだりせずに殺してしまえば良かった。それもこれも、あの──」


 主は身体を取り戻して以来、こうして時折、忌々しげな表情をすることがある。その理由をアマテラスは教えられていない。そして語ってくださらないということは彼に尋ねる権利は無いということになる。


「……とにかく、何匹か捕まえてきなさい。出来るでしょう?」


 御意、と端的に言葉を吐く。彼女が望むのであらば、叶えるのが彼の仕事だ。


「逆らうようなら見せしめに殺しても構わないわ。数匹生きたまま連れて戻ったのならば、楯突いた愚か者の生死など問わない」

「畏まりました」


 たかが従者に過ぎないとは言え、自分の能力は人間などとは比べ物にならないと彼は自負している。ゆえに、簡単な任務だ。今度こそ主人に満足して頂けることだろう。


「必ずや、ご期待に応えてみせます」


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