第37話 花の少女は対峙する

 植木鉢を叩き壊されて以来、芙蓉はずっと不機嫌だった。

 そもそもそれだけに飽き足らず、窓までも破壊されているのだ。当然、ベランダもぐちゃぐちゃのまま。ベランダで世話をしていた花々も見るも無残な有様となっている。

 何もかも買い直して新しくしたところでそれは彼女がこれまで育ててきたものとは全くの別物だ。腹が立つのも仕方がないことだろう。

 朝から無礼者の乱入があったとはいえ、昨日一日で残骸はあらかた片付いた。本来であれば窓の修繕も含め、そう急いで必要はない。だというのに急かされるようにして買出しに出ているのは理由がある。


(……そろそろ頃か? あんな状態の部屋がバレたら確実に──)


 顰め面のまま少女は街を歩く。長い黒髪から花の香りを振り撒きながら。

 繊細な美しさを突き詰めて作られた人形のような容姿の彼女は、不思議とその美貌を引き立てる見目の幼さも相まって人目を惹き付ける。

 道行く人々もすれ違いざまに思わず二度見してしまう。明らかに高級そうな洋服を纏う美少女が一人で寂れた街を歩いているという違和感は些か強烈だ。要するにめちゃくちゃ目立つのだが、幸か不幸か彼女は他者の視線を気にするようなタイプではなかった。

 彼女の年齢ではナンパ目的の不埒者に声を掛けられる確率は低い。勿論、更に上を行く変質者ロリコンは余裕で釣れるであろうが……ともあれ、出歩いていても妙な輩に絡まれないというのもあり、彼女はそうした自覚が著しく欠けている。あるいは今日この時ばかりは不審者に声を掛けられていた方が良かったのかもしれないが。


 窓に関してはただガラスを買えば済む話ではない為、保留とした。そして業者を手配するよりも能力者のツテを使った方が早い。

 そう、早さだ。今の彼女が優先すべきはその一点のみ。はっきり言ってそれ以外はどうでも良い。あとは壊れた植木鉢を新しくし、元のものと似たような花さえ植えて見てくれだけ取り繕えば問題は無いはずだ。


 ──余談、ではあるが。


 芙蓉 桜華は能力者という生き物が異端だという自覚がある。

「能力者同士は引かれ合う」「能力者は能力者を見分けられる」などと言う者がいるが、何のことはない。異端は異端で群れるだけだ。自身が普通ではないからこそ、同じく普通ではない者に勘付きやすいだけ。

 そして異端を感じ取るという点で、芙蓉のそれは時に水蓮寺 湖鷺を上回る。芙蓉が不躾な視線を気にも留めないのは相手がただの人間である場合に限る。


 故に、彼女は銃を抜くことを躊躇わなかった。


 外で使用する時は予めサプレッサーを取り付けてある。

 尾けられていることに気付いてからはあえて街外れへと向かっていた。人の目を気にしているのは向こうも同じだろう。そうでなければ今この瞬間に襲い掛かって来なければおかしい。だが、相手が痺れを切らして手を出してくる可能性も少なくなかった。ならば開き直って一般人の目が届かない所へ出た方が動き易い。

 人目さえなければ銃を撃つことを迷う必要などない。……とは言え、人混みだからと言っていざとなれば手加減はしなかっただろう。

 流れるような手つきで三発撃ち込んだ芙蓉は、手応えの無さに舌打ちした。


 背後を取らせないようにと振り返ると、視線の先には藍色の髪を靡かせる男が立っている。


「……先程の金髪の女と言い、貴様らのその勘の良さは不可解だな。そして、まさか貴様のような餓鬼までもがこんな物を持っているとは」


 退屈そうな調子で、男は弾丸を手の中で弄んでいた。

 手応えが無いのも当然だ。冗談のような話だが、撃ち込んだ弾をそのまま素手で掴まれたらしい。男の掌から滑り落ちた三発の弾が虚しい音を立てて地面に落ちる。


「主君が御望みだというのに、既に一匹逃がしてしまった。なんと、不甲斐無い。死んで詫びねばならないが、その前に目的は果たさなくては」


 芙蓉は自分の実力というものを客観的に判断している。いくら異能が凶悪と言えども、芙蓉自身は女子供の枠に収まるただの少女に過ぎない。流石にその辺りの一般人よりも“動ける”が湖鷺のような常識から逸脱した戦闘力は無い。


(……人間ではないな。やはりこの手合いは能力が使えん。タイミングから見ても六大陸の関係者だろうが、狙いは能力者か?)


 男の言葉はこちらへ語り掛ける体を装いながらも、あくまでも独り言だ。芙蓉の回答など端から求めてすらいない。人でなきものが人と語る言葉を持たないというのは、ある種、至極真っ当であるのかもしれない。


 金髪の女、というのは十中八九水蓮寺 湖鷺だろうと芙蓉は思う。何故ならこの辺りでこのような存在を呼び寄せる“金髪”と言えばあの双子くらいであるし、その上で姉の方は勘が良くないからだ。


 男は様子を見ているのかなかなか近付いてこない。能力者というものが何なのか分かっていないのだろう、無意味な警戒をしているようだ。


「娘。お前は本当に先程の金髪の女とか? 貴様は気配が妙だ。何故、魔術師の気配がする?」

「……ああ?」

「だが、魔術師にしてもおかしい。例えるなら、──」


 意味の分からない言い掛かりに、思わず芙蓉は顔を顰めた。何を言ってやがるんだコイツ、と内心で悪態をつこうとして……あることに思い至る。そして、だとすると現状は非常に宜しくない。


「全く嬉しくない情報をありがとう。おかげで私は最悪の気分だ」

「……何を言う。貴様は今から我が主に捧げられるという最上の悦びを知るのだ。主君に捧げるには生きてさえいれば良い。四肢を切り落とし、彼の方への供物とする」


 端的な宣告の、その直後だった。


 タン、という軽い踏み切りからは信じられないような速度で男が芙蓉に肉薄する。武器を持っている気配が無いのは、生きたまま連れ去るべき相手を殺してしまうからだろう。

 対して芙蓉はその動きを見切ることは早々に諦め、パチンと指を鳴らした。


 少女の足元の影がぐにゃりと歪み、男との間に漆黒の盾を作り出す。


「──小賢しい真似を」


 飛び掛かってきた男が拳を振り抜く。たったそれだけで即席の盾は砕け散る。

 動きを止めればそこで終わることだけは間違いない。生み出しては壊され、壊されては新しく作りを繰り返しながら少女は男から距離を取ろうとする。

 本来であれば一体の影のみで対処したいところだが、それでは回り込まれた時に対処が出来ない。芙蓉を中心に、四方を影で囲うようにして四体の影を同時に操作する。


 芙蓉が操る“影”は生成する為の条件がいくつかある。

 一つは、生物をコピーしなくてはならないということ。故に、先程生み出したものは盾ではない。生成途中のものを強引に盾として使っただけだ。耐久力もコピー元に準ずることとなる。

 そして彼我の実力差があり過ぎる存在は作れず、また、彼女が認識している──要は視界の範囲内にいる──生き物しか作成出来ないということ。無論、例外もある。そのうちの一つがというものだ。

 盾代わりにしているのもそれだ。彼女のステータスを写し取ったドッペルゲンガーが、いとも容易く砕かれる。それはつまり、芙蓉本体が同じ攻撃を受ければ五体が弾け飛ぶということだ。


 一度にもっと大量の影を出すのは難しくない。だがそんな真似をすれば消耗が激し過ぎる。ただでさえ常に四体を操作し、砕かれた順に作り直しているのだ。ずきりと瞼の裏が痛む。赤い左眼の奥で──の奥で、時折奇妙な光が瞬く。


(……不味いな。眼が保たん。大人しく捕まってみるか?)


 頭の中に直接手を突っ込まれて掻き混ぜられているような──とでも言うべきか。ともあれ、そういった類の痛みが継続的に走る。


 芙蓉 桜華という少女は、その身に宿る異能を自身の意思で制御出来ない。

 実のところ、それ自体は珍しいものでもない。水蓮寺 湖鷺のように己の能力を手足のように使いこなす能力者の方が稀だ。多くの能力者は些細なことで能力を暴走させるだけでなく、自身でルールを決めておかないと発動すら出来ない者も多い。暴走した異能は周囲と使用者自身に牙を剥く。その恐ろしさを知っている者ほど、異能を上手く操れない。


 例えば、指を鳴らす。例えば、手を叩く。例えば、ある単語をキーワードに設定しそれを口にしたら発動するのだと思い込む。

 そうした自己暗示で能力者自身と能力を雁字搦めにすることで、暴発を抑え込むのだ。


 芙蓉の場合はそれでは足りなかった。


 だからこそ外部からでも強制的に力をコントロールする術が必要だった。

 その為の、左眼。悧巧は彼女の左眼を“作り物のよう”と感じたが、事実それは作り物である。能力の制御装置を埋め込んだ機械の眼だ。

 長々と語ったが、つまるところ結論はある一点に行き着く。


 能力を制御するのだから、能力を使えば負荷がかかる。

 負荷をかければやがてショートする。


 眼が使い物にならなくなれば──彼女の異能は暴走する。


「くっ……ちょこまかと……」


 男はうざったそうに舌打ちをした。作業のように“盾”を潰し続けるものの、僅かなタイムラグで芙蓉本人にその手は届かない。タン、トン、とリズム良く前後左右に跳ねて逃げ回るだけの少女を捕まえられない。

 芙蓉自身の器用さによるものもある。だが恐らく男は歯向かってくる人間を殺さずに捕らえることに慣れていない。本来であればこのまま逃げ続けるというのも立派な戦略になるだろう。左眼から火花が散るような音さえ鳴っていなければ。


(幸いにも、この男は私を殺すつもりがない。……今のところは、だが。であれば、眼と引き換えにするほどでもないか)


 命あっての物種とはよく言ったものだ。それでも芙蓉 桜華にとって左眼の価値は命より重い。

 そしてを考えるとすんなりと捕まった方が良い。そう判断した芙蓉は、能力の発動をやめることにした。男が盾を潰す勢いのまま突っ込んできた暁には芙蓉など原形も残らないが、諸事情によりそうならない自信だけはある。


 足を止め、能力の使用を止める──その、寸前で。


「テメェ……人の妹分に何してやがる!!」


 少女と男の間に突っ込んできたのは、黄金の光だった。

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