第43話 「遠慮なくズケズケ言えない人との会話、難しい……」

 湖鷺さんを家に送り届けた後、そのまま来た道を引き返す。マンションは今日も全体的に静まり返っていて、人の気配が無い。


 湖鷺さんは「吐きそう」だの何だの言っていたけど部屋まで送る頃には随分と顔色も戻っていた。肩を貸さないとまともに歩けてなかったからどうなることかと。そのくせに桜華ちゃんの部屋から出た瞬間にナイフを私から奪い返す元気だけはあったんだから。危ないから駄目って言ったのに。


 誤算だったのは雲雀さんに見つかって「私の妹に何をしたんですか」と掴み掛かられたところだろうか。あの二人、沸点の低さが流石双子と言わんばかりに似過ぎだと思う。

 幸いにもツバメさんがいたので宥めてくれたけど本当に物凄い剣幕だった……。ツバメさんがいなかったら殴られてたんじゃないだろうか。血の気多過ぎない?


 暫く湖鷺さんもそれは大騒ぎだった。「お前もこのままここにいろ」とか「何で分かんねぇんだアホか!?」とか何とか。私に向けられていた言葉のようだ。アホってなに?

 もっとも、大人しく寝なさいと雲雀さんに怒られてそのまま部屋に押し込められていたので私は彼女の話をちゃんと聞いていない。抵抗するほどの元気は無かったらしい。まぁ、多分肋骨くらいは折れてそうだもんなあの人。むしろ何で五体満足なんだ。

「いてぇなクソッ!」「あたしは良いから悧巧とっ捕まえて来い馬鹿姉貴!!」と悪態をつきながら騒ぎ散らかしてたけどあれだけ騒げるならもう大丈夫だろう。最後に「墓も建てねぇぞ!」って捨て台詞だけ聞こえた気がするけど。あの人お墓の話好きだな。


 と、いうことで。


「やっぱり桜華ちゃんは納得してなさそうですけど……?」


 目の前で微笑んでいる人にそう問い掛ける。

 不機嫌オーラ全開の桜華ちゃんはリビングの隅っこに置いた椅子に座り、腕と脚を組みながらこちらをめちゃくちゃ睨んでいた。怖過ぎる。「自分の部屋にいて良いんだよ」と椥さんも声を掛けていたけど「五月蝿い」の一言で封殺されていた。圧が凄いので私としてもそうしてほしかったな……。

 それにしても、これくらいの歳の男の人と向かい合って座る経験なんて無かったからなんか変な感じ。ちょっと離れた位置に桜華ちゃんがいるのも相まって面接とか取り調べの様相を醸し出している。


「……」

「……椥さん?」


 反応が無かったのでもう一度声を掛ける。間違いなく私を見ているのに、ぼんやりして見えたのは気の所為だろうか?

 やはり錯覚だったのか、彼は笑みを深くした。


「──……ああ……うん。少し話をしたからね。怒っちゃったみたい」


 桜華ちゃんの扱いに慣れていらっしゃる。

 それにしても微笑んでるだけなのに無駄にキラキラしてるなぁ……面食いの自覚はあるんだけど好みなんだよねこのタイプの顔。少女漫画とかでも逞しいイケメンより線が細い美形の方が好きだし。というか、冗談じゃなく本当に光ってない? 目がおかしくなっちゃったのかな。

 髪や瞳の色だって……色、だって……。


 ……。


 …………。


 ………………?


「……どうか、した?」


 ……あれ、何考えてたんだっけ。

 ああ、そうだった。何で呼ばれたのか聞きたかったんだった。

 椥さんは目を細めてこちらをじっと見つめている。


「僕はね。あの子に危険なことをしないでほしい。普段からそうお願いしているのにどうしてかあまり分かってくれないんだよ」


 私から視線を外して、彼は桜華ちゃんを見やる。桜華ちゃん、よくこんなに慈しむような視線を送ってくれる人に対して「うるせぇなコイツ」みたいな顔が出来るな。というか湖鷺さんとかに絡まれてる時の桜華ちゃんが無表情過ぎることがよく分かる光景だ。


「……能動的な子でもないのに、不思議だよね」

「?」


 目が合ったので曖昧に笑っておく。なんかよく分からない時はとりあえず笑って誤魔化すに限ると思っている。


 椥さんは桜華ちゃんのことが目に入れても痛くないんだろう。彼女のあの性格だと確かに心配は尽きなさそうだ。進んで厄介ごとに首を突っ込むタイプじゃないんだろうけど、かと言って人に言われたからと辞めるタイプでもない。駄目って言っても聞いてくれないんだろうな……大変そう……。


「単刀直入に言うとね。君が抱える都合にあの子を巻き込まないでほしい」

「えっ?」


 予想していたものとは全く異なる言葉に、思わず間の抜けた声が出る。

 こ、これはもしや……俗に言う「人の女に手を出すな」的な台詞では!?

 ……と、勝手に興奮している場合じゃない。椥さんはやっぱり何処か困ったような顔をしていたけどなんか私が諸悪の根源みたいな勘違いをされている気がする。

 そりゃあ心配ですよね。桜華ちゃん、思いっきり顔に包帯巻いてるし。湖鷺さんは大丈夫だと言っていたけどあの綺麗な顔に傷でも付いていたら目も当てられない。

 でも桜華ちゃんに協力を強いたのは私じゃなくて湖鷺さんなんですけど……とは言い出しにくい雰囲気だ。


「とは言え、あの子も強情だから。理由さえいなくなればと思ったけど、口をきいてくれなくなるだろうし……」

「……?」


 なんかやっぱり、この人会話の流れというか単語の使い方が変な時あるな。

 椥さんの声色はあくまでも諭すようなものだった。落ち着いたアルトの声はびっくりするくらい聞きやすい。

 そういえば椥さんって声の調子や雰囲気が全然変わらないような……もっと怒っても良さそうなのに……? ……ずっと表情が無いことを無表情と言うのなら、ずーっと一定の表情から変わらない人も、それは──……なんて、いや、気の所為か。穏やかそうという最初の印象通り怒るのが苦手なのかも。


 じっと見つめていると、彼はテーブルの上にあるティーカップの縁を指で撫でる。口を付けはしないままで。


「…………………………まぁ、良いか」


 突然、聞こえるか聞こえないかくらいの本当に小さな声で、目の前の人は呟いた。何に対しての「良いか」なのか分からないので首を傾げて黙ってしまう。どうしようかなと居心地の悪さを持て余していると、背筋にぞわっとした悪寒が走った。思わず「ひっ」って声が出たくらい。


 何かを考えるよりも先に、ガンッ! という音と舌打ちが耳に突き刺さる。


「莉窮」


 桜華ちゃんがさっきまでとは比べ物にならないくらい怖い顔でこちらを──というか椥さんを睨みながら、拳を壁に叩き付けていた。さっきの物音も舌打ちも彼女によるものだったらしい。


 こ、こわ……何が気に障ったんだろう……? 桜華ちゃんの謎の怒りオーラのせいか鳥肌が立っちゃった……。変な声出しちゃったよ、もう。

 地雷が全然分かんない。ほんとに気難しいなこの子。いくら顔が可愛くても言動に予測がつかないのはちょっと怖い。


 ……さっきからずっと理不尽なお怒りを向けられてる気がするけど、よく怒らないなぁ、この人。


 そう思ってそっと椥さんを見る。その顔はやっぱり微かな笑みを湛えたままだ。彼は桜華ちゃんと私を見比べてから、閉ざしていた口を開いた。


「……そう。君が、望むなら」


 椥さんの返答に対して桜華ちゃんは頭痛を堪えるようにこめかみを抑えた。


 む、難しい……この二人の会話……会話……なのかなぁ? どうにも話が繋がってるようには思えないんだけど、二人の間では成立しているらしい。


「あのう、何か勘違いされてるみたいですけど……私はそもそも桜華ちゃんの離脱には賛成派なんですけど……」


 そろっと手を挙げて発言してみる。桜華ちゃんが怒った理由は分からないものの、どうにも私にあらぬ疑いがかけられたままというのは良くない。


「……理由は?」

「へ? だって危ないじゃないですか。私より歳下の女の子なんだし。特に桜華ちゃんなんて半年ちょっと前まで年齢だけ見れば小学生だったわけでしょ」


 揚羽ちゃんだって、アキハに憑かれたままじゃなければすぐにでも外れてほしいくらいなのに。

 初めて表情を変えた椥さんはまじまじと私を見る。なんかこう、珍妙な虫とかを不思議そうに眺めるみたいな。


「ああ、そう。成る程」


 成る程ってなに? もしや、小さな子でも容赦無くこき使うド畜生だと思われてたの、私?


 とにかく引き続き言い訳というか弁明をと、立ち上がりそうになった私の目の前で、椥さんは突然指を鳴らした。唐突過ぎるその行動に肩を震わせてしまったのは無理もないと思う。


「わっ……!」


 ふわり、と視界の先で金色の光が瞬いた。花が咲き溢れるみたいに、幻想的で──怖いくらい、綺麗な光。

 溢れ出したその光は、例の窓──アキハが叩き割ったやつ──へと吸い込まれていく。


 ここ数日で、私はすっかり超常現象にも慣れてしまったのだろう。そうでなければ馬鹿みたいに大騒ぎしていたに違いない。今はどちらかと言うと絶句していたのだけれど。


 だって割れていたはずの窓が、ビデオを逆再生するかのようにして、“元の姿”へと戻っていったのだから。


「……そもそもこれ以降、あの子が協力する理由がなくなれば良いんだね。だったら、僕が多少は望むようにしてあげられると思うよ」


 窓はすっかり傷一つなくなってしまった。それどころか新品同然にピカピカだ。信じられないような光景のはずなのに、現実味がないせいで目を白黒させるだけで終わってしまう。


 彼の言葉に含みを感じたように思うのは私に後ろめたさがあるからだろうか。

 

「僕は──魔術師だからね」


 椥さんは囁くように言葉を続けた。なんてことのない気軽さで。



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破綻した表裏 ヒヨリ @966933

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