第16話 感性の違い

「それも調べる限りだと大昔に生きた人間だという訳でもないらしい。どうやら比較的近い現代で死んだ人間が三千年ほど前の六大陸に“転生”──つまるところ生まれ変わったようだな。……全く、タイムパラドックスとやらはどうなっているんだ?」


 呆れたように呟く桜華ちゃんの言葉に背筋が寒くなる。

 彼女の話を全て信じるのだとすれば、チトセ達は想定していたよりも遥かに身近な存在なのかもしれないということだ。探せばお墓だって見つかるかもしれないような、そんな。


「元は、ただの人間って……そんなの、」


 知らず、声が震えている。

 理解してしまうのが怖かったからだ。

 彼らは、私達とは始まりすら異なる別種の生き物なのだと思っていた。だからこそ呼吸をするような気軽さで人を殺めてしまえるのだろうと。

 人間だって、他の生き物を殺して生きている。私はそれそのものを否定するような聖人にはなれない。


 でも六大陸の主が元はただの人間だと言うのなら、何故あんなにも当たり前のような顔で人を手に掛ける事が出来るのだろう。


「……歴史上、人間が人間を殺すというのもよくある事だがな。殺人然り、戦争然り。しかし、連中のそれは蹂躙・虐殺行為に近い」

「虐殺行為……」


 千年以上前に実際に起きた、六大陸と魔術師との戦争。

 力の差は歴然だったと言う。きっと数え切れない程の人間が犠牲になったはずだ。

 先に手を出したのは魔術師達だったのだろう。だけど、それは何の免罪符にもならない。


 ──分かり合えない。

 私は、チトセ達とは、絶対に。


「力を誇示したいのか、それとも別に理由があるのかは不明だが……始まりが人の身でありながら、思考は随分と人から外れているんだろう。あまりそう思い詰めずとも、奴らが化け物である事に変わりはない」

「姉貴の話だと、路地裏でやり合った時の事を踏まえてもどうも人間的な常識も欠けてるって話だったしな。人間だった事なんて本人達も覚えてないんじゃねぇの」


 重くなってしまった空気を払拭する為か、二人はそんな事を口々に言う。

 元は人であったとしても、今はそうじゃない。だから。

 ……だから、何だと言うのだろう。

 桜華ちゃんの言葉の裏にも、湖鷺さんの言葉の影にも、二人の本心が透けて見える気がした。


 彼らが人を殺めるように、人間が彼らを殺しても罪悪感を抱く必要はない、と。

 チトセを捕まえて殺すのかと提案した雲雀さんの顔が脳裏を過ぎる。口に出さずとも、きっと湖鷺さん達も同じ事を考えている。

 それが可能であるかは別にして、湖鷺さん達はその考えが当たり前のものとして受け入れているのだ。

 私だって、チトセという存在が救いようもないものだとは理解している。奪われたものの事を考えれば彼女は許せないし許す気もない。


 だからと言って許されるのだろうか。

 許せないと思いながらも、それをそっくりやり返すような真似が。


「暗殺特化型とは言え、こいつの身体能力はズバ抜けている。それでも手も足も出なかったという事は、恐らく今がの段階だ」


 桜華ちゃんは軽い溜息と共に湖鷺さんを見遣る。

 チトセもシノもテンリも、本来の実力は未知数だ。だけどどちらにせよ、彼らがこれ以上力を取り戻せば本当に手遅れになる。

 表面張力が限界を迎える一歩手前。水が溢れてしまった時、何が起こるのかは私には分からない。


「今の内に見つけ出して処分する必要がある……ってことか? 少なくとも、六角は」

「さぁ? 結局のところ、連中の真の目的は分からんからなぁ。六角はともかく、一角や五角が特に。ただ、連中が互いに正面衝突すれば周囲はただでは済まないだろうさ。巻き込まれて大陸単位で消し飛ぶかもな」


 確かにシノは六角の座を狙っている……といった旨の事を話していた気がする。そうでなくとも決して仲睦まじくは見えない人達なので、彼らがいずれぶつかる可能性もなくはない。それならば何処か遠い所で勝手にやってくれと言いたいところだが、桜華ちゃんの言う通り周りは大惨事になるだろう。

 しかし、そう語る桜華ちゃんの口調は死ぬほど呑気なものである。ああ、この子もやっぱり頭おかしいんだな……なんて考えが頭を過る程度には。

 それとも私が深く考え過ぎなんだろうか?


「それにしても、桜華ちゃんよくこんな事知ってるよね」


 思い悩んでも仕方がないので思考を切り替えることにする。彼女は相変わらずパラパラと本を捲っているのだが、私としてはそんな本を桜華ちゃんがピンポイントで持っていた事が何よりの疑問だった。


「諸事情でを調べる必要があるからな。その産物だ。……まぁこの件に関しては魔術師という存在そのものに興味があったから調べたに過ぎないが……」


 でも、教科書にも載っていないような事なのにわざわざ調べようとするものだろうか。

 私のそんな考えが伝わったのか桜華ちゃんは目を細めて、


「この本に書かれている事は、一般的にはただの御伽噺として処理されている。大凡、子供に読み聞かせるような内容でないのは確かだがフィクションとして一部の者の間では有名だという。だが、それをと仮定すれば……これは一冊の歴史書へと変貌する」


 パタン、と本が閉じられる。

 古めかしい革の表紙以外に特筆するような特徴も無いそれは、普通なら図書館に並んでいたところで手に取る事もないはずだ。

 それにあえて手を伸ばし、絵空事とも取れる内容に焦点を当てるのが彼女なのだろう。現に、その“御伽噺”とやらが実話であると私が立たされた状況が証明しているのだから。


「そういうよく分かんねぇ事ばっか調べてんだよこいつ。暇だろ? 学校も行ってねぇし」

「えっ」


 不登校ってこと……だろうか?

 そういう意味を込めて湖鷺さんの顔を見ると、彼女は呆れたように肩を竦める。


「いや、入学手続きもしてないんだろ?」

「義務教育なのに!?」

「こいつ、頭良いんだけどこの態度だからよぉ。集団生活向いてねぇんだよな。……あとはまぁ、能力のせいか」


 戦々恐々としている私には湖鷺さんの最後の呟きはよく聞こえなかった。

 というか、そんなのアリなの? いや、ナシだと思う。

 そもそも親御さんはどういうつもりなんだ──と考えて、ふと気付く。

 そういえば、雲雀さん達も含めて“家族”の気配が……。


「悧巧ってぼけっとしてるようで勘良いよな。合ってる合ってる、あたしと姉貴も桜華も両親いねぇの。ここに住んでる連中はほとんどそうだな。夕凪は離れて暮らしてるだけらしいけど」

「え、あ……あの……」

「良いって、気にすんな。能力者なんて大抵ヘビーな人生送ってるしな。それより話戻すか」


 気を遣ってくれたわけでもなく、本当に何でもない事のように湖鷺さんは言う。

 それで分かってしまった。雲雀さんが当たり前のようにチトセを殺すのかと聞いた理由も、湖鷺さん達と私の間で時折奇妙な齟齬が生まれる理由も。

 きっとこの人達にとって、こんな事は日常茶飯事とまでは言わなくても当たり前の範疇なのだろう。

 考えてみれば当然の事だ。チトセという異質な存在は私に平穏を与えてはくれなかった。異能力という、同じく異質なものをその身に宿すこの人達は普通の学生とは全く異なる日常を生きているのだ。

 それが何だかやるせなくて俯いて口を閉ざす。

 ……気付かない間に、周りはこんなにも非日常で埋められている。私が知らなかっただけで、それはきっと何処にでも転がっているのだろうと思う。


「でもよぉ、結局具体的な対処法はなーんもねぇの? その本に書いてねぇのかよ。もう一回封印しちまう方法とか」


 努めて明るい調子で桜華ちゃんに話し掛ける湖鷺さんはちらりと横目で私を見る。

 彼女は何も悪くないのに、私の考えが読める分気を遣わせてしまうのだろう。

 話に、集中しないと。私はここに落ち込みに来たわけじゃない。湖鷺さんの言葉の通り、チトセ達への対策を考える為に来たのだから。


「……書いていたとして、連中に封印術を施したのはだぞ? お前が魔術を使えると言うのなら話は別だが」


 わざとらしく溜息を吐く桜華ちゃんだが、もっともな話である。しかも、話ではチトセ達を封印した六人の魔術師は自分達の命を引き換えにしたとの事なので、出来たとしても代償があまりにも大き過ぎる。


「だから、それ以外でだよ。今の内に叩けば間に合うって言われても、あんなのもう相手にしたくもねぇ」

「それ以外の方法があるなら魔術師共も初めから別の手段を用いていたとは思わんのか? ともあれ始末するにしろ再び封印する方法を探すにしろ、それはお前らが勝手に決めろ。私は知らん」


 コーヒーを口に運ぶ桜華ちゃんは一口飲んで顔を顰めた。多分、冷めていたのだと思う。

 それが示すように話も随分長くなってきているけど具体的な解決法は今のところ何も無い。


「知らんっておま……っ、一応世界の危機だろ。分かってんのか? あの女マジで洒落にならねぇんだって!」

「……世界の危機程度で何故私が頭を悩ませなくちゃならないんだ? 情報提供はしてやったが、それ以上の協力を約束した覚えはない」

「いーや、可能な限り協力するって言った! なぁ、悧巧!?」

「何で私に同意求めるんですか」


 またも桜華ちゃんに絡もうとする湖鷺さんの服の裾を「座ってください」の意味を込めてぐっと引っ張る。

 湖鷺さんはどうにも力押しで物事を解決しようとする節があるらしい。

 それにしても、分かったのはチトセ達のルーツと改めて時間が残されていないという事くらいだろうか。

 何も分からないままでいるよりはずっと良いけど、絶望する為の要素が増えただけのような気もする……。


「一角と……あと五角も知り合いにいるんだよな? そいつらから話を引き出せたらなぁ」

「無理ですよ……シノもテンリも頭おかしいし……」


 大体、「あなた達の弱点を教えてください!」と尋ねるわけにもいかないだろう。それで教えてくれたとすればただ頭が悪い人達である。

 それに、聞かれた事に答えるような性格をしているとは思えない。根本的に彼らは人の話を聞いていないのだ。


 桜華ちゃんはコーヒーを淹れ直しにキッチンに引っ込んでしまったし、すっかり煮詰まった空気が流れているしでお手上げである。

 湖鷺さんと言えば、「なんか食うもんないの?」と勝手に棚やら何やらを開けて回っていた。

 そういう訳なので私も手持ち無沙汰になってしまい、何となく部屋を見回してみる。真っ白な部屋に、沢山の花。鮮やかに花開くそれらに、気持ちが落ち着くのを感じる。


 何だかんだで、チトセがいなくなった事で気が抜けていたのだろうと思う。そう一日に何度も問題が起きるはずもないとタカを括っていたのかもしれない。

 だから──直前まで気付かなかったのだ。


 大剣を携え、轟音と共に窓を突き破ってきたに。




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