第31話 三の主は、気付く
「昨日あんなことがあって……貴殿は、よくオレを家に入れてくれたのだな……?」
目の前で頬杖をついている少女を、見据える。思わず肩を縮こませてしまうのも仕方がないことだと彼女は──アキハは思う。
襲撃を受けた側の家主が襲撃者を部屋に上げる。アキハからしても普通の感覚には思えないが、暴れる可能性は無いと信じてもらえているからか自分程度はどうとでも出来ると判断を下された結果なのか、答えは出なかった。
目の前に出された珈琲に手を付ける気にもなれない。第一、この身体の持ち主は珈琲が嫌いだ。身体を返した時に口の中に苦味が残っていれば癇癪を起こすだろう。
オッドアイの娘は一度不愉快そうに顔を顰めた後、軽く舌打ちをした。
「朝っぱらから呼び鈴を鳴らして騒いだのはお前だろうが。どいつもこいつもアポ無しで上がり込んできやがって……」
可憐な顔と声に似合わない口調に目眩がする。昨日の今日ではやはり慣れないままだった。文句を言いつつも部屋に通してくれた辺り、実は──とかではないのは流石に分かる。
彼女は心の底から来訪者の相手を億劫に感じており、嫌々相手をしているだけだ。可能な限りの協力を約束してくれていたとのことだから、変に律儀なのだろう。こうなれば悧巧を引き摺ってきて間に挟むべきだった。
叩き割られたままの窓ガラスが目に入る度にアキハは逃げ出したくなる。
「その、済まない……色々と。だが、勝手に携帯を使って誰かと連絡を取ると揚羽が怒るんだ。直接会いに来れる相手が貴殿しかいなかった。朝のうちなら揚羽も眠っているからな」
「……完全に手綱を握られているのか」と呆れを含んだ言葉を投げられる。しかしアキハとしても勝手に身体に居着いている負い目があるので揚羽には不満はない。彼女は少し気難しいだけだ。
「オレが出せる情報は全て出しておいた方が良いと判断した。貴殿ならそれを有効活用してくれるだろうとも。……オレ達には時間が無いのだろう?」
自分は人の魂を喰らって生きる化け物だ。
そんな存在がただ間借りしているだけだからと人間の少女に取り憑いていて何も無いはずがない。
遅かれ早かれ、自分という存在は恩人の魂を喰い潰す。自身の意思など関係なく。
「揚羽の為に力を貸してほしい。頼む」
頭を下げることに迷いはなかった。
六角を探したい気持ちは勿論ある。だが、それもこれも全ては贖罪の為。ならばその贖罪に罪なき少女を巻き込むなど許されるはずがない。
死刑執行を待つ罪人のような思いで返事を待つと、少女はやはり嫌そうな顔をした。表情筋そのものはほとんど動かないが、雰囲気に嫌悪が露骨に現れる。それもまた器用だなとアキハはこの状況で全く関係無いことを考える。ある種の現実逃避だ。
「……同化を遅らせる方法は……心当たりがないでもない」
「なっ、本当か!?」
「だが期待はするな。あいつなら確実にやれるだろうが……素直に頷くかは知らん。連絡を入れたところでいつ帰ってくるかも分からんしな……」
「……?」
「第一、こんなことに首を突っ込んでいるのがバレた時の方が厄介だ」と芙蓉は憎々しげに舌打ちをする。アキハに向けられた苛立ちではないのは確かだが、それでも身が竦む。
問い質そうとしたが、やめた。根拠の無い希望を抱きたくはない。
「とにかく、同化の件は一度忘れろ。そしてやはり手っ取り早いのはお前達六人を再封印するというものだが……」
アキハにはどういうことかよく分からないが、何故か現代では魔術師を見かけない。目の前にいる少女や昨日の彼らも普通の人間ではないのはすぐに分かった。しかし魔術師ではなく能力者というらしい。それらが全くの別物だということは分かる。
そして自分達を封印したのは魔術師だ。能力者とは別の存在である。
「そもそも、何故封印など施された? 封印に至った理由じゃない。あっさりと六人ともが封印を受けた理由だ」
それは魔術師達が優秀だったからではないかと。そう答えたアキハに「それだけで人間如きに足元を掬われたと?」と芙蓉は嘲りを返した。……そうは言われても、アキハも自分を基準にしなくては考えることが難しい。そして彼女自身もよく理解していることだが、アキハの能力値は六人の中でもっとも低い。
「封印の術式に必要だった代償は術を行使した六人の魔術師の命だ。たったそれだけだぞ? 化け物六人を縛るのに、人間六人で天秤が吊り合うと本気で思うか?」
言われてみれば、確かにそうだ。魔術とはそういうものなのだと納得していたが、それならばもっと早くに自分達は滅されていた可能性が高い。魔術師六人でそれだけのことが出来るのだ。もっと数を集めれば封印どころか排除出来たかもしれないのに。
例えば、と芙蓉は続ける。
「それぞれが角の主人を名乗るとは言え、やはりお前達の親玉は六角だろう? 六人の魔術師によって六人の化け物が封印されたのではなく……六角が封印された影響で、残る五人も封じられたのだとしたら」
「……!」
それはアキハにとって鳥肌が立つほど悍ましく──そして、不思議なほどにすとんと腑に落ちる仮説だった。
力関係は六角が突出している。彼女が自覚して“命令”を下せば、残る五人の本能はそれに従うほどに。
「オレ達の核が六角そのものだと? いや……しかし……だとしても」
「そう。だとしても、やはり人間六人の命と化け物一匹では吊り合わない。極端に弱っていたか、あるいは足元を掬われるだけの何かが起きたか」
とん、とん、と少女の細い指が机を叩く。
数千の時を生き、瞬きをするほど僅かな間とは言え封印が解かれてからも時を過ごした。それでも一度としてそんな考えに至ったことはない。自分はどれほど無為な日々を生きたのかと、遅過ぎる後悔が込み上げる。
「……人類が滅ぼされなかったのもやはり疑問だな。聞く限り、人に慈悲をかけるような連中には思えん」
「人が絶滅すればオレ達は身体を保てないからだと思うが……」
「だがそれも一定数で足りるだろう。お前達の住処で家畜のごとく人間を飼い慣らし、必要数は産ませ、決まった数を殺して稼ぐのが合理的だ。それで地上に生きる人間どもを皆殺しにすれば逆らうような愚か者はいなくなる」
「なっ、なんて恐ろしいことを考えるんだ!? 貴殿は悪魔か!?」
慄くアキハに、「まぁお前には無理だろうな」と芙蓉は呟いた。
今時の人間の少女はなんたることを考えつくのだろう。眠っている間に人の子は恐ろしい存在になってしまったらしい。世の中は昔よりもよほど平和そうに見えたのに。
いや、しかし揚羽ならそんなことは言わないはずだと気を取り直し、アキハは姿勢を改めて正す。
「いくら六角達が残忍でもそのような発想は出てこないと思うぞ。従者にそういった考えが芽生えない限りは」
「……なに?」
「オレ達を育てるのは従者というシステムだからな」
アキハにとっては当たり前のことを口にしただけなのだが、芙蓉はピンとこないのか考え込むような仕草をした。
アキハ達は赤ん坊として転生する。いくら人間ではないと言えども自ら身動きが取れない状態で生まれ変わったところで人間の魂を喰らうことは出来ない。それゆえに角の主と共に産まれ落ちる存在が必要なのだ。主人とは違い十分に成長した姿で。それを従者と呼ぶと、他でもない従者自身からアキハも伝えられた。
大半の従者は酷く機械的だ。忠実ではあるが、ただそれだけ。問いには答えるものの、必要最低限だけ。
そして彼らは言うのだ。人を憎めと。
「オレ達の角の主としての知識は従者から与えられただけに過ぎない。オレ達は生前の記憶が曖昧だからな。覚えていることも少なくはないが……ともあれ、生きる為に人間を殺せと教育するのも従者だ」
もっとも、生前の記憶の中に人間を憎む理由がなかったアキハは人を憎悪することは出来なかった。それ故に口煩い従者は遠ざけ、好んで側に置いたのは従者としては欠陥があった変わり者だけだ。随分後になってから知ったが、アキハが身体を保つ為のノルマはその従者が勝手にこなしていたらしい。
「だから六角だって昔は──……昔、は……?」
自身で言葉にしてから、驚いたように口元に手をやる。憎しみに囚われてすっかり記憶に埋もれさせてしまっていた。
……そうだ。昔はああではなかった。何故忘れていたのだろう。
「おかしかった……? おかしく、なったのか? だが、だとすればいつから……」
♦
──兄様。私達、二人で姫様を御守りしましょうね。
与えられた役目はあまりにも簡素だった。
目覚めたばかりの身では疑問を口にすることすらままならない。
主人に仕えよ。そして、主人を相応しい在り方に育て上げろ。
──お前は何故、俺を『兄』と呼ぶ? 俺達に血の繋がりはない。それどころか、従者として産まれたのはお前が先だ。
やっと自身の役目が馴染んだ時、彼は隣の少女にそう問いかけた。彼らに兄妹などという区分はない。あるのは使命だけ。
──まぁ、薄情。良いではないですか。だってまだ私達二人しかいないのですもの。ただの同僚よりはこの方が親しみやすいでしょう? それに、ほら。どう見ても私は姉を名乗れませんわ。こんな体躯では。
──そんなことは重要ではない。俺が言いたいのは役目を果たす上でそんな必要があるのかと……。
それを聞いて少女は愉快そうに笑う。何がおかしいのか男には分からない。ただ一つ言えることは、それが嘲笑ではないということだけだ。
──ねぇ、兄様。私達従者は、姫様の『記憶』を見るでしょう? 姫様はまだ思い出しておられないわ。この先もそうなのかは分かりません。でもね、ただの従者ではなくまるで家族のようにお仕えするべきだと、私はそう思うの……。
随分と後になって知った。従者には考える頭は必要でも、感じる心は不要であると。
だとすれば少女は欠陥があり、彼こそが正常であったのだろう。それでも、誓った。
主人の為に手を取り合うことを。それこそがもっとも効率的だと当時の彼は判断したからだ。
──姫様。私達の大切な姫様。どうか全て忘れてお休みになってくださいな。私も兄様もずっと姫様の味方です。この先、ずっと。
転生したばかりの赤子を抱きながら少女は改めて微笑んだ。彼と彼女は生まれたばかりの主人を育てる責務がある。相応しい在り方とやらに。
それは本能が知っていた。だから機械か何かのように主人に仕えるだけだった。……そのはず、だったのに。
──やめてください兄様! まだやっと話し始めたばかりの姫様にそんな物騒なことを教えるなどと……! 姫様、聞いてはなりません!!
──兄様、見てくださいませ! 姫様が私に花をくださったの……! それに、名前も与えて頂けると! 兄様もよ!
彼女は主人の行動に一喜一憂した。馬鹿正直に何もかもを嬉しそうに報告して、時が止まっているかのような城の中で、彼女と主人の周りだけが明るく色付いているようだった。
いつしか彼女に兄と呼ばれることが当たり前になり、彼もその日々を受け入れていた。穏やかで、まるで──本当の家族のような。
それでも。
それでも、本能はずっと叫んでいた。
主人を在るべき姿にと。
一秒としてその声が止むことはなかった。それこそが自身の存在価値だと得体の知れない衝動が込み上がった。
彼女がそれに悩まされていた節はない。そこまで考えて初めて、己の中に葛藤が生じていることに気付く。
──なにを、馬鹿な。
やるべきことなど一つだ。これまでくだらない時間を費やしてしまった。この城の主に求められる素質を、早く育てなくては。
冷酷で残忍な、支配者にしなければ。妹には無理だろう。強いることも出来ない。衝突すれば互いに無事では済まない。自分に何かあれば、教育係がいなくなる。
──姫様。さぁ、下等な人間どもを駆逐しましょう?
…………今の、記憶は…………?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます