第30話 金の少女の決意

 片手を握り、また開く。

 そんなことを繰り返しながら湖鷺は先程のことを思い返していた。


 湖鷺の異能力は常時発動している状態だ。だから物陰から隠れて様子を窺っていたあの時、黒髪の少年がというのはすぐに分かった。


 元々、ネルを経由して悧巧から連絡を受けた時、湖鷺は必要であらば二人の少年のことは見捨てるつもりでいた。

 当然と言えば当然だ。

 彼女は口や態度の悪さとは裏腹にお人好しの部類に入る。しかしながらそれは、あくまでも平時の話。彼女は己や身内の命すら危ぶまれる状況において、他者を優先するほど腑抜けてはいない。


 故に、何か異常事態に発展すれば最悪悧巧だけを連れて逃げるつもりでいた。


 今でもはっきりと思い浮かぶ。

 六角を名乗った存在のことを。悧巧 千妃路の身体を使い、湖鷺達を殺そうとしたあれのことを。


 ──敵うはずがないというのは本能で分かった。


 不意を突くとか突かないとか、そういう次元の話ではなかった。例え寝込みを襲ったとしても瞬く間に捻り殺されただろう。それだけは嫌なくらいにはっきりと自覚出来た。


 悧巧と彼女は分離が可能だった。同化が進んでいなかった六角ですらだったのだ。三角はさておくとして、同化が明らかに進んでいると思われる一角と五角では戦闘にでもなれば絶対に手も足も出ない。


 ……そう、思っていた。


(……確かに、五角の方はかなり魂が混ざってる。一角も昨日より進んでやがる。だが……)


 くるくるとダガーナイフを回す。

 彼らが人の領域に無いのは間違いない。正面からぶつかればどうしようもないというのも事実だ。それでもあの二人は手を尽くせば対処出来る可能性が高い。


(だとすりゃあ、六角は何だ?)


 あれは存在としての格が違う。

 五体満足で生き残ったのも、夕凪の家が──壁や家具は滅茶苦茶だが──形を保ったままであったのも、六角の気紛れに等しい。彼女がこちらを値踏みしていたから、道端を這う蟻がどんな抵抗を見せるのか興味を持っていたから、湖鷺は今ここに立っている。


 角の主人達の本来の実力差によるものと考えることも出来る。

 しかし、だとしてもやはり悧巧と六角が分離可能だったことの説明がつかない。例え人間の魂を喰らわなくとも時間経過で同化は進んでいる。三角と美濃がそうだ。昨日の今日でやはり同化が進んでいる一角と日比谷も同様に。

 つまり、三角が分離出来なかったのは正常な状態であるということになる。


(バケモンだからか、三角の考えはほぼ読めねぇ。六角なんざミリも読めなかった。だが、三角の言葉に嘘が無いのは感覚で分かる。……桜華も言ってたんだ。あいつはあの身体で殺しはしてねぇ)


 情報を摺り合わせたところ、それぞれの角の主人が“宿主”を見つけたのはほぼ同時期だ。僅かなタイムラグはあれど、そう大きくズレは無い。

 そうなると時間経過で進む同化の具合に大きな差が出るはずがない。六角が極端に遅く、三角が極端に早いと仮定したとしても、それは時間による同化だけに着目した時の話だ。


 力を取り戻すにつれて同化が進むのだから、出来ないことが出来るようになった──即ち、自身の身体を作り直せるまでに数多の魂を喰らっている六角が、全く同化が進まないのは違和感しかない。


(……やっぱ、なのか? 三角の状態が正しく、本来なら六角も分離出来なかった?)


 だとすればおかしいのは三角でも、まして六角でもなく──


「……湖鷺さん? どうしたんですか?」


 思考に割り込んできたその声に、湖鷺はようやく顔を上げた。覗き込むようにしてこちらを見つめているのは蒼い瞳だ。「何でもねぇよ」と返し、軽く息を吐く。


 そんなことは重要ではない。今はまだ。


「それにしても、大丈夫ですかね? 縛ってあるだけだし他に何も無いけど……」


 牢屋みたいなところに閉じ込めた方が良いんじゃ……と言い出した悧巧に、思わず湖鷺の口元が引き攣る。


 少し強く殴り過ぎたのか、日比谷が目を覚ます気配はなかった。とは言え、担いで長距離を移動するのは満場一致で却下。文字通り背中を刺されるかもしれないからだ。ではどうするかという話になった時、笑ってこんな事を言ったのが天真だ。


『まぁとりあえず、日比谷が起きるまで俺と日比谷をその辺の柱にでもくくりつけておけば良くない? テンリは起きないと思うけど、シノは分かんないしね』


 距離さえ取っておけば湖鷺の危機察知能力であればどうにか出来る。天真の言葉に異論はなく、そして六角の件で学習した湖鷺が学生鞄に教科書ではなくロープを突っ込んでいたのもあり、屋内の柱に二人とも縛り付けたのだ。

 確かに心許ないのは間違いないが……クラスメイトを相手に「牢に入れた方が良い」などと宣う悧巧に湖鷺が呆れるのも無理は無いことだった。心の底から大真面目に言っていると分かる分、余計に。

 平気そうに振る舞ってはいたものの、天真も変わらず体調が悪いようだった。それを理解した上での悧巧の発言であるので、タチが悪い。


 余談だが水蓮寺と夕凪はとうにいなくなっていたりする。人一人が高所から落ちたところで気にするほどでもないのだろう。あれで夕凪もかなり


「しっかし、一角も五角も三角も、現状だとほとんど活動出来ねぇのは間違いなさそうだな。唯一の朗報っつーか、今後のことを考えるとそうとも言えねぇか……」


 地面に直接腰を下ろした湖鷺は頭痛を堪えるように呻く。手入れも何もされていない──廃墟なのだから当然だが──中庭は雑草だらけで最悪の座り心地だ。


「情報集めは桜華に任せた。あたしはそういうの無理だし、姉貴なんざ何の役にも立たねぇしな。暫くそれで様子見るつもりだったんだが


 声が硬くならないように気を付けたつもりだが、立ち尽くしたままでいる悧巧の肩が強張った。

 彼らを分離する方法を模索するつもりではあった。湖鷺としても何の罪もない少年や少女にナイフは向けたくない。


「お前の言うように、今のあいつらは“本体”が死ねば中身が解放されるだろう。……だが、同化が進めば本体を殺すことで中にいやがるバケモン諸共始末出来る可能性は高いと思ってる」


 同化が進むというのはつまり、魂が身体に定着するということだ。であれば、それで死なない道理は無い。全ての存在がそうであるように。

 恐らく一角達もそれを本能で理解しているから、自分以外で試そうとした。とは言え、やはり今この段階では湖鷺の仮説よりも悧巧の仮説の方が正しいだろう。


「今は何もかも後手に回ってる状態だ。問題が起きてから対処して、それでギリギリ間に合ってる。これ以降もとは限らねぇ」


 だがな。

 そう続けた湖鷺に、悧巧が伏せていた顔を上げた。そこには困惑と嘆き、そして僅かな希望が見える。

 安全策を取りたい。それは確かな考えだ。初めから何一つ変わっていない。いくら今この瞬間は手に負えたとして、明日もそうであるとは限らない。しかし。


「……どうせ一角達三人を今のまま殺したところで、六角を野放しにしたままなのは変わらねぇ。二角と四角もただ出会ってねぇだけで何食わぬ顔でうろついてやがる確率は低くない。……だったら、あいつらは餌として使える」


 手がかりが無くなれば六角と未だ気配すらない二人は見つけられなくなるだろう。彼らが既にただの少女でしかない悧巧や接点のない湖鷺達に興味を持つ理由がないからだ。

 勿論、湖鷺だって叶うなら遭遇したくはない。だが相手の目的がはっきりしない以上、そしてそれが平和的なものでは絶対にない以上は、見つけ出さなくてはならない。


 日比谷や天真、美濃への情から出た言葉ではないのは確かだった。


「だが、あいつらの利用価値なんざそれだけだ。使えないのなら、使えなくなるようなことがあるのなら──あたしはあいつらを残らず殺す」


 期限はもって数日だろう。それまでに分離する為の手掛かりが見つからなければ、せめて同化を少しでも遅らせる手段が見つけられなければ、そこがタイムリミットだ。こればかりはいくら悧巧が泣こうが喚こうが譲るつもりは毛頭ない。

 ……そして、日比谷と天真は既にその覚悟は決めていると湖鷺だけが分かっている。


「あたしはあたしの周りを土足で踏み荒らす奴を絶対に許せねぇ。奪われる前に奪う。……そうしないと、大事なモンは一瞬でなくなる。お前だって六角にどれほど? 身体を取り戻したくらいで大人しくなるような奴じゃねぇって頭では分かってんだろ?」


 世界が破滅する可能性。それは大袈裟なことでも何でもなく、ただひっそりと忍び寄ってきている。

 双子の姉は、一時期より遥かにマシになったとは言えやはり夕凪が絡まないことにはほとんど興味を持たない。例え目の前で人が死んでも、それが夕凪──あるいは湖鷺──ではない限り驚くことすらしないだろう。だから進んで協力こそしないが邪魔もしない。それどころか夕凪が彼らを助けてあげてほしいと望めばその通りに動く。


 芙蓉も、口にしていたように心底から世界の行く末になど関心がない。例え今日世界が終わるとしても、普段通りに紅茶を淹れ花の世話をするのだろう。

 一度協力すると口にした手前、芙蓉がそれを自ら反故にすることは無い。あれは、そういう娘だ。


 だから──のは自分だけだ。


「ここから先はあたしはあたしの判断でやらせてもらう。今回みてぇなことがあれば協力はしてやるが……の時、お前の意見は聞かねぇし受け入れもしねぇ。そして邪魔をするのなら、お前のこともぶっ飛ばす」

「……湖鷺さん」

「あたしは、そういう覚悟でこのダガーを握ってる」


 本音を言えば、悧巧はここで退場させておきたい。彼女はもう関わる理由がない。せっかく解放されたのに巻き込まれて取り返しのつかない目に遭っては本末転倒だ。しかし悧巧はそれだけは不思議なほどに強情で、絶対に譲らなかった。


「湖鷺さんの邪魔は……しません。いや、その時にならないと分かんないけど……何なら邪魔する可能性の方が高いかも……でもっ、じゃあ! せめて同化を遅らせる方法が見つかれば良いんですよね……? 探してみせます。絶対……!」


 返事はしなかった。

 あのマンションに住む能力者の一人に『時間操作』の異能を持つ者がいる。彼女にも昨夜のうちに相談をしてはみたが返答はあっさりとしたものだ。


『無理なの。一秒とか二秒ならともかく、恒久的に……それも二つの人格のうち一つだけの時間を止めたり遅らせるなんて。そんなことが出来ればそれはもう、人の業じゃないの。神様の領域』


『言っておくけど、仮に私より高位の時間を操る能力者を見つけたって同じように答えるはずなの。能力は万能じゃないの。……お前が一番よく理解しているはずなの?』


 今後、都合よくそんな力を持つ者が現れるなどという奇跡は起こらないだろう。

 第一、湖鷺は最大規模の能力者のコミュニティに属していた。その中でも今回の件で「もしかしたら」と思わせる力があったのは前述した時間操作の異能者だけだ。


 安易な慰めを掛けることも出来ず、湖鷺は口を閉ざす。

 本当にせめて、同化を遅らせるすべさえ見つかれば……と、思わず歯噛みしながら。






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