第3話 振り回される日々
「……本当にこちらで正しいんですか?」
タッチ式の携帯電話を片手にげんなりとする少女、
大人びた風貌にまだ辛うじてあどけなさを残す彼女は、長い金髪を風に揺らしながらわざとらしく溜息を吐く。
《ええ、ええ! それはもう! 我が主の気配がハッキリと!!》
そんな彼女の憂鬱を現在進行形で加速させるのは水蓮寺が手にする携帯電話から指示を飛ばす白髪の少女である。ビデオ通話かのように画面いっぱいに映り込んでいるのだが、文字通り彼女は水蓮寺の携帯電話に“棲んで”いる。
せいぜい中学生程度にしか見えない彼女は、肩までの長さの髪を振り乱しながら画面に“Error”の文字を絶え間なく表示させていた。……どうやら彼女が興奮状態にあることから携帯が過負荷状態になっているらしい。
左目の下のバーコードのような刺青がやや異質ではあるものの、黙ってさえいれば品の良さそうな少女……ネルだが、彼女がそんな殊勝な性格をしていないことはこの短期間で水蓮寺も嫌というほど理解していた。
「大体何故私がこんな……っ」
「ひばり、とりあえず探してあげよう?」
「まぁ、ツバメがそう言うのなら」
またも大きく溜息を吐こうとした水蓮寺を宥めたのは人の良さそうな雰囲気を持つ少女、
この場は引き下がってくれた水蓮寺だが、それでもこの分だと我慢の限界は近そうだなぁ、と夕凪はひっそりと眉を顰めてしまう。
なんせ、水蓮寺はあまり気が長い方ではないのだ。ただでさえ低血圧なところを叩き起こされ、朝からネルの言う謎の“主”探し──早く決着をつけないとその内携帯を叩き壊してしまうのではと夕凪は気が気でなかった。
「でも、ツバメ? こんなたかだか機械ごときの為に、隣街まで来る羽目になってるんですよ? こんな事に何の意味があるのか……」
《なっ、機械とは聞き捨てなりません!! 私はそもそも機械でもましてウイルスでもなく──》
「五月蝿い」
自力で携帯電話の音量を上げ(携帯そのものに寄生しているのでやりたい放題なのである)、金切り声を上げるネルにいよいよ嫌気が差した水蓮寺は電源を落とすと雑に制服のポケットに放り込んだ。
そもそも何故彼女らがこんな厄介なものを引き受けることになったのかは割愛するが、早い所ネルの探し人を見つけ出して押し付けたいのが本音だった。ついでに文句の一つでも言うのは忘れないようにしようと思う。
携帯電話に棲まう少女。初めはAIだとか何処かから誰かが動かしているだけなのではだとか思考を巡らせた水蓮寺達だが、やがて考えるのを放棄した。
当の本人は「私はとあるお方に仕える為に生み出されたのです」の一点張りで会話にならない。主人の元へ辿り着く間に迷子になってしまい仕方なくたまたま水蓮寺の携帯に寄生したとの話だが、やっている事は押し掛け家出娘と大差無いだろう。
とにかく、その目当ての人物を見つけてくれるまでは梃子でもいなくならないと主張する彼女の望みを叶えるべく水蓮寺と夕凪は街中を彷徨っていた。
幸か不幸か常識外の存在には既に慣れている。それらの対処法を知っていると言うよりは遭遇したとしても諦めることを覚えただけと言うべきかもしれないが。
「この子のご主人様? が何者なのかは分からないけど……この辺りにいるかもしれないって話だし、もうちょっとだけ頑張ろうね」
「こんな物の主人だなんて、どうせロクでもない人間でしょうね」
「こらこら」
♦
天真くんにちょいちょいと手招きされ、話を聞くに黒髪の彼は
「……お前、俺達と“同じ”なんだな」
「はい?」
“何の話ですか?”という意味での「はい?」だったのだが、どうやら伝わらなかったかそれともあえて無視されたのか日比谷くんは応えてはくれなかった。
さっきの、あの笑み。あれは何だったんだろう……。気の所為だったならそれで構わないんだけど。
それに、チトセが不気味なほどに静かなのも少し気掛かりだ。寝ているのかとも思ったけどどちらかと言うとあえて静観しているような……そんな気がする。ある意味で一心同体というやつなので彼女に今意識があるか無いかくらいは何となく分かるのだ。
そういった私の心中は当然伝わっているはずもなく、日比谷くんはややあって、
「……少し外で話さないか? お前に聞きたいことがある」
「え? いや、授業……」
「良いから」
いやいやいや、転校初日から授業ぶっち切るわけには……って、聞いてない!
「亜砂、後から来い」
「はいはい」
日比谷くんは私の話なんて全く聞いてくれず、無理矢理腕を引いて屋上へと向かった。
屋上で授業をサボるなんてまるで漫画みたい……とかそういう話をしてる場合じゃない。ただでさえチトセだけでも手一杯なのに何でこんな目に!?
「日比谷くん、痛い、痛いって……! 離して……!」
「え? あ、ああ、悪い」
屋上に着くと同時、そう訴えると気まずそうに日比谷くんは腕を解放してくれる。人がいないところに連れて行かれて殴られるのではと勝手な妄想をしていた私は、それで少し肩の力が抜けた。
多少強引だけど悪い人ではない……のかな?
いや、良い人だとも思わないんだけど。丁度授業の開始を告げるチャイムが鳴っているので彼のせいで私はめでたく初日から授業をストライキしてしまった。
こうなったら話を聞くしかなさそうだ。本当は無理矢理にでも教室に戻りたいし金輪際彼や天真くんとは関わらないようにしたいんだけど、それと同時に本能が逆らうことを拒否している。従っても逆らってもロクなことにならない予感しかしないのならせめてこの場だけは穏便に済ませたい。
「あ、あの……日比谷くん、話って」
「ああ、そうだったな。さて、何処から話すか……」
何で強制的に付き合わされた私から口火を切らなくちゃならないのかは甚だ疑問だけど、とりあえず日比谷くんは会話を始める気になってくれたみたいなので細かいことは無しにする。
最近すっかり諦めることに慣れてきている私は溜息すら押し殺した。
「悧巧、だったよな」
「うん」
「実は……」
彼はこちらに向き直ると、少し言い淀む。
スッと細められた目には選別するような色が宿る。無遠慮だったけど不思議と嫌な感じはしなかった。
だけどそう思ったのも束の間、その目に奇妙な光が灯る。強いて言うのなら、愉悦、のような。
反射的に、後ずさろうとした。だけどそれが叶わなかったのは日比谷くんに手首を掴まれたから。
その直後に彼は、
「──“千妃路”、俺の妻となれ」
冗談にしても悪夢のような事を言い放った。
「…………………………はい?」
今、“千妃路”って……。
いや、そんな事考えてる場合じゃなくて!
え、今、日比谷くんなんて? 聞き間違い? 聞き間違いだよね、私の!!
「何を呆けている。聞こえなかったのか? この俺の伴侶となれと、そう言っているんだ」
神にも祈る気持ちで自分の耳がおかしい事を願った私に、日比谷くんは容赦無く同じ言葉を繰り返す。
え? 何? 私じゃなくてこの人が急に頭おかしくなっちゃったの?
それはお気の毒だが、だとすれば私を巻き込まないでほしい。急に気が触れたのだとしても私に迫る必要が何処にあると言うのだろう。
「……な、何の冗談ですか?」
それともまさか、欠けらもセンスが感じられないジョークのつもりなのだろうか? ドッキリを期待してもう一度正面から彼を見る。
そこに浮かぶのは、あの妖艶な含み笑い。……同じだ、教室で見た時と。
鳥肌が立つような悍ましい微笑み──。
「……冗談? 俺が冗談でこんな言葉を吐くと思うか、女」
ひっ、と引き攣った声が喉から漏れた。
笑顔とは裏腹に、私を捉える目だけはぞっとするほど冷たい。
それで分かってしまう。理由こそ不明だが彼の言葉は冗談などではないのだ。そして同時に、私には拒否権が与えられていない。
脈絡の無い告白? ううん、そんな分かりやすいものじゃない。
これは、ただの脅迫だ。頭に意味の分からない、と付くけれど。
「日比谷、くん……じゃ、ない……? あなた、一体……」
ようやく絞り出した言葉は自分のものじゃないのかと思うほど震えていた。だからこそ私は自分の言葉の意味すら分かっていなかったように思う。
怖い。
単純な恐怖とはまた違う。理解の出来ないものを前にした時の、足元から這い寄るようなあの不快感が全身を支配する。
「……“一角”、その辺にしといてやりなよ。怯えてるじゃん。それに俺達が用があるのは“そっち”じゃないしさ」
いつの間にここまで来ていたのか、すぐ後ろで首筋を舐めるような天真くんの声が響いた。本来なら救いの手だと喜ぶべきなんだろうけど、得体の知れないという意味では彼は日比谷くんのさらに上を行く。
今日この日を厄日と言わずしてどうするのだろう?
対して、それを聞いた日比谷くんはいかにも不愉快そうに目を細める。
「ふん、面白くない男だ。肝心な時に遊びが足りないのはお前の悪い所だと思うがな、“五角”」
「肝心な時だからこそ、って言ってほしいもんだけど」
会話の意味が分からない。
この時私は、多分この場から逃げ出そうとしたんだと思う。だけどそれが叶わなかったのは、その瞬間にまた“あの”引っ張られるような感覚に襲われたから。
「──あなた達、“一角”と“五角”だったのね」
チトセが、静かに口を開く。そのせいで恐怖心がすっかり吹き飛んだ私は、慌てて“内側”からチトセに訴えかける。
『ちょっと! あなたが出るとややこしくなるんだってば!!』
チトセは態度が態度なので穏便に済むことも済まなくなるのだ。日比谷くん達の意図が全く分からない今、チトセが表に出ていてはロクな事にならないのは目に見えている。
そう思ったんだけど……。
「……あら、どうして? むしろこの方が早いわ」
『え?』
「この二人、私と“同じ”よ」
同じ。
それは日比谷くんも口にしていた。彼は深く語らなかったので聞き流していたけど、その意味を考えようとしなかった私の落ち度だったのだろうか。
「……久しいな“六角”。感動の再会、とでも言うべきか?」
「いつから“こっち”にいるわけ?」
チトセの言葉に、二人は口角を釣り上げる。この短い時間で私はこの人達の色々な種類の笑顔を見たけど、でも、
この笑みは、敵意のある微笑みだ。
「……別に嬉しくも何ともないわ。こっちに来たのは数ヶ月前」
素っ気ない調子でチトセが答える。
だけど三人の会話は私にはほとんど聞こえていなかった。
……同じ? 私やチトセと、この二人が?
じゃあ、さっきから不自然なくらいに天真くんや日比谷くんの雰囲気が定まらないのは……。
この人達も、何かに体を乗っ取られているから?
「そうね、良い機会だわ。少し話をしてあげる。──“私達”について」
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