第4話 浮上する問題

 六大陸。そう呼ばれる裏の世界がある。

 時にリバースサイドとも謳われるそこは、“表”の世界とは鏡合わせに存在する場所であり人間では足を踏み入れることすら許されない異界だ。


 その名の通り六つの大陸に分断されているそこは、一つの大陸に一人の主が王として君臨した。

 それぞれを“角”と定め、互いに牽制し合いながら。


 そして──話は千年以上前に遡る。

 元々、“表”の世界に生きる者で六大陸の存在を知る者はそう多くない。しかしその中でも彼らを極端に恐れる者達が存在した。


 魔術師と呼ばれる特異な人間である。

 彼らは六大陸の主達を怖れ、その力に怯え、彼らの“排除”を望むようになった。

 恐怖は正常な判断力を奪うと言う。恐怖という未知の化け物に扇動された彼らは、無謀にも六大陸との戦争の火蓋を切る事となったのだ。


 無論、力の差は歴然としていた。


 そもそも六大陸に棲まう者達は等しく人間とは異なる。敵う敵わないの話ではなく、初めから立っている次元が異なるのだ。

 彼らは六大陸へと乗り込んできた魔術師達をいっそ憐れにも思えるほど蹂躙し、殺戮の限りを尽くした。

 もう二度と自分達に逆らおうなどとは思えぬように。


 しかし──。


 そこで名乗りを上げたのがのちにその界隈で英雄と謳われる六人の魔術師である。

 彼らはとある人物に魔を封じる術式を学ぶと自らの命を賭し、それぞれの角の城に六大陸の守護者達を封印した。

 殺すことこそ叶わなかったが無力化出来ればそれで良かったのだろう、六人の魔術師の犠牲を嘆きながらも彼らはこの結果を“勝利”とした。この先に約束された、悠久の平穏を夢見て。


 やがて、そんな英雄達の存在すら御伽噺のように忘れ去られるほど時が経ち……即ち、現在。


 封印の影響から一足先に逃れ復活を遂げていた彼らの従者達が、それぞれの主の封印を解くことに成功する。

 封印を解かれた六人は、その余波から失った体を再生する為に表の世界へと降り立つ。

 つまり、それが──。


「……それが、私達。“六大陸の主”」


 あまりにも現実離れしたことをまるで明日の天気を訪ねるような気軽さでチトセは告げた。


 語られた話は、あまりにも荒唐無稽だった。

 彼女が語った内容を何度も頭の中で反芻する。混乱した脳は理解を拒んでいたけど、でも。

 それってつまりこの人達は……。


『………………魔王?』


 話を統合する限り、そういう事になるのではないだろうか。

 嘘でしょ、という言葉は声にすらならなかった。まだ心の何処かで悪い冗談か何かだと思っていたのかもしれない。


 そんな私に気付いているのかいないのかチトセはあくまで退屈そうに、続ける。


「眠っている間に、随分と力が衰えたわ。自分の肉体すら作り出せないほどに。だから波長が合ったお前を依り代としたのよ。力を取り戻す為の“宿主”と……そう言ったところかしら」


 私は、得体が知れないという意味でチトセのことを化け物と称していた。

 だけどそれが、正真正銘人間ですらない“化け物”だったなんて誰が予想出来ただろう? それともやはり私は気が変になってしまって、これら全ては私の妄想なのだろうか?

 だけど嘯くチトセに冗談めかした雰囲気は無い。彼女はくだらない嘘をついて面白がる性格ではないことを私は嫌というほど知っている。


 そうなると、私には一つ聞き過ごせないことがある。


 宿主。確か出会った日も、彼女は私を器と呼んだ。今までは彼女が、チトセが何者なのかも分からなかったから考えようとしなかった。

 いや、考えてはいた。それは──どうして私なのかということ。

 六大陸だなんて聞いたこともない。つまり私には縁もゆかりもない。だと言うのに、チトセは私の体を使っている。


「そんなもの。目に付いたからよ。それ以上の理由が欲しいの?」

『じゃあ……偶然ってこと……? ただ波長が合ったからってだけで、私を選んだの!?』

「当たり前でしょう? そうでなければ何故この私が人間であるお前の体を使わなくてはならないの?」


 心底不思議そうにチトセは言う。まるで聞き分けのない駄々っ子を前にするように。おかしいのは私の方だと、そう告げるように。


 だけど私は納得のいく理由が欲しかった。こんな目に遭わなくてはならない理由が欲しかった。だってそうじゃないと割に合わない。彼女に多くのものを奪われたこの結果が、“ただそこにいたから”と片付けられるだなんて不条理にも程がある。

 それなのに、事も無げにチトセは私の微かな希望を握り潰した。


 絶望よりも怒りが強く胸を焦がす。

 あまりにも勝手で、何もかもが無茶苦茶だ。


「では話が済んだところで改めて。俺は六大陸、“一角”が主──シノ」

「同じく“五角”、テンリ」


 何処をどう取れば話が一通り済んだ事になるのか全く理解出来ないが、これで終わりだと言うように目の前の二人はそう名乗る。

 もしかしたら私のように彼らの“中”で本人……つまり日比谷くんや天真くんが何かを言っているのかもしれないけど、その言葉が表に伝わることはない。


「そして私が“六角”の主。同時に、六大陸“全て”を統括する者でもあるわ。事実上、私が六大陸の王よ」


 チトセはやはり気軽な調子でそう語る。

 え? 六大陸全てを統括って……つまるところ大魔王って奴なのでは?

 私、そんなのに取り憑かれてるの?!


「人間風情が、よくも小賢しい真似をしてくれたものよね。たかだか千年弱とは言え、この私をコケにした罪は重い。やはり“表”は不要ね。……こんな世界、いずれ砂塵にしてやるわ」


 戦々恐々となる私は無視して、チトセは聞いたこともないくらい低い声でそう呟いた。

 その言葉の意味を、一瞬遅れて私の頭が捉える。


 ……この世界を、砂塵に? まさか、滅ぼすってこと?


『そ、んな……何を勝手な……!』

「復讐、というやつか。魅惑的な響きだが、俺には他にも望みがある」


 私の声が届かない日比谷くん……いや、シノはチトセに同調した後、何がおかしいのかくつくつと笑う。

 ああ、厭な笑いだ。何処までも人を馬鹿にした、そんな表情。


「六角。兼ねてからお前が六大陸の頂点に君臨するのが俺は不快だった。お前をその地位から引き摺り下ろすのもまた一興だろうな」

「あら……だから私を妻に、だなんて柄にもない事を言い出したの? 政略結婚だとかいうやつかしら。そうすれば、自動的に“六角”の権力が手に入ると」


 一体全体今の訳の分からない話にどういった面白ポイントがあったのかは知らないけど、それを聞いたチトセはさぞ愉快そうに言葉を紡いだ。

 ……いや、これはもしかして馬鹿にしたように、という表現の方が正しいのだろうか? 自分の顔が自分で見えないのと同じように、私にはチトセがどんな表情をしているのか分からない。


 私の体でそんな話を進めるのは丁重にお断りしたいところだが、この短時間で理解した。


 チトセと同じく、シノも恐らく人の話を聞く気がない。


「大半はそれだ。……が。まぁ、今は良い」


 ふいに、シノの目がこちらを向いた。正しくはチトセに改めて向き直ったんだろうけど、無遠慮なその視線はチトセの中にいる私の事も直接眺められているようで背中がぞわぞわと粟立つ。


「“六角”の座が俺の物となればお前は用済みだ。そうなればお前には俺に殺される権利をくれてやろう」

「嫌だわ、そんな事が出来ると思って? 勇敢と無謀を履き違えるだなんて、以前にも増して愚かだわ。吐き気がするくらい」

「ちょっとちょっと、そんな面白そうな事やるなら俺も混ぜなよ。第一、一角? まさか“メインディッシュ”を独り占めする気? 何千年も前から俺が先にこの女に目を付けてたのに?」


 さっきまで静観に徹していたテンリがようやく口を挟む。

 ……会話だけ見れば、この人達は軽口を叩き合うような旧知の仲に見えなくもなかっただろう。その内容の物騒さはさておき。

 だけど凍り付いた空気がちゃんと現実を教えてくれている。


 この人達は、多分、ものすごく仲が悪い。


 それも今すぐにでも殺し合いを始めかねないほどに。

 話を纏めるに、どうやら六大陸の主だとかいう六人の頂点に立つのがチトセで力関係もそれに順ずるみたいだけど……何だか現実離れし過ぎていて実感が湧かない。

 とんでもない“もの”に取り憑かれてしまったことは最早疑いようもない事実なんだろうけど。

 空気の悪さの割にこの場で殺し合いを始めない理由はメリットがないからだろうか。彼らが欲しているのは餌場。行く先々で問題を起こせば目立ち過ぎるから。


 ……という訳で。


「な、何だか大変なことになっちゃった……ね?」

「ああ」


 膝を抱えて座り込みながら、呻く。目の前で胡座をかく日比谷くんも頭痛を堪えるように溜息を吐いた。「そんな座り方だとぞ」と言われ、「たっ、体操ズボン履いてるから!!」と大声で怒鳴ってしまったことは忘れたい。

 話の直後、チトセ達が会話そのものに飽きてしまったらしく体を返してくれた。飽きっぽいというのは人の欠点として数えられるのが世の常だが、「飽きた」の一言と共にチトセが引っ込んでくれる事を考えると“世の常”というのも見直されるべきなのではと考えてしまう。

 そんな三人はあれから眠ってしまっており、これ幸いと私達は“作戦会議”に勤しんでいる。


「要するに、世界の滅亡を企む悪の親玉ってことだよね? 私達の中にいるの」

「そういう事になる」

「これ……洒落にならないくらいの大事なんじゃない?」


 言葉の端が、意図とは反して引き攣ってしまう。

 スケールが狂っているので再三思うように伝わり難いけど、全てが真実だとすれば本当にとんでもないものを抱え込んでいることになる。とは言え口に出せば出したで、「中学三年にもなって何馬鹿な事言ってるんだ」とドン引きされること間違いなしの内容だ。


 天真くんもすっかり沈黙を守っている。そんな彼を見て、私はてっきり事態の深刻さを憂いているものと思って……いたんだけど。


「そう? あんまり深く悩まなくても良いんじゃない?」


 重苦しい私達とはいっそ清々しいほど対照的に、天真くんはへらへらと笑いながらそう言った。

 あなたは頭がおかしいんですか? と反射的に吐き出しかけた言葉を全力で呑み込んで、私は意味の分からない事を言う彼を白い目で見る。


「悧巧、亜砂の事は適当にあしらった方が良い」

「やだなぁ日比谷、冗談じゃん。俺だって真剣に考えてるって」


 そうは言うけど、天真くんの口調には真剣さが微塵も感じられない。多分、彼はこういう人なのだ。私が苦手なタイプである。

 嫌というほど彼の人間性を思い知らされながら、私には一つ気になる事があった。


「……さっき、教室で」


 唐突にそう呟いた私に、教室? との二人の言葉が重なる。


 あの時、目の前の彼が生み出した氷点下を思わせる空気。

 だから、すぐに分かった。彼があの教室の──小さな国の支配者なのだと。


 他者を踏み躙り、恐怖で支配する暴君。チトセやシノ、そしてテンリには恐らくそのどうしようもない才能がある。

 自らを王と宣う彼らは少なくともそれだけのカリスマ性を備えるのだ。


 クラスの皆は間違いなく私の前にいる人を恐れていた。いっそ、異様にも思えるほど。

 それが“テンリ”への恐怖だったのならまだ分かる。だけど……。


「あの時、天真くんは“テンリ”だったの?」


 今思うと表と裏が入れ替わった時、日比谷くんとシノはすぐに気付ける。この二人はあまりにも違い過ぎるからだ。

 でも私には天真くんとテンリの“境目”が分からない。こうしてる今も、私が話をしている彼はもしかしてテンリなのではないかとそう錯覚させられてしまうほど。


「……ふぅん、」


 私の言葉を聞いた天真くんは、猫のような目をスッと細めた。

 愉悦で歪んだ目だ。彼は終始愉しそうにしている……けど、その目にはまだ一度も光が灯っていない。

 それは、あの教室の時と同じ。獲物を見定める蛇を思わせる目。


「悧巧ちゃんは、どっちだったと思う?」


 質問に質問で返すという行為。まるで選別するような口調だと思った。


「え……いや、」


 返答に困り口ごもる。いや、別に私の中で答えが出ないとかそういうわけじゃない。疚しい気持ちがあるわけでもない。

 というか。


 正直、どっちでも良い。


 だってそうじゃないだろうか。本当にどっちでも良い。

 確かにテンリであってくれればもう少し天真くんに対する評価を上方修正出来るものの、その程度ではどうしようもないほど私はこの人が苦手だ。出会ってまだ数時間といったところだけど、それだけは確信出来る。

 彼には他者を食い物にする空気が見て取れるのだから。

 だけどいくら何でもこんな事を馬鹿正直に口にするわけにもいかないので返答に迷ったのである。


「やっぱり、面白いね悧巧ちゃんは。俺の目に狂いはなかったよ」


 そんな私の無言を一体どういう好意的解釈をしたのか分からないけど、天真くんはそう嘯くと笑みを深くした。絡み付く視線は私を見ているようで、もっと別の何かを見ているようにも思える。

 私が縋るように日比谷くんに目をやると彼は小さく首を横に振った。諦めろ、ということらしい。


「じゃあ改めてよろしく。同じ穴のムジナ同士ってことでさ」


 別によろしくされたくないのだがそうやって差し出された手を、今度はちゃんと取りつつ。


 私は新しく幕開けた学校生活の行く先を案じ、人知れず溜息を吐いたのだった。

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