第8話 目醒め

「……ん、」


 薄目を開けると、きらきらした何かが視界いっぱいに広がっていた。

 夕陽で染まる街並みを連想させるような、黄金。ぼんやりとした頭のまま、私はその意味を考える。

 金色の……何? 見覚えがあるような、ないような……。


「!!」

「いっ……?!」


 その正体に気が付いた私は勢いよく体を起こす。バネのように飛び起きた反動で、誰かと額が思いっきりぶつかって凄い音を立てる。

 頭が割れそうな痛みに泣きかけたけどそれどころじゃない。だって私の目の前にいたのはあの怖い金髪の人だったのだから!!


「テメェ! 何しやがる!!」

「ひぃっ!?」


 私と正面激突したその人はガッ!! と胸倉に掴みかかる。私だって相当痛かったのだから身構えていなかったこの人も死ぬほど痛かったに違いない。事実、赤くなった額を片手で摩っている。

 だけどあまりにも鬼気迫る様子のその人に、命の危機を感じた私は命乞いをするしかない。


「ご、ごめんなさい……!! ころ、殺さないで……!」

「ちょっ、こさぎちゃん! 怖がらせないであげて!」

「うるせぇな! 痛かったんだよ!!」


 金髪の人が舌打ちすると、突き飛ばされるようにして恐喝じみた状況から逃れる(完全に私が悪かったのだが)。わたわたと止めに入ってくれたのは見覚えのある茶髪の女の子だった。

 あんなに散々追い回されたのだ、目が覚めたと同時にその人が私の顔を覗き込んでいたのだから驚くことくらいは許してほしい。死ぬかとも思ったわけだし。

 ただ、彼女は先程とは少し雰囲気が違っていた。何だろう、髪を結んでるからかな。


「ごめんね、何度も怖がらせて」

「い……いえ、急に起き上がった私が悪かったんで……」


 覚えのない部屋にいること、隣で気を失っているらしい日比谷くんが転がっていることから変な人達に誘拐でもされたのかと怯えたが……。

 困ったように微笑みながら手を差し伸べてくれるこの人を見るに、悪意は感じられない。迷った末、彼女の手を借りて立ち上がった。差し出された手を取らないのは何となく印象が悪い気もしたのだ。


「本当にごめんね。こさぎちゃん普段はもう少し優しいんだけど……今はちょっとあなた達を警戒してるみたいだから」


 その人は苦笑して隣の金髪さんを見上げる。

 彼女はふい、とそっぽを向くともう一度舌打ちをした。


「……優しい?」


 さっき路地裏で追いかけられた時もあんなに優しくなかったのに?


「……お前追いかけ回したのは姉貴だろ。ソファに座ってる方」


 その言葉は心の中で思うだけに留めたのだけれど、金髪の彼女はまるでそんな考えを読んだかのようにそう呟いた。

 ソファ? と彼女の視線を追って自分の背後を見やると仏頂面で座り込んでいる金髪さんが、もう一人。


「え? あ、あれ?」


 私は激しく交互に彼女達を見比べた。

 金の髪に、金の瞳。雪みたいに白い肌に紅色の薄い唇、彫刻を思わせるような冷たく整った容姿……と、髪型以外の全ての特徴が一致する二人がそこにいる。


「ドッペルゲンガー……?!」

「双子に決まってんだろ」


 容赦無いツッコミに冷静さを取り戻す。それもそうだ。どうやら私は自分で思っている以上に混乱しているらしい。

 さっきと雰囲気が違ったように感じたのは、そもそも同じ顔をした別人だったからなのか。


 それにしても……これ今どういう状況?


 私の疑問が伝わったらしく、髪を二つに結っている方の金髪さんはめんどくさそうに息を吐くと、


「気絶したお前らを姉貴達が連れてきたんだとさ。ちょっと気になることがあったらしくてな」


 口振りからするにこの人の方が妹なのか。

 私と日比谷くんがここにいる理由は分かったけど、それに関して納得出来るかと言われると別問題だ。見知らぬ人達に見知らぬ場所に連れ込まれている以上、やっている事はほとんど拉致監禁である。

 結局この人達は何者なんだろう?


「あたしは水蓮寺 湖鷺。姉貴は雲雀。んで、」

「私は夕凪 ツバメ。よろしくね」

「あ、よろしくお願いします。私は千妃路です。悧巧 千妃路……」


 またも図ったかのようなタイミングで自己紹介をされ、反射的に名を名乗る。

 ちょっと口調が荒い金髪の人が湖鷺さん、もう一人の金髪さんが雲雀さん、そして小柄な茶髪の彼女がツバメさんと言うらしい。

 色々と情報量が多過ぎてパンクしそうだったのだが、かぶりを振って顔を上げるとたまたま湖鷺さんと目が合った。

 彼女は一瞬目を細めた後、軽く息を吐く。


「……ビビらせたのは悪かったよ。追い回したのも姉貴に代わって謝る」

「いや、そんな」


 バツが悪そうに頭を下げられて強張っていた肩から少し力が抜ける。

 口は悪いけど、思ったより怖い人じゃないのかも……。そもそもさっき掴みかかられたのも何度も思うように私が悪かったんだし。


「本人に頭下げさせたいとこだけどヘソ曲げやがって謝る気ねぇしな」

「え?」


 湖鷺さんの言葉に振り返ると、雲雀さんはやはり仏頂面のままソファでクッションを抱えていた。

 が、そう言われてみると何やら不機嫌そうな目でこちらを睨んでいるような気がする。


「あなた達を怖がらせた件でこさぎちゃんに怒られたから機嫌が良くないの。人目も憚らずに暴れちゃったしね」

「……逃げたから追いかけただけですし」


 むすっとしながら雲雀さんはそう呟く。それを耳聡く聞き付けた湖鷺さんは、


「反省してねぇなクソ姉貴……あんまりポンポン能力使うなって言ってんだろうが」

「だって逃がしたらまた探す羽目になったじゃないですか! もう疲れたの! ツバメとケーキ食べるって約束したのに!!」

「うるせぇな! 話進まねぇからちょっと黙ってろ!!」


 まるで母と子の言い合いのようである。湖鷺さんに怒られた雲雀さんはむすっとしながら抱え込んだクッションに顔を埋めてしまった。


「ったく……悪いな悧巧、後でもうちょいキツく叱っとくから」


 いや、別に気にしてないので……とは流石に言えず。

 だって、怖かったのだ。夢に見そうなくらいには。


「それはまぁ置いておくとしても、あの……私達に何か用があったんじゃ」


 用が無くては人は人を追いかけ回したりしないのである。

 いや、広い世の中にはそういう数奇な人もいるかもしれないがこの状況であればそれはないだろう。


「ああ、あのね。あなたを探している子がいて」


 ……探してる? 私を?

 誰だろう、全く心当たりがない。しかもこの人達を介して?

 必死で思考を巡らせたものの、やはり思い当たる節が無いという答えに行き着く。


「あいつうるせぇからさぁ。お前が本当に例の御主人様だとかいうやつなら連れて帰ってくれよ」

「ご……御主人様?」


 何、その日常生活では到底聞くことのない単語。

 人違いじゃ?

 そう言いかけた時──眠っていたチトセが私の中で目を覚ました。

 それだけならまだ良かったのかもしれない。先の事件を考えるとこの状況でチトセの意識が覚醒してしまったのは最悪ではあったが、チトセがこの人達に興味を持たないようにすれば良かっただけだ。

 だけど次の瞬間、私は湖鷺さんから放たれたとんでもない殺気に全身を凍りつかせる羽目になる。


「……動くな」


 彼女がいつそれを構えたのかは分からない。恐ろしく低い声で私を睨む彼女の手には凶悪に光るナイフが握られていた。

 それを私の首筋に突き付け、彼女はさらにその眼光を鋭くさせる。


「お前、だ? いいや……は、何だ」


 今にも殺されかねない、膨大な殺意。私にも分かるほどのそれを放つ彼女の目は私を見ているようで見ていない。

 金の瞳が暴くのは、私のもっとずっと深い部分。

 この人、まさかチトセに気付いてる……?


「こさぎちゃん、なに、急に……!」


 彼女の豹変ぶりはツバメさんにとっても異様だったらしい。しかし狼狽するツバメさんを片手で突き飛ばすと、湖鷺さんは歯軋りをする。


「夕凪、下がってろ。この女……化け物飼ってやがる……ッ、」


 やっぱり、湖鷺さんはチトセに気付いている。

 恐らくだが、彼女は常識外のものに対してかなり敏感なのだろう。理屈は分からないがチトセが目を覚ましたことで彼女にはそれが伝わってしまったのだ。

 だけどいくらチトセが常識を逸脱した何かであるとは言え、私自身に敵意は無い。というかここでチトセを刺激されると厄介な事になるに決まっている。

 だから一先ず落ち着いてほしい、と。

 そう言おうとしたのだが……。


「……そんなに怯えなくても良いでしょう? あなた、無様だわ。笑ってしまいそうなくらいに」


 私の口が、勝手にそう言葉を紡ぐ。

 いや、正確には私の体を横から奪ったチトセが、そう言って嗤う。

 自分の顔が自分では見えないように私にはチトセの表情は分からない。それでも、その言葉には最大限の嘲弄が込められている事だけは理解出来た。


 ああ……どうして、このタイミングで出てくるの……!


「嫌だわ、愚かな人間。私ね、さっきからずっと気になって仕方がないのよ。その辺りにいるただの人間とは種類が違うお前達を殺せば……どれくらい力が戻るのかしら」


 悠然と、その宣告は告げられる。

 支配者としての風格を、当たり前のように漂わせながら。

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