第14話 「いやこれ不法侵入ですよね」
湖鷺さんの後をついて私は小綺麗な通路を歩いている。ちなみに雲雀さんは付き添いを断固として拒否したので扠廼と残ってもらった。一応シノが暴れたりしたら雲雀さんにはすぐ逃げてほしいとの旨は伝えたけど、扠廼はシノなら起きる気配が無いから大丈夫だとあまり根拠の無い自信に満ちていたのがちょっと不安である。
そんな私達が向かうのは件の蛇女さんの所だ。この呼び方は非常に失礼極まりないことは分かっているけど名前が分からないので仕方ない。聞くタイミングを逃したまま今に至る。
それにしてもチトセ達について詳しく知る可能性があるという話だけど、果たして本当に知っているのだろうか? 知っているとすれば何故そんな事の知識があるのか疑問で仕方がない。
あと、もし仮にその情報が得られたとして私達はそれを有意義に使えるのだろうか。だけど問題先送り主義の私はとりあえずその悩みを放棄した。これ以上色々考えると頭がパンクしてしまう。
「そうあちこち見回さなくても普通のマンションだろ」
「なんか、こういうのって楽しくて」
「……?」
連れられてきた時は気を失っていたので、つい忙しなくマンションの外観を確認してしまう。
ほとんどの表札に名前が無いことからあまり人は住んでいないらしかった。湖鷺さん曰く「普通の奴は寄り付かねぇしな」とのこと。
これは随分後になってから知ることだが、このマンションは能力者の巣窟なのだそうだ。
「ここだ。……機嫌悪くねぇと良いけど」
不穏な呟きと共に湖鷺さんが足を止めたのは三階のとある部屋の前。ツバメさんの部屋が六階の端にあった事を考えると(ちなみに湖鷺さんと雲雀さんはそのすぐ隣に住んでいた)、この部屋は階の丁度真ん中辺りに属している。表札には綺麗な文字で“
湖鷺さんはインターホンは鳴らさずに、玄関扉をかなり乱暴にノックする。
「おい、いるだろ。話があんだけど」
湖鷺さんは逡巡した素振りを見せた後、ドアノブに手を掛けた。これものちに知ることだがここに住む人達は防犯意識が甘いのか家主の許可無しに勝手に部屋に出入りする。
もしかしたら留守なのでは。
前評判の悪さから密かにそれを期待していた私は、扉が開く様子を見て肩を強張らせた。
……ものすごく怖い人が出てきたらどうしよう。自慢ではないが、私は思ってることが全身に出てしまうタイプなので全力で拒絶してしまうかもしれない。
「とりあえず、あたしが話付けるまで大人しくしてろよ」
湖鷺さんにはそう釘を刺され、大きく首を縦に振る羽目になった。
彼女は少し用心したように中を覗き込んでいたけど、溜息の後に手を招く。入れ、ということらしい。
中に入った途端に怪しい女の人が仁王立ちしているのではとも思ったが予想に反して誰もいなかった。
玄関には一足も靴が置かれてないしやっぱりいないんじゃ?
そう思いながら見ただけで掃除が行き届いていると分かる廊下を見回すと、甘い芳香と土の匂いが鼻をつく。
白い下駄箱の上に、見事な花を咲かせる植木鉢が所狭しと並べられているからだ。花には詳しくないので種類は分からないけど、園芸向けの花をこんなに沢山室内で育てるのはかなりの手間だろう。それなのにこうもきっちりと手入れされている辺り、この家の人は花がとても好きなのだろうなと思う。
そんな事を考えつつ湖鷺さんに促されるまま靴を脱いで家に上がらせてもらった。家主不在疑惑はまだ残るけど、控えめに「お邪魔します」と呟くことは忘れない。
ほぼ不法侵入に近い状況で誰かが家に入ってきたら、普通顔を出すものじゃないだろうか。それとも慣れているのか……。
「……げっ」
迷わずにリビングに足を進める湖鷺さんについて行くと、彼女は部屋の様子を見るなり「うっっっわ」という“やらかしました”みたいな顔をした。雲雀さんとは正反対で、この人はかなり表情が豊かだ。隠すべき表情が丸見えだとも言う。
「どうしました? ……あ、」
彼女につられて白いリビングに足を踏み入れる。真っ先に目についたのはやはりあちこちで咲き誇る花々──ではなく、テーブルに伏して寝息を立てる女の子だった。
長く艶やかな黒髪に、溶けて消えてしまいそうな白い肌。ほんのりと色付いた頬に桜色の薄い唇。白で統一されたこの空間さえ彼女の存在を引き立てる道具と化している。
お人形みたいだ、と思った。ビスクドールのような計算された精巧な美しさは、いっそ厳かにも見えるほど。白いブラウスとミニスカートがあつらえたように似合っている。
可憐、という言葉は彼女の為にあるのかもしれない。
この子が、件の人なのだろうか?
こんな私よりも幾らか歳下であろう女の子が……?
何だか今ここにいる事そのものが、とてつもなく場違いなように感じられて私は縋るように湖鷺さんを見た。しかし彼女は苦虫を噛み潰したような顔のまま、一歩後ずさる。
「……戻るぞ」
「え?」
「今起こしたらマジでめんどくせぇ。何につけても誰かに自分がやってる事邪魔されるとキレやがるから」
困惑する私を余所に、湖鷺さんは踵を返した。彼女は問答無用で私の腕を掴み外へ引き摺り出そうとする。
でもあんな風にうたた寝してたら風邪を引いちゃうんじゃ……。か弱そうな女の子なんだし……。
「……知らぬが仏ってマジだよな」
はぁ、と重く息を吐く湖鷺さん。すっかり私も慣れてしまっているがこの人は心の声に返事をし過ぎじゃないだろうか?
ちなみにこれは随分後になってからの話なのだが、「お前は雑念が多過ぎて勝手に声を拾っちまうんだよ」と何故かお叱りの言葉を頂戴する事になる。
ともあれ、私の“起こしてあげた方が良いのでは”という主張は完全に封殺された。私が渋ったからか、とうとう突き飛ばすように背中を押されてしまう。
玄関へ向かえ、という無言の圧力。この人には色々と負い目もある為逆らうわけにもいかなかった──のだが。
横並びになってリビングを出ようとしていた私達の丁度間。顔の真横をヒュンッ! と何かが通り過ぎた。
そのまま真っ直ぐと廊下を突き抜けた飛来物は、直線上にある玄関扉に突き刺さる。
ジャラリと不穏な音を立てるそれは背後から伸びた、銀の鎖だった。鎖の先端にはクナイのような小さな刃物が付いておりそれが扉に刺さったのだと遅まきながらに理解する。
……いや、何の冗談?
下手なところに刺さりでもしたら死ぬような物が、何で突然後ろから飛んでくるの?
声すら出なかったのは多分呆然としていたからだ。理解を拒みながらも、私はわなわなと肩を震わせている湖鷺さんと同時に振り返った。
「……人様の家に許可無く上がり込んでおいてその態度とは、一体全体どういう了見だ?」
刹那、私は目を見開く。先程まで眠っていた少女は頬杖をついてこちらに体を向けていた。
意識を奪われたのは、彼女の容姿。さっき感じたようにやはり彼女は人形のように整った顔立ちをしている。
何よりも、その目。黒曜石のような輝きを持つ黒い右の瞳と──熟れた果実のように赤い、左の瞳。作り物のような、不自然な光が宿る赤い目は私と湖鷺さんを映している。
オッドアイの少女は、私達に向かって左腕を真っ直ぐに突き出していた。白いブラウスの袖口からは銀の鎖が伸びている。彼女がスッと腕を引くと、たったそれだけで空気に溶けるようにして鎖は姿を消してしまう。
ただただ思考を放棄していた私は動けなかったけど硬直から先に解かれたのは湖鷺さんだった。
「
その凄みに、ひぇっと心臓が跳ねる。だが桜華と呼ばれた彼女は怯むどころか、背筋が凍るほど冷たい笑みを浮かべてこう述べた。冴え冴えと輝く彼女の両の目には、バッチリと怒りが浮かんでいるのが見て取れる。
「その言葉はそのまま返そう。聞こえなかったのか? どういう了見だと聞いている」
「どういう了見も何もさっきのお前問答無用だったろうが!」
「何故不法侵入してきた輩にこの私が手心を加えてやらなくちゃならないんだ? 当てなかっただけマシだと思えこの愚図が」
至極真っ当なご意見である。湖鷺さんが当たり前のような顔をしてドアを開けたので流したものの、やはりそれなりに非常識な行動だったのだ。
何かの悪夢ではないかと疑いたくなるほど、可憐な見た目とは対照的に口の悪い彼女はゴミでも見るかのような目を湖鷺さんに向けている。湖鷺さんと言い、こうも見た目とのギャップが激しいと目眩がしそうだ。
即座に、湖鷺さんの“癖が強い”という言葉の意味を理解した。
この子は色んな意味で一度見たら二度と忘れられないだろう。
「不法侵入とか今更だろ!? ここの連中、誰一人インターホン鳴らさねぇだろうが! 第一、馬鹿正直に呼び鈴鳴らしたってお前出ねぇだろ!」
「何故私が厄介事を持ち込んでくると分かっていながらお前の応対をしてやらなくちゃならないんだ。そして開き直るな。通報されたいのか」
うーん、これは湖鷺さんを擁護出来そうにない。その上、通報されては私もただでは済まないのでここは穏便に解決したいところだ。
「分かったらそこの女を連れて出て行け。今いなくなるのであれば不問にしてやる」
「はいそうですかって帰るわけねぇだろ! 用があるから来たんだっつうの!」
さて、どうしよう?
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