第21話 幕間.破滅を齎す者

 硬い足音が辺りに反響する。

 大理石で構築された通路は、無限に思えるほど長く続いている。

 周囲を照らすのは壁に掛けられた燭台の炎。ぬらぬらと光を放つそれらは、壁を舐めるような輝きを伴っていた。


 灯りはあれど、人の気配は無い。そんな広大な城の中を闊歩するのは一人の少女。

 蒼く煌めく長髪を靡かせる彼女は、巨大な扉の前に辿り着くと足を止める。玉座の間へと続く扉だ。人一人の力では到底開ける事など出来ないように見えるが、彼女は気にする素振りも無く扉を見上げた。


け」


 ギィ、と音を立てて扉がひとりでに開く。黄金の玉座だけがぽつねんと設置されているそこは、この城の中枢部とも呼べる場所だ。

 彼女はゆるりと歩を進め、玉座の側で跪いている男に視線を投げる。


「御帰りを、お待ちしておりました、我が君──チトセ様」


 長い藍の髪を一括りにした男は、恭しくこうべを垂れた。鋭さを宿す藍色の目は、自身の仕えるべき主人へと向けられている。


「そう……封印を解いたのはお前だったの、アマテラス」

「はい。魔術師共が主君らに施した封印は、あくまで“六大陸の主”を縛る為のもの。従者たる私への影響は主君に比べると軽微だった模様。数年前に一足先に戒めから逃れ、封印の補助を行なっていたと思われる各所の六つの魔法陣を破壊しました」


 そう、とチトセは大して興味も無さそうに呟いた。男を労うことはない。彼女にとっては当然のことで、また、彼にとっても当たり前のことだからだ。

 彼女は玉座に腰を掛けると大きく溜息を吐く。


「何故他の五人も封印を解いたの? どうせなら眠らせたままで良かったのに」

「それに関しては私の至らなさゆえ。全ての封印が連動していたらしく……主君をお救いすると同時に、残る五人の角の主の戒めも解かれてしまったのです。処罰でしたら、何なりと」

「……まぁ、構わないわ。お前以外の従者は何を?」

「主君が封印された影響で、力及ばぬ者は全て消滅したのでしょう。それ以外は恐らく、主君らが眠りにつかれた直後に魔術師の残党に殺されたものと見ております。私だけが何故、難を逃れたのかは不明ですが……」


 求められた事柄だけを淡々と述べ、アマテラスは口を閉ざした。

 千年を超えた眠りの果ての再会と言えども、彼らの間に感傷は無い。

 六の大陸を統べる覇王と、それに仕える配下の一人。彼らの関係はそれ以上でも以下でもないからだ。


「お前だけが残った理由などどうでも良いわ。人間程度に遅れを取る愚か者も我が配下には不要。従者など放っておいても勝手にこの城が産むでしょう」


 人として生き、そして死んだ者が、六大陸に鎮座する六つの城それぞれに産まれ落ちる。

 それが六大陸の主と呼ばれる存在であり、チトセもその中の一人だ。

 言わば人として過ごした生は前世。そしてアマテラスのように従者や配下といった者達も基本は同じ。

 ただし六大陸の主が赤子の姿で転生するのに対し、従者達は成熟した姿でこの地に産まれ──ただ主人に仕える道具として搾取される。彼らに前世の記憶などなく、あるのは自身の主への盲目的な忠誠心のみ。

 加えて、配下は主人が望まなくとも城そのものがいつの間にか勝手に増やしてしまう。つまりいくら失おうと替えが利く。それ故に、チトセは彼らを顧みない。


「それにしても、ある程度同族を手に掛ければ憎き魔術師共が姿を現わすものと思ったけれど……結局、何事も無いまま体が手に入ったわね。もう一度この身を滅ぼすべく接触してくるだろうと踏んでいたのに」


 力を取り戻す事が最優先であったとは言え、彼女は何も闇雲に人間を殺していたわけではない。

 現代は、彼女が思うより遥かに平和だった。だからこそ事件を起こせばそれなりに目立つ。自身の脅威を知る者がこの世に存在するのであれば、近付いてくる事もあるだろうと思っての事だったのだが……。


「戦争の当事者達は寿命を迎えておりましょう。そうでなくとも、主君らの存在は既に時の流れと共に風化しつつあります。今後も、人間が主君に楯突く可能性は極めて低いかと」


 その言葉を聞いた少女はくつくつと笑う。


「この私をあれほど憎み、畏れていたというのに?」

「恐れながら、人は忘却と共にある生き物ゆえに」


 恐縮したように再び頭を下げる己の従者に、少女は目を細めた。その瞳に宿るのは嘲りの色。

 人が己を忘れゆくと言うのなら、それもまた良いだろう。

 恐怖に支配され、勝ち目の無い戦争の火種を蒔いておきながら、しかし時代が変わればそれすらも記憶の中に埋もれてしまう。

 それのなんと滑稽な事か。あまりの愚かしさに、初めて人を愛おしく思えてしまいそうな程に。


「どうせ、かつてのように人間がこの私に歯向かったところで大した事など出来ないのはあの戦争が証明している。他の“角”の主も……その内この地へ戻るだろうけど、奴等も私の足元にも及ばない」

「……では?」

「力さえ全て戻れば、後はに」


 彼女はそう告げると、アマテラスを手で追い払うような仕草をする。


 これまで通り。その言葉は戦争が起こる前と同じく「自分が生きる為に一定の人間は殺し続けるが、それ以外には特に手は出さない」という状態を続ける事を指す。これは彼女なりのポリシー……でも何でもなく、ただ単に面倒臭いからである。

 一定数の人間を狩れば生きていく分には事足りるし、それに関しても従者達が表の世界で勝手にノルマをこなしてくる。彼女自身はこの城でただ悠然と構えているだけで良い。やっている事は単なる引き篭もりだが、少女にはそれが許されるだけの権威があった。


 少し前までは、封印などという形で自分の顔に泥を塗った人間達に目にものを見せるのも一興かと考えていた。しかし、自身の体が手に入りこうしてこの地へ戻った以上、そんな事に拘る理由も無い。

 アマテラスが言うように当事者達はもう生きてはいないだろう。そもそも封印の魔術なるものを実行した六人の魔術師は、その術の行使と引き換えに命を落としている。

 彼女が依り代としていた少女は、チトセが表の世界を焦土と化そうとしていてもおかしくはないだろうと考えている事だろうが、そんな面倒な事をするメリットはこの大魔王には無いのである。


 彼女が一度そう決めた以上、配下はそれに従うのみ。だが返事もせず、下がろうともしないアマテラスに視線を落としてチトセは眉を寄せる。普段であれば──封印される前の話だが──「御意」と、一言そう口にしていなくなったはずなのに。


 彼は、他に言いようのないほどの忠臣だ。少々頭が固く融通が利かないのが欠点だが、それでも彼に勝る忠誠心を携える配下は過去にもそういなかった。

 訝しむ主人に気付いたのか、彼は跪いたまま言葉を紡ぐ。


「それは、なりません」

「……なに?」


 アマテラスが主人の意見……否、意思を否定したのはこれが初めての事だった。

 出来た配下は、主人の誤りを正すのも務めだと言う。だが、彼らは違う。

 この六の大陸の絶対的な支配者──六角、チトセ。この地では彼女こそが法。故に口答えなど許されない。彼女以外のこの地の全ては、彼女にのみ従えばそれで良いのだから。

 配下だろうが何だろうが、彼女の機嫌を損ねれば与えられるのは死という終わり。


 だから彼女は、暴虐と破壊の象徴であり、そして暴君だった。

 アマテラスも当たり前のようにそれを理解しているはず。この瞬間に、自身の首が飛んでも何一つ不思議は無かった事を。


 しかし幸いにもと言うべきか、今の彼女はその程度で目くじらを立てるほど狭量ではない。封印の影響で丸くなった──のではなく、単純に今この瞬間の機嫌が平時よりも良かっただけの話だ。気が変わればその瞬間にアマテラスは肉塊に変わるであろう、その程度のほんの気紛れ。


 少なくとも、アマテラスには命を賭す覚悟のあった一言だったはずだ。


「私の考えを述べても宜しいでしょうか?」

「許す」


 少し考え、チトセは彼の言葉を聞き入れる事にした。

 戯言だったのなら、無駄な時間を使わせた罪は重い。その後に処分すれば良い話だ。従者などその気になれば代わりはいくらでも作る事が出来る。


「かつて、人間共が犯したのは許されざる愚行。主君に弓引いた事が……ではありません。主君に敵意などという身の程知らずな感情を抱いた事。それこそが、人間が犯した罪」

「……」

「確かに、戦争の当事者達は生き絶えたでしょう。しかし根絶したわけではありません。子孫は必ず生きている──否、奴等と同種族たる“人間”という下等生物が、あの世界にはまだ数十億と蔓延っております」


 彼はそこで言葉を区切り、主人の目を真っ直ぐに捉える。

 藍の瞳に浮かんでいる感情をあえて形容するのであれば、それは憎悪と呼ばれるものだろう。


「根絶やしにすべきです」

「……へぇ」


 断言したアマテラスに、チトセは愉快そうに口の端を吊り上げる。

 彼の意見に同意したからではない。その結論に辿り着いた彼が意外だったのだ。


「人間が完全にいなくなれば、私はこの体を保てなくなるのだけれど?」

「一定数のみを残し、この城の地下で家畜として飼育しましょう。その方が効率も良いかと」

「…………この私の城に、屠殺場なんて不愉快な物を作ると?」


 ピリ、と空気が張り詰める。アマテラスの言葉が気に食わなかったらしく、少女は射殺さんばかりの目で男を見下ろした。

 臆した素振りは見せずアマテラスは続ける。


「先を見据えた上でお考え下さい。今後も、魔術師共のような愚者が現れるやもしれません。無論、主君が敗れるなど有り得ない事ですが……しかし、という事もあります。その時は封じられるのではなく──

「……──」


 少女は、押し黙る。

 少なくとも彼の言葉は彼女を思考させるに足るだけの意味を含んでいた。


 人間に、敗れる。殺される。

 考えられない事だ。有り得ないと言っても良い。

 だが……絶対ではない。千年以上封じられた事も、想像すら及ばなかった事態だ。故に確率は限りなくゼロに近いと言えど、完全なゼロではない。

 それを理解した時、チトセは小さな溜息を吐いた。


 認めなくてはならないだろう。


 かつて、自分は人を侮り過ぎた。


「そう……そうね。今度こそ完膚無きまでに叩き潰しましょう。人間は、いつか脅威となる可能性を秘めている。であれば、奴等の歴史に終止符を打てば良いだけの話」


 少女は──少女の形をしただけの化け物は、一つの決断を下す。

 かつて人であった身でありながら、何処までも冷酷に。


 人間などもう、不要だと。


「アマテラス。まずは、他の角の主達と接触なさい。あれらが敵に回るか否かを見定めなくては」


 御意、と。そう口にして男は即座に姿を消した。

 未だ玉座に腰掛ける彼女は、一人静かに目を閉じる。他の角の主と手を組もうなどと考えていないが、相手の出方ではする必要があるだろう。


 一角も五角も自分の興味を優先させる傾向にある。暫く放置しても問題は無い。

 三角はこの際どうでも良い。弱過ぎて顔も覚えていない。

 残るは二角と四角だが、彼らは性質上こちらを阻むことはないはずだ。

 第一、仮に五人全員と敵対する事になったとしてもそう大した害にはならないだろう。蹴散らせば良い。


 そう考え、彼女は大きく息を吐いた。

 目下の問題はやはり、失った力を取り戻す事だ。


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