第32話 ゆっくりと忍び寄る終わり

 その後、目を覚ました扠廼がシノのままで暴れ出したり……ということはなく、天真くん達は色々な話をしたらしい。まぁ、起きたばかりの扠廼を宥めるのは少し大変だったけど。無理もない。一歩間違えたら天真くんはもういなかったのだから。

 縛り付けたままでは忍びないので、相談した上で縄は解いた。テンリもシノも活動時間が極端に減っているのは間違いないらしい。「起きる気配はない」という意見は湖鷺さんも同じだった。


 扠廼は天真くんに負い目があるように見えた。だけどそれは天真くんも同じ。嘘偽りない本音で話をしてお互いすっきりしたみたい……なんて。この先の話は機会があったらにしよう。


「……というか天真くん、大丈夫? 相変わらず顔色悪いけど」


 心なしかやつれているようにも感じる。湖鷺さんと私で情報集めとかしておくから帰ったら? という意味での言葉だったのだけれど、天真くんは何故か馬鹿にしたように笑った。


「大丈夫なわけないじゃん。死にかけたんだよ?」

「そ、そうだよね。ごめ、」

「悧巧ちゃんってデリカシーないなぁ、ホント! そこは俺の体調を気遣って飲み物くらい買ってきてくれても良くない? 気が利かないんだから」

「……扠廼、この人ぶっ飛ばしていい?」


 申し訳なさが秒で消えた。めちゃくちゃ腹立つな。何だこの人。何様のつもりなんだろう。

 扠廼は天真くんのこういうところも諦めて好きにさせてたみたいだけど、生憎のところ私と彼の間にそんなある種の信頼関係は芽生えていない。


「うわぁ、野蛮。それよりさ、悧巧ちゃんの知り合い? そこの怖い金髪のお姉さん」


 もう相手しないようにしよう。私の心配を返してほしい。時間の無駄だった。


 天真くんが指さしたのは当然、湖鷺さんだ。湖鷺さんが色々なことを踏まえて私にあんな話をしたのは分かっている。むしろ、黙って寝首を掻くことも出来るだろうに彼女は宣戦布告のような真似をした。それは湖鷺さんなりの誠意の現れだろうと思う。

 湖鷺さんにそんな選択をさせない為にも気を引き締めないと。……へらへら笑っている天真くんにそういう緊張感は初めから期待しないにしても。


「知り合いというか恩人というか……扠廼にも聞いたでしょ? 今朝の話で出た天真くんと同じ力を持ってる人」

「えっ、同じ? なにそれ」

「お前……やっぱり全然聞いてなかったな」


 能力者の存在について改めて話をする。

 そんな人達もいるのだから、テンリ達をどうにかする方法も見つかる可能性があると。しばらく黙っていた天真くんは、「俺だけじゃないんだ」と小さく、本当に小さく呟いた。まるで、自分に言い聞かせるみたいにして。


「お姉さんの考えてることが分かんないのもそのせい?」

「……あー? さっきからあたしのことチラチラ見ながら訳分かんねぇこと考えてやがると思ったらそういうことかよ。お前の力があたしより格下なんだろ。同種の能力は格下が格上にぜってぇ負けるしな」


 能力にもそういうのあるんだ。どっちも同じものだと思ってたけど。

 湖鷺さんに馬鹿にするような気配こそなかったものの、明確な“下”発言だ。天真くんもちょっとは不快そうにするかと思ったのに、何故か彼は嬉しそうにしていた。琴線に触れるポイント意味不明だな。まぁ彼はずっと意味不明だし良いか。


「お前、コイツ嫌いなの?」

「え? いや、嫌いというか全く好きじゃないだけですけど」


 湖鷺さんの言葉にそのまま本音で返す。天真くんの顔が笑顔のまま引き攣ったけどどうでも良い。

 こういう愉快犯みたいな人は、好きじゃない。

 彼は、ある種の“笑顔”という完璧な無表情を顔に張り付けているのだと思う。それが意図してのことなのか彼にも自覚が無いのかは分からないけど、どんな事情があれ私がそういう人が苦手だという事実は変わらないのだから意味は無い。湖鷺さんがぼそりと「容赦ねぇ女」と呟く。


「その辺は置いておくとして、とりあえず悧巧の言う通りではあるだろ。お前ら帰れ。一人だけならともかく二人とも連れ歩くのは無理だ。何かあった時に悧巧を庇えねぇ」


 うっ、やっぱり私ってお荷物……。

 そもそもここまでも何の役にも立ってないんだし。しょげていると、湖鷺さんは溜め息を吐きながら私を小突いた。


「情報を聞き出すならお前らよりも美濃の方が適してるしな。お前らの役目は何もしないことだ。それに、昨日の今日とは言え六角が静かなのも不気味だ。何が起きるか分かんねぇし、家の中にでも閉じこもってろ。何ならもう全身ベッドに括り付けて寝てろ」

「囮にするなら動いていない方が良い。括り付ける云々はともかく俺はそれで構わない」


 扠廼に続いて「俺も俺もー」と手を挙げる天真くんはつとめて軽い。囮って。二人ともこっちが言い難いから黙ってたこと平気で言うなぁ……いや、多分気を遣ってくれたんだと思うけど……。


「というか、そうそう! 今朝は流してたけどチトセいなくなったんだって? もっと大袈裟に言ってよ!」

「……今朝の状況で? 天真くん怒ったでしょ絶対……」

「悪霊を除霊出来たみたいなもんでしょ? 何で悧巧ちゃんそんなテンション低いの? お祝いの時とか一人だけ澄まし顔で部屋の隅っこにいるタイプ? うーわ、めっちゃ暗いじゃん。ウケるぅ」

「何ですかその最悪過ぎるイメージ」


 というか人の話全然聞いてないなこの人。誰のせいで昨日から悶々としながら過ごしたと思ってるんですか? 

 勿論天真くんも扠廼も悪くはないけど、それでも当事者のこの人がこのテンションなの絶対おかしいでしょ。


「亜砂……気に入った相手にそのノリで絡む癖直せ。見ろ悧巧の顔。お前の好感度凄い勢いで下がってるだろ、絶対」


 ええ、気に入られたの? その態度で? だとすると願い下げなんですけど……。

「悧巧も悧巧で取り繕う気が無さ過ぎるんだよ」と湖鷺さんの声が聞こえたけど無視する。


「それで、まぁ今朝はごたついてたし俺もチトセがいなくなったの知らなかったからさー。気にしてなかったんだけど、皆はニュース見ない派?」


 全員の間に漂う微妙な空気を気にも留めず、天真くんは携帯を操作し始める。

 私の場合、見る派か見ない派かで言えば好んでは見ない。学校に行く準備をしている最中に情報番組を点けっぱなしにしていることは多いけど、今日はネルの相手で手一杯だったから一切見ていない。湖鷺さんは「興味ねぇ」とばっさり切り捨て、扠廼も扠廼で「シノが起こした事件がニュースにでもなっていたら気が滅入るから見ない」とのことだった。それは分かる。


「静か過ぎって言ってたし、やっぱり皆知らないんだ? 。日本時間で言う昨日の夜くらいから、まるで神隠しにでもあったみたいに目の前で人が消えるんだって。タイミング的に……ねぇ?」


 猫のような目が愉快そうに細められる。だけど面白がっているわけじゃないのは明白だ。嫌なものを見て、それを嘲笑うことで記憶から消してしまおうとでも言うような表情だと思う。

 息を呑もうとして、それすらも上手く出来なかった。


「目の前で惨殺されたり、そうでなくとも消えた後に死体で発見されたりすればもっと大騒ぎになってるだろうけど……反応は微妙だね。俺達の周りだっていつも通りだったんだ。煙みたいに人が消えるって話だから、きっと恐怖が湧かないんだよ。ニュースでも誘拐とかよりは集団失踪扱いされてる。だから、危機感が無い──パニックにならない」


 嫌なやり口だよね。そう呟いて天真くんは口の端を歪めた。

 そうだ。やり方としては厭らしい。狙ってやっているとするならば──だけど。


「学習したのかな。全面戦争を仕掛けて失敗した。その結果が封印だ。だけど恐怖が爆発する前なら、そもそもの仕業か分からないなら──人間が化け物に勝てる道理は無い。パニック映画と同じ原理だよ。人間は敵が見えると団結出来るけど、そうじゃなければ手を取り合えない」


 ほぼ無意識ながらに携帯を開いてニュースの一覧を見ようとする。検索サイトのホームページには天真くんの言う通りの内容がずらりと並んでいて、だけど開いた記事のコメント欄は何処か他人事のような言葉が多かった。それこそ、映画のようだと面白がってるみたいな。

 私だって実感は無い。タチの悪いドッキリなんじゃないかとも思う。そんな風に考えてしまう時点で、きっと相手の思う壺なんじゃないだろうか。


「俺から提供出来るのはこれくらい。後は自由が利く君達で何とかして……なんて、それはナシか。どっちかと言うと俺達がお願いする立場だもんね」


 一瞬、天真くんが空を仰いだ。まだ陽は十分に高い。怒涛の一日ではあったけど、締め括るには早過ぎる。

 本来なら自殺未遂までした人から当分目は離せないんだろうけど、天真くんはもう大丈夫だろう。私の感覚に根拠は無いけど、大丈夫じゃなさそうなら彼の心も問題なく読めるらしい湖鷺さんが何か言ってくれてた……はず。湖鷺さん、妙に初対面の相手に厳しいからちょっと怪しいけど。でも何だかんだでお人好しだしな。


 そんなことを考えていたところ湖鷺さんがめちゃくちゃ嫌そうな顔をしたので思考にブレーキを掛ける。ブレーキを踏んだからちゃんと止まるかっていうとそれは別問題なんだけど。


 扠廼と一緒に私達に背を向けた天真くんは、「ああ、そうだ」と半身だけ振り返った。

 明日の予定でも尋ねるかのような調子で。


「遅くなったけど、助けてくれてありがとう」


 そう言って眉を下げた彼の表情は、初めて見る心からの笑顔だったような気がした。

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