終章 

そして鬼嫁は君臨する

 あの騒動から十日ほどが過ぎた。

 付喪牛の人々もタマバミサマの騒動に関して、あまり口にしなくなって来ていたし、それどころか皆んな何かスッキリしたような顔をしているようにさえ見える。


 結局、鉱山は何の変哲もない、ただの洞窟に戻ってしまったが、殆どの家が兼業農家であったし、全員がすぐに別の仕事を見つけられたわけではないが、それほど家計が切羽詰まっているというわけでもないようだ。

 それに最上分家の者たちから、あまり良い待遇を受けていなかったという話も月人は小耳に挟んでいた。

 詳しい事はわからないが、村人たちも何かしら柵みがあったのかもしれない。


 ヨシ爺さんは相変わらず、この集落の片隅で暮らしていたが、やはり人と接する事は苦手なようで、これまで通りぶっきらぼうである。

 しかし、タマバミサマの呪縛が解かれた事もあって、いつになるかは分からないが、ようやく普通の人と変わらぬ死を迎えられる事に安堵したようでもあった。


 あの一件の後、月人はヨシ爺さんから弓月の母親について少しばかり聞いていた。

 飽くまでヨシ爺さんの想像を出ないが、彼女は付喪牛を出る前、既にタマバミサマと最上家に纏わる忌まわしい約定の事も知っていた。

 恐らく弓月の母親が最上分家の者たちと関わろうとしなかったのも、付喪牛に近づこうとしなかったのも、いざとなったらタマバミサマとの約定を破棄するつもりでいたからなのかもしれないという。

 分家にも付喪牛にも関わらなければ、月人が悩んだように、関わりのない者たちに情が湧いてしまうという事もないだろうという自分の、人の心の弱さを知っていたからなのだろう……と。

 しかし、それを娘に伝える間もなく彼女は逝ってしまった。

 結果として何も知らされずにいた月人がその重荷を背負わされる事になってしまったが、皮肉にも月人はその人の心とスバルという鬼の子に救われる事になったわけである。


 ともかくも、ようやくこれまでと変わらない日常が戻って来た。

 いや……変わらないというと語弊があるかもしれない。


「ぬ……。うぬぅ……。こ、この……!」


 これから、いつも通りに登校しようという平日の朝。朝食が並べられた居間でスバルが箸を手に悪戦苦闘している。

 ご飯と味噌汁、おかずはほうれん草とベーコンの炒め物に昨晩の残り物の筑前煮。

 スバルは先ほどから、この筑前煮に入っている里芋と格闘している。

 箸で掴もうとする度に里芋は箸の先から逃げて転がって行く。

 さらにそれを掴もうとするも、今度は味噌汁の中へポチャリ……。


「ううう……」


 忌々しげに味噌汁に浸かった里芋を見下ろしていた。

 決して箸の扱いが下手になったわけではない。こればかりは仕方ないのだ。

 スバルの着ている制服の右袖は中程からダラリと垂れ下がっている。

 処置が早かったお陰で傷口が膿んだりする事もなく、順調に傷は塞がって来ていたが、失ってしまった利き腕の肘から先が戻って来ることはない。

 そのため文字を書くのも、今のように食事で箸を扱うのも慣れない左手を使う事を余儀なくされている。

 だから、いつも食事の度にこうして料理と格闘する事になっているのだ。


 そしてしばらく格闘すると、決まって、


「月人ぉ~」


 隣りに座っている月人に泣きついてくる。


「ああ、はいはい」


 本人のために出来るだけ助けないようにはしているが、それでも朝は早く出なきゃならない事もあって、月人も仕方なく食べるのを手伝ってやる。


「ほら、口開けて」

「あ~」


 大きく開いているスバルの口へ筑前煮のコンニャクを運んでやる。モグモグと噛みしめるその顔はニコニコとご満悦だ。

 他方、弓月はその向かい側で黙って味噌汁を啜っている。

 少し前であったら、スバルが月人に対してこんなバカップルのような要求をしてきたら、すかさず弓月が止めに入ったであろう。それこそお玉だお盆だでスバルの頭を殴るのは当たり前。

 けれど、あの一件以来、弓月はスバルに対して随分と寛容になっていた。

 タマバミ祭りの際に倒れてから、僅かに断片的な記憶はあるが、あとになってスバルが自分たちを救ってくれたという話をあらためて聞くと「そうだったんだ……」と、嬉しそうな、しかし申し訳なさそうな複雑な顔をしていた。

 それからスバルが病院での治療を終えて、この屋敷に戻って来ると、弓月は突然、


「月人ニイのお嫁さんという事は認めてあげる!」


 と、月人本人の意思とは関係なく家族公認を宣言してしまったのだ。

 さすがにその時はスバルも呆気に取られて返答に困っていたが、弓月は「一応、感謝はしてるんだから……」と、スバルの聞こえないところでボソッと呟いていた事を月人は知っている。

 それ故、遠慮もあってか、こうして多少の事には目を瞑っているのだ。思うところはあるのだろうが、見て見ぬ振りをしているといった態でもあった。

 だから……という訳ではないが、月人もスバルの事で弓月に助けを求める事ができなくなっていた。


「ふはぁ~。食べた食べた」


 普通の人の数倍の量は食べて、満足したようにお茶を啜る。

 こんな事もあるから、これまでより早めに起きるようにしているから良いものの、そうでもしなかったら月人はスバルの世話で遅刻するところだ。


 スバルは食事を終えると居間の隅にある床の間へ躙り寄る。そしてそこに置かれた物を眺めてニンマリとしていた。


「何もわざわざそんなところに飾らなくてもなぁ……」


 床の間に飾られていたのはタマバミサマに腕を切り落とされた際、一緒に折れてしまったツノの先であった。

 スバルの右腕はそのままタマバミサマに飲み込まれてしまったのだが、ツノはタマバミサマが吐き戻していたのか、村の子供が拾って屋敷までわざわざ届けてくれたのだ。

 それからというもの、スバルはこれまで床の間に飾ってあった白磁の花瓶をどこかへ勝手に片付けて、どこからか仰々しい台座まで手に入れて来て自分の折れたツノの先をこうして先祖の宝でもあるかのように飾っている。


「小さくてパッと見、何が置いてあるんだか分からなくないか?」


 居間が広い分、床の間も大きいため、いくら立派な台座の上に置いてあっても小さなツノの先っぽは目立たないのだ。


「ワァの名誉の負傷を示す物だからな。こうして飾っとくんだ」


 身を挺して月人を守り、傷を負った事がよほど誇らしかったのか、大きな床の間におおよそ釣り合わない自分の小さなツノを惚れ惚れするように見とれている。それも毎朝毎朝、飽きもせずにだ。


「何だか珍しい恐竜の牙を発見したって騒いでる化石マニアみたい……」


 弓月からも呆れられている始末。

 月人は思わず「ぶふっ!」とお茶を吹いてしまった。

 なるほど……言われてみればスバルのツノもああなってしまうと恐竜の化石か何かにしか見えない。

 


「何だい何だい! 二人してワァをバカにしてさ。まるでワァのした事が骨折り損みたいじゃないか!」


 頬をプクッと膨らませているスバルは可愛らしい。そこには威厳も何もない、ただの女の子の姿があった。

 ただ単に鬼と人間という種族の違いだけ。こうしていればスバルも年相応の女の子でしかないと、あらためて実感させられる。いや、精神年齢はちょっと幼いとも言えるかもしれないが……。


「わかったわかった。それについては本当に感謝してるからさ」

「ホントかぁ?」


 訝しげな目をしているスバルに月人は苦笑いを浮かべた。

 でも、月人は嘘など言うつもりは毛頭無い。本当に感謝しているし、今となってはスバルはここに居る事が当たり前の存在だと思っている。


「それにさ……」

「ん?」


 そこまで言うと月人はしばらく黙り込み、やがて何となく気恥ずかしくなって、


「いや、何でもない」


 と言うと学校鞄を持って立った。


「何だ? 言いかけて止めるなんて気になるじゃないかぁ」

「何でもないって! ほら、早く出ないと遅刻するぞ!」


 少し顔を赤くして逃げるように玄関へと走って行く。スバルもなおも執拗に問い質しながら月人を追いかけた。


 屋敷を出て程なく――


「なぁ、月人。ナァは茨木童子って鬼の伝説を知ってるか?」


 スバルは妙な質問をしてきた。それも何だか楽しげである。


「何なんだ? 藪から棒に……」

「ワァが居た時代より少し後の時代の鬼なんだけどな。なんとかっていうニンゲンに斬り落とされた腕を取り戻したって伝説が残ってるんだ」


 また、何かネットで調べておかしな事でも思いついたのだろう。月人は「ほ~ん。それで?」と半分聞いていないような相槌を打つ。


 が、それとなくスバルを一瞥し……思わず二度見してしまった。

 それまでダラリと垂れ下がっていた筈のスバルの右袖……。その袖口から手が出ているではないか。


「え……? な、何で?」

「ふふぅん……」


 目を白黒させる月人にスバルはしたり顔で笑う。


「茨木童子って鬼が本当に居たのかどうかは知らないけど、ワァのように天才的な鬼には、こういう術もあるんだ。まあ、あの祟り神が消える直前に飲み込まれた腕を取り返すくらいの力は戻ってたって事だよ。でも、くっつけるのに力を使い果たしたんで、今はスッカラカンなんだけどな……」


 したり顔で笑っていたくせに、力を使い果たしたという事を思い出したからか、今度はどんよりと沈んだ顔になってしまう。要するに、一時的にタマバミサマから腕を取り戻してくっつけるだけの力は戻っていたが、またポンコツ娘に戻ってしまったという事だ。

 それにしても本来のスバルが持つ力は「何でもありか!」と突っ込んでしまいたくなるようなデタラメなもののようだ。それだけにポンコツな、この「月人の嫁」を自称する鬼娘がおかしくもあったし、何となく可愛らしくもあった。


「何だ? にやけてるけど……ワァのこと惚れ直したか?」

「アホか! やっぱりポンコツだなって思っただけだ」

「な……!」


 畑に面したゆるい下り坂。イタズラっぽく笑って逃げる月人をスバルは顔を真っ赤にして追いかけた。



 初めは「この国に君臨し、鬼による鬼のための国をワァが作る」などと大風呂敷も良いところだと冷ややかに笑っていた。

 けれど、スバルというこの鬼の少女は小さな村の中で過ごして行くうち、多くの人たちから好かれ、慕われ、いつしか村人たちも月人も彼女の不思議な魅力に惹き付けられて行った。それがいわゆるカリスマ性というものなのか、アイドルだとかマスコット的な要素なのかは分からない。

 それでもスバルは言葉通りニンゲンどもの心に君臨した事は確かであろう。



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