第四話 タマバミ祭り

1.祭りの日の朝

「ううぅぅ……」


 妙な呻き声で月人は目を覚ました。


 外はとっくに日が昇り、中途半端に開いたままになっていた障子の隙間から陽光が射し込み、寝ていた月人の胸の辺りまで照らしている。


 それにしても何の声だろう? 

 苦しげでもあり、どこか悲しげでもある。この世に未練を残した怨霊の声……というには時間的にいかがなものか。


「誰かぁ~」


 また声がした。この上なく情けない声。それも隣の部屋からだ。


「あ……」


 隣の部屋といえばスバルの寝室だ。それで全てを思い出した。


 布団を抜けて廊下に出て、スバルの部屋の障子を開いてみる。


「ああ……やっぱり……」


 スバルは昨晩から布団で簀巻きにされたまま、この時間まで放置されていたのである。

 そのスバルが身動きも取れぬまま今にも泣き出しそうな顔で助けを呼んでいた。


「あ……月人ぉ~」


 こちらに気づいて再び情けない声をあげた。


「も、漏れそう……」

「そりゃそうだよな……」


 さすがに気の毒になった。こんな時間までトイレにも行けずに放っておかれたのだ。

 寧ろ漏らしていなかった事が幸いだろう。


「ほれ……」


 ようやくスバルを解放してやる。


「これに懲りて今後は……」


 と、説教のひとつでもしてやろうかと思ったのだが、既にスバルの姿は無かった。

 当然、トイレにまっしぐら。よっぽど我慢の限界だったのだろう。


「やれやれ……」


 月人は苦笑いを浮かべてかぶりを振った。



「うん! 今朝のは美味い!」


 スバルは弓月の作ってくれたベーコンエッグを半分ほど囓るとホクホク顔で頷いた。

 口の端には卵の黄身がよだれのようにベットリと着いている。まるで小さい子供だ。

 ちなみにスバルは目玉焼きには塩派である。


 朝は居間で三人揃っての朝食であるが、昨晩の騒動などまるで無かったかのよう。

 スバルもトイレでスッキリした後は何事も無かったかのように、いつも通りの屈託無い笑顔を振りまいているし、弓月も昨晩の事など忘れてしまったかのように平素と変わらない態度で、


「ほらっ! 口もとに卵の黄身着いてる!」


 と、ティッシュで拭いてやったりしている。

 スバルも嫌がる事なく、されるがままに身を委ねているし……。

 実年齢ではスバルの方が弓月よりも年上なのに、これじゃあまるで弓月の方が姉で、スバルが幼い妹も同然だ。


「おまえ、もう少しプライドというものを……」

「ん? 何だ?」


 今度は鼻の下に牛乳ひげを着けて真っ直ぐな眼差しでこちらを見ている。


「……何でもない」


 言うだけ無駄だと思った。


「そう言えばさ……」


 世話の焼ける子供のようなスバルの様子はひとまず置いといて、弓月は無かった事のように話題を切り替えて来た。


「今日のお祭りって皆んな浴衣着てくみたいだよね」

「この時季に浴衣は寒そうだけどな」


 これから梅雨入りを迎える季節である。夏と違って夕方ともなれば、まだまだ肌寒さが残る。

 それでもタマバミ祭りの時は、誰もが浴衣にちょっとした羽織を着て参加するようで、それどころかタマバミサマの社から御神体を運んで来る役目を担った者たちは、浴衣よりもさらに薄手の白装束姿であるそうだ。

 昔からの仕来りであるため、寧ろそういった格好に疑問を抱いたことすらないらしい。


「わたしと月人ニイは持ってるから良いとして、スバルは浴衣なんて持ってないんじゃない?」

「ああ、そう言われてみれば……」


 月人と弓月は、食べ始めてからこれで七枚目のトーストにバターをたっぷり塗りたくっているスバルに困ったような視線を向けた。

 当の本人は突然、二人の視線が自分に向けられた事で、しばし目をパチクリさせていたが、再び気にせずトーストを頬張り始めると、


「ふぉれふぁら、ひんふぁいふぁい」


 と、呑気な顔で答えた。


「食べるか喋るか、どっちかにしてくれ」

「んん~。だから、それなら心配ないって言ったんだ」


 あっけらかんと答えると、手に着いたバターをペロペロと舐めている。


「まさか……」

「そのまさかだ」


 つまり先日、フリーマーケットで大量に購入して来た古着の中に、スバルの体にピッタリ合うサイズの浴衣もあったという事だ。


「あの日、この村でやる祭りに浴衣が必要だって聞いたからな。まさか、こんなに早く使う機会が訪れるとは思わなかったが……いや、なかなか気が利くヤツだ」


 体よく売れない物を押し付けられた感もあるが……。


 ともかくも、今日の祭りに興味津々だったスバルにとっては幸いだった。


「月人もワァの浴衣姿が気になるか?」


 スバルはニタァといやらしい笑みを浮かべて、月人の方へにじり寄って来る。


「べ、別にそんな事は……」

「またまたぁ~。そんなこと言って顔が赤くなってるぞ?」

「あ、あのなぁ……」


 月人はスバルから逃れようと、僅かに身を引く。が、スバルがそんな事を言うものだから、変に意識してしまって、顔が赤くなっているのには自分でも気づいていた。


(鬼というか小悪魔みたいになって来たな……こいつ……)


 彼女にどういう意図があるのかまでは読めないが、その程度の事で意識してしまう自分も我ながら情けないと思う。


「ほらぁ、浴衣は萌え要素のひとつだって言うじゃないか」

「どこでそんな知識を……」


 と、言ってはみたが、日頃からネトゲ三昧のスバルである。そういった情報源はいくらでもあるというものだ。


 しかし、この様子を目の前にして、いつまでも黙っている筈もない者がこの場には居るのである。


「はいはい」

「いでっ!」


 ベーコンエッグをここまで運んできたフライパンで弓月に後頭部を叩かれる。軽く叩いただけだったが、コォンと鈍い金属音が居間中に響いた。


「あんたねぇ……昨日の事、まだ懲りてないわけ?」

「う……」


 朝まで簀巻きにされていた事を失念していたのだろう。スバルはそれっきり大人しくなってしまった。

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