5.現実とは残酷なもの
三人は居間の長い座卓を囲んでお茶を啜っていた。
スバルには弓月が服を貸してやり、今はピンクのパーカーに白のハーフパンツといった格好である。
サイズが二人とも殆ど一緒だったようで、どれを貸しても何の違和感もなく着られたのは幸いだ。
事の次第を弓月に説明するのには、随分と時間がかかった。とは言っても、月人も土蔵を調べていたら突然、謎の漬け物樽から鬼の少女が現れて、ろくに説明も受けずにここに至っているわけだから、当然、分からない事だらけである。
その鬼の娘、スバルは服を着て落ち着いたのか、ここがさも自分の家とばかりに出された湯呑で当たり前のように煎茶を啜っている。
湯呑は台所にあった、魚へんの漢字がビッシリと書かれた、どこぞの寿司屋の湯呑だった。
「そう言えば……」
コトリと湯呑を置くと、スバルは唐突に口火を切った。当たり前のように上座に座り、尊大な態度を崩さない様には、どちらがこの家の主人だか分からなくなってくる。
「まだナァたちの名前を聞いていなかったな。ワァが名乗ってるのにニンゲン風情が不遜なものだ……」
不遜なのはどっちだ……とツッコミたくなる。
しかしまあ、ようやくまともに話をできる状態になったのだ。また機嫌を損ねて騒がれても困る。
「オレは最上月人。んで、こっちが妹の弓月」
二人の名を聞くなり、スバルの目つきが途端に鋭くなった。敵意むき出しの……いや、さっきだって月人に対して敵意を見せていたのだが、先程とは比較にならないほど憎しみを込めた目で月人を睨みつけたのだ。
「最上……だと……?」
「そ、そう……だけど……」
嫌ぁ~な予感がする。いや……おおよその想像はついた。
「ナァら……どうやら忌々しき最上一族の子孫のようだな……。ここで会ったが百年目……いや、千年目か? まあ、そんな事はどうでも良い。ワァをあんな酸っぱい匂いの充満する樽に押し込めた蛮行……。ナァらを八つ裂きにする事で、その恨みを晴らさせてもらおう!」
スバルは勢いよく立ち上がり、まずは月人に襲いかかる……つもりだったのだろう。
が、立ち上がろうという仕草を見せた瞬間、弓月が間髪入れず、お茶を運ぶのに持って来た丸盆でスバルの頭をスパンと叩いた。
「痛っ! な、何をする!」
「何をする……じゃないわよ! あんたね……一応は人様の世話になっておいて八つ裂き? わたしが貸してあげた服、ひん剥かれたいの?」
勝負あった。
スバルは堅い木製の盆で叩かれたのが相当痛かったのだろう。涙目になりながら頭を押さえている。
不服そうではあったものの、「服を借りている」という事実に大人しくなってしまった。
「薄々そうじゃないかなって思ってたけど、ウチのご先祖様に封印されて、あんな土蔵の地下に置かれてたのか」
スバルは膨れっ面でコクンと頷く。
それも「酸っぱい匂いの充満した」というスバルの口振りからするに、どうやら使い古しの漬け物樽だったらしい。これはスバルでなくても屈辱だろう。
「ワァは十六の歳に
「十六? じゃあ、今のオレと同い年か」
体は小さいし、それ以上に顔つきも幼いので弓月と同じくらいか、それよりも下に見えるくらいだ。もっとも、胸は弓月よりも多少膨らみがあるが……。
「何だ? 月人はワァと同年齢か? それにしては些か頼りなさげというか、子供っぽいな」
「おまえに言われたくない」
少なくとも月人よりはスバルの方が外見的には、よっぽど幼く見える。
大体、生まれた時代は千年以上も違うのだから、「同年齢」という言い方にも違和感があった。
「しかし、月人よ。ナァの話……あれは本当なのか?」
「オレの話って、具体的にどの辺りを指して言ってるのか分からないんだけど……」
「全てだ! ワァが封印されてから千年以上経ってるとか、朝廷は既に無いとか、鬼はとっくの昔に滅びたとか、そういうの全部!」
スバルはムキになって立ち上がるが、すぐ横で弓月がお盆を手に、いつでも叩ける態勢を調えているので、顔をしかめて即座にペタンと座布団の上に腰を落とした。
ムキになるのも仕方ないのかもしれない。彼女があの樽の中でどれだけ時間の流れというものを認識していたかは定かではないが、ようやく樽の外に出られたと思ったら、自分の暮らしていた時代から千年以上もの月日が流れていたのである。浦島太郎の比ではない。
スバルにとって、ここは右も左も分からぬ時代で、これは死活問題なのだ。
「残念だけど全部ホントの事さ。まあ、かつて鬼が居たなんて話はオレたちも話に聞かされてるだけで、半信半疑だったんだけどな。多分、鬼が確かに存在してたなんて言い切れる人は現代人には殆どいないんじゃないかなぁ……」
鬼の頭蓋骨を祀っていたり、鬼の遺物を安置しているという神社仏閣は全国にいくつかあるが、どれも眉唾っぽく、古文書などに記されている以外は正式に鬼の遺骨と認められているものは未だ発見されていないのだ。
それ故、歴史学者や考古学者の間でも鬼の存在の是非は今なお論争になっている。
しかし、その存在が不確かな鬼が今、自分たちの目の前に実際に存在し、お茶のおかわりを求めている。
どうも実感が湧かないし、おかしな夢でも見てるんじゃないかと自分で自分を疑いたくなるが、これは確かに現実だ。先ほど少しだけ触れた彼女のツノだって作り物ではない。
もっとも、喋り口調がヤケに現代風なので、実感が湧かないのもそれが原因のひとつなのかもしれなかった。
「ナァたち……本当はワァをたぶらかそうとしてるんじゃないだろうなぁ? ニンゲンは自分の都合ですぐに嘘をつくから信用ならない」
「まあ、それは否定しないけどな」
月人は苦笑いを浮かべる。身も蓋もない話だが、確かにそういう人間は多い。
「どうせ現代の事を知らなきゃ生きてけないんだしさ……これ使って勉強したら?」
そう言って弓月は手荷物の中に入れてきたノートパソコンを机の上に置いた。
なるほど……知りたい事はネットで調べるのが一番手っ取り早いという事だ。
スバルは見慣れないノートパソコンを目の前にキョトンとしているが、やがて電源が入ってスタートアップの画面が映し出されると、「んのぉっ?」と驚愕と戦慄が入り混じった、妙な声をあげた。
「い、い、板に何か浮かび上がったぞ! こ、これは妖術か何かの類いか?」
「文明の利器と言ってほしいな」
まあ、彼女の頭の中では人類の持つ技術なんて一二〇〇年前から停止しているのだ。途中の過程をすっ飛ばして、いきなり未知の高度な技術を見せつけられてしまえば、驚きを通り越して怯えるのも無理からぬことだろう。
「ここをこうして……」
「わわっ! 何か動いた! ななな、何をしようと言うのだ!」
ひとつひとつに驚き、慌てふためいている。こうなるという事は、何となく想像ついたが、こういう反応は新鮮で、見てる月人としては面白くなってきた。
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