4.お説教
ガラリと玄関の方で音がした。
「ん? ようやく帰って来たか」
スバルは居間に寝転がりながら口をモゴモゴさせている。彼女の周囲には総菜やらお菓子などの空き袋が散乱し、まだ手をつけてない物も机の上に、まるでこれからパーティーでも開きますとでも言わんばかりに、盛大に広げられていた。
もちろん、食べているばかりで玄関まで迎えに出ようという気配すらない。
そのうち、ドタドタと乱暴に歩く音がこちらへと近づいて来た。そして、居間の障子がパァンと、これまた乱暴に開けられる。
「遅かったな。随分と食べ物が少なかったから、ワァが買って来てやったぞ。ありがたいと思……あぎゃ!」
最後まで言い終える間もなく、スバルは思いっ切り何か重々しい物で後頭部を殴られた。
「買って来てやったぞ……じゃないわよ! あんた、何考えてんの?」
弓月が学生鞄を手にワナワナと震えている。入って来るなり、その手にしていた鞄でスバルの頭を殴り飛ばしたのだ。
金具の部分が当たったようで、スバルは頭を押さえて、うんうん唸っているが、月人もこればかりは擁護できず、厳しい目で見下ろしている。
「な、何って……だから、食べ物が全然無かったから、ワァがわざわざ買って来てやったんじゃないか! 本来であればワァがニンゲンどものために買い出しに行くなんて事だけでも恐れ多い事なんだぞ! 感謝はされても殴られる謂われはないじゃないか!」
とまあ、スバルは悪びれる様子もない。それどころか自分のやった事が正しいとでも言わんばかり。
「さて……。どこから突っ込んだもんですかねぇ……弓月さん」
「こってり絞って聞かせる必要がありそうですねぇ……月人ニイ……」
氷のように冷たい目で見下ろす二人にスバルは手にしていた食べかけの焼きそばパンをポロリと落とす。
「ち、ちょっと待て! た、確かにワァは外には出ないと約束はした! だけど……だけど、ワァだって、この屋敷に居候になってる以上は何かしてやらないと割に合わないじゃないか!」
これには月人も弓月も困ったような表情を浮かべて顔を見合わせる。
まさか、この横柄で尊大な鬼娘の口から、そんな義理堅い言葉が出てくるとは思いもよらなかった。
「あ、あんたさぁ……それ、本心で言ってる?」
「当たり前だ! ワァたち鬼族はニンゲンのように我欲や保身のためにウソなどつかん! 一緒にするな!」
それを言われると弱い。
確かに月人たちも、自分たちの立場を守るためにスバルという本来、この時代にいない筈の鬼の少女を隠そうとしている。それは言うなれば世間にウソをついて誤魔化しているという事だし、スバルの尊厳を無視した行為だ。
自分たちの生活を守るためにスバルの存在を隠すという行為自体は仕方ない事だと、今でもその考えが間違いだとは思っていない。けれど、それは同時に無慈悲にこの時代まで封印され続け、右も左も全く知らないこの時代に、本人の意思とは関係無しに目覚めてしまった少女の自由を奪う行為だと責められても仕方ないのだ。
それを悟ると、月人はスバルの前に腰を下ろして向かい合った。
「スバルは自由に出歩きたい……んだよな?」
彼女は「当然だ」と答える。そんな事、聞くまでもなかった。自分でも「何、当たり前の事を訊いてるんだろう?」と思う。
「でもさ……おまえも色々と現代の事を調べて分かってるんだろ? 自分の存在が世間に広く知られたら、どんなに危険かって事がさ」
「それはな……。確かに順序を誤ればワァの命さえ危うい」
スバルは腕組みをし、彼女にしては珍しく真面目な硬い表情を浮かべている。
「しかし……だ。ナァたちも、いつまでもこのままで居られるとは思っていないのだろ?」
「それは……」
否定できなかった。
なるべく考えないようにはしていたが、このまま死ぬまで隠し通すなんて事は現実的じゃないし、いずれは知られる事になるのは明白だ。単にそれが遅いか早いかの違いでしかない。
「それはワァとて同じ事だ。問題を先送りしたところで解決はしない」
「ぐっ……」
月人も弓月も返す言葉も無く押し黙ってしまった。
黙りこくってしまった二人を睨めつけると、スバルはすっくと立ち上がり拳を振り上げる。そして独裁者の演説よろしく声を張り上げた。
「それでもワァには、この日の本に君臨し、鬼の鬼による鬼のための国家を建設しなければならないという悲願がある!」
「またそれか……。大風呂敷め……」
スバルと来たら相変わらず二言目には「君臨」だ。それこそ絵空事としか月人たちには思えない。いや……実際、誰が聞いたって絵空事、絵に描いた餅としか思わないだろう。
それでも、この鬼の少女は大真面目であった。
「だからこそ慎重に行動する必要があるし、順序を誤ればと言ったのも、そういう事だ!」
「自分がこの時代に存在しない鬼なのに、当たり前のように買い物行ってたヤツが、よく言うよ。どこが慎重な行動なんだか……」
「甘いな! 月人! ナァの浅知恵では所詮、隠す程度しか思いつかないだろうが、その点、ワァの策に抜かりは無いぞ」
スバルは得意げに、鬼の子らしい八重歯を見せてニッと笑った。正直、怪しいもんだ……と思う。
「ナァたちの反応を見るに、どうせ帰る途中、集落のニンゲンどもに会ってワァの事を聞いたのだろ? 連中は何と言ってた?」
思い返してみる。
月人たちが会ったのは二人。スーパーアヤオリのおばちゃんと警察官である。アヤオリのおばちゃんはスバルに対して好印象であったようだし、警察官は事もあろうにスバルが月人の許嫁だと思い込んで、「もっと大事にしてやれ」などと説教する始末。
もちろん、月人はそれらの話を包み隠さずに話したうえで、
「おまえ……よくも許嫁なんてデタラメを……」
ゲンナリした様子で文句を言った。
が、スバルはちっとも悪びれる様子もない。それどころか、
「既に夫婦だと言うのは些か問題だろ? だから許嫁って事にしといたんだ。ワァの機転もなかなかのものだろ?」
などと、月人の意思など完全無視で勝手に夫婦という仲にしてしまっている。それを、どこか楽しんでいるふうでもあった。
「そんな事よりも……だ。ナァはあの者どもの反応を見て、他に何も感じなかったのか?」
「ん? と言うと?」
怪訝な顔をして問いを投げる月人にスバルは深々とため息をついた。救いようがないとでも言わんばかりの呆れ顔で、食べかけの焼きそばパンをモシャモシャとかぶりつき始める。
「ほんっとに鈍感なヤツだなぁ。ワァはこの時代には本来、存在しない筈の鬼なんだぞ? それなのに連中の反応はどうだった?」
「あ……」
言われて、ようやく月人も弓月もスバルの言わんとしている事に気がついた。
「あの人たち……スバルの事……鬼が今でも居たことには驚いてたみたいだけど、それでもそれが大発見っていうか、大事っていう反応じゃなかったよね? なんか普通だった……」
「むうぅぅ……小姑に呼び捨てにされるのは釈然としないが……まあいい……」
ふてくされ気味に焼きそばパンを食べ終えると、指をペロリと舐めて、またスーパーのビニール袋から新たにチョココロネを取り出して口へと運ぶ。あちらこちらにパンの空き袋や総菜の空き容器が散乱し、既にかなりの量を食べている筈なのだが、それでもまだ足りてないらしい。
「だが、小姑の言うとおりだ。ワァも自然にこの集落に溶け込めるよう、それ相応の手段を使ったのだ。ふふぅん……凄いだろう?」
確かに凄いと思うが、得意げに鼻を鳴らしているのには何だか腹が立つ。
「おまえ……何か怪しげな妖術でも使ったんじゃないだろうな……」
疑わしげな目を向けるが、スバルはムキになって「そんな事するか!」などと否定した。
「そもそもワァが満足に妖術を使えなくなってる事くらい、ナァも知ってるじゃないか!」
「どこまでかは知らないけどな。なんか……唯一使えるのがあるとか言って勿体つけてたけどさ」
「あれは……!」
反論しようとして、スバルは言いよどんでしまった。
一瞬、月人は自分がマズイことを言ってしまったかとも思った。気に障ったのか、それとも本当に触れてはいけない事だったのか……急にスバルは浮かない顔をして俯いてしまったからだ。
それでも、それもほんの束の間の事で、スバルは直ぐに仏頂面をして、
「あれは使い物にならないから関係ない!」
と、吐き捨てるように言った。
「もちろん、鬼族の妖術には幻術やら、ちょっとした洗脳の術などはあるけど、ワァは使ったこと無いし、そもそもそんな邪道な妖術を使うのは性に合わないから嫌いだ」
妖術に邪道だとか王道だとかいったものがあるのかは知らないが、ともかくもスバルは人を操って自分の配下にするような真似は好まないという事は理解できた。だったら、どうやって集落の人達に、そんなごく自然な認識を与えられたのか。
スバルにそれを尋ねてみても、
「それは秘密だぞ」
と、イタズラっぽく笑うばかりである。
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