3.特別な存在

 と……「入学」で思い出した。


「それはそうと、おまえ……どうやってこの学校に入学したんだ?」


 昇降口まで来たところで、ようやく最大の疑問を問いかけた。スバルが制服の話などするものだから、すっかり忘れていた。

 スバルは下駄箱から自分の革靴をポイッと放り投げると、月人の方に顔だけ向けながら、質問の意味を理解できないとばかりに首を傾げる。


「学校に入学するったって、試験だの手続きだの色々とあるだろ。大体、おまえは戸籍すら無いのに、どうして入学許可が降りてんだよ」

「あ~、そういう小難しい仕来りは省いた」


 スバルは面倒臭そうに手をヒラヒラと振る。

 実に非常識な事を……さも当たり前のように言ってのけた。思わず納得しそうになるほど自然な素振りであったが、そうは行かない。


「省いたって……個人で省ける省けないって問題じゃないだろ!」

「うるさいなぁ……。そんなのワァが特別だからに決まってるだろ?」


 なおも面倒臭そうに鼻を鳴らすと、靴を履いて校舎を出て行く。月人も牽引されるように、その後を追った。


「特別って、こっちは真面目に訊いてるんだ!」

「ワァだって真面目に答えてるぞ?」


 両手を頭の後ろに回して月人の方へ振り返る。そして後ろ歩きで続けた。


「ワァがこの土地に伝わる鬼だって事をこの学校の長に話してやったら、卒業? とか言う正式な証明は与えられないけど、学校に通う事は許可してくれたんだ。ワァにとっては学歴なんてものは不要だからな」

「え……? この土地に伝わる……って……?」

「何だぁ? 月人は何も知らされてないのか? 最上の一族のクセに」

「え? え?」


 そりゃあ月人だって最上家がこの一帯では昔から大きな力を持った権力者の一族だという事くらいは聞いている。

 とはいえ、月人や弓月が聞かされた話は実に漠然としていて、どんな権力者だったのか、どれほど古くからある名家なのか、そもそも何があってそこまで繁栄したのかなど、具体的な事は一切聞かされていない。

 そもそも鬼……スバルと最上家の関係だって、スバルから「ワァを封印した忌まわしい一族」という事しか聞いていなかったし、それまで両親からもヨシ爺さんからも「鬼」という単語のひとつすら話題に出て来たことは無かったのだ。

 全くもって寝耳に水である。


「知らないんじゃ仕方ないなぁ。ワァが特別に教えてやろう」


 居候で、いつもどこか肩身の狭い思いをしているからなのだろう。スバルはここぞとばかりに「フフン!」と鼻息を荒くして得意満面。いつも以上に態度が大きくなった。


「この付喪牛には千年以上前から崇められてる土地神が居てな……。最上一族はその土地神を主祭神として祀り、代々守ってゆく事で、この土地における栄華を手に入れたんだ」

「はあ……」


 どんな大層な歴史秘話が飛び出すのかと思えば、どうにも非科学的で眉唾としか思えない話だ。月人にしてみれば些かどころか、大いに拍子抜けである。


「んで? まさか、おまえがその土地神様だなんてオチじゃないだろうな?」

「それだったらワァも愉快だったけどな。でも、当たらずとも遠からずか……。どういう訳かワァはその土地神を守護する鬼として社のある聖域の入り口に祀られてるらしいからな」

「はぁ? おまえが?」


 思わず吹き出してしまった。

 ただ態度だけ尊大で、力なんて小さな子供並みの貧弱な少女が、よもや神を守護する役目を担っているなどと……。


「おまえに守らせるくらいなら、柴犬でも連れてきて番犬にさせた方が、まだ頼りになるんじゃないか?」


 小馬鹿にしたように笑う月人に、スバルはプクッと頬を膨らませて、


「う、うるさい! 今はこんなだけど、昔は凄かったんだぞ!」


 と、これまた説得力の無い幼稚園児のような反論。

 本人の言う通り、本当に強大な人知を超える力を持っていたのかもしれないが、今の姿を見てしまうと、とても想像がつかない。


「それに……ワァだって、この土地のニンゲンどもから聞いただけだから、どうしてそんな事になってるのか知らないんだ」

「土地神を守護する鬼として祀られてるってこと?」


 スバルは困惑した様子でコクリと頷く。


「長い年月をかけて事実が徐々にねじ曲げられて伝わった……と考えるのが妥当じゃないか? スバルがウチの土蔵の地下に封印されてたのが、ウチのご先祖様だって話……この土地の誰も知らないんだろ?」


 スバルはまた諭されている子供のようにコクリと頷いた。

 その筈だ。そうでなければスバルがこんなに容易く、この付喪牛集落に馴染める訳がない。


「真実が自分たちの知る言い伝えと異なると知れば、少なからず騒ぎになるだろうからな。無駄に波風を立ててもワァや月人たちにとって不都合にしかならないし、だから村のニンゲンどもには、まだ話してない」

「そりゃ助かる……」


 月人は軽く息をついてかぶりを振った。


「けどさぁ……そんなの所詮、大昔の話だし、言い伝えが事実と異なってたくらいじゃ現代人にとっては『単なる新事実』でしかないんじゃないか? 別にそれでウチまでこの土地に居づらくなる訳じゃないだろうし、スバルだってウチに住んでりゃ誰も文句言わないと思うけどなぁ……。今更だろぉ?」

「月人はやっぱりこの時代の都会っ子というヤツだな……」


 スバルは蔑むような目で隣りを歩く月人の顔を見上げた。

 何だかバカにされたようで、月人はムッとする。そりゃあ田舎育ちではないから、知らない事だらけだという事は自覚しているが、あらためて言われると、あまり気分の良いものではない。


「まあ、そういう環境で育ってきてないんだから、知らないのも無理はないな。でも、こういった陸の孤島のような、他とは隔絶されたような場所ではな……都のような大勢のニンゲンが集まるような地域では想像もつかないような風習や信仰が根付いてるもんだ。この付喪牛も例外じゃない」

「それって……村八分みたいな?」


 月人も話には聞いた事があった。あまり他の地域との交流がないような小さな集落では、今のこのご時世でも、村の掟を破った者には全ての村人が関わろうとしなくなる制裁行為。狭い環境における独特の私刑リンチで、ニュースで取り上げられて問題になった事もある。


「まあ、それも一つにはあるだろうな。ここではどうだか知らないけど……。ワァの言ってるのは、この土地でのみ古くから根付いてきた信仰という話だ。とかく閉鎖社会における土着信仰というものは、それを害する者を悪と見なす傾向にあるからな。村人たちは全力で、どんな手を使ってでも守ろうとする。それが自分たちの中で先祖代々語り継がれて来た事実と異なるともなれば、どんな事をするか知れたものじゃない」

「じゃあ……最悪、オレたちが追い出されるって事も……?」

「自分たちの信じるものを守る事ができるのなら、或いはそれもあるかもな」


 それを聞いて月人はブルッとひとつ身震いした。

 普段、あんなにも温かく接してくれる人達が、信仰のためなら容易に手のひらを返すかもしれない。俄には信じられない事だが、しかし、それを否定できる自信もなかった。


「それがニンゲンの本質だ。表向きはどう接していようと、平穏な生活を奪おうとする者が相手であるのならまだしも、崇めるもの、信じるものを否定されれば例え命を奪ってでも守ろうとする。どんな些細な事でも、自分たちにとって邪魔であれば簡単に切り捨て迫害するものだ。ワァたち鬼には理解できない価値観だな」


 悔しいけれど、月人には言い返す事ができなかった。


 自分にも経験がある。直接的ではなく間接的にではあっても、そういう人の醜い側面を見た事はある。

 立場を守るための裏切りというものは、いつの時代になっても人間社会に根強く残っているものだ。

 そしてそれは人が社会の中で生きていくうえで誰もが「仕方の無いこと」と割り切って生きているのだと……。

 だから言い返す事はできないけれど、かと言って、それが間違いと断定する事も月人には出来なかった。


(鬼には理解できない価値観か……)


 確かにスバルの持つ価値観とやらは理想であるかもしれない。

 けれど、それは飽くまで理想論であって、それ故に理想論に凝り固まって現実を受け入れられなかった鬼は人間に滅ぼされたのではないだろうか? 

 そう解釈できるが……それをスバルに言うのは、あまりにも酷であろう。

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