11.嫁だから
(ようやくこれで……)
そう安堵したのも束の間であった。
『しかしな……人の子よ……。その方ら一族は長きに渡り、そこな鬼の娘を使って我を欺き続けたのだ。その償いはしてもらわぬとなぁ……』
随分と回りくどい言い方をするものだ。その辺りが普通の神とは違う、祟り神というヤツなのかもしれない。
いずれにしても、ここまで来て覚悟ができていない月人ではない。こういった要求が来る事はヨシ爺さんの話で想定済みだ。
「何が望みなんだ?」
とりあえず訊くだけは訊いてみる。まるで構ってちゃんを相手にしている気分だ。
そもそも祟り神の多くは動物などの低級霊を神のように祀る事で大きな力を得たモノだという話を聞いた事がある。
このタマバミサマという祟り神もそういった類のモノなのかもしれない。
タマバミサマはなおもゆっくりとした口調で続ける。どこか楽しんでいるようでもあった。
『最上の正当なる血筋は、もはやその方の妹ただ一人だ。しかし、その方の妹は助けてやると今し方、約束を交わしたばかりだからのう……。なれば最上宗家を名乗る者の腕の一本でも貰い受けねば割に合わぬ。どうだな? 人の子よ』
まるで月人を困らせてやりたいとでも言いたげだ。
だが、月人に迷いはなかった。
「今さら四の五の言うつもりはない。片腕で済むんならオレの腕でも持ってきゃあいい」
そう言って左腕を差し出した。
村人たちの間からは「そんな……」だとか「それはあまりに惨い」などといった動揺の声があがっているが、月人にとってはもうどうでも良かった。
ヨシ爺さんからは「命を取られるかもしれない」とも言われていたし、それが腕の一本で全てが丸く収まるのなら惜しむべくもない。
『ほう……。良い覚悟だ。なればその腕……遠慮なく貰い受けよう』
タマバミサマは尻尾と思われる長い触手のような影を振り上げた。そして月人めがけて振り下ろす。
その瞬間――
「月人!」
タマバミサマの尻尾が眼前に迫る中で月人が目にしたものは……間に割って入るスバルの姿であった。
鮮血が散る。
ドンッと突き飛ばされ、月人は尻餅をついた。
アスファルトにしこたま尻を打ち付けたため、腰に鈍い痛みはあったが、奪われるはずだった腕は今なお月人の体と繋がっている。傷一つとしてない。
それでも今……確かに赤々とした鮮血が飛沫を上げていたのを月人は目にしていた。
「スバル……?」
タマバミサマの尻尾が振り下ろされた瞬間に月人の体を突き飛ばしたスバルは、月人の目の前でうずくまっていた。
その彼女の体を中心に、みるみるうちに真っ赤な血溜まりが広がって行く。
見ればスバルの右側のツノが中程から先が鋭利な刃物で切られたかのように無くなっていた。
だが、そのツノには血管が通っているわけではないのだろう。そこから出血しているわけではなかった。
「スバル……。スバル!」
月人はスバルを抱き起こそうと血溜まりの中を這い寄る。
彼女の体を僅かに起こそうとした時……月人は一瞬ではあったが、それを目の当たりにし、言葉を失った。
「う、ううう、うぎぎ……ああぁぁぁぁぁああぁぁっ‼」
スバルの物凄まじい叫びが山向こうまで響き渡る。
彼女の右腕は……肘から先が失われていた。
先の失われた腕を左手で爪が食い込むほど力一杯握り締め、苦悶に歯を食いしばっていたスバル。月人が見たのは、そんな彼女の無惨な姿であった。
「スバル! ど、どうして……」
「は、はは……」
涙を浮かべる月人にスバルは痛苦に顔を歪ませながらも笑って見せる。こんなになってまで虚勢を張って見せるスバルに胸が締め付けられる。
『鬼の子よ……。その方はこれまで最上の者どもに利用され、全てを失ったのではないか。何故、そこな人の子に義理立てするか』
タマバミサマでも予想外の出来事であったのだろう。それまでの月人を嘲笑うような口振りから一変、狼狽しているようだった。
タマバミサマだけではない。月人も、村人たちも、未だこの場に残っている最上分家の者たちにも想像もつかなかった事だ。
それでもスバルは力無く笑う。
「ナァが欲しいのは……ハァハァ……最上宗家を名乗る者の……腕なんだろ? それで済むんなら……ぐっ……月人の嫁であるワァも最上宗家の者……だ……ハァハア……。ワァの腕でも……足りると思うけどなぁ……」
これが全てだ。それ以上、語らずともスバルの想いはこの言葉に集約されていた。
どれだけ尊大な態度を取っていようと、どれだけ人間を見下していようと……。
『理解できぬ……。まるで理解できぬ。鬼の子よ。その方が何故、人の子にそこまで入れ込むのか我には皆目見当もつかぬ。その方の理屈で我が納得するとでも思うたか?』
所詮は祟り神というモノなのだろうか?
スバルがここまでの事をしても、人や鬼の情など通じるような相手ではないのか、タマバミサマの回答は実に非情なものだった。
月人は悔しさのあまりギリッと歯噛みする。
だが、この期に及んでもまだ、スバルは苦痛に顔を歪めながらも不適に笑う。
「ハハ……。これだけ言っても通じないんじゃ……仕方ない……か……」
『ぬ……? ぐ……き、貴様……何を……!』
忌まわしい神をジッと見据えるスバルに対し、どういうわけかタマバミサマは突然苦しそうに喘ぎ出し、その巨体を震わせる。
何が起こったのか……。その場に居合わせた誰もが固唾を呑んで見守る。
「ナァが……少しでも慈悲の心を見せるようなら……ワァも黙って片腕をくれてやろうかと思ったけどな……ハァハァ……。ナァがそこまでの分からず屋だっていうのなら……その神核……ナァの腹の中にあるワァの片腕で握りつぶすまでだ……」
どうやらタマバミサマが斬り落とし、飲み込んだスバルの右腕がタマバミサマの心臓とも言うべきものを握りつぶそうとしているようだ。
『バ、バカな……。その方には……そのような力は残されて……いなかった筈……!』
「生憎だったな……ハァハァ……。ワァがこの時代に目覚めて……から……少しは力も戻ってたんだよ……。斬り落とされた腕を遠隔操作するくらいにはな……」
初耳だった。月人も今の今までスバルには何の力も戻っていないものと思っていたし、失った力が戻るものだとも思わなかったのだ。
これにはタマバミサマとて想定外の事だったようである。
「じゃあな……無慈悲な祟り神様……」
――アアアアァァァァァ……
タマバミサマは洞窟の奥に消えて行くような咆哮をあげ姿を消した。それはまるで蒸発してしまったかのように背景の中へ溶け込んで行き、やがて何も無かったかのように、そこには御神体を納めているという厨子だけが残った。
死んでしまったのか……或いは、この世界から居なくなったという事なのか、それは分からない。が、タマバミサマはスバルの手によって消された。彼女の片腕もろとも……。
「早く! 早く救急車を呼べ!」
「先生! 早くスバルちゃんを!」
タマバミサマが消えると、村人たちは火が点いたように騒ぎ出す。
そんな中、血みどろになったスバルに月人は、
「バカ野郎……」
消え入りそうな声で文句を言い、涙に頬を濡らして抱きしめた。
「あはは……。痛いよ……月人……」
その声は何とも弱々しい。
けれどスバルはちょっとだけはにかんで笑っていた。
「力が戻ってる事……黙っててゴメンな……」
謝るスバルを責める気などない。月人は涙ながらに何度も頷くだけだった。
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