第五話 昔年の代償
1.水と油な二人
弓月が診療所へ運ばれてから三時間ほど経っていた。
最上本家の屋敷には玄関先と居間にだけ明かりが灯っている。しかし、この屋敷の主は不在であった。月人も弓月も今は診療所にいるのだ。
居間にいるのは二人。スバルとヨシ爺さんが座卓に向かい合うようにして座っている。
祭りの最中で対峙した時ほどではないものの、相変わらず二人の表情はまるで軍議に臨む参謀たちのように険しい。
「おおよその事は理解した」
スバルはそれまで正座してヨシ爺さんの話を聞いていたのだが、そのひと言を発すると途端に足を崩し、座卓に肩肘で頬杖をついてふてくされたようにヨシ爺さんから視線を逸らせた。
「しかし、いつの間にかおまえさんの封印が解かれ、この時代に目覚めていたとはな……。それを事もあろうに最上本家の目付役であるワシにひと言も告げずにいたとは……」
「ふんっ……。月人たちを
スバルに言わせれば今日の今日まで、その事実を知らずにいたのは、他人と関わらずに集落で何が起こっているのか知ろうとしなかったヨシ爺さんに非があると思っている。
しかし、ヨシ爺さんは滅多に感情を表に出さない彼にしては珍しく口もとをほころばせた。
もっとも、目は笑っていない。
「それを言われると耳の痛い話だが……まさか供物である鬼に説教される日が来るとはな……」
その「供物」という言葉が気に食わなかったのか、スバルは一層ムスッとした顔をして黙りこくる。
「が、今、おまえさんに話したように、ワシがもっと早くに知っていたところで結果は変わらん」
「だったら、ワァの事をナァに一切告げないでいた月人たちをとやかく言う理由はないんじゃないか?」
「ふん……。ワシとて愚痴くらいは言いたくなる。聞き流せ」
確かにヨシ爺さんの言い分もわかる。愚痴をこぼしたくなるのも当然のことだろう。が、鬼であるスバルにはイマイチ理解のできない感覚であった。
(ニンゲンっていうのは、どうしてこう……何かにつけて他人のせいにしないと気が済まないんだろうな……)
頭では己にも非があると理解していても、どこかでその責任を逃れたいという意識が働いて、その一割でも自分以外の者にも非があると言ってしまいたくなる。人は弱いが故に無意識に保身に入ってしまうもので、それは仕方のない事なのだが、人ならざる鬼であるスバルにはそういった人の在り方がどうしても許容できなかった。
(だからニンゲンは信用できない)
表面上、今は馴れ合っているけれど、やはり根本的な部分で分かり合うことができないと考えている。それは今も変わらないし、ヨシ爺さんの言葉でその事を再認識した。
(でも……)
否定し続けていても、心のどこかに引っかかるものがある。
月人に出会い、この家で一緒に暮らして行く中で芽生えた何か……。
今まで親や祖父を奪った人間に対して抱いた事のない感情。自分の中に新たに芽生えた未知の感情にスバルは酷く困惑している。
(ワァは……どうかしちゃったのかな……。それとも、これが狡猾で卑劣なニンゲンによる魔性の術なのか……)
本来、憎むべき存在であるのに、心の底から人間を憎むことができなくなっている。そんな自分の心境の変化に戸惑っていたし、何より腹が立っていた。
「ともかく」
スバルがそっぽを向いたまま、いつまでも黙っていたからなのか、ヨシ爺さんは多少語気を強めて再び切り出した。
「おまえさんが今後どうするかはワシの知るところではない」
スバルは目を細め、視線だけをヨシ爺さんの方に向ける。この期に及んで飽くまで冷静……というよりは冷淡な彼に内心、憤慨していた。
「ナァの知るところではない……か……」
手紙の文面をなぞるような口調で繰り返す。そして「フッ……」と薄く笑った。
「嫌味にしか聞こえないな。どのみち、ワァに選択権なんて無いって分かってるクセに……」
「どう取られようと構わんさ。だが、おまえさんの行動如何でも状況は変わってくると思うがな……ワシは……」
ジッとスバルの琥珀のような瞳を見据える。まるで全てを見透かされているようで、スバルは何かうそ寒いものを感じた。
「無責任な言いように聞こえる。ますます、ナァの事が気に食わないな」
「別におまえさんに好かれようなどと思っとりゃせんよ」
のらりくらりと躱すばかりで正体がつかめない。とんだ食わせ者。狸ジジイとはこういうヤツの事を言うのかもしれないとスバルは苛立つ。
(いつまでも、こんなヤツと話してたって埒が明かないな)
スバルはすっくと立ち上がると開け放たれた障子の向こうへと出て行こうとする。
「月人の様子を見てくる」
依然として座卓に向かって座ったまま動こうとしないヨシ爺さんに背を向けたまま、独り言のように呟いた。それに答える声はない。
スバルも答えを待つ間もなく、ドッドッと当てつけのような、わざとらしい程の足音をたてて廊下を玄関の方へと消えていった。
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