2.秘めていた思い
弓月が運び込まれてから、月人はずっと待合室の長椅子に腰掛けたまま俯いていた。
夜も更けて待合室も薄暗い蛍光灯の明かりがひとつ灯っているだけ。それもそろそろ寿命が来ているのか、時折、チカチカと点滅を繰り返している。
診療所の窓からは通りの篝火が今なお力強く燃えさかっているのが見て取れる。
室内にいてもパチパチと燃える松の木の爆ぜる音が聞こえて来そうな勢いだが、今夜のお練りは既に終了したのだろう。通りに人の姿はなく、灯された篝火と淡い光を湛えた提灯だけが取り残され、村はしんと静まり返っていた。
弓月の運び込まれた処置室の扉は固く閉め切られていて、今も扉の向こう側では先生たちによる必死の治療が進められているのだろう。
とはいえ、月人には中を窺い知る事はできず、ただこうして待つことしかできない。
本当なら一刻も早く弓月の様子を知りたい。けれど、一向に先生が月人の前に姿を現す気配もなく、時間ばかりが過ぎて行く。
ただ、やきもきしながら待ち続けるしかないという事が、どうしようもなく歯痒くてならない。
(いったい……どうして……)
月人たちと合流して、お練りが始まるまではあんなに元気だったのに……。体調を崩す兆候すら見られなかった。
もっとも……単に自分を含め、誰も気がつかなかっただけなのかもしれない。
それでも急に苦しみ出し、血を吐いて意識を失うといった弓月の異変には到底受け入れ難いものがあった。
(そういえば、あの時……)
弓月を介抱しようとして、スバルに怖い顔で止められた事を思い出す。そのスバルの行動が未だ理解できなかった。
(何で……スバルは弓月に触ることを止めたんだろう?)
確かにスバルと弓月は普段から犬猿の仲と言ってよい程に仲が悪い。
けれど、それだからと言って弓月を介抱することまで止めるというのは考えられない。
(スバルは……何か知ってるのか?)
そうとも思わなければ、あのスバルの不可解な行動には説明がつかなかった。
ふいに月人のいる待合室にひんやりとした夜風が吹き込んで来た。
月人が顔をあげると、暗い診療所の玄関に小柄な人影が立っているのが見えた。
表情まではハッキリと見て取れないが、頭に生えたツノがシルエットとなっていて、それがすぐに誰だか分かった。
「スバル……?」
「まだ……みたいだな……」
声にいつものような活力がなかった。
静かな足取りで、こちらに近づいて来ると蛍光灯のくすんだ白色の明かりに照らされて、その顔も浮かび上がった。
スバルは……優しくも、しかしどこか寂しげな顔をしていた。
「ヨシ爺さんは? スバル、一緒だったんだろ?」
「ん? ああ……。あの喜房ならナァたちの家で待ってるよ」
スバルはポスンと月人のすぐ隣りに腰を下ろした。
待合室には月人が座っているもの以外にも長椅子が二つあるのだが、今は月人とスバル以外に誰もいない。
スバルは月人の腕に密着するような距離で座っているため、小さな待合室なのに、ひどくガランとして見える。
「心配だな……」
「え? あ、ああ……」
まさか、あのスバルが弓月のことで、そんな事を言うとは思わなかった。何だか虚を突かれた気分だ。
月人のその一瞬戸惑った様子を察したのだろう。
「月人……。ワァが小姑の事を心配しないとでも思ってたのか?」
「あ、い、いや……。そんな事は……」
「失礼なヤツだ……」
完全に見透かされている。
けれど、スバルは怒っているわけでも、ふざけ半分に明るく言ってるわけでもなかった。
その顔は先ほどから変わらない。どこか愁いを帯びた目で床の一点を見つめている。
「月人は……やっぱり妹を失いたくないか?」
「当たり前だろ。血は繋がってないって言ってもオレにとっては、たった一人の家族なんだ」
何でそんな当然のことを訊くのだろうと思った。
自分の家族を失って良いなんて思う人間など、よほどの恨みでも持っていない限り、普通はあり得ない。
実の親は違っても、弓月とは幼い頃からずっと一緒だったのだ。
両親を失った時にも弓月がいたから生きることに絶望せずに今日までやって来られたし、弓月だって言葉には出さないが、同じ気持ちの筈だ。
「もう……身近な人を失うのはたくさんだ……」
「そっか……。そうだな……」
スバルは力ない声で相槌を打つと、コテンと月人の肩に頭を乗せてもたれ掛かって来た。
不意の事であったので多少驚きはしたものの、それでも彼女を突き放すような事はしない。
何だか……こうして互いに寄り添っている事が心地良い。
不安に押し潰されそうな心をほんの一時でも紛らわしてくれる。
「ワァも……」
スバルは何か言いかけて口ごもる。言うことを躊躇っているように見えた。
月人は「どうした?」とは訊かない。何となく急かしているような気もしたし、そうやって口ごもった事に対して、あらためて質問するのも野暮であるような気がする。
だから、ただ黙っていた。
言いたければ言うだろうし、言いたくなければ言わないだろう。それならば無理に踏み込む事でもない。
少しだけ。ほんの少しだけ間が空いたが、スバルは再び口を開き、
「ワァも……もう家族や仲間を失うのはたくさんだ……」
消え入るような声でそう呟いた。
月人はハッと息を呑む。
(そうか……。スバルも家族どころか同族の仲間たち全てを失ったんだもんな……)
ここへ来て月人はようやく悟った。
いつもは明るく振る舞い、尊大な態度でいるスバルだが、そのプライドがゆえに心の奥底にある弱味を見せまいと強がっているのだ。
最上家の先祖に封印され、家族も仲間もいない見知らぬ世界に突然放り出されたのだ。誰よりも心細いし、誰よりも寂しい思いをしている。
それを少しも表に出そうとせず、今まで必死に堪えて来たのだろう。
口では「ニンゲンを見下してる」と豪語していながらも、彼女にとってこの見知らぬ世界に来てから自分たち兄妹と一緒に暮らして来たのだ。
まだ日は浅いとは言っても、彼女はこれまで楽しそうだったし、月人も新しい家族が増えたような気分でいた事に違いはない。
きっとスバルも全てとまでは行かずとも、人間に対する考え方が変わってきたのだろうし、少なからず情というものが芽生えていても不思議はない。
——もう家族や仲間を失うのはたくさんだ……。
そのひと言が全てを物語っていた。
かつて、自分にとって大切だった存在。そして
かつてのように奪われたくはない……と……。
それが今のスバルが浮かべる物憂げな表情の内側にあるものなのだ。
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