5.異変は唐突に

 それからは何だか気まずかった。

 月人もスバルも弓月たちと合流するまでは互いにひと言も発する事ができずにいたのである。


 弓月は通りから三メートルほど離れた場所に陣取っていた。

 通り沿いに人の群れができているが、弓月たちのいる場所は土手のようになっていて、ここなら地面に腰掛けていても通りを行くお練りの列が見て取れる。


「遅ぉ~い!」

「ごめんごめん」


 弓月は学校の友達を二人連れていた。その中でも弓月が一人、赤い浴衣で一際目立っている。


「この場所が穴場だって香代かよちゃんが教えてくれたんだぁ」


 今し方、「遅い」と口を尖らせて文句を言っていたのに、コロッと態度を一変させて得意満面。友達に教えてもらった事なのに、まるで自分の手柄のような顔をしている。


「穴場というか……いつも私たちが使ってる場所だから……」


 弓月の連れの一人が少しはにかんだ様子で微笑した。

 どうやら、この子がその香代ちゃんらしい。弓月よりも長身で、腰の辺りまである長い髪をした大人しそうな女の子である。

 もう一人の子はボーイッシュな雰囲気で「佐知さち」と名乗った。弓月はもっぱら「さっちゃん」と呼んでいる。


(女の子ばっかりだな……)


 想定していなかったわけじゃないのだが、女子集団の中に男一人で……というシチュエーションは月人も不慣れで、少々居心地が悪い。

 が、居心地が悪いどころか、自分が直ぐに蚊帳の外に置かれるのだという事までは予想できなかった。


「スバルさんですよね? お話したいって思ってました!」

「そういや、ウチの学校に入ったんですよね? じゃあ、スバル先輩って呼んだ方が良いのか?」


 弓月の連れて来た二人は月人はおろか、弓月もそっちのけでスバルに質問攻め。


「え? あ、いや……。と、とりあえず落ち着いたらどうだ?」


 スバルもまさかこんな展開になるとは思っても見なかったようで大いに戸惑っている。挙げ句……。


「つ、月人ぉ……」


 今にも泣き出しそうな情けない顔で、こちらに助けを求めて来る。


(ヘタレだなぁ……)


 普段は尊大で人間を見下した態度でいるのに、いざ自分の仇敵である人間からこのように慕われ、あたかも人気アイドルのような扱いを受けると途端に尻込みしてしまう。


(まあ、複雑な気分だよな……そりゃ……)


 とはいえ、スバルも決して悪い気はしていないようではある。

 彼女も常々言っているが、別に人間を殺めようというわけではなく、単に人間の支配する世の中が許せず、鬼である自分が取って代わると宣っているだけなのだ。

 そのため「自分に服従する」という事であれば、それはそれで良いのである。

 もっとも、今のところスバルと接して来た人間は慕ってはいても、決して「服従する」といった感じではないが……。


「ところで月人ニイ。さっきヨシ爺ちゃんに会ったよ? 他の分家の人達も来てるみたい。あとで挨拶くらいしとけってさ」

「ふぅん……」


 そう言えば最上分家の人達にはヨシ爺さん以外にまだ会った事がない。

 亡くなった両親ともあまり良い関係ではなかったそうだし、会って挨拶をするだけでも何となく気が重くなった。

 寧ろ今は考えたくない。厄介事はできるだけ忘れて祭りを堪能したい気分だった。


「それにしても……凄い数の篝火だな」


 香代と佐知に質問攻めされ続けているスバルが哀願するような顔で救いを求めて来るので、とりあえず月人は話題を逸らす事にしてみた。


「ああ、お祭りの時はいつもこうですよ」


 佐知が朗らかな笑顔で答える。

 少し通りから離れているのに、その佐知の顔も赤々と照らすほどの大きな篝火が通り沿いに均等な間隔で置かれている。それが山の奥の方から商店街の先まで、ずっと続いているのだ。

 もともと明かりの少ない山村であるから、自然に囲まれた中に無数の炎が列を成している光景は表し難いほどに幻想的だ。


「提灯を飾ってるのは商店街の方だけなんだね」


 商店街に飾られている白い提灯は、準備段階から月人たちも目にしている。

 単にそちらの方が建物が多いからなのかとも思ったが、それにしてはタマバミサマのお社から続く長いルートには、お練りの終着地点である商店街にしか提灯が無いというのも妙な感じがした。


「ああ、それは……何だっけ? 香代っち」


 説明しようとした佐知は急に墓穴を掘ってしまったかのような気まずい顔をして、話を香代に振った。

 地元っ子ではあるが、どうやらよく覚えてないらしい。


「ええと……このお祭りは普段、お社の中に眠っているタマバミサマをこちらの世界にお招きして、その目で世間の様子を見て頂くための儀式なんですね。そのためお練りの終着点はタマバミサマがこちらの世界で滞在する宿みたいなもので、建物は無いですけど、ああして篝火と白い提灯で一層明るく照らして一晩お過ごし頂く仮の聖域としてるんです」

「ふぅん……。じゃあ、タマバミサマって普段はお社に人が拝みに来ても寝てるって事は、見えてもいないし、聞こえてもいないってこと?」


 弓月の質問に香代はクスッと笑ってかぶりを振った。


「見えてはいないけど、私たちの声はちゃんと届いてるのよ? 眠ってはいても神様だから、そこはね……」


 些かご都合主義的な感じはするが、要するに人の常識で推し量ってはいけないという事だ。


「だからタマバミ祭りの日は、お社を守護してる鬼はお休みなの」

「お社を守護してる鬼って……ワァのことか?」


 スバルの素朴な疑問に一同は「あ……」と言葉を詰まらせる。

 そう言われてみれば、スバルはタマバミサマを守護する鬼として祀られているという言い伝えがあったのだった。


「ワァが月人の家にいるんだから、そのタマバミサマとやらは誰に守られてんだ? てか、守ってるヤツなんてホントにいるのか?」

「いやいや、スバル……。飽くまでこの村に古くからある伝承だから」


 俗信やら風習などに真面目なツッコミを入れたらキリがないというものだ。

 確かに普段、タマバミサマを守護しているという鬼が普通に村の一般家庭で生活しているというのもおかしな話だし、説明のつかない状況ではあるが……。


「え~と……きっとスバル姉ちゃんのスゲェ力が働いてる……とか?」

「ワァにそんな妙ちきりんな力は無いぞ?」


 佐知の苦し紛れの解答にもスバルは容赦ない。


「ややこしくなるから、その辺にしときなさい」


 脳天を月人にチョップされ「うぐっ」と呻き声を発する。それと同時に沿道に立っている人々から「おお!」という歓声があがった。


「あ、来たみたいだよ」


 弓月の指差す方を見ると、カーブした通りの向こう……チリンチリンという鈴の音とともに暗がりの中からヌッと黒い大きな牛が姿を現した。そして牛の両側に二人。さらに後ろに十数人の男達が続いている。

 いずれも白装束に烏帽子という出で立ちで、そのうちの何人かが鼓や笛、笙などの楽器を奏でていた。

 そして楽器を持たない者が何やら能楽のような調子で謡う。


 *


 我ら敬い奉る 荒ぶる御魂みたまのスメカミの 

 久方お出まし うつし世に

 灯明もちて拝み奉らん

 これより照覧たばせたまう 

 くゎらりくゎらりとよこがみ鳴らし 御簾の内にて御座おわしませり

 御霊ごりょうのえにしを符と代えて 生々しょうじょう世々せぜと果報を賜わん 


 *


 その光景に月人は言葉もなく目を奪われていた。

 荘厳で神秘的で、しかしどこか異様で息の詰まるような恐ろしさを感じさせる。


(何だろう……これ……)


 月人だって有名な神社などで神事を目にした機会は過去にもあった。

 テレビなどで見た事もあるが、このタマバミ祭りにおけるお練りは、今まで月人が見た事のあるどんな神事とも雰囲気が違う。

 神聖な儀式である筈なのに、どういうわけか言い知れない不安がふつふつと湧いてきて胸の奥が押し潰されそうになる。


 と、ふいに生暖かい風が吹いた。

 ほんの一瞬の事であったから誰もが気にも留めなかった。

 そう……。誰もが単なる一陣の風に過ぎないと思っていた事だろう。

 けれど月人は牛車の御簾が僅かに捲り上がったのを見た。それも誰かが触れたわけでなく勝手に捲り上がり、そして御簾の向こうで何者かが掴んでいた手をスッと放したかのように、御簾はパタンと下がったのを……。


(風……じゃないよな……)


 風に吹かれて御簾が動いたにしては、やけに動きが不自然だった。

 牛車にはタマバミサマの御神体を納めた厨子が乗ってると聞いたが、他にも誰かが乗ってる人でもいるのだろうか?


「ねぇ……。あの牛車って……」


 この祭りに詳しい香代に月人が尋ねようとした時だった。


「ゆ、弓月ちゃん?」


 香代と佐知が狼狽した様子で弓月の顔を覗き込んでいた。


「ん? 弓月? どうかしたのか?」

「う……ぐ……あ……ああ……!」


 弓月はギュッと胸を押さえて苦しそうに喘いでいる。口の端からツッと赤いものが垂れた。


「弓月! おい! 弓月!」


 苦痛に顔を歪め、月人の必死の呼びかけにも反応しない。


「弓月ちゃん!」

「お、おい! 香代っち! 先生! 診療所の先生呼んで来い!」


 佐知に促され、香代は「う、うん」と頷くと商店街の方へ走り去って行く。

 確か診療所は月人たちが今いる場所から見て、商店街の手前だった筈だ。祭りの日であっても診療所の先生は万が一、何かあった時のために診療所から動かない事になっているとの事であった。


「弓月! しっかりしろ!」


 月人が息も絶え絶えにグッタリしている弓月を介抱しようと手を伸ばすと、その手をスバルにグッと掴まれて止められた。


「スバル……?」


 何をもって止めるのか理解できず、月人は戸惑う。

 しかし、彼女の顔にいつもの天真爛漫な明るさは無く、怖い顔で首を振った。


「下手にナァが触らない方がいい……」

「それは……どういう……」


 そうこうしているうちに香代と診療所の先生がこちらに走って来た。

 先生は見るからに七十は過ぎていそうな老体で、その老いた体に鞭打って駆けて来たものだから苦しそうに息を弾ませている。

 しかし、彼は弓月の様子をひと目見て、即座に、


「すぐ診療所へ運びなさい。ああ、お兄さんが運んでくれると助かる。佐知さんと香代さんは先に行ってウチの看護師に吸引器とカテーテルの準備をしておくよう伝えてくれ」


 てきぱきと指示を出した。

 今し方スバルには弓月に触れるなと止められたが、妹がこんな状態なのだ。四の五の言ってる暇などない。

 なおもスバルが止めようと口を開くが、月人はお構いなしに四肢が完全に弛緩してしまっている弓月を何とか背負うと立ち上がる。

 ……と、月人の前にはヨシ爺さんが立っていた。


「おめぇ……その娘は……」


 ヨシ爺さんは鋭い目でこちらを睨んでいる。

 いや……初めは自分が睨まれているのかと月人は思ったのだが、違う……。彼の視線は月人のすぐ後ろにいるスバルに向けられていた。

 スバルも無言でヨシ爺さんを睨み返している。


 突然のヨシ爺さんの登場にしばし固まっていた一同であったが、先生の「どんな事情があるかは知りませんが、今は一刻を争います。急いで!」という言葉に月人は睨み合ったままのヨシ爺さんとスバルをその場に残し、先生たちとともに診療所へと走った。


 ヨシ爺さんが何を言おうとしていたのかは分からない。ただ、スバルに向けられたその目に宿っていたものは紛れもなく「敵意」であった。

 そして月人は走りながらスバルが発した意外な言葉を遠のいてはいたが、しかし確実に耳にした。


「ナァたちの崇める神……あれは何だ!」


 それは、騙されたとでも言わんばかりの怒りに満ちた声であった。

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