4.ベタな展開で急接近?

「んふふ~」


 先ほどからスバルは自分で手に入れた金魚を見ながら、ずっとにやけている。

 初めは「自己満足のために」などと批難していたが、いざ自分の力で手に入れ、面倒を見るのだと知ると愛着が湧いてしまったようだ。


 一族の仇である人間のやる事を認めたくないという思いが先立ってしまい、どうしても考え方が凝り固まってしまうようだが、金魚すくいにしたってネトゲにしたって、一度楽しいものだと理解してしまえば彼女は己の欲求に忠実だった。

 要するに「人間の生み出したもの」という概念が阻害しているだけで、その実、幼い子供のように単純なのだ。同年代の人間ほど擦れたところが無く、良くも悪くも純粋という事だろう。


「そんなに金魚ばっかり見て、足下見ないでいると転ぶぞ?」


 つい、金魚すくいに熱中していたものだから、気がつけば日も暮れていて、そろそろ御神体のお練りが始まろうという時間になっていた。


 月人たちは弓月に合流するために移動していたのだが、道なりに行かず、途中で森の中をショートカットして行こうと木々の間にある小道に入って来た。

 が、夕暮れの中、街灯からも離れた森の中は思っていた以上に薄暗く、小道といっても踏み固めた土を木材で補強しただけの階段と獣道同然のようなデコボコした道が続くだけだから足下もおぼつかない。


「大丈夫大丈夫! ワァは野山で生まれ育ってるんだぞ? これくらい、どうって事……と、ととっ! うきゃ!」


 慢心というやつだ。スバルは飛び出した木の根っこに足を引っ掛けバランスを崩すと前のめりに倒れた。


「ほら、言わんこっちゃない」

「う~」


 幸いにも咄嗟に手をついた事で豪快にすっころぶ事はなかったし、何とか金魚は守り抜いていたが、両膝をしこたま地面に打ち付けてしまったようだ。

 月人はスバルの手を引いて起こしてやると、浴衣に着いた土を払ってやろうとした。

 やろうとしたのだが……転んだ拍子に帯の辺りから裾がはだけてしまっていて、一瞬ドキッとして手を止める。


「痛ぁ……」


 スバルはそんななりになっている事など気にも留めず、さらに裾をはだけて打ち付けた膝を押さえていた。

 よくよく見れば左膝を擦り剥いており、傷口から血が足の甲の辺りまで垂れて来ている。


「あちゃぁ……。ちょっと待ってな。何かあったかなぁ……?」


 近くに水場はないが、都合良く途中でペットボトルのミネラルウォーターを買っていた。傷口を洗うのは、これで何とかなりそうだ。

 ただ、しばらく出血は止まりそうもないから、手持ちのハンカチを巻いて応急処置をしてやるしかない。


「これでどうだ?」


 スバルの膝にハンカチをギュッと巻き付けて縛ると、顔色を窺うようにしゃがんだままスバルの顔を見上げた。


「う、うん……」


 ぶっきらぼうに答えると、スバルはきまり悪そうに目を泳がせていた。

 そして月人が立ち上がると、


「あ、ありがと……」


 本当に木々の葉擦れにかき消されてしまいそうなほど小さな声で呟いた。


「あ、ああ……いや……」


 何だか歯切れが悪い。

 いつものスバルだったら「このくらい何でもない!」などと強がりを言いそうなものだが、何故、このタイミングで急にしおらしくなっているのか。


 しばし沈黙が続いた……。


(あれ? これ……)


 夕暮れの人気の無い森の小道で若い男女が二人きり。おまけにその場から互いに動こうともせず黙りこくっている。


(こ、このシチュエーションはマズイ! いかにもな、ベタなシチュエーションだけど、これは……! いやいや、しかし!)


 月人の脳裏にあらぬ展開が情景として浮かんでくる。けれど、月人の「マズイ」という意思に反して体が言うことを聞いてくれない。


 スバルの潤みを帯びた瞳を見つめながら徐々に顔を近づける。

 一方のスバルは恍惚とした顔で全く抵抗する素振りを見せない。


(いや、待て! これはマズイ! さすがにマズイって!)


 月人の理性が頭の中で必死に抵抗しているのだが、まるでもう一人、別の自分が体を乗っ取っているかのようで、理性の呼びかけに応じようともせずスバルとの距離がどんどん近づいている。


「つ、月人……。ワァは……」


 か細い声でスバルが何か言いかけた時だった。


 ――ベンベンベンベンベベベン!


 突如、月人の懐からけたたましい三味線の音が鳴り響いた。


「うわっ!」

「ひゃっ!」


 二人は同時に叫ぶと、急に我に返ったかのように体を離した。

 月人の懐からは相変わらず三味線の音が続いている。携帯電話の着信音を『津軽じょんから節』にしていたのだ。


「あ、は、はい? も、もしもしぃ?」


 電話に出た月人の声は無様なくらいに上擦っていた。


 スバルもはだけたままになっていた浴衣の裾を慌てて直している。


『月人ニイ! 今どこ? 早くしないと、そろそろ始まっちゃうよ!』


 電話の向こうで弓月が声を荒らげていた。

 言われてみれば確かにそんな時間だ。日が暮れて来たという認識はあったが、時間というものまでに気が回らないでいた。


「あ、ああ……。今そっちに向かってる。も、もうすぐ合流できるよ」


 通話を切ると「ふぅ……」とため息をひとつ。


「弓月から催促の電話だった」

「そ、そうか……。うん! そ、そういう事なら急がないとな!」


 スバルもかなり動揺しているようで、みじめな程に声が裏返っていた。

 暗がりなのではっきりと顔色までは判別できなかったが、その慌てぶりから他人には見せられないくらい顔を真っ赤にしているのであろう事は容易に想像がつく。

 月人だってそうだ。出来れば森を抜けるまでに気持ちを落ち着けなければと思っている。

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