6.昔語り2

「では、おのおの方……手筈通りに……」


 手筈通り……。

 疑念を抱いていた喜房ではあったが、彼以外の者は何の疑いもなく既に動き始めている。喜房一人が躊躇しているわけにも行かなかった。


 喜房に与えられた役目は切り込み役である。

 彼が戸口の前に立つと、他の従者たちが戸口の両脇に控え、剣の柄に手を掛けて息を殺す。

 喜房も使い慣れた太刀をスルリと抜くと、スッと息を吸い込む。そして頃合いを見計らい、脇に控えた従者の一人が戸を開いた。

 間髪入れず家の中に踏み込むと、中に居た鬼たちは虚を突かれた様子で一様に目を丸くしていた。


「我こそは鮭延喜房! 主命に従い、朝敵たるその方ら鬼どもを討ち滅ぼさんとまかり越した! 神妙にいたせ!」


 鬼は三人。うち二人は女で、恐らくひと際小柄な娘が聞いていたスバル姫であろう。もう一人の女はスバル姫の母親であろうか。

 そして彼女たちよりも手前に座っていた大男。スバル姫と一緒に居るところを見ると、彼が紛れもなく現鬼族の王である星丸だ。


 喜房は星丸が態勢を整えるよりも早く斬りかかる。

 一方の星丸は床に置かれていた剣を鞘ごと掴み、片膝をついた状態で喜房の斬激を鞘の中程で受け止めた。


「おのれぇ……朝廷の犬どもが……。我が父の命だけでは飽き足らず、なおも我らに仇為すか!」


 星丸が血走った目をこちらに向ける。

 悪路王ほどの力は持っていないとはいえ、さすがに現鬼族の王である。

 その威圧感には老練の武者である喜房も僅かにでも心に隙を見せてしまえば、あっという間に呑まれてしまいそうだ。


「喜房殿! 助太刀いたす!」


 先ほど、戸口で脇に控えていた従者の一人が飛び込んで来た。そして——


「ぐむぅ……!」


 彼の二尺ほどの刀身を持つ剣が星丸の脇腹に深々と突き立てられた。


「それがしも!」


 さらにもう一人の従者が星丸の背後に回り込み、背中に剣を突き立てた。


「ち、父上ぇぇっ!」

「ス、スバル……逃げ……うぬっ!」


 背中に突き立てられた剣がさらに深く押し込められ……切っ先が胸を貫いた。同時にそれまで喜房の太刀を押し返さんばかりの力で受け止められていたものが、途端に抵抗力を失う。


(悪路王の息子もこれまでか……)


 喜房がトドメを刺そうと太刀を振り上げた時であった。


「ううううああああぁぁぁぁ‼」


 為す術もなく床に座り込んだままでいたスバル姫が天を仰ぎ、大気を切り裂かんばかりの叫び声をあげた。

 それは決して大袈裟な例えではなく、ビリビリとその場の空気が振動し、壁や柱がガタガタと音を立てて揺れている。

 刹那――


「う、うわぁぁぁぁぁ!」


 星丸の背後から剣を突き立てた従者の体が紅蓮の炎に包まれた。


「な、なんだ?」


 喜房は星丸の背後で松明と化した彼を……ただ見ている事しかできなかった。

 いや、きっとそれが誰であろうと喜房と同様の反応しかできなかったであろう。

 炎に包まれた松明の悲鳴は瞬く間に消え、喜房たちが炎を消そうという考えに至る間もなく、それがもともと人であったとは思えないような炭の塊へと変貌していたのである。


「ゆるさない……」


 スバル姫が今度はその燃えさかる炎のような瞳で喜房を睨みつける。


(こ、殺される……)


 長年、武人として生きてきた喜房ではあったが、これほど「死」というものに恐怖を抱いたのは初めてだったかもしれない。

 眼前で抵抗する術もなく、ただ燃えさかる炎の中で無残に炭と化してしまった仲間……。

 かつて、どのような修羅場においても、このような人の死に様は見た事がない。


(あれは……あんなものは人の死に方ではない)


 そのような死が今度は自分の身にも迫ろうとしている。

 絶大な妖力を秘めているというスバル姫の力は、喜房の想像を遙かに超えたものだった。


「化け物……」


 思わず口走る。

 人知を超えたスバル姫の力。それは「化け物」という表現以外に言葉が見つからない。

 しかし、その喜房が思わず口走ったひと言がスバル姫の傍らにいた彼女の母親を激昂させた。


「化け物はどちらか! 為政者に恭順を示し、こうして細々と北の地で暮らす我らをなおも追い詰め、有無も言わさず命を奪う卑劣なニンゲンどもが! 己らの所業を棚に上げ、ようもそのような事を言えたものだ!」


 彼女の言い分は喜房の心に大きな太い杭として突き刺さった。

 今の今まで鬼を討伐する事に何の疑いも持つことはなかった。それは人と鬼とは決して並び立たぬ存在であり、人にとって鬼は敵でしかない。

 そのようにしか教えられて来なかったし、それが世の理として永劫不変のものだと思っていたからだ。

 しかし……立場が異なればどうなのだろう?

 互いを理解し合う事は確かに難しいだろう。けれど、理解できぬからと切り捨て、滅ぼす事が本当に正しい道なのであろうか? 

 少しでも理解しようという姿勢を持つ事で、このような無用な争いを避け、無駄に血を流すことも無くなるのではないか?


 喜房は自問自答を繰り返し、言葉を失って佇んでいた。

 

 恐らく……そのような疑問を抱いたのは、この場に喜房しかいなかったであろう。


「黙れ!」


 裏の窓から飛び込んで来た別の従者がスバル姫の母親を袈裟懸けに斬り捨てた。彼女は声をあげる事もなく絶命する。


「良いぞ。あとはおまえだけじゃ」


 すかさず喜房たちが入って来た入り口から最上永主が飛び込んで来ると、スバル姫に向かって九字を切った。


「あ……」


 それまで暴走気味に妖力を放っていたスバル姫であったが、永主の術によって昏倒する。


「ようやってくれた。早うスバル姫を樽の中に放り込んでしまえ。衣服に何を仕込んでいるかも知れぬから、全て引っ剥がしてな」


 彼の指示に最上家の者たちはスバル姫の衣服を全て脱がすと、乱暴に先ほどの漬け物樽の中へ放り込む。

 そして蓋をすると、その上から何やらミミズののたくったような文字だか模様だかが描かれた呪符を貼り付けて封をした。


「ここからは時間との勝負だ。此奴が目を覚まし、自力で封印を破る前にタマバミサマとやらに会いに行かねばな」


(件の祟り神か……。何をさせようというのだ?)


 喜房はこの時になっても、まだ主からスバル姫をどのようにして完全に封印するのかを聞かされていない。

 無論、彼の口振りからするにタマバミサマと呼ばれる祟り神の何らかの力を利用するという事なのだろうが、どこか剣呑な匂いがしてならない……と、老練の喜房の勘が告げていた。

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