2.鬼はお留守番

 そんな、ちょっとした騒動があってのち、朝を迎えた。


 前日に引っ越して来たばかりだというのに、月人と弓月は朝からスバル一人をこの広い屋敷に残して、慌ただしく出かけてしまった。目的は学校である。

 月人は高校生だし、弓月は中学生だ。事前に編入手続きの方は例のヨシ爺さんがやっておいてくれたらしく、二人は早々に付喪牛集落にある学校に通学できるようになっていたのである。


 もっとも、高校、中学とはいっても人口そのものが非常に少ない地域である。この付喪牛には全校生徒数が僅か二十人ほどの小中高一貫校があり、二人ともそこへ一緒に通うこととなった。


 一方、スバルは二人が帰宅するまでは一人で留守番。

 家の中にあるものは自由に使って良いという事にしてあるが、一点だけ……。くれぐれも外には出るなと釘を刺してある。


「本当に大丈夫なんだろうなぁ……」


 と、月人は出がけになっても不安を拭いきれない様子であったが、


「ワァを信用しろ。ワァとて今この時点で拠点を失うわけにはいかないからな」


 そう言って屈託無い笑顔を見せて、「さっさと行け」と言わんばかりにシッシッと追い払う仕草を見せて二人を送り出した。


 月人の嫁になる宣言をしたと言っても、所詮は自身の野望を成就させるため。この屋敷だって一時凌ぎの根城程度にしか考えていないという事が言葉の節々からにじみ出ている。その事が月人をなお一層不安にさせたが、さりとてスバルに付きっきりになっているわけにも行かず、彼女を信じて出て行くしかなかった。


 そんなこんなでスバルは一人、屋敷の中で好きに過ごしていた。しばらくは昨日、弓月から貸し与えられたノートパソコンに夢中だったが、正午を過ぎた辺りになると少々飽きてきて、シャットダウンもせず、そのまま無造作に寝転んで天井を見上げた。


「う~ん……小腹が減ったな……」


 昼に食べるようにと弓月がおにぎりを二つ用意して台所に置いてってくれたが、もともとスバルは約一二〇〇年も前の鬼だ。当時は現代のように一日三食ではなく、一日二食が当たり前で、現代のような一日三食の食生活になったのは江戸中期からである。もちろん、鬼であるスバルとて例外ではなかった。


 が、どうも現代人は一日三食が普通と知り、さらには昼食の用意までされていると、無性に腹が減ってきた。


「大体、朝も少なかったし、小姑が用意してくれた握り飯もたった二個だからなぁ……」


 朝は二人と一緒に食パンとベーコンエッグというスバルにとっては初めての洋食だったのだが、彼女にしてみればあまりにも少な過ぎた。


「ニンゲンは鬼に比べて食が細いと聞いていたが、あれじゃあ赤子のメシだな。ワァが一族の皆と食べてた朝飯なんてイノシシ二頭は捌いて鍋にしてたものだが……」


 キュルルルとお腹が哀しげに鳴いた。


「確か……とかいう食材がたんまり詰まった貯蔵庫があるとか……。この屋敷の台所にもあった筈だぞ」


 思い立ったように立ち上がると、トコトコと長い廊下を台所へと向かう。昔ながらの土間になっている台所は火をつかうところだけガスコンロになっているが、あとは昔のままで水回りは、わざわざ庭の井戸から水を汲んで来て使うようになっている。冷蔵庫は台所へ入って直ぐにあるが、踏み固められた土の上に直置きにされていた。


「これだなぁ? この中なら長期間の保存が可能だというが、なかなか便利な世の中になったもんだな。これが生意気にもニンゲンどもの手で生み出された物というのが、些か気に食わないところだが……まあ、便利だという事だけは認めてやらないでもないぞ」


 などと、ブツブツと独り言を呟きながらも期待に満ちた瞳で冷蔵庫を開ける……。が、月人たちがこの屋敷に引っ越して来たのは昨日の事である。それからロクに買い出しにも行ってないのだから中身はお察しの通り。


「な……! 何が食材がたんまり詰まってる……だ! 保存の必要があるほど入ってないじゃないか! 嘘つきめ!」


 誰に対して「嘘つき」と言ってるのかは分からないが、中には今朝使い切れなかった卵がパックに二つ残っているだけで、あとは牛乳パックが一本だけであった。


 仕方なく、弓月の用意してくれたおにぎりをグチグチ悪態つきながら口へ運ぶが、やはり足りない。


「まさかあの小姑め……。ワァが月人を寝取ろうとした腹いせに、ワァをジワジワと飢えさせて、生かさず殺さず飼い慣らそうという魂胆じゃないだろうな」


 とんでもない言い掛かりである。 

 さりとて月人も弓月も鬼に関して満足に知識がないのだから仕方ないとして、一般的な人間に比べて遙かに大食らいな鬼にしてみれば、おにぎり二個など飴玉を舐めているに等しいのだ。


「むむむう……。あいつの思い通りにはさせないぞ」


 まだ弓月がそんな事をたくらんでいると思い込んで忌々しげに眉をひそめながら居間に戻る。すると居間に戻ったところで目の端に何かが映り、スバルははたと足を止めた。


「何だ……これ……?」


 厚みのある茶封筒がテレビの脇に置かれている。

 そっと手に取り、中を覗き見ると……しばし表情のない顔で固まり、やがてスバルは口の両端からニンマリと笑みを浮かべた。


「うん! これで何とかなるかもしれないな! 死活問題! これはワァにとって死活問題なのだからやむなくなのだ!」


 何か自分で自分に納得させようと言い訳めいた独り言を喚いて何度となく頷く。そして意を決すると茶封筒を手にしたまま、まるで逃げ去るような足取りで居間を出て行った。

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