10.珍入生

 気持ちの良い朝だ。

 野鳥のさえずりが心地よい目覚まし代わりになってくれるし、山林を吹き抜けるそよ風が柔らかな緑の香りを運んで来る。

 都会の喧噪の中で暮らしていると、なかなか味わう事のできない、まさに人が自然に生かされている事を実感できる……そんな気持ちにさせてくれる。

 朝からそんな穏やかな気分に浸れたのも、先日の入浴中の一件以降、スバルがおかしなちょっかいを出して来なくなったからだ。


 あれから数日が経ったのだが、スバルは態度こそ、これまで通り尊大で傍若無人ではあったが、「月人の嫁」発言だけは少なくなったような気がする。


 まあ、理由が何であれ襲撃を警戒する事なく安眠できるのは何よりだ。


「いただきます」


 月人と弓月は揃って手を合わせ、いつものように居間での朝食。

 軽く焦げ目のついたトーストにバターを塗ると、月人はトーストを持ったまま手を止め、何か物足りなさを感じてキョロキョロと辺りを見回す。


「あれ? スバルは?」


 いつもなら一緒に朝食を取る筈のスバルが、この日は姿を見せない。


「ああ、それなら少し前に用事があるからって、先に食べて出てったよ?」

「用事? 何だ、そりゃ?」

「さあ……」


 ここ以外に特に当ても無さそうな鬼娘に、いったい何の用があるというのだろう? 


 弓月も近頃はスバルの一挙一動をいちいち気にかけるのも面倒になって来たためか、理由まで尋ねなかったらしく、何の目的で出かけたかまでは知らないようだ。


「まあ、集落の外へ出なきゃ、別に良いんだけどな」


 その点に関してはスバルも確約している。だから日に一度は屋敷の外へ出ているが、集落の外――バス停の辺りまでは行っていない。

 村人たちにも、それなりに知られているし、昨日だって弓月の服をずっと借りて生活するというのは不便だからという事で服を買いに出ていた。


(そういや、この集落って服売ってる店なんか無かったと思うけど……あいつ、どこで買って来たんだ?)


 そんな疑問を抱きもしたが、確かに出かけてから三十分ほどで様々な服を買って戻って来た。

 本人曰く、丁度その日はフリーマーケットをやっていたとの事で古着を買い込んで来たのだという。ただ、下着類だけはネット通販を利用していた。


 今のところ集落で騒ぎにはなっていないから、スバルがどこに何の用事があろうと構わない。

 けれど……いつもは居たら居たで騒々しいスバルが居ない朝食というのも、月人には何となくひと味足りないように感じられた。



 月人たちの通う学校は商店街から西に行った、周囲より少し高台になった場所にある。

 校舎はレトロな木造で、校庭も子供が野球やサッカーをして走り回るには十分な広さはあるものの、決して広いとは言えない。もっとも、小中高一貫であるとは言っても生徒数そのものが少ないために、そこまでの広さは必要ないのだ。

 生徒数が少ないので教室だって小学生、中学生、高校生のそれぞれで教室を一つずつ浸かっている。だから学年もバラバラだ。


 で、高校生の教室はというと……月人を含め、男子が二人、女子が一人と実に寂しい。

 三人が机を横一列に並べて授業を受けるスタイルなのだが、月人ともう一人の男子が一年生で、女子が二年生だから、教師は二学年分を同時に教えなければならない。


(まるで家庭教師だな……)


 どこぞのテレビのコマーシャルで見た事のある個別学習とやらを連想せずにはいられなかった。


 高等部の教師は三十前後の女性で、氏家うじいえ清美きよみという。

 生まれも育ちも、ここ付喪牛だそうで、この学校を出てから大学を卒業するまでの間だけ仙台の方で暮らしていた事があるらしいが、関東を含め、他の地方に行ったことは無いそうだ。


 その氏家先生はホームルームのために教室にやって来ると、この日はヤケに楽しそうに顔をほころばせていた。

 いつもおっとりしていて、恵比寿様の女性バージョンと言ってもよいほどの柔和な笑顔を絶やさない先生ではあるのだが、今日はいつにも増して後光が射しているかの如くまばゆい笑顔だ。


「おはようございます。先日、最上君がこのクラスに入って来たばかりですが、今日はまた新たに転入して来た子がいます」

「へぇ……。珍しい事もあるもんだな。こんな辺鄙なとこに……」


 月人とは別の男子、池田が皮肉を込めて鼻で笑った。

 決して悪い男ではないし、月人も会って早々、この池田とは打ち解ける事ができたほど、明るくて気さくなヤツなのだが、彼は自分の生まれ育った付喪牛に対して、あまり良い印象を持っていないようで、常々「早く卒業して、都会で一人暮らしがしたい」などと言っていた。

 こんな過疎地に移住してくるなど、よっぽど酔狂な変人だと思っているくらいで、今の発言もそんな池田らしい皮肉なのだろう。


「にしても、オレよりも後に引っ越して来た人なんて居たっけ?」


 月人の疑問に池田は「さあ?」とばかりに首を振る。


 月人たちが引っ越して来た時だって、既に村中にその噂は広まっていた。それほど外部の人間がこの付喪牛にやって来るというのは珍しい事なのだ。

 それなのに月人たちの後に誰かが引っ越して来たなどという話は全く聞いていない。


 だが、氏家先生は福を招きそうなほどの笑顔を保ったまま、月人にとっては実に意外な事を言い出した。


「そう言えば最上君は既に承知してるだろうから、あらためて紹介する必要もないでしょうけど、池田君と江口さんは初めてでしょうからね」

「え……?」


 自分の知っている者だと弓月くらいのものだが、彼女は中等部だし、月人と同じ日に転入して来ているのだ。


(となると、他に思い当たるのは……)


 月人は嫌な予感がした。


「じゃあ、入ってくれるかしら?」


 氏家先生は廊下に待たせているであろう転入生とやらに声をかける。

 彼女に招き入れられ、その転入生は教室前方の入り口からスタスタと、堂々とした足取りで姿を現した。


 その姿に月人は絶句する。


「ワァは悪路王の孫娘にして、そこな最上月人の嫁……スバルだ! 今日からワァもここでともに学ぶ事になった。覚えておくが良いぞ、ニンゲンども!」


 当たり前のように現れた鬼娘。おおよそ新参者の自己紹介とは思えないほど尊大な態度。セーラー服姿のスバルがそこにあった。

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