4.裸の鬼娘

「えっ……? ワァ? ナァ……?」


 少女の問いかけに月人は戸惑う。


「ナァは何者ぞ?」


 少女はさらに問いかけてきた。 

 どうやら「ワァ」とは彼女自身を指す一人称。「ナァ」が二人称であるようだ。


 が、恐怖心が薄らいだとはいえ、突如目の前に現れた少女に月人は呆気にとられ、質問に返す事もできずにいる。


「何だぁ? ワァの姿に恐れおののいて声もでないか?」


 少女は恐れられている事が嬉しいとでも言いたげに口元を歪める。キラリと八重歯が光った。


「ならば特別にワァから名乗ってやろう」


 そう言うと彼女は小さな身体をさらにふんぞり返らせ、高らかに名乗りをあげた。


「ワァは偉大なる鬼族の長たる悪路王あくろおうアテルイの孫娘、スバル様だ! ワァが復活を果たしたからには、もはやニンゲンどもの好きにはさせん! 鬼族を謀り、悪路王を死に追いやったにっくき朝廷を滅ぼし、ニンゲンどもを蹂躙し、ワァが鬼族による国を建国してくれようぞ!」


 そして高笑い。

 それにしても……言ってることは物騒だが、イマイチ要領を得ない点が多い。


「ちょう……てい……?」

「そうだ! ワァの祖父を殺したのは確か……カンム帝とか言ったか……そんな名だったが、ワァが封印された頃にはサイイン帝なる者が統治していた京の都を拠点とした国だ。ナァは見たところニンゲンのようだが、そんな事も知らないのか?」


 俄に蔑みの目が向けられる。

 そんなこと知っていて当然だろうというような目をされても月人としては困るというものだ。


(そう言えば歴史の授業でそんな名前を聞いた事あったっけ……。でも、あれって……)


 おぼろげな記憶を辿って行くと、平安時代の初期に蝦夷討伐が行われ、その時にアテルイという名前が出て来た気がする。

 となると、このスバルという鬼の少女は、およそ一二〇〇年も前の者という事だろうか?

 そうであれば、彼女の言ってることがどこかズレているという事も合点が行く。


「あ、あのさ……」

「何だ? 鬼を前に臆して命乞いをする気にでもなったか?」


 別にそんな事をするつもりなど毛頭無い。そもそも鬼族の王の孫娘などと称してはいるが、このスバルという少女からは相手を怯え竦ませるほどの威圧感が皆無と言って良いほどに感じられないのだ。

 ツノさえ生えていなければ、ただの中二病を患ってしまった残念な女の子にしか見えない。


「キミの言う朝廷なんだけどさ……」

「おっ? 心当たりがあるのか? まあ、それはそうだろうなぁ。ワァにとっては不倶戴天の敵なれど、ナァたちのようなニンゲンにとっては恩恵を与えてくれる存在であろうからな」


 まだ現実というものを知らないようだ。

 こうなると何だか現実を伝えるのが酷にも思えて来る。


「とっくの昔に無くなっちゃってるんだけど……」

「うむうむ! そうだろう、そうだろ――な、なにぃぃぃぃっ⁉」


 まあ、その一族は今でも残っているが、国政に関わる事が出来ないので「朝廷」という存在そのものは、とうの昔に無くなっている。大体、その朝廷だって長い日本の歴史では紆余曲折あり、それを全て語っていたらキリが無いほどだ。


「ちょ、ちょっと待て! じゃあ、今は誰がこの国を統治してるんだ? まさか……ひょっとして……ワァが封印されている間に鬼族が再興を果たして天下統一なんて事に……」

「ああ、いや……一から説明すると長くなっちゃうけど、少なくとも鬼は今から千年以上前に滅びたよ」

「なっ……」


 スバルは言葉を失い、その場に固まってしまった。


 予想はしていたが、やはりショックはあまりにも大きかったようだ。

 つまり彼女にとって、ほんのひととき眠っていただけのような感覚に過ぎない封印されていた約一二〇〇年という時間は残酷なほどに日本の有り様を変えてしまったという事である。


「ナ、ナァの言ったこと……本当なんだろうなぁ……」

「少なくとも嘘をついたつもりはない」


 それを聞くなりスバルはガクリと膝を落とし打ちひしがれる。しかし、それも一時のことで、すぐさま立ち上がると、


「そ、そうだ! だったらワァの力でニンゲンどもの天下を奪ってやれば良い事じゃないか!」


 と、新たな決意に瞳を輝かせている。

 この短い時間に、へこんだり立ち直ったりと忙しい娘だ。


「手始めに……」


 ギロッと月人を睨みつける。

 まるで獲物に狙いを定めるケモノの目だ。


「ま、まさか……」


 月人はゴクリと唾を飲み込むと、一歩……後ずさりした。

 それほど迫力は無い。むしろ、この少女が鬼であるという事実さえ無ければ、小さな女の子の戯れ程度にしか見えない。だが、昔語りに何度となく聞かされて来た鬼ともなれば話は別だ。


 かつて、この国に棲んでいたという鬼は人間よりも強大な力を持っていたという。それは腕力などの物理的な力はもちろん、様々な妖術を用いて、討伐へ向かった朝廷の軍も散々苦しめられたそうだ。


 このスバルという少女がどのような力を持っているのかは分からない。けれど、歴史に名を残す鬼族の長の孫娘ともなれば、並みの鬼たちよりも大きな力を持っている筈だ。

 襲われでもしたら、戦う力など皆無といって良い月人には太刀打ちできるような相手とも思えない。


「ナァを八つ裂きにしてワァの痛む心への慰めとしてくれるわぁぁぁ!」

「やっぱり!」


 スバルが飛びかかってくる。

 咄嗟に月人は片手を前に突き出し、身を庇おうとした。が、その咄嗟の判断に月人は後悔した。


(腕を持ってかれる)


 これといって格闘技の経験もない自分の細腕など、鬼の力をもってすれば簡単に引きちぎられるであろう。本来ならば……だ……。


 それが、月人にも拍子抜けする事態が起こった。


「う……うにゅにゅぅぅぅぅ!」


 月人の突き出した手は偶然にもスバルの額を押さえつける形になっていて、スバルは腕の長さで勝る月人相手に必死に掴みかかろうと両手をメチャクチャに振り回す……が、その手は虚しく空を切っていた。


「よ……弱っ!」


 月人に頭を押さえつけられながら暴れるスバルであるが、明らかにその力は小学校の低学年レベルだ。


 やがてスバルも力の差を思い知らされ諦めたのか、ペタンとその場に腰を落とした。


「おまえ……弱くない?」

「う、うるさい! おのれぇぇ……。ワァを封印しただけじゃなく、ワァ本来の力まで奪うとは……卑劣な……」


 どうやら、そういう事らしい。

 恐らく、あの漬け物樽の封印には何か、スバルの力を奪う仕掛けが施されていたのだろう。その為に、本来なら一対一で人間相手に負ける筈のない鬼であるスバルが現代っ子の小学生並みの力しか出せなくなってしまったようだ。


「そ、それなら!」


 スバルは月人に向かって手のひらを突き出す。しかし……ただ突き出しただけに終わった。


「な、なぜだ……。本来なら、ここで火球が飛び出す筈なのに!」

「あ、火の玉出せるんだ」


 でも、ウンともスンとも言わないという事は妖術を使うのに必要な力も無くしているという事だろう。拍子抜けに拍子抜けが重なって、何だか、この鬼の少女が哀れに思えてきた。


 スバルは己の手をジッと見つめて愕然としている。


 月人は身の危険が無いと分かると、途端にある事が気になり始めた。


「あのさ……おまえが何であんな漬け物樽に入れられてたのか……とか、色々聞きたい事はあるけど……とりあえず、その格好何とかならないのか?」

「ん?」


 月人はできる限り彼女を直視しないようにそっぽを向きつつ、彼女の身体を指差す。スバルは指摘されるまで全く気づいていなかったのだろう。自分の身体に視線を落とすと、「ふひゃ!」と怪鳥のような悲鳴をあげて胸を隠す。


「み、み、見たな……?」


 顔を真っ赤にして恥じらう姿は人間の女の子と変わらない。


「そ、そりゃあ……突然、目の前に現れたと思ったら、ずっとその格好だったからな。見るなという方が無茶だ」

「お、お、おのれぇぇっ! この破廉恥ニンゲン! 色魔! 女の敵ぃぃっ!」

「そんな理不尽な!」


 スバルはその場から動こうにも動けず、ひたすら叫び続けるばかり。月人は月人で、どうして良いものやら戸惑う始末。


 そんなスバルの叫び声が土蔵の外にまで聞こえたのだろう。


「月人ニイ、何騒いでんの?」


 ついさっきまで寝息をたてていた弓月であったが、いつの間にか目を覚ましたのか、騒ぎを聞きつけて階段の上から僅かに顔を覗かせた。この状況で……。このタイミングで……。


「あ……」


 月人と弓月は同時に凍りついた。


 悲鳴をあげている裸の少女を前に立ち尽くしている月人。このシチュエーションはどこからどう見たってアレだ……。犯罪的だ……。

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