第一話 偉大で弱い鬼娘?

1.付喪牛

「随分と田舎だねぇ」


 車窓から外の景色を眺めながら、今年で十四になる妹が呟いた。


「駅前はそれなりに拓けてたのに……」


 確かに降り立った駅の周辺にはスーパーや大手の家電量販店などが狭い範囲に集中していたが、それでも都内やその近郊の駅前に比べると地方の小規模駅といった様子で、駅から数分も歩けば住宅地と田畑が広がっているような土地である。

 そこから路線バスに揺られる事、約一時間……。


 山道をひた走り、車窓から見える景色はあれよあれよという間に民家の殆ど見られない、見渡す限りの緑という、秘境とも呼べるような山奥へと迷い込んでいた。


 今にして思えば、駅前からこのバスに乗り込んだ際に調べた時刻表には午前と午後の二本しか無い路線であった。


 そんなバスの終点へ、これから向かおうとしているのだから、それがどんな場所であるのか少しでも想像力を働かせてみれば予測はできた筈だ。


弓月ゆづき付喪牛つくもうしに行くのは初めてなんだっけ?」

「うん。月人つきとニイも?」

「おまえが行ったことないのに、オレがあるわけないだろ」


 月人は膝の上に乗せている衣類がパンパンに詰め込まれたボストンバッグに肘をつくと気怠そうに頬杖をついた。

 妹の弓月が行ったことがなければ兄である月人が行ったことある筈がない……それは不自然な物言いのようで、二人には至極当然の事であった。


 そもそも兄の最上もがみ月人と妹の最上弓月は血の繋がらない兄妹である。

 月人の父親は旧姓、大井といった。月人はその父の連れ子であり、月人が六歳になるかならないかという年に最上家の婿養子となった。

 月人の父と再婚した相手にも一人娘がいた。それが月人より二歳下になる弓月である。


 そしてこの二人の兄妹がこれから向かっているところ……それは最上本家の屋敷である。

 もっとも、今の最上本家の屋敷にあるじはいない。今までは弓月の祖母が一人で暮らしていたが、昨年暮れに亡くなったのだ。


 どういう偶然か、或いは不幸の連鎖か……祖母が亡くなる一昨年には弓月の母が……。そして祖母が亡くなって数日後に二人は父親を失ってしまった。


 ずっと都内で暮らしていた二人であったのだが、首都圏に二人の身内は無い。最上の親類は皆、岩手、宮城、秋田といった東北一帯に住んでいるし、弓月が唯一、最上本家の血筋である事から、最上分家の人々に本家を守るよう指示されて、岩手県の山深くにある付喪牛という集落に移り住むこととなってしまったのである。


 月人も弓月も昨年亡くなったという祖母に会ったことはないし、最上分家の親類とも父親の死後に電話で話した事が何度かあるくらいで、実際に顔を合わせた事などないのだ。だから、当然のように付喪牛に行ったことも無ければ、どんな場所なのかも知らない。


「こんな僻地で、ちゃんと引っ越しの荷物届いてるのかなぁ……」


 弓月は不安げだ。


「そりゃあ、よっぽど事故でもない限りは届くだろ」


 月人もそうだが弓月も根っからの都会っ子である。田舎で生活した事もなければ、都市部から離れた事もない彼女にとって、田舎での生活というのは別の惑星で暮らすにも等しい事なのかもしれない。


「田舎だとか僻地だとか、あんまりそんなこと言ってると地元の人に怒られるぞ」


 とは言っても、月人とて慣れた都会暮らしを離れ、見知らぬ土地の小さな村で暮らす事に不安を抱いていないと言えば嘘になる。

 大体、先程から民家というものが一向に見えてこない。


 それにバスの車内を見渡せば、いつの間にか乗客は月人と弓月の二人だけになっている。


(一日に二本しか無いのに、それでも終点まで乗ってく客が居ないんだな……)


 まあ、まだ午前中だから、行って帰って来ることを考えれば、付喪牛に向かうバスに客が乗るのは主に午後なのかもしれないが……。


 やがて車内アナウンスが終点、付喪牛を告げた。

 月人は重いボストンバッグを肩から下げ、弓月もキャリーバッグを引いて順にバスを降りる。


 トタン屋根の下に古びたベンチが設置されているが、あまり手入れをする者もないのかベンチの高さまで伸びた雑草で停留所そのものが飲み込まれようとしている。

 標識も錆付いていて、青い塗料で書かれている「付喪牛」という文字も色あせて読みづらくなっていた。

 バスがUターンするためなのだろう。ロータリーのような開けた場所になっているが、そこから先へも上り坂が続いている。


「ここから少し歩けば集落の中心に出られるよ」


 バスに乗車する際に付喪牛に向かうバスであるのかを運転手に確認していた為、恐らく二人が初めて付喪牛を訪れるという事を察してくれたのだろう。彼は親切に先を指差して教えてくれた。


「ありがとうございます」


 月人はベンチに荷物を置くと頭を下げた。

 辺りは鬱蒼とした木々で覆われた、これぞ山奥。これぞ秘境と言いたくなるようなところ。

 どこからか川のせせらぎが聞こえてくるが、その姿は見えない。

 月人たちが立っている場所から通りを挟んで向こう側にも木々が覆い茂っているが、どうやらその向こうが崖になっているらしく、崖を下りたところが沢になっているようだ。


「迎えに来てくれるとか言ってなかったっけ?」


 弓月は慣れない長旅に少々くたびれてしまったのか、ベンチに腰を下ろしたまま不満げに月人の顔を見上げた。


「ヨシ爺さんが来てくれるとは言ってたけど、確か役場までは自分たちで来いって……」


 ヨシ爺さんとは本名を最上善房もがみよしふさといい、最上分家の中でも最年長の老人である。最上本家の目付役でもあるそうで、月人や弓月も電話では何度か話した事はあるが、実際に会うのは初めてであった。


「役場って、あとどのくらいあるの?」

「さあ……?」


 何しろ初めての土地だ。バスの運転手は「少し歩けば集落の中心」と言っていたが、こういう田舎暮らしが慣れている人の言う「少し」と、都会暮らしに慣れてしまっている者の言う「少し」ではニュアンスが異なる場合が多い。


(少なくとも三十分くらい歩くって思ってた方が良さそうだな)


 内心そう思ってはいたが、弓月には黙っておく事にした。ぶーぶー文句を言われても面倒だ。


 二人は付喪牛集落の中心に続くという坂道を登って行く。

 道幅は車がすれ違うのには十分な広さがあるものの、車はおろか人の姿すら無い。何かこう……バス停の辺りを境に外部とは隔絶された世界に足を踏み入れてしまったかのような感覚に陥る。


 春の東北地方とはいっても、この日は随分と気温が高く、重い荷物を持って慣れない山の急坂を一歩一歩進んで行く二人は自然と息が切れた。

 やがて、ポツポツと民家が見えて来た事で少しだけ安堵する。


「このまま何も無かったら、どうしようかと思った」

「そんな訳ないだろ」


 とは言ったものの、月人も内心は不安だった。

 多くの民家は平屋の日本家屋が多く、周辺には様々な野菜が植わっている畑が見て取れる。

 この地域では畑わさびやら暮坪かぶといった農産物を育てている家が多いそうだが、大半の家は農業と集落の更に奥にある鉱山で働く、いわゆる兼業農家が殆どだという話は月人もヨシ爺さんから、それとなく聞かされていた。


「集落の中心って、あそこかなぁ?」


 月人の視線の先に広場のような場所が見えてきた。

 四叉路になっており、案内板らしきものとその後ろに腰掛けて休むにはおあつらえ向きの大きなテーブル状の岩がある。

 その岩に老人が一人、腰を下ろしていた。


「あの……すみません」

「おや?」


 月人が声をかけると、老人は物珍しそうに月人と弓月の顔を交互に見やった。


「ここいらでは見ない顔だねぇ。こんなところにお客さんとは珍しい」

「付喪牛は初めてで……。役場ってどっちに行ったら良いですか?」

「ああ、それならそっちの道を下った先さね」


 老人の指し示した方角は、今し方、月人たちが登って来た道の直ぐ脇。下り坂になっている別の道がある。


「ひょっとして、おまえさん達……最上さんとこの?」


 さすがに人口の少ない小さな集落である。東京から引っ越して来る兄妹がいるという話など、あっという間に広まるのだろう。


「ヨシさんだったら、もう役場で待ってる筈だよ」

「そうなんですか? 電話で少し話をした事ならあるんですけど……まだ、どんな人なのか会った事も無くて……」


 すると老人は僅かに苦笑いして、


「まあ、人付き合いはあまり無いし、少々偏屈な爺さまだけどな……悪い人ではないよ」


(えぇ……)


 何だか会う前から気が重くなった。

 とは言っても、これから何かと世話になる人だ。上手く付き合って行くしかあるまい。

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