6.ポンコツな鬼
夕飯を済ませると、月人は全員の食器を台所まで運び、洗い物をする。その間に弓月は兄が沸かしてくれた風呂に先に入る。
東京に居たときも両親が居なくなってからは、大体こんな感じで家事を役割分担していた。
弓月が食事を用意した日は月人が洗い物。月人が食事を用意した日は弓月が洗い物。掃除、洗濯なども同様で、いつも交代で行っている。
で、居候のスバルはというと……居間でノートパソコンを前に何やら真剣な表情で、しきりにマウスをカチカチと忙しなくクリックしていた。
洗い物を終えた月人が居間にやって来て、それとなく彼女の背後からモニターを覗いてみると、そこには山野や城下町などのあるフィールドに騎馬隊やら歩兵やら鉄砲隊などの軍勢が、スバルの操作で縦横無尽に動き回っていた。
「おまえ……何やってんの?」
月人が声をかけると、スバルはよほど夢中になっていて、背後に月人が居ることに気がついていなかったのだろう。
「んにょぉっ!」
熟睡中に耳元でビニール袋を破裂させて起こされた犬よろしく、全身をこれでもかと言わんばかりにビクッとさせ、さらに妙な悲鳴まであげた。
「お、おお、脅かすな! 今、忙しいんだ!」
スバルは画面から目を離すことなく、月人に背を向けたままヒステリックに声を荒らげた。
「忙しいって……これ、ネトゲだろ?」
「『もののふの絆』という戦さを模したものだ」
月人はやった事はなかったが、話には聞いた事があった。
何でも、戦国時代が舞台となっており、自分は好きな勢力の好きな武将を選んで、シナリオ形式に用意された様々な戦さに参加し、他の味方ユーザーと協力して敵対ユーザー達と戦うシミュレーションゲームだそうな。かなりの人気作で、全国に数十万ものユーザーがいるのだという。
「今、小田原征伐なんだけど……相手の
「はあ……。そりゃ確かに豊臣勢ピンチだな……」
察するに秀吉の小田原征伐なのだろうが、スバルは有力武将の名前がうろ覚えなのか、下の名前は全て「某」で呼んでいる。
(しかも調略を成功させたのって北条氏直かよ……。史実じゃ考えられないくらい優秀だな)
きっとスバルはそこまで調べてはいないだろうし、史実の小田原征伐の結果なんて知らないのだろうが、何故か宇喜多秀家を選択して味方が窮地に立たされている中、次々に敵の武将を討ち取っている。
(ネトゲにハマる鬼って、どうなのよ……)
すっかり現代の娯楽に毒されてしまった感がある。
そこへタオルで頭を拭きながら、ピンク色のパジャマ姿の弓月がやって来て、
「お風呂、空いたよ~」
とだけ告げて、今度は台所の方へと去って行った。彼女は入浴の後、必ずと言って良いほどパックのイチゴミルクを飲む事を日課のようにしているから、台所へ行ったのもその為だろう。
「じゃあ、先に入るけど……スバルもほどほどにしとけよ? それ……」
「……ん」
月人は居間にあらかじめ用意しておいた自分のタオルを手に取ると、スバルを残して居間をあとにする。
一見、ゲームに集中して生返事をしているだけに見えたスバルではあったが、その直後、彼女はすぐさま戦さを放棄して、のそりと立ち上がった事を月人は知るよしもない。
その顔には企んだような笑みが浮かんでいた。
この屋敷は数百年前から殆ど形を変えていないという。もともとはこの一帯に馬とともに暮らせる民家として戦前には当たり前のように見られた曲り家と呼ばれる建築様式で、月人やスバルの寝室も、もとは馬が暮らす厩があったところを改築したものだ。
もちろん、時代とともに電気や水道、ガス、ガラス戸いった新しいものは取り入れているが、歴代の当主が極力昔のままの姿を残そうとしていたのだろう。それ故、風呂も今ではガスで沸かすようになっているとはいえ、昔の薪焚き風呂の名残があり、風呂釜は古い木桶風呂である。
浴室の壁や床は後の時代になって改修したのだろう。タイル張りではあるが、今時の新築家屋には見られないような……どこか昭和の香りを漂わせている。
「こういう風呂も味があって良いよなぁ……」
湯船に浸かりながら至福の息をつく。我ながら爺臭いことを言ってるとは思うが、こういう環境は今までに経験した事がなかったのだから、感慨にひたりたくなるのも無理はない。
「これで薪で焚く風呂のままだったら困るけどな」
湯を掬って自分の顔にかけると独り言ちた。
風呂釜のすぐ脇に窓があるが、磨りガラスになっているので外の様子は開けてみなければ、よく分からない。
けれど、磨りガラスを通してぼんやりと白く円い光が射し込んで来ているから、キレイな月の出た良い天気なのだろう。
「スバルの事……もう少し、ちゃんと考えなきゃな……」
景色もハッキリしない窓の向こうを見上げて呟く。
「そうだな」
月人の独り言に対して、当たり前のように返事が来た。
「それはワァも真剣に考えた方が良いと思うぞ」
実に明朗に……そして快活に……それでいて愛嬌のある声が浴室内に響いた。それは……月人が背を向けている浴室の入り口から聞こえた。
「な、な……ん……?」
恐る恐る声のする方を振り返る。
「ふふん!」
スバルが立っていた。それも一糸纏わぬ姿で腰に手を当て仁王立ち。イタズラ小僧のような笑顔を携えているが、その裸体は完全に思春期の女の子の体だ。
「お、おお、お、おまえ……! な、な、なな、何で⁉」
月人は慌てて湯船の中に縮こまる。目のやり場に困った。
「ん? 嫁であるワァが夫の背中を流してやろうと言うのだ。ありがたく思うんだぞ」
と、恥ずかしげもなく隠すところも一切隠さずに屈託なく笑っている。
「お、おまえ……ふ、ふざけんな! だ、大体、最初に裸見られた時は恥ずかしがってたクセに、何で今日は……!」
「夫婦で恥ずかしがる必要も無いだろ?」
とは言いつつ、言葉とは裏腹に慣れていないせいか、あらためて言われるとまだ恥ずかしさがあるのか、急に赤くなっている。
「と、とにかく! 勝手に入って来んな!」
「ふ、ふふん……。そんなこと言って事をうやむやにしようとしたって、そうは行かないぞ」
スバルはまるで獲物を追い詰めるかの如く、ジワリジワリと月人に迫って来る。
ただ、勢い込んで入って来た時と違って、あらためて裸体を晒すという事に羞恥心を抱いてしまったようで、手で恥ずかしいところは隠していた。
「もちろん、助けを呼んだところで無駄だ。小姑なら自分の部屋で学問に励んでるし、ここから大声を張り上げたって届かないぞ」
(な、なんてヤツ……!)
屋敷が広いぶん浴室から弓月の部屋までは、かなり離れている。ましてや脱衣所のドアを閉め切っていれば、どんなに大声で叫んでも弓月の部屋よりも手前にある居間に何とか聞こえるか聞こえないかといったところだろう。
それを計算したうえで周到に弓月が自室に籠もった事を確認してから、このような狼藉に及んでいるのだ。
(こいつ……策士だ……)
当たり前のように集落の人達とも馴染んでしまった事においてもそうだし、先ほど、ゲームで味方が不利になっている中、一人、まだ経験も浅いスバルが無双していた事を考えれば普段から油断ならないヤツだと察する事はできたかもしれない。
まさか、こんな不意打ちを食らうとは思わなかったが、せめて用心のために浴室の鍵はかけておくべきだったと月人は後悔した。
「さあさあ! ワァに背中を流してもらえるなんて果報者だぞ? 大人しく素直に身を委ねてしまえば良いじゃないか」
「素直に嫌だから拒否してんだよ!」
スバルが力尽くで腕を引っ張る。相変わらす非力で小学生並みの力しかないが、それでも勢いで月人は湯船から上半身を晒し、半ば中腰の状態にされてしまう。
「往生際が悪――」
そこまで言ったところで急にスバルは言葉を失い、金縛りに遭ったかのように、その場に固まってしまった。その視線は月人の下半身に注がれている。
「あ……うあ……う……」
耳まで酢ダコのように真っ赤にして、口をパクパクさせている。
「バ、バカァァァ!」
月人はドンッとスバルを突き飛ばし、再び湯船の中に座り込む。同時に浴室の床に尻餅をついたスバルは言葉にならぬ悲鳴をあげて、一目散に浴室から逃げ去って行った。
確実に見られた……。
けれど、スバルはノリノリで月人を襲おうとしていた割に、いざ月人のソレを目の当たりにすると半狂乱で逃走。知識としては知っているのだろうが、恐らく実物に対する免疫は皆無と言って良いのだろう。
要は頭でっかちなだけで、とんでもないヘタレだという事だ。
「ったく……。出てくにしてもドアくらい閉めてけっての……」
浴室のドアはもちろん、脱衣所のドアまで開けっ放し。どれだけパニックに陥っていたかが窺える。
何にせよ、弓月の助けが望めない窮地を脱する事ができてホッと安堵した。
昨晩の夜這いに続いて今度は入浴中に侵入して来るとは油断ならない。
もっとも、あの様子では
「自分の部屋にも鍵がかけられりゃ良いんだけどなぁ……」
浴室のドアを閉めながら、恨めしそうにドアのロックを見つめる。
月人の部屋は廊下に面した部分が全面障子戸だ。改築でもしない限り、寝室の防備を強化する事は叶いそうもなかった。
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