7.まどろみの中で……

 その日の夕食後、さっさと入浴を済ませたスバルは居間の机にペタンと突っ伏していた。

 いつものようにノートパソコンを開いてはいるが、電源は入れてない。

 疲れていてやる気もないのか、ただ眠たそうな目でジッと何も映らない真っ黒なモニターを見つめている。


「何してんの?」


 風呂から上がった月人が居間の前を通りがかって尋ねたが、スバルは気怠そうに、


「電源入れて」


 の、ひと言。怠惰もここまで来ると開いた口が塞がらなくなる。


「んなもん、自分でやれよ。疲れてやる気ないんなら、とっとと寝るこった」

「ん~。でもなぁ……ワァの配下どもがワァの参陣を待ってるんだよなぁ……」


 恐らく例のネトゲの話だろう。

 それにしても、どれだけ他のユーザーから頼りにされてるんだか……。


「そこまで使命感に駆られるほどのものじゃないだろ」

「わかってないなぁ~、月人は……」


 そう言われると少しムッとする。が、諦めた。


(完全にネトゲ廃人だな……)


 こういったものにドップリ浸かってしまうと容易には抜け出せない沼。ある種の中毒性を持っているものだが、この遠い過去の時代から、いきなりこの時代に目覚めた鬼の娘はあっさりと沼にハマって抜け出せなくなってしまっていた。

 きっと、このゲームの制作者が聞いたらほくそ笑んでいる事だろう。


「オレは先に寝るけど、おまえもあんまり遅くなるなよ」

「あ~、そう言えば……小姑は?」


 スバルは顔も上げず背中で問いかけた。

 質問の出所もわかる。夕食が済んだ後、弓月はいつもと違い、すぐに自分の寝室に戻ってしまった。それっきり出てくる気配はない。

 時刻もまだ八時過ぎといったところだから、普段であれば居間で一緒にテレビでも観てる時間だ。


「何だか今日は疲れたって言ってたから、もう寝たみたいだぞ?」

「疲れただぁ? ワァの方が疲れてるぞ!」


 何で張り合ってるのだか意味がわからない。


(どうも反りが合わないというか……犬猿の仲だなぁ……)


 しかし、こればかりは月人にも間に割って入る隙がない。

 やれやれとばかりに首を振って居間を後にした。



 それにしても月人もこの日は随分と体が重く感じる。スバルが疲れ切っていたのはもちろんだが、月人も慣れない事をしたためか少なからず疲労が出ていた。

 一応、学校から宿題は出されていたし、明日と明後日はタマバミ祭りがある。面倒な事は今日のうちに済ませておいた方が良さそうだ。


 一時間ほどで月人は重くなってきた目蓋を擦りながら宿題を終えると、自分もさっさと布団に入った。


「でも、意外だったな……」


 仰向けになって天井の節を見つめながら呟く。「意外」というのはスバルの事だ。


(話には聞いていたけど、まさかあんなに子供たちから好かれてるなんて……)


 本来であれば人々から恐れられ、忌み嫌われている鬼がこの付喪牛では特別な存在だという事はわかる。それも、その特別な鬼がスバルを指しているのだという事も。

 しかし、彼女の人気はそういった古い伝承から来るものではないように思えた。

 少なくとも、今日面倒を見ていた子供たちがスバルに向ける感情は、もっと別のものだろう。


(何だかんだ言いながらも、よく面倒見てたもんな……)


 子供たちにとっては普通の良いお姉ちゃんにしか映っていなかったかもしれない。それが極々自然で、人間と鬼という種族の隔たりを一切感じさせないものだった。


(最初はスバルがこの時代に存在しない鬼って事で、ひたすら隠そうとしてたけど……あんなふうに当たり前のように溶け込めるんなら、それで良いのかもしれないな……)


 そんな事を考えているうちに目蓋が重くなってきた。徐々にまどろんで来て、やがて深く深く何もない世界へと落ちて行く。


 *


 辺りは漆黒の闇であった。

 それなのに不思議と自分の体は見えている。

 ここがどこなのかは知らない。ただ、自分は仰向けになって虚空を見上げている。

 寝ているのかと言えば、それもよくわからない。体が浮いているようにも思えるし、何かに背中を預けているようにも思える。

 その空虚な世界に自分はただ在った。

 宇宙に星が一つも無かったら、きっとこんな世界だったかもしれない。

 そんな星も一つとして存在しない宇宙のような、光ひとつ無い深海よりも黒い中に、ふと何かの存在を感じた。


「誰だ……?」


 怯えるような声で問うが……返事はない。しかし、それは姿も見えないのに確実にこちらに近づいて来ていた。


「だ――」


 もう一度、声をかけようとした矢先、その何かにグッと体を押さえつけられた。

 重い……。息が詰まる……。

 何とか酸素を取り込もうと首を伸ばして喘ぐが、いっぱいに口を開いても何も入って来ない。本当に真空の宇宙に放り出されてしまったのではないかと絶望感に襲われる。

 体を押さえつけている、その何かも肌で触れている感覚は無く、圧縮された空気のようなものに体全体が押しつぶされているような……有機物でも無機物でも説明のつかないもの……という表現しか出来ないかもしれない。

 ふいに頭の中で声がした。


 ――ヤハリ、オマエデハナイ……


 地の底から湧き上がるような声だ。


(な、何を言ってるんだ?)


 確か、前にもこんな声を聞いた気がする。が、いつ、どこで聞いたのかは思い出せない。


 ――ナラバ、モウ一人ノ方カ……


 そう言い残すと、まるで蒸発してしまったかのように、その気配は消えた。

 しかし、同時に脳内に不思議な映像が浮かんで来る。

 それはセピア色のフィルムを古びた映写機で映し出しているかのようなものだった。だが、そこに映し出された映像にハッと息を呑む。

 おぞましい……あまりにも禍々しい……。



 *


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