6.面倒見の良い鬼
翌朝 月人は一向に起きてこないスバルを叩き起こすと八時には二人で家を出た。
起きてから家を出てもスバルはしばらくの間、目をショボショボさせて眠たそうにしていた。
その原因は分かっている。昨晩は遅くまで居間で一人、いつものネトゲに熱中していたのだ。
夜中に月人がトイレに起きて来た時も、スバルはヘッドホンをしながらパソコンに向かって「ナァ、そこで攻めろよ!」とか、「バカ! 兵站押さえられてどうする!」とか文句を言ってる現場を目撃している。
このダメ鬼……すっかりネトゲ廃人が板についていた。
弓月は弓月で、スバルが子守りを任された事を聞くと、
「まあ、好かれてるんなら良いんじゃない? それに月人ニイも一緒なら特に心配も無いだろうし」
とまあ、まるで他人事であった。
それに弓月も集落の人々からスバルが一目置かれている事は知っていたし、それなりに認めてもいたようである。
聞けばスバルが学校に入学しようとしてた事も、スバルが買って来た古着の中にセーラー服が入っていたのを目にしていたようで、事前に何となく察してはいたらしい。
だからスバルが自分たちの学校に通う事になった話を聞いても別段驚く様子もなく、それに関しても「トラブルさえ起こさなきゃ構わないんじゃない?」と、あっさり受け入れていた。
(我が妹も随分と寛容になったものだ)
依然としてスバルが月人に妙な真似をしないかという事には目を光らせているが、それ以外の事に関しては以前ほど口うるさくなくなったように思える。
古来、子を産み、育てる事が主だった女性は、男に比べてこういった事に慣れるのが早いものなのかもしれない。
それにしても……スバルはいつまで経っても眠そうにしていたため、月人は途中、自販機で目覚まし代わりの缶コーヒーを買ってやった。
本当はブラックを飲ませてやるつもりだったのだが、「苦いのは嫌だ」と注文をつけて来たため、砂糖たっぷりミルク多めの甘ったるいコーヒーである。
狂おしいほどに甘い缶コーヒーをグビッとひと口啜ると、今度は、
「焼きそばパンが食べたい」
と、この時代の食べ物でよほど気に入ったのだろう。大好物の焼きそばパンを要求して来た。
「まだ店が開いてないから、あとでな。昼飯の時に買って来てやるから」
そう言って聞かせると、彼女は「むぅ……」と無い袖は振れないにも拘わらず不満げに頬を膨らませる。
まるで聞き分けの無い子供だ。
そんな膨れっ面のままのスバルを連れて、月人は頼まれた通り役場までやって来た。
祭りの準備で忙しい親たちが子供を預けているという多目的室は畳敷きで、学校の教室よりもひと回りほど広い。
長机や座布団、それにお茶を淹れるためのポットなどが置かれ、『多目的室』と銘打ってあるが、その実、年寄りが集まって茶飲み話に花を咲かせるような談話室の類いだ。
もちろん、今回のように子供たちを預かる事も多いため、ブロックなどのちょっとしたオモチャも用意されている。
が、大した物が無いので、小さな子供たちは一日中こんなところに居ても飽きてしまうだろう。
そんな訳でスバルに子守り役のお鉢が回って来たのだ。
そしてその子守り役であるスバルが多目的室に足を踏み入れての第一声。
「多っ!」
スバルが素っ頓狂な声をあげたのも無理は無い。
集まっていた子供の数……二十人くらいは居るだろうか……。上は十歳前後。下は三、四歳くらい。
それだけの子供たちをスバルと月人の二人で面倒見なければならないのある。
スバルはもちろん、月人もこれは完全に想定外であった。
「面倒見るって……二、三人ってとこだと思ってたんだけどなぁ……」
引きつった笑みを浮かべる月人に、スバルはすかさず、
「て、撤退するぞ! 戦術的撤退だ!」
ただでさえあまり乗り気でなかったのに、数に圧倒されてここぞとばかりに逃げようとする。
もちろん、そんなスバルを逃がすほど月人も甘くはない。
「いいや。撤退は認められない。進軍せよ」
即座に彼女の手首を掴むと無理矢理引きずり戻した。
「お、鬼ぃぃぃ!」
「鬼はおまえだろ」
とまあ、至極もっともなツッコミを入れるが、さすがに月人もこれにはどうしたものかと途方に暮れる。
スバルはスバルでトイレ掃除と生ゴミの処理を一度に押し付けられたくらいには嫌な顔をしていた。
そんなコントじみたやり取りをしている月人とスバルに子供たちの何人かは気づいたのだろう。
「スバル姉ちゃんだ!」
「スバルちゃん、こっち来て一緒に遊ぼうよぉ!」
子供たちにあっという間に取り囲まれたかと思うと、死者の世界へ引きずり込もうとする亡者よろしく、すがりつくように両腕を引っ張られ、もはやスバルは為す術もなかった。
「今ね! 今ね! チコちゃんたちとパズルやってたの!」
「スバル姉ちゃん、こっちもぉ!」
「だぁぁぁぁ! わかった! わかったから引っ張るな! もぉ~!」
話には聞いていたが、スバルの慕われようと言ったら月人の想像を遙かに超えていた。
否応なしに連れて行かれるスバルに月人はただただ呆気にとられている。
そこからのスバルと子供たちが、さらに凄かった。
「スバルちゃんの負け~。じゃあ、スバルちゃんがお馬さんだよ」
「うう……仕方ないな……。あ、こらっ! ツノを引っ張るな! い、痛っ!」
じゃんけんで負ければ律儀に馬の役をやってやったり。
「あ、こ~ら~! 喧嘩するんじゃない! 仲良く順番で使えば良いだろぉ?」
数少ないオモチャの奪い合いで仲裁に入ったり。
「スバル姉ちゃん、おしっこ……」
「ああ、わかったわかった。漏らす前に言えて偉いぞ」
一緒にトイレに付き添ってやったり。それも褒めるべきところは、ちゃんと褒めてやるのだから感心させられる。
そうかと思えば、
「スバル姉ちゃん。外で遊びたい」
当然、室内にこもりっ切りでは飽きてくる子供も出てくるわけで、しかし、これだけの人数が集まっていると、外に出たい子ばかりではないのが困りものだ。
もちろん、月人が見てやっても良いのだが、子供たちは皆んな「スバルと一緒」である事が前提なのだ。
この難局に対してスバルは、
「皆んなで一緒にここに居ないと、ナァたちのお父さんやお母さんが心配するだろ? だから今日は一日ここで我慢しろ。我慢できたヤツには、そうだな……ワァの子分にしてやろう」
(オイオイ……)
自分しか得しないような交換条件を持ちかけて諭す。当然、そんな事で聞き分ける筈がないと月人は思っていたのだが……。
「うん。じゃあ、我慢する」
「あたしも我慢するからスバルちゃんの子分にして~」
「ぼくも~」
(ええ……⁉)
それで彼らは聞き分けてしまうのだから分からない。
結局、月人とスバルは日が暮れるまで子供たちに付き合わされた。もっとも、聞いていた通り子供たちはスバルに懐いていて、彼らの面倒を見ていたのは八割方スバルであったが……。
お陰で帰る頃にはスバルはヘトヘトで、畳の上にうつぶせになってグッタリしていた。
「今日はありがとうね」
そう言って迎えに来た親たちの一人が月人たちに茶封筒を渡した。中には千円札が数枚。
「え? いや、さすがにこんなもの貰うわけには……」
月人は困惑して返そうとするが、
「当然の報酬だよ。とは言っても、大した額じゃないが……」
少しきまり悪そうに微笑していたが、月人にしてみればボランティアのつもりだったので報酬が出ただけでもありがたいし、むしろ申し訳ない気さえした。
親たちが子供を連れて帰った後、相変わらずグッタリしているスバルの顔の前で茶封筒をヒラヒラさせ、
「ほら。頑張ってくれたお礼だってさ」
ポンポンと彼女の頭を軽く叩いて労ってやった。
「あ~そ~」
よほど疲れたのだろう。スバルの反応は薄い。
「ほら、オレたちも帰るぞ」
「月人ぉ……。おんぶ~」
スバルは気怠そうに腕を伸ばす。
まあ、確かに働いていたのは殆どスバルであったし、それにこのままでは頑としてここから動きそうもない。
「仕方ないなぁ……。ほれっ」
月人がスバルの前にしゃがんで背中を向けてやると、彼女は「大儀である」と偉そうにひと言。月人の背中に身を預けてきた。
――フニッ……
背中に何か柔らかいものが当たる感触。
(こ、これ……)
何であるかは直ぐにわかった。
決して大きくはないけれど触れてみると程良い柔らかさで、あらためて年頃の女の子なのだとわかる。
でも……普段は意識などしていないのに、間に服の生地があるとはいえ、こうして密着していると嫌でも意識してしまう。
「ん~? 月人、どうした? そんなに耳真っ赤にして……。ワァはそんなに重くないだろ?」
背中に負ぶわれているので顔までは見られていないものの、どうやら顔だけじゃなく耳まで赤くなっていたらしい。
「あ、ああ、暑いだけだ!」
「んん? そうかなぁ……?」
スバルの胸が当たって変に意識してしまった事を悟られないよう必死に誤魔化そうとするのだが、今のは自分でも大分苦しい言い訳だと思った。
日が沈んで、むしろ肌寒いくらいなのに……。
それでもスバルは疲労から頭が働かないのか、それ以上追及して来る事はなく、納得した……というよりは考える事をやめてしまったようだ。
「とにかく疲れた。早く帰ってご飯食べた~い」
先ほどまで、あれだけ子供の前で良いお姉ちゃんでいたのに、月人に負ぶわれているとまるでスバルの方が小さな子供のようだ。
「そうだなぁ……。小さい子ってパワフルだからな。折角、報酬も貰ったんだし、今日はおまえの好きな物にしてやるよ」
「ホントか?」
つい今し方まで気の抜けたような声だったのに、急に生気が戻って来たように張りのある声になった。現金なものだ……。
「じゃあ、じゃあ……この間、ネットで見たしゃとおぶりあんっていうのが食べてみたい!」
どうやらシャトーブリアンの事らしい。要はフィレ肉の中でも特に高級な部位の事だ。一体、どんなグルメサイトを見たのやら。
「そんなもん買えるほどは無ぇし、この辺には売ってないぞ」
「ええぇぇ……」
心底ガッカリした声をあげる。
「じゃあ、比内地鶏買ってってカレーに入れてやるよ。おまえ、好きだろ? カレー……」
「急に安っぽくなったな……」
「肉は高級だろ」
すっかり暗くなった夜道を歩きながら、そんな他愛ない話で盛り上がる。
これまでだってスバルと二人きりで話す機会はいくらでもあったが、今こうしている時間が何となく新鮮で、悪くない気分であった。
(小さな幸せって、こういう事なのかもな……)
スバルが目の前に現れてから、ずっと振り回されて来た。これからもきっと振り回されるに違いない。
けれど、こうした他愛ないひと時が温かいと感じる。
なし崩し的に家族のような存在になってしまったが、それも良いかもしれない……。
月人にはそう思えた。
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