8.唯一の手段

 ひとしきり話し終えるとヨシ爺さんはタバコに火をつけて粒子の粗い煙をくゆらせた。


「それじゃあ……」

「ああ……。もう千年以上も最上一族の目付として生きてきた……いや、生かされてきた鮭延喜房こそが、このワシだ……。多くの者を看取り、死ぬ事を許されぬ呪いをかけられたまま、ずっとな……」


 表情こそ変えなかったが、ヨシ爺さんは疲れ切っているように月人の目には映った。

 無論、俄には信じがたい話である。話を聞いていても月人にはついて行くのがやっとやっとであったし、今でも半信半疑なところはある。

 けれど、既にスバルという本来であればこの時代に存在しない筈の鬼が土蔵の樽の中から現れたという現実を目の当たりにしている時点で、月人の持ち得る常識とは懸け離れているのだ。

 もはや何があっても不思議ではない。


「今となっては最上永主の血を引いている者はおまえさんの妹、弓月だけだ。これが何を意味するかは、これまでの話を聞いていればわかるだろう?」


 そうだ……。

 月人と弓月は兄妹ではあっても血の繋がりはない。最上宗家の祖母と弓月の母親が他界した時点で最上永主の直系はこの世に弓月一人となってしまったのだ。


「じゃあ……弓月はタマバミサマに魂を食い尽くされるって事……?」

「ああ……。最上一族の身代わりとして供物に捧げられていた、そこの娘が封印から解放された事によってな」


 スバルは月人の隣りで口を真一文字に噤んでいる。

 本当は言いたいことがあるのだろう。が、彼女は彼女なりにこらえているようだった。


「そもそも封印にも限界があったのだ。千二百年もの時を重ねれば呪符とて劣化が進む。我々最上分家の者たちの間でも封印が破れるのは時間の問題だと先の大戦頃から言われていたのだ。しかし、既に最上家に再度、封印を施す術はない」

「え?」


 月人はスバルに遠慮しながらも聞き返す。

 もちろん、いくら弓月を助けるためとはいえ、スバルをもう一度封印するという事までは考えていなかった。

 だが、その選択肢はもう無いとヨシ爺さんは言う。


「江戸初期だったか……。最上宗家の者の一人に代々受け継がれて来た封印の呪法を記した文書を焼き捨てた者がいたのだ。このような下法は二度と使うものではないと言ってな……。そして一度はスバルの封印を解こうとしたのだが……分家の者どもに粛正された。それ以降、封印の呪法を知る者はいなくなってしまったというわけだ」


 月人は愕然としたような、一方で安堵したような複雑な気分であった。

 ともかくも仮に月人がその手段を事前に気づいていたとしても、これで弓月の命を救う一つの確実な手段が消えたことになる。


「弓月を救う方法は……無いんですか……?」


 カラカラに乾いた喉から絞り出すような声で訊いた。

 本当は訊くのも怖い。否定されてしまう事が何より恐ろしい。けれど、弓月を救いたいという強い思いが何とか月人の喉の奥から声を押し出してくれたという感じであった。


「ひとつだけ……方法はある」

「えっ? そ、それはどんな!」


 思わず机に両手を突いて身を乗り出す。

 そんな興奮する月人をヨシ爺さんは灰色がかった鋭い目で睨みつけた。もともとが武人であったため、その眼力には大抵の者が気圧されるであろう。

 月人も例外ではなく、竦むような形で自分の座布団にペタンと腰を落とした。

 ヨシ爺さんはそれを認めるとタバコを吹かし、睨んでいた事など忘れてしまったかのように淡々と語り出した。


「最上一族の血を引いていないとはいえ、今の最上宗家の当主はおまえさんだ」


 それはそうだ。

 両親も祖父母も他界してしまった今では、十六という若さながらも形式上は月人が当主という事になる。

 もっとも、これといって発言権があるわけでもなく、名ばかりの当主だと月人は思っているが……。


「その当主たるおまえさん自らがタマバミサマの前で約定を破棄すると宣言すれば良い」

「え? そ、そんな簡単な事で良いんですか?」


 些か拍子抜けした。弓月の魂が喰われようとしている重大な局面である以上、もっと無理難題をふっかけられるものとばかり思っていたのだ。

 これにはスバルも、


「助ける方法がひとつだけあるとは聞いてたけど、それはワァも初耳だ。たったそれだけの事で済むんなら勿体つける必要もないだろ」


 と、ヨシ爺さんの長々とした話を二度も聞かされた事に不満タラタラである。

 だが、事はそう容易くはないようだ。

 ヨシ爺さんはジッと月人の目を見据えると、


「この集落に住む者たちの生活を奪う事になるとしてもか?」


 月人が予想もしなかった事を口にした。


「考えてもみろ。この集落のもん達の収入源は何か」

「そ、それは……」


 言われるまで月人もすっかりその事を失念していた。

 彼らの殆どはこの集落のさらに山奥にある鉱山で働き、その収入で生活を営んでいるのだ。それもずっと昔からである。


「おまえさんがタマバミサマとの約定を破棄する事は簡単だ。だが、それは同時にタマバミサマの恩恵によって尽きる事のなかった鉱山を閉じる事になる。つまり、最上一族のみならず、この集落に住む多くの者を路頭に迷わせる事になるのさ」

「で、でも、そんなの弓月の命には代えられないだろ!」


 スバルが強い口調で反論するが、月人は素直に「うん」とは言えなかった。


「鬼娘よりも、どうやらおまえさんの方が聞き分けが良いようだな。最上一族が財を失い、生活を奪われた集落の者たちから恨みを買えば、どの道、おまえさんた兄妹に居場所は無くなる。今のおまえさんたち兄妹だけで何の後ろ盾も無しに生きていける力はないと思うがな……」


 そうなのだ。確かに両親が残してくれたお金なら、まだまだ余裕はある。

 けれど、誰の庇護も受けず、この屋敷も追い出されて兄妹二人だけでやっていけるとは思えない。

 それより何より、大勢の人達の生活を奪うという事実の重みである。月人にはとても背負いきれる自信がなかった。


「なに言ってんだ! 働き口なんて探せばいくらでもあるだろ! それにどうせタマバミサマに魂を捧げられるニンゲンは、もう弓月一人しかいないんだ。だったら、その鉱山とやらだって長くは保たないだろ!」


 なおもスバルは食い下がるが、月人にも彼女が現実を知らないから簡単に言えるのだという事がわかる。


「あれだけの世帯があるんだ。そう容易く全てが即座に上手く行くほど現実は甘かねぇよ。少なくとも、弓月一人の命を捧げさえすれば、あの娘の寿命分は鉱山の寿命も保証される」

「寿命分は……?」

「そういやタマバミ祭りが年に二回行われる理由については、まだ話してなかったな」


 そう言うとヨシ爺さんは二本目のタバコに火をつけた。

 スバルはその臭いに嫌な顔をしているが、ヨシ爺さんはお構いなしだ。


「本来、人の魂を喰らえば、次に供物となる人間が選ばれるまで前に供物とされた者の寿命分の猶予はある。だが、そこの鬼娘の妖力を代わりの供物とした為に状況が変わった。いくらそいつがもともと強大な力を持っていたとは言っても、人一人の魂に比べりゃあ釣り合うものじゃねぇ。くわえて最上永主は文字通り、未来永劫尽きる事のない富を願ったわけで、封印に使われた呪符はスバル姫の力が戻って来たところで、また吸い上げるを繰り返し、生かさず殺さずのギリギリのところでタマバミサマに喰わせる細工を施していた。当然、タマバミサマからすりゃあ全く腹一杯にならないわけだ」

「じゃあ、あのタマバミ祭りというのは本来、スバルの力を奪うための……?」


 ヨシ爺さんは頷いた。


「儀式を祭りという形で定着させたのさ。まあ、タマバミ祭りに限らず、祭りってもんは本来、何らかの宗教儀式が元になってるもんだがな……」


 だから、あのお練りの時、急に弓月の身に異変が起こったのだ。

 タマバミサマの御神体が乗せられた牛車の御簾が風も無いのに捲り上がったのだって偶然でも見間違いでも無かった。

 タマバミサマは確実に弓月に狙いを定め、牛車の中から襲いかかったのだろう。


 今思えば月人たちが、この付喪牛にやって来てから度々見ていた悪夢もタマバミサマが夢枕に立って品定めをしていたのかもしれない。

 だから月人を見て「違ウ」と言っていたのだろう。


「それともう一つな……おまえさんがどちらを選択するか決める前に伝えておかなきゃならん事がある」


 月人に返事はない。

 聞いてはいたが、もはや俯いたままで顔を上げる事もできずにいた。


「長年に渡ってタマバミサマは最上一族に欺き続けられて来た事を知ったのだ。もし、おまえさんが妹を助けるために約定を破棄する道を選んだとしても、タダでという訳にはいかんだろう。代償として現当主であるおまえさんの命を要求してくる事だって十分に考えられる。それを踏まえたうえで、よく考えておくんだな」


 そう言うとヨシ爺さんは立ち上がった。

 依然として反応のない月人に背を向けると、居間を出たところで、


「朝になればタマバミサマは本格的に弓月の魂を喰らいにかかるだろう。それまでには決めておけ」


 そう言い残して去って行った。


 居間には月人とスバルが取り残された。時計の針は午前二時を回っている。


「月人、迷う必要なんてないだろ! 何でそんなに悩むんだ! 妹を助けたいんじゃないのか!」


 スバルの言葉が耳に痛い。

 月人だって弓月を助けたいのは山々だ。それでも……。


「背負えるわけないじゃないか! どっちを選んだって犠牲が出るんだ! こんな選択肢ってあるかよ! オレ一人に背負えるわけ……」


 頭を抱えて叫んだ。ポロポロと涙がこぼれる。

 妹の命か。それとも多くの人達の生活か。どちらかを切り捨てなければならない非情の選択である。

 どうして良いかわからない。様々な思いが巡り、頭が破裂しそうだった。


「月人……」


 スバルは月人の肩にそっと手を置く。

 月人はすっかり忘れていた感触であったが、どこか母親を思わせる優しい手であった。


「疲れてるんだ。少し休もう……。な?」


 精一杯、気遣ってくれているのだという事は痛いほど感じ取れる。

 けれど、そのスバルの気遣いが今の月人には寧ろ辛かった。


「ごめん……。少し一人にしてくれないか?」


 こんな言葉しか返す事のできない自分が嫌になる。

 けれど、やり場のない思いはどうする事もできず、ただ彼女を遠ざける事しかできなかった。


「うん……わかった……」


 月人を一人残して居間を出ていくスバルの顔を窺う事はできなかったが、その背中はどこか哀しげであった。

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