第三話 慕われる者

1.わだかまり

 事もあろうにスバルが月人の学校に入学してきた。

 月人にしてみれば寝耳に水も良いところで、問い質したい事が山ほどある。


 思い返してみれば、確か以前、例の入浴時の乱入事件があった直前に月人に「聞きたい事がある」と言って、学校について根掘り葉掘り質問をしてきた事があった。

 その時は単純に現代の人間社会に関して興味があっただけなのかと思っていたが……。


「ふ~ん……。月人たちは、こんな事を学んでるんだな。なかなか面白い事をしてるんだな」


 授業が終わるなりスバルは教室の窓枠に両肘を掛けてもたれかかると、窓の外へ仰け反って空を見上げながら笑った。


 面白いと言われれば、スバルにとっては新鮮で面白い事なのかもしれない。ましてや月人たちと違って、一度聞いた事は直ぐに覚えてしまうし、教わった事は全てインプットしている分、応用力も高いと来ている。

 楽しめるから優秀なのか、優秀だから楽しめるのか……いずれにしてもスバルの頭脳は天才と言っても過言でない事が、あらためてここでも証明された。

 そんなだから千二百年という時代を飛び越えても、あっという間にこの時代に順応できるのであろう。もちろん、それでも些か感覚がズレている事もあるが……。


 しかし、今はそんな事など、どうだって良い。


「何で学校に来ようなんて思ったんだ?」


 少し強い口調で問いを投げる。実際、月人は怒ってもいた。


(あまりに勝手放題し過ぎだ)


 スバルはまるで手綱を解かれた暴れ馬だ。とにかく奔放で、月人たちが想像もつかない事を平気でやってしまう。

 本来であれば隠すつもりでさえいたのに、自分がこの世で唯一の鬼である事を忘れてしまったかのように振る舞っているのだから、月人や弓月も振り回されてばかりである。


「大体、おまえは学校なんてわざわざ通う必要もないだろ? オレたち人間とは違うんだからさ」


 そう言われてスバルは多少、ムッとした様子で眉を顰める。


「そういう言い方……なんか嫌だな……」

「え……?」


 何故だか胸がチクリと痛んだ。

 スバルが怒った事なら、これまでだって何度でもある。けれど、今は気を悪くしてムスッとしていたのは確かだが、その顔はどこか寂しげで、こんな顔をするスバルを初めて見た気がした。


 それでもスバルが機嫌を損ねていたのは、ほんの一瞬の事で、「フッ」と一笑すると、


「後学のためだ。敵を倒すには、まず敵を知らなきゃならないからな」


 と、いつものつかみどころの無い調子で、どこまで本気なのか分からない事を当然のように述べた。


「それに……ワァがこの国を支配するにあたって、まずはこの学校とやらを支配するんだ」


 出た出た! またいつものそれだ。


「あ~、そういうこと言う悪い子は晩ご飯抜きだな」


 しれっとそんな事を言うと途端にスバルは慌て出す。


「な……⁉ ちょ、ちょっと待った! そ、それじゃあ……え、えっと……この教室くらいに……」

「朝ご飯も要らないかぁ。そうかぁ……」


 まるであんちょこでも見ているかのような棒読み。


「悪化した⁉ うう……じ、じゃあ、あそこの箱を支配するだけにとどめておいてやる……」


 今にも吐き出しそうなくらい打ちのめされた顔でスバルが指差したのは、教室の隅に置かれている掃除用具入れであった。


「そうしてくれ」


 結局、スバルの壮大な野望も食い気には勝てなかったようだ。


(志低いなぁ……)


 こちらの反応次第であたかも七面鳥よろしく様々に顔色を変化させるスバルが何だか面白くて仕方なかった。だから、ついからかってやりたくなる。


「さ、さあ、終わったんだろ? さっさと帰るぞ」

「あ、おい!」


 帰り支度もまだ済ませていない月人に構う事なく、教室を出て行こうとするスバルを慌てて呼び止める。


「帰りに夕飯の買い物もしなくちゃだろ? ちんたらしてると置いてくぞ~」


 と、スバルはさっさと行ってしまう。


「だぁぁぁ! もう!」


 月人は鞄に教科書を乱雑に放り込むと、急いで彼女のあとを追う。追いかけながら自分に問いかけた。


(さっきの……何だったんだ……?)


 ――そういう言い方……なんか嫌だな……


 そう言った時のスバルの寂しげな顔が脳裏に焼き付いて離れない。

 ほんの一瞬の事で、すぐに何事もなかったかのような、いつものスバルらしいスバルに戻っていたが、その一瞬の影を帯びた顔がどうしても引っかかった。


(何であんな顔すんだよ……。だって、オレたち人間と鬼のスバルは違うじゃないか。スバルだって普段から人間を見下してるじゃないか。なのに何で……)


 スバルは自分に正直な女の子だ。同時に鬼ならではの気質なのか、何にでも真っ正面から向き合おうとするし、利己のためにウソをついたり誤魔化したりという事を殊更に嫌う。そういった鬼である自身に誇りを持っている。

 だから、彼女の発したひと言……そして、あの顔に偽りは無いのだろう。

 だからこそ理解できない。どうして「自分たちとは違う」と改めて指摘された事が嫌だったのか……。


 既にスバルに追いつき、今、自分の横をスバルが歩いている。だが、お互いに無言だ。

 今ここでその質問を投げかけようと思えば、何に邪魔される事もなく訊く事はできる。それなのに月人は口を開こうとはしなかった。

 いや……訊けなかったと言った方が正しいだろう。

 何がそうさせたのかは自分でも分からない。「罪悪感」と言えば、あながち間違いではないかもしれないが、それ以上に自分の中で痼りのように残った別な思いがあるような気がして、訊こうと思えば思うほど、胸の奥が何か小さな針のような物でつつかれているかのように痛くなった。


(何でオレがこんなに思い詰めなきゃならないんだよ……)


 ほんの些細な事だ。些細な事である筈なのに、自問自答を繰り返さずにはいられなくなってしまった自分が滑稽で……腹が立った。

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