5.昔語り1

 *


 ミカドの命で悪路王が処刑されてから十数年の月日が流れていた。


 依然として板東以北に存在する鬼を徹底的に排除せんと朝廷は度々、軍を差し向けていた。

 もっとも、鬼たちは絶大な力を持ち、鬼たち全ての勢力を束ねる事ができるだけのカリスマ性を持った悪路王を失ってからは完全に瓦解してしまったと言って良い。

 それぞれの勢力がバラバラとなり、互いの連携もないまま、朝廷の討伐軍によって各個撃破されていっている。

 しかし、鬼族の中でも最大勢力である旧悪路王一族は彼の息子である星丸が陣頭指揮を執り、度々討伐軍を押し返していた。

 とはいえ、決して星丸たちの犠牲も少なくなく、物量に勝る討伐軍に滅ぼされるのは時間の問題でもあった。


 そんな中、星丸の一人娘スバル姫の持つ潜在的な力に旧悪路王一族のみならず、各地の鬼たちが気づき、注目されるようになる。

 スバル姫の持つ強大な力。そして天才的な頭脳。不思議と他者を惹き付けるカリスマ性。それはひょっとすると彼女の祖父である悪路王をも上回るのではないか……とすら、まことしやかに囁かれた。

 しかし、問題は彼女がまだまだ若く、経験も不足しているという事である。いかに潜在的な力が絶大であろうと、経験が足りなければ新たな鬼族の王に据えるにはあまりにも荷が重過ぎる。

 少なくとも現時点では、あと数年は経験を積ませ、様々な事を学んでもらう必要があった。


 が、それほどの噂が遠く離れた京のミカドの耳に入らぬ筈もない。スバル姫をこのまま放置しておけば、やがて朝廷にとって大きな災いとなる。

 そこでミカドはスバル姫を亡き者にせんと、討伐軍とは別に呪術に長けた者を送り込んだのである。


 呪術者の名は最上永主もがみのながぬしといった。

 彼は大陸から伝来した陰陽道の術を習得していたが、それに独自のアレンジを加える事で呪いや命ある者を無理矢理封じるといった事に長けていた。要は外道の者である。

 しかし、絶大な力を秘めていると言われるスバル姫を確実に亡き者にするには手段を選んでいる時ではないと朝廷は判断する。まさに「毒をもって毒を制す」であった。


 早速、ミカドのみことのりを受け、彼らはスバル姫をはじめとした鬼の残存勢力が潜伏するという奥州の隠れ里へ向かう。

 一族の者はもちろん、従者として何人かの武士も連れていた。


「近隣の人里で鬼たちの噂を聞いて参りました」


 老齢の従者が永主の前で片膝をつき頭を下げる。

 彼は最上永主の従者の中でも最年長の最古参であり、永主からも随分と頼りにされてる者であった。

 名を鮭延喜房という。


「ほほう……。ご苦労であった、喜房。して、何か手がかりはあったか?」

「はっ! ここより十里ほど行った付喪牛と呼ばれる山中にそれらしき鬼どもが集落を構えているとか……。ただ、その地には古くより祟り神が棲んでおりまして、鬼以外は寄りつく者もいないそうでございます」

「祟り神?」


 永主は整った口髭を指でスッと撫でた。

 喜房は長年の経験から、主の癖も知り尽くしている。主がこういう仕草をする時はより詳しい説明を求めているのだという事を知っていた。


「はい。タマバミサマと呼ばれております。魂をむと書いて魂喰様たまばみさまと……。文字通り人の魂を喰らう祟り神で、無闇に近づこうものなら、たちまち命を取られてしまうと土地の者たちは恐れているようでございます」

「ふむ……魂を喰らう祟り神か……」


 永主はしばし思案し、やがてニヤリと口もとを歪めた。


「良い事を思いついたぞ、喜房!」

「良い事……でございますか?」


 永主は興奮したように瞳を輝かせ、喜房の肩を力一杯つかむ。

 が、こういう時の主は大抵、卑劣な手を思いついたのだという事も喜房は承知している。

 所詮は官僚崩れだ。正々堂々とした戦いを是とし、卑怯な手を嫌う喜房のような武人とは根本的に思考が異なる。

 しかし、そういった人間に仕えなければ武士の生活は立ち行かない。まだまだそんな時代であった。


「まあ、見ておれ。強大な妖術と真っ正面からやり合うよりも効率的で、かつ、上手くゆけば我々に大きな利をもたらす事になるであろうよ」


 永主は見るからに自信に溢れていた。


 確かに呪術の腕に関しては中央に居て名高い陰陽師たちと比べても遜色ない。それどころか勝るとも劣らないとさえ言われている。

 ただ、手段が正当なやり方から逸脱しているために、中央の陰陽寮からは遠ざけられているのだ。

 とはいえ、最上永主にも出世欲はある。いや、人一倍強いと言って良い。

 それ故、彼は何としても手柄を立ててミカドに己の実力を認めてもらい、やがては莫大な富と名誉を手に入れたいと考えているのだ。

 そのためには手段を選ばない。

 そういう男に仕えている喜房は、表向きは忠義を尽くしながらも、内心では蔑んでいた。



 さて……。タマバミサマの話を聞いた永主たち一行は夜半のうちに鬼たちの集落がある付喪牛へと到着していた。

 もっとも、堂々と敵地である村の中へ足を踏み入れるわけには行かない。

 とある一軒家の裏手にある茂みの中で息を潜めて機を窺っていた。


「兄上、お持ちしました」

「おお、首尾良く手に入ったか」


 永主の弟が他の従者たちと何やら大きな樽を荷車に積んでやって来た。

 彼らは永主から指示を受けて近隣の人里から、この大きな樽を貰い受けて来たようだが、これをどう使うのか喜房は知らされていない。


「む……。妙に酸い臭いがするのう……」


 樽に顔を近づけた永主は思わず眉を顰める。


「申し訳ございませぬ。手に入れられたのは使い古しの漬け物樽のみにございまして……その臭いが染みついているのでございましょう」

「まあ、これから使う呪術には支障ないが……。こんな臭いのする樽に閉じ込められる鬼の姫も不憫よのう……」


 永主は「クックッ……」と声を噛み殺して笑った。

 どうやらスバル姫をこの漬け物樽に閉じ込める算段のようだ。

 しかし、相手はまだ若く未熟とはいえ潜在的な能力は、かの悪路王に勝るとも劣らないと言われる。果たして、こんなもので上手く閉じ込められるのだろうかと喜房にしてみれば気が気でない。


「件の祟り神の居場所も特定できておるな?」

「はっ! ぬかりなく。スバル姫を閉じ込めてから自力で封印を破るまでに辿り着くには十分過ぎる距離です」


(祟り神に何をさせるつもりだ?)


 彼らの話から、ただ永主の持つ呪術でスバル姫を樽の中に封印するというだけでない事は明らかだ。

 それだけでは絶大な妖力を持つスバル姫に封印を破られるのも時間の問題という事は彼らにも分かり切っている。

 完全に無力化するにはタマバミサマと呼ばれる祟り神の持つ、何らかの力が必要という事であろう。


 しかし、喜房には懸念があった。

 もちろん、呪術に関しては全くの素人である喜房に主たちがどのような形でスバル姫を調伏するのかは知らない。けれど……。


(ミカドからはスバル姫を討伐せよとのお達しがあったのではないのか?)


 それはつまりスバル姫を殺せという事だ。封印するという事ではミカドの意思に従ったとは言い難い。


(どういう事だ……?)


 永主もバカではない。それが主命に反した行為だという事くらいは百も承知の筈だ。

 長年、最上家に仕えて来た喜房であったが、今回ばかりは永主の真意が全く読み取れずにいた。

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