6.強引で詰めの甘い策士
ネットの使い方に関しては、とりあえず基本的な事を教えてやった。
驚くべき事にスバルの吸収は早く、順応性が高いのか一度教えてやると、彼女にとって未知の機械をさも当たり前のように使えるようになってしまった。
興味津々で様々な事を調べている彼女を居間に残し、月人と弓月は廊下へ出て声を潜める。
「で、どうすんの? あの子……」
「どうするって言ってもなぁ……」
弓月の質問も当然だった。
スバルには行くあても無い。ただ、追い出そうと思えば、それも可能だろうが彼女は人ではないのだ。
既にこの時代には存在しない鬼の少女を野に放てばどうなるか……。
「そもそもあいつを封印したのってウチの先祖なんだろ? オレたちが知らなかった事だからって追い出すのも無責任な気がするしなぁ……。ほら、一度飼うと決めたら最後までちゃんと面倒見なきゃいけないって、よく言うだろ?」
「ペットならね……」
弓月は呆れ顔だ。
確かに自分でもズレてる事を言ったと思う。ただ、彼女を無責任にほっぽり出したとき、どんな騒ぎになるか分からないのは事実だ。
ふと、ヨシ爺さんはこの事を知っていたのだろうか? ……と、思った。
彼は分家の中でも最も発言力を持っているうえに最上本家のお目付役という話は聞いている。亡き父の話でも、弓月の母親よりもヨシ爺さんの方が最上家の歴史にも精通しているという口振りであった。
月人と同じ事を思ったのだろう。弓月も、
「さっきのヨシ爺さんに相談してみたら?」
至極、真っ当な提案を持ち出してきた。
(それが一番確実なんだろうけどな……)
しかし、月人にはどうもその気になれない……一抹の懸念があった。
「ヨシ爺さんはあんまり人と接する事がないみたいだから、あの人から世間に知れ渡る事はないと思うけど……万が一だよ? 他の分家の人たちの耳に入って、そこから世間に漏れたら、あいつはどうなる?」
「それは……」
弓月も押し黙ってしまう。
恐らく世間からは好奇の目で見られる事になるだろう。
当然、マスコミや研究者も放っておかない筈だ。そうなればスバルは見世物のように扱われ、貴重な研究材料としても扱われる事になるかもしれない。それどころか自分たちまでもが世間でどんな目で見られるようになるか知れたものじゃない。
「何より、オレはまだ……あのヨシ爺さんを信用してるわけじゃないんだ……」
「それは……うん……」
月人は……いや、月人と弓月はヨシ爺さんを含め、最上分家の人たちを誰一人として信用していなかった。
「お父さん……前に言ってた事あったもんね……。分家の人たちは本家の人間をただの飾りとしてしか見てないって……」
月人もそう聞かされていた。
何故、そのような扱いになっているのかは知らない。けれど両親が付喪牛の最上本家に一度も顔を出さなかったのも、その事が原因であったし、親戚つき合いが皆無だったことだって最上本家の血筋である弓月の母親からして分家とのつき合いを避けていたからに他ならない。
(誰一人として父さんや弓月の母さんの葬式に来なかったんだものな)
別に、ついさっき出会ったばかりの少女に特別な感情を抱いているわけじゃない。けれど、それが遠い昔の鬼とはいえ、最上の先祖に封印され、長い年月を経てようやく外に出る事のできた少女を檻の中の動物やモルモットのようにはしたくない。
そうしない為に頼れる人間は月人と弓月兄妹にとって「最上」を名乗る者の中には誰もいなかった。
「隠し通せるの……?」
そう……。月人と弓月の二人だけで、あの鬼の娘を世間からひた隠しにしなければならないのである。それはいつまで続けなきゃならないのか見当もつかない。
それが子犬や子猫のような小動物であれば良いが、相手は人語を喋り、かつては人々を脅かすほどの力を持っていた鬼である。
確言などできる筈もなかった。それでも……だ。
「やれるかやれないかじゃない。やらなきゃならないんだ」
突如、厄介事を背負わされる事になってしまったが、こうなってしまった以上、何とかスバルの存在を世間に知られないようにしなければ、自分たちだって穏やかに暮らせなくなる。
にもかかわらず、当のスバルはパソコンを前に何やら楽しげに目を輝かせている。
自分の知らない遠い未来で目を覚ますという彼女にとっては絶望的な状況であるのに、そんな事よりも自分の知らない現代の様々な情報を得られる事の方がよほど楽しいようだ。
月人たちの苦悩をよそに、彼女はひとしきり必要な知識を得られて何か思いついたのだろう。
「よし! 月人! ワァは決めたぞ!」
と、悲観する様子など微塵も見せず、居間から意気揚々といった具合に声を張り上げる。
「決めたって……何を?」
月人と弓月は居間に戻ると先ほどと同じように腰を下ろした。
「ナァの言ってた事が嘘ではないというのは、この得体の知れないカラクリを見れば信じるより他にない。ニンゲンである事で疑ってかかっていたが、見ている限りではワァを騙してどうこうしようという様子でも無さそうだしな」
「はあ……そりゃどうも……」
やはり鬼にとって人間というのは信用できない存在であるようだが、とりあえずは信じてもらえたらしい。
「この時代のニンゲンがワァたち鬼の存在をよく知らないという事もわかった。かつてのように悪意を持っていないという事もな……。でも、鬼族の王の孫娘であるワァとしては、ニンゲンたちが支配する国など、到底受け入れられないのだ!」
「そんなこと言われてもなぁ……」
国を支配できる生物が人間しかいないのだから、どうしようもない。
しかし、スバルはそんな現実を直視しているのか逃避しているのか不適な笑みを浮かべて立ち上がる。
「そこでワァが君臨する! ワァがニンゲンどもから支配権を奪い、鬼による鬼のための国を作ってやるのだ!」
ビッと月人の鼻先にに人差し指を突き付けて宣言した。
だが、スバルのご高説を聞いていた月人も弓月もその目は冷ややかである。当然だ。
「君臨するって言ったって、おまえ……そんな力ないだろ? どうやって支配権を奪おうってんだ?」
「そ、それはこれから考える。どのみち、ワァの妖術の前にはニンゲンどもなどひれ伏すしか無いのだ!」
「その妖術も今は使えないんだろ……」
そう月人に言われてスバルは「ぐむぅ……」と言葉を詰まらせた。
このスバルという鬼の性格でひとつ分かった事があった。吸収力や適応力は恐ろしい程に高いが、後先考えないところがある……という事だ。
「た、確かに殆ど力を失ってるけど、ひ、ひとつだけ使える妖術があるぞ!」
「どんなの?」
「そ、それは……」
月人にどういう妖術なのか訊かれると、スバルはばつが悪そうに俯いて口ごもってしまう。
「や、役に立つようなものじゃないから……」
先ほどまでの威勢はどこへやら。声も尻すぼみになっていった。
「大体、鬼による鬼のための国を作るっていうのだって、鬼があんたしかいないんだから、どうする事もできないでしょ?」
弓月の追い打ちに月人もウンウンと頷く。
しかし、スバルにはそこに策があったようで、ニッと八重歯を見せた。
「それについては問題ない。いや、多少は問題あるが背に腹はかえられないといったところか」
「問題はあるんだ……」
むしろ、問題だらけのような気がして月人は何だかおかしかった。
が……次にスバルが発した言葉で月人にとっては笑い事ではなくなってしまった。
「ワァがニンゲンの子種で子をたくさん生めば良い。よって月人……ナァはワァと夫婦になれ!」
「は……?」
月人も弓月も一瞬にして固まってしまう。聞き間違いか、或いは悪い冗談だとしか思えなかった。
そんな二人を尻目にスバルは「これで天下は我が物」とでも言わんばかりに、すがすがしい顔で続ける。
「確かに純粋な鬼ではなくなってしまうが、それでも鬼の血を受け継ぐ者が増え、代を重ねてこの国に広がって行くことに変わりはない。そうしていずれ純粋なニンゲンは淘汰されてゆく。それにワァを辱めた最上の末裔にワァの血が入れば、奴らは草葉の陰から歯噛みする事だろう。ワァをこの時代まで封印し続けた報いだ」
予想だにしなかった報復宣言だ。
だが、これには標的となった月人が何か言おうとするよりも先に、
「そんなのダメに決まってるでしょ!」
血相を変えて、またしても丸盆でスバルの頭を叩いた。
カーンと乾いた……見ていた月人も震え上がるほどの痛そうな音がした。
「んぎゃ! い、痛いじゃないか!」
スバルは両手で叩かれた頭を押さえ、涙目で訴える。自分がおかしな事を言っているという自覚がないようだ。
「痛くて当たり前よ! あんたが頭割られても文句言えないようなこと言ってるんだからね!」
「ナァの兄の嫁が決まったのだ。それも鬼族の王の孫娘だぞ? 本来であればナァの一族全員が平伏して望んでも手に入ることはない。感謝される事があっても叩かれるいわれは無いじゃないか!」
何というか……色々とズレていて、どこをどう言ったら良いのか分からない。
弓月もどう言い返して良いものか言葉が出てこないようで、互いにギリギリと歯噛みして睨み合っている。
「大体なぁ、そんなこと勝手に決められても、こっちは困るんだが……」
「月人……ナァの意思など関係ない。これから世に君臨するワァの決定だ。ナァに拒否権など初めから無いのだ。それにワァは知ってるぞ?」
スバルは目を細めてニヤリと笑う。
「ナァら……今ここでワァにこの屋敷から出て行かれては困るのだろ?」
グッと心臓を鷲づかみにされた気分だった。こちらの弱みを既に握られている。
「おまえ……どうして……」
ネット検索に夢中になっていたのに、弓月との話を聞かれていたのか?
だとしたら恐ろしく耳が良い。先ほどの位置関係を考えても、普通の人間だったら意識して聞き耳を立てていたとしても聞き取れるような距離じゃない。
だが、どうもそうではないようだった。
「先ほど、いんたぁねっととやらで調べていて分かったのだ。ワァはこの時代では稀少な存在……いや、それどころか本来であれば絶滅種だ。それも過去に鬼が存在していたという痕跡は殆ど発見されていないそうじゃないか。ならば、ワァがこの屋敷を出て、世にワァの存在が知られればどうなるか……。ナァの一族も世間から好奇の目で見られ、引っ張り回され、場合によっては誹謗中傷され……とても穏やかではいられないだろうなぁ」
「ぐっ……あの短時間でどうしてそれだけの事を……」
スバルの常人離れした能力は何も吸収力や適応力だけではなかった。非常識なまでの記憶力と分析力。
鬼としての超人的な力は無いどころか、年下にもあっさり負ける程に弱いが、頭脳という面では天才といっても良いレベルだ。
「ふふん……。下等なニンゲンごときと同等の尺度で測られても困る」
ふんぞり返って得意満面である。
とはいえ、一方的にスバル有利という訳でもなく、
「だからって、今ここであんたを追い出せば、あんたもどうなるか分かってるんでしょ。一人でその下等な人間と戦えるだけの力も無いみたいだし」
「ぐむ……」
弓月に痛いところを突かれて、スバルは言葉に詰まる。
頭脳明晰ではあるが、少々詰めが甘い。
「どちらにしたって、スバルをウチに置いとく必要はあるって事か……」
月人は深々とため息をついた。何だかドッと疲れてしまい、引っ越しの片付けもほっぽり投げてふて寝したい気分だ。
「お? という事は、ワァを妻と認めたという事だな?」
「それとこれとは話が別!」
どうしてスバルがこうも無邪気に嬉しそうにしているのか理解ができない。単純に頭の切り替えが早いというだけでは説明がつかないし、そこは人間と鬼とで持っている感覚の違いなのかもしれなかった。
「月人ニイに変な事したら、わたしが許さないからね!」
「ぬうう……。小うるさい小姑め……」
月人の目の前で自称嫁と妹が火花を散らす。
(前途多難だなぁ……)
引っ越した初日から、とんでもない厄介事……いや、厄介者を抱えてしまったものだ。月人は頭が痛くなってきた。
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