3.金魚をすくえ!

「こっちこっち!」


 月人の注意なんて耳に届いていないようで、スバルはまた別の屋台の前でピョンピョン跳ねて手招きしている。


(子連れの親って、こんな気分なのかねぇ……)


 そう言えば、自分も小さい頃に地元のお祭りに連れて行ってもらった事があった。

 まだ弓月と出会う前で、既に実母は他界していたから父親と二人で行ったのだった。


「あの時も勝手にあっちこっち走り回って迷子になっちゃったんだっけ……」


 その時に行ったお祭りだって決して大きな祭りではなかったが、それでもこの付喪牛の祭りに比べたら何倍もの人が集まっていたと思う。そんな中で小さな子供が親とはぐれたりしたら見つけるのは困難だろう。

 事実、幼い月人も係員に保護されて、迷子放送で父親を呼び出してもらったのだった。

 かなり幼かったとはいえ、血相を変えて迎えに来てくれた父の顔は今でも鮮明に覚えている。


「それ以来、しばらく人混みを歩くのが怖くなっちゃってたもんなぁ……」


 月人は独り、昔日を思い返してはクスッと笑っていた。


「つ~き~とぉ~! 早く早く!」

「はいはい」


 なかなかやって来ない月人にスバルは苛立っていた。

 こんなふうに催促する事もかつての自分にはあっただろうと思う。

 今となっては記憶も断片的だが、さすがに迷子になった記憶だけはショックも大きかったためにいつまでも心に残っているのだろう。


「そう考えると、ここは人混みに紛れてはぐれる心配が少ないのが救いだな」

「月人、何笑ってんだ?」

「いや……別に……」


 スバルの前まで来ても、つい心の声が漏れてしまっていたようだ。お陰でスバルは訝しげにこちらを見上げている。


「そんな事より……おまえ、ひょっとして金魚すくいも知らないのか?」

「金魚すくい?」


 スバルが興味を示していたのは金魚すくいの出店だ。

 生け簀の中にはオレンジ色の和金がたくさん泳いでいて、その中に数こそ少ないが黒い出目金が二十匹ほど交ざっている。


「ポイってやつを使って金魚を掬うゲーム。知らない?」

「ポイ……?」


 スバルは首を傾げる。

 どうも祭りの定番という物に関する知識は、まだあまり無いようだ。そのくせ妙な知識ばかり増えているのだから、いったいどんなネットサーフィンをしているのか気になる。


「まあ、見てなって」


 一回三〇〇円。月人は小銭を出すと店のオヤジからポイを受け取る。


「何だ? 月人がやるのか?」

「百聞は一見にしかず……だよ」


 月人もそれほど経験がある訳じゃないから決して得意ではない。が、まあ、言葉で教えるよりは一度やって見せた方が手っ取り早いという事だ。


「ふぅん……。やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじって事か……」


 どこぞの提督の格言を持ち出して来た。


「そんなご大層なものじゃない」


 どうしてそういうマニアックな事は知ってるんだか……。月人は思わず苦笑い。


 さて……。気を取り直して生け簀の中を泳ぎ回る金魚たちに睨みを利かせる。こちらが少しでも影を作ってしまうと、連中も警戒してサッとオレンジ色の群れが放射状に広がって行く。

 自信はないが、やるからには本気だ。


(出目金は欲しいところだが……和金より体重が重い分、簡単には行かない。欲に駆られた客を一発アウトにするトラップだ。ここは無難に小ぶりな和金を狙った方が良いな……)


 月人はある一匹に狙いを定める。そしてポイをできるだけ水面に対して鋭角に素早く潜らせる。


「取った!」


 と、歓喜の声をあげた瞬間……ポチャ!

 水上にあげたところまでは良かったのだが、金魚と一緒に月人が思っていた以上に水も掬い上げてしまっていたらしい。

 ポイに張られた紙は半分以上破れ、金魚は虚しくその隙間から生け簀の中に落下していった。


「ああ……やっぱこんなもんかぁ……」


 途中まで上手くいってたと思っていただけに落胆も大きく、ガックリと肩を落とす。


「ほぉん……。要するにその薄っぺらい紙が破れないようにして金魚を捕ればいいのか」


 一部始終を月人の肩越しに見ていたスバルは何やら不愉快そうに眉間に皺を寄せている。


「そういうこと。掬い取った金魚は貰えるってゲームさ」

「それで……? 食べるのか?」


 月人は危うく前のめりに頭から生け簀に突っ込んでしまいそうになった。


「食べるんじゃない! 水槽か何かに入れて飼うんだよ!」


 まさか金魚を見て「食べる」などと言うヤツが居るとは思わなかった。

 いやまあ、確かに金魚が日本に伝来したのが室町時代だと言われているから、スバルの生まれた平安時代初期に存在しなかった以上、彼女の頭の中に観賞魚という概念がないのも仕方がないが……。


「ふんっ! 糧としてでなく虜にして楽しむのか。ただ自己の欲求を満たすためだけに生き物を弄ぶなんて、やっぱりニンゲンは残酷な外道どもだな……」

「いや、そんな大袈裟な……」


 これには月人だけでなく、月人同様に金魚すくいで遊んでいた客も店のオヤジも引きつった笑みを浮かべてしまう。

 確かにスバルの言うことも分からなくはないが……。


「と、とにかくさ……。一回だけでもやってみろって。手に入れた金魚だって、ちゃんと家で世話してやるんだからさ」

「うう……わかった……。月人がそこまで言うならやってやる。でも、その代わりに今晩は昨晩の続きを――」

「却下だ」


 最後まで言わせる気など毛頭なかった。大体、周囲に人がいるのに、よくそんな話を持ち出せたものだ。


 ともあれ、スバルは渋々ながらもポイを受け取り「はっ!」と掛け声をひとつ。仰々しく八卦掌か何かの中国武術のように身構える。


「見てたと思うけどさ……金魚すくいって何だか分かってる?」

「こういうのは雰囲気が大事なんだ」


(雰囲気ねぇ……)


 金魚すくい初挑戦のスバルにそれでどこまでやれるのか見物だ。

 それに渋っていた割に、いざ始めるとノリノリである。


(いるよねぇ……。こういう嫌だ嫌だ言ってたクセに、やり出すと本気になるヤツ)


 半ば呆れ顔で見つめる中、スバルは一匹の出目金に狙いを定める。

 そして「せやっ!」という掛け声とともに一閃。


「あ……」


 物の見事に……というか、ここまでキレイにというのも珍しいのではないだろうか? 

 ポイに張られていた紙は跡形も無く、初めから何も張られていなかったかのように消え去っていた。


「まあ、初めて……なんて……そんなもんだよ……な……」


 月人の声は震えていた。

 彼は見ていた。スバルはポイを生け簀の奥底まで潜らせ、そこから力任せに一気に掬い上げたのを……。

 その姿はまるで「水の抵抗など気合いと根性でどうとでもなる!」とでも言っているかのようだった。

 だからおかしくて、しかし初心者を笑うのも悪いと思い、こみ上げて来る笑いを必死に堪えている。


「むぅぅぅぅ……」


 当のスバルはキレイさっぱり枠だけに成り果てたポイを睨んで唸っている。


「月人! もう一回だ!」


 親の仇でも見つけたかのようなギラギラとした目で、スッと月人の方に手を出した。もう三〇〇円出せという事なのだろう。


「結局、ハマってんじゃねぇか!」

「魚ごときにここで敗北を認めたら鬼族の名折れだ! ワァのジジ様、悪路王にあの世で合わす顔がない!」


 たかが金魚すくいごときで大袈裟だ。その程度の事でお叱りを受けるのだとしたら、悪路王とやらも相当に器が小さいだろう。


(まあ、魚にというよりも、店のオヤジに負ける事になるんだろうけど……余計な事は言わないでおこ……)


 仕方なく金魚すくい屋のオヤジに三〇〇円を渡す。同時にスバルの手に新しいポイが手渡された。

 その金魚すくい屋のオヤジは寡黙な男なのか終始無言であるが、スバルの様子をニヤニヤと含みのあるにやけ面で見守っている。


(結果が見えてるからなんだろうなぁ……)


 そう思うと途端に月人も悔しくなってくる。


 そこからは月人の表情にも余裕がなくなった。俄然、スバルに一匹でも捕らせてやりたいからアドバイスをしたり、彼女の横で必死に応援していた。


 結果――


「とったぁぁぁぁっ!」

「スバル、よくやった!」


 感動的な瞬間に周囲からも拍手が起こる。あまりにスバルが真剣に悪戦苦闘していたものだから、いつの間にか二人の周りに多くの観戦者が集まっていた。


 当初、スバルが狙っていた出目金ではなく、かなり小ぶりの和金だが、ようやく一匹捕まえる事ができた。


「困難を乗り切るにはな……今の嬢ちゃんのような不屈の精神が必要なんだ。よくやったな……」


 そう言ってオヤジはスバルの掬った金魚を水のたっぷり入ったビニール袋に入れて渡してくれた。


(オヤジ……カッコイイこと言ってるけど、あんたに言われると何か釈然としないよ……)


 月人は財布の中身を確認する。スバルの金魚すくいだけで三六〇〇円の出費だった。


(たっかい金魚だなぁ……)


 しかしまあ……。


「月人! ワァの勝利だぞ!」


 大喜びで金魚の入った袋を見せつけてくるスバルを見ていると、「まあいいか……」という気になった。

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