7.昔語り3

 深い深い山奥である。

 鬼たちの集落から更に鬱蒼とした山林を分け入った先……。

 そり立つ岸壁の一カ所に大きな穴が寄りつく生き物を今にも飲み込まんとばかりにぽっかりと口を広げている場所があった。

 別段、何か飾り付けられているところもない、一見すると何の変哲も無い洞窟だ。

 しかし、洞窟の先がどうなっているのかはわからないが、風もないのにその深淵の向こうからは岩のように重く、吹雪く雪山のように冷たい空気が流れ出ていた。


 それに……たまらないのは匂いである。


「う……」


 その場に居合わせた多くの者が袖で口を覆った。

 まるで何かが腐ったような異臭……。

 かつて都を飢饉が襲った時に、都の至る所に餓死した人々の骸が転がっていた光景を喜房は思い出す。

 これはあの時、都中に漂っていた腐臭によく似ている。


「ここで間違いないな?」


 永主ただ一人は、そんな異様な腐臭をものともせず、寧ろ嬉々とした様子で洞窟の入り口に立っている。


「はっ! ここがタマバミサマの棲む洞窟でございます」

「良い……。では、早速始めるとしよう」


 永主はまず、スバル姫を閉じ込めた漬け物樽を洞窟から離れた茂みの中に置かせる。

 洞窟から何が出て来ても、それは視界には入らない。

 敢えてタマバミサマからは隠したようだった。


「この地に棲まう祟り神よ! 我が名は最上永主! 此度は其の御魂みたまに願いあってまかり越した! 我が声、届いているのなら、其の御姿みすかたを我が面前に現したまえ!」


 すると洞窟の奥から地鳴りのような……岩と岩が擦れて軋むような音が響いて来た。

 辺りの重々しい空気はより一層濃くなる。


『何用だ? 人の子よ……』


 男とも女ともつかない声が頭の中に直接語りかける。


「おお……」


 一同は洞窟の入り口を見上げて声をあげた。

 現れたのは……影だ。それも大きい……平城京にある大仏ほどもある黒い影。

 狐とも狼ともつかぬケモノの形をしているが、それは形容のし難いほどに歪で、影と背景の境界も不鮮明な、まさに人の持ち得る知識では説明のつかない別次元の存在であった。


「我が願いを叶えて頂きたい」

『ほう……? しかし、人の子よ。汝は我が祟り神と知って、なおその願いとやらを欲するのか?』


 タマバミサマと呼ばれる影は僅かにその身を揺らす。

 ハッキリとはわからないが、笑っているようにも見えた。


「無論、その代償が何であるかも承知している。故に叶える事が出来るという事も……」

『ふむ……ならば問おう。汝の願いとは如何な願いか?』


 タマバミサマの問いに永主は臆することもなく、それどころか不適に笑みを浮かべて言い放った。


「未来永劫に尽きる事のない富を我に与えたまえ!」

「なっ……?」


 喜房は絶句した。

 我が主が我欲に満ちた外道である事は百も承知である。己の利を得るためならば手段を選ばない者である事も重々承知だ。

 しかし、この願いは常軌を逸している。


(いくら何でも不可能だ)


 主は気でも触れたのではないかと思った。


(尽きる事のない富など……ミカドであっても叶わぬ大望だ。いや、夢想と言っても良い)


 しかし、永主は大真面目である。気が触れたわけではない事は彼の顔を見れば、長年仕えて来た喜房ならばわかる事だ。


『なるほど……。確かにそれほどの大望ともなれば、祟り神たる我にしか叶えられぬであろうな。しかし、それほどの願いともなれば……理解しておろう? 汝の血を引く者の魂を末代まで喰らい尽くす事になろうぞ?』


 確かに真っ当な神であれば、そのような道理の合わない願いなど叶えてくれる筈もないだろう。

 だが、祟り神ともなれば別だ。

 不可能に近い願いであればあるほど、その代償として法外なものを求めて来る。

 今、目の前にいる祟り神が「魂喰様」と呼ばれる所以であろう。


 だが、永主は何故、自身と己の血を引く者の命を捧げてまで「尽きる事のない富」を得ようと言うのか……。


(一族がタマバミサマに魂を喰らい尽くされてしまえば、得た富とやらは永劫の物ではないではないか。それどころか数代とて続くかどうか……)


 そこで喜房はハッとした。同時に先ほど、茂みの中に隠したスバル姫を封じた漬け物樽の方へ目をやる。


(その為にわざわざミカドの命に反してまでスバル姫を樽に封印するなどという回りくどい真似をしたのか)


 封印したスバル姫をどのように利用するのかまではわからない。けれど、狡猾な永主が敢えて損とわかっている取り引きをする筈もない。何かカラクリがあるのだ。


「無論、それで構わぬ。切羽詰まっている身でな……」


 永主は祟り神を相手に白々しい嘘までついて見せた。


『よかろう……。ならば、この洞をくれてやろう。未来永劫尽きる事のない鉱脈としてな……。汝どもの魂は一人ずつ順に貰い受けるぞ?』

「結構……。ならば先ずはこの場にて我が嫡子の魂を喰らうが良かろうぞ」


(嫡子?)


 永主の嫡子は都の外れにある最上家の屋敷にいる筈だ。

 永主が溺愛していて、今回も危険だからという理由で、この遠征には連れて来ていない事を喜房も知っている。

 しかし、永主に迷いはない。


『だが……我は汝を真に信用したわけではない。そうさな……。そこな従者よ』


 喜房はタマバミサマが自分の事を指しているのだという事を理解するのに、しばし時間を要した。


「そ、それがしか?」

『うむ……。汝にこの最上一族が滅びるその時までの目付役を命ずる。もし、此奴ら一族が我が盟約に反する事あらば、直ぐに伝えよ』

「な……ほ、滅びるその時まで……?」


 言っている意味がわからなかった。何故、自分のような老齢の者にそのような役目を与えるのか……。

 しかし、それが喜房にとっての呪いとなった。


『汝は最上の者どもが滅びるまで、死ぬ事はまかり成らぬ』

「なん……と……?」


 タマバミサマは姿を消した。

 喜房に「不老不死」という呪いを与えて……。


 条件付きの永遠の命を与えられた喜房が永主の魂胆を知ったのは、それから数日後の事であった。

 彼は初めから嫡子の魂も一族の魂もタマバミサマにくれてやるつもりは毛頭無かったのだ。

 スバル姫を封印した樽に貼り付けられた呪符。これは『三昧耶さんまや不動尊ふどうそん移し身の符』と呼ばれ、本来、タマバミサマから奪われる筈の魂をこの呪符を通して、封印されているスバル姫の力を身代わりとして喰わせるものなのだと永主は得意げに語っていた。


 結局、最上永主は祟り神をも欺き、尽きる事のない鉱脈を手に入れ、最上一族はその地で千年以上に渡って栄えたのである。


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