6-8 異形者(フリークス)の生き様②

「見事なワイヤーの妙技、恐れ入る。しかし決定的な弱点があるのに、私が気づかないとでも思ったか? 君はワイヤーをそのマフラーから放つとき、必ず腕を振るったり引いたりするような動作を見せる。それが、ワイヤーを放つのに必要な挙動アクションなのだろう?」


 氷を喉奥に詰め込まれたかのように、フリップ・フロップが体を震わせた。

 両腕の骨は既に使用不可能な領域にまで砕かれている。指一本、動かす事すらままならない。

 その様子を触覚でしっかり感じ取りながら、スメルトが悲し気に言葉を紡いだ。


「同胞を殺すのは忍びないが……私の為、そしてドクターの為に、残念だがここで死ね」


 非情なる宣告の後、スメルトの左腕が三度力を解き放った。

 寸分の誤差もなく狙い放たれた涙の弾丸が、フリップ・フロップの四方八方を跳ね回った。


 さながら嵐めいていた。

 どこにも逃げ場はないことを十分告げるように跳弾を繰り返し、加速を増し、体毛に覆われた肉体を引き千切らんと牙を食らいつかせる。


 しかし――


「なに!?」


 弾丸という弾丸が突如として軌道を逸らされ、周囲のビルや地面を穿った。

 跳ね返されたのだ。 

 マフラーから伸び、網のように張り巡らされた無数のワイヤーによって。

 封じたはずの攻撃手段によって。


 スメルトにしてみれば、ありうべからざる事態だった。

 腕の動きは完璧に封じ込めたはずだった。

 現に、フリップ・フロップは全く腕を動かしていない。それなのに、どうして――


 驚愕すべきはそれだけに留まらない。

 落涙銃撃ティア・ライザーと獣拷ワイヤー。

 単純な力比べにおいては、前者が上のはず。

 だが今の光景は、それと明らかに矛盾している。

 涙の弾丸の威力が、ワイヤーの張力を前に膝を折るなどあってはならない。


「貴様、一体何を――」


「一本だけじゃ力不足だが、束ねて使えば話は違ってくるようだな」


 不敵な笑みを浮かべるフリップ・フロップ。

 スメルトはハッとした様に二対の触覚をくるりと動かし、視覚野上にワイヤーのひとつを見た。


 軽い衝撃があった。良く観察すればはっきりと分かる。

 弾丸をはじいたワイヤーは一本ではなかった。

 数本が寄り合わさっって一本の紐と化していた。

 しかも網目の作り方も巧妙で、紐の一つ一つが弾丸の軌道上にあるよう計算された配置になっていた。

 常人技ではなかった。跳弾を見極めなければ、まず展開できない精密さだった。


 だがそれだって、無理矢理にではあるが納得できる。

 あれだけワイヤーの扱いに秀でているなら理由はつく。

 問題は別のところにあった。


「いったい、ワイヤーをどうやって放った…………」


「誰が言ったよ? え?」


 ゆっくりと、膝の力だけでフリップ・フロップが立ち上がる。

 足元に広がる血の泥には目もくれず、口元をほんの僅かだけ愉し気に歪めると、


「腕を振るわなきゃワイヤーが使えないなんて、私の口からそんな台詞がいつ出た?」


 スメルトの触覚が、磔にでもされたかのようにぴたりと動きを止めた。

 その丸太じみた両腕の表面に、じわじわと血管が浮かび上がる。

 言葉にならない怒りが込み上げていることの証拠だった。


「ブラフか……! やってくれたな……!」


「勝手に勘違いした貴様が悪い」


「戯言を抜かすな。最初から私を欺くつもりだったんだな。大仰なモーションでこれみよがしによくも……!」


「そんなに気に食わなかったのか。悪い事したな。だがな、分かってくれ。こっちにも事情がある」


「事情だと……!?」


 フリップ・フロップが、高速でワイヤーをマフラー内へ回収しながら、淡々とした口調で言った。


「今日は、カッコつけたパフォーマンスでワイヤーを操りたい気分・・だったんだ」


「ふざけるな!」


 激昂に身を焦がし、スメルトが両腕をばね・・のようにしならせ、両手で思いきり地を蹴った。

 蹴ったと同時、空中で回転してみせた――何度も、縦方向に。

 その恐るべき加速に乗じて、百の銃眼ハンドレッドから決死の弾丸を放った。


 フリップ・フロップは身を屈めた姿勢で疾走すると、妖幻怪奇の如く乱舞するワイヤーを駆使して跳弾をやり過ごし、スメルトの真下へ。

 動きに連動するかのように、流れるようにしてワイヤーが軌道を変え、真っ直ぐ標的を突き刺すように天へ昇る。

 そのタイミングを狙い澄まして、スメルトが両掌を下へ――真下に位置するフリップ・フロップの頭上へと向けた。

 途端に、スメルトの掌の中心で闇を照らすように赤い光がさんざめき、直線状の軌跡を描いて何かが放たれた。


 危険を察知して左へ飛ぶフリップ・フロップ――

 翻るコートの裾が、スメルトに向けて放ったワイヤーごと、ごっそり削り取られていた。

 金属と布を焼いた悪臭が、獣と化したフリップ・フロップの鼻を刺激する。


「レーザーカッター。工作機械に利用される代物を、何倍にも強化して埋め込んだ、私の隠し武器だ」


 回転しながらビルの壁面に右腕一本で着地したスメルトが、見せつけるように左腕を伸ばし、掌を開花させた。

 その中心――穿たれた切れ込みから、男根のような形状のモノが顔を覗かせていた。


「私にこれを使わせたことの意味を、思い知れ」


 重石が転がるような声の後、男根じみた器官の先端部分からレーザーの一撃が横薙ぎに放たれた。

 見るにおぞましい形状から放たれた紅の一閃は、実際に威力も相当なものだった。


 身を屈めて、辛くも熱線の直撃を凌ぐフリップ・フロップ。

 その背後で、巨大な質量が動く気配を感じた。

 たまたま後ろにあった四階建てオフィス・ビルの一角が、二階部分から真横に溶断され、上階部分がフリップ・フロップの頭上目掛けて落下してきた。


「死ね!」


 狂笑のビジョン――再び、切断能力の権化たるレーザーが紅く煌めく。

 その時フリップ・フロップがとった行動は、とても両腕を骨折している人間にできるとは思えない、入神の域に至る芸当だった。


 足元の瓦礫を踏みしめながら身を転がす――右へ。

 殺伐とした世界を飛翔するかのようにワイヤーが舞った。

 そのうちの幾らかは背後のビルを存分に寸断し、もう幾らかは、スメルトへと真っ直ぐに飛んでいった。


 その意外な一撃に驚いて僅かに体勢を崩してしまったのと、ワイヤーが俊敏に左腕へ絡みついて軌道を無理矢理逸らせたことで、レーザーはフリップ・フロップの頬を掠めるに終わり、あらぬ方向へ消えていった。

 たまたま軌道上にあった救護用のヘリが、レーザーの貫通を喰らって爆発炎上した。


 フリップ・フロップは反撃の手を休めなかった。

 轟音と共に背後で崩れ落ちるビルのただ中へ、倒れ込むようにして身を滑らせた。


 ビルの残骸の一つを踏み蹴り、跳んだ――目線より少し上を落ちていく残骸の一つへ、またもや飛び乗った。

 その人間離れしたとてつもない運動の最中も、マフラーから放たれたワイヤーは数十メートル先にいるスメルトの左腕を雁字搦めに固めて逃さない。 


 やがて、反対側のビルの壁面にへばりついているスメルトと同程度の高度に到達するまで瓦礫を駆け上がった・・・・・直後、フリップ・フロップは渾身の力を両脚に込め、宙へ飛んだ。

 膨大な遠心力を最大限に生かし、密林を駆ける野人が如き迫力で反対側のビルの一階部分へと迫った。


 尋常ならざる力学的負荷――スメルトの左腕を縛り付けていた黒い鋼が限界まで食い込んだ。

 菓子袋でも破くかのように皮膚がずたずたにされた。

 筋肉が裂け、黄色い脂肪と赤黒い血飛沫が辺りに散った。


 苦悶の呻き――しかしスメルトも相当のタフだ。

 残った右腕だけで体重を辛くも支えていた。

 その掌に宿る分子間力の効力を維持したまま、死に物狂いでビルの壁を捉えていた。


 スメルトの右腕と、フリップ・フロップのマフラーはワイヤーによって繋がれている。彼にしてみれば最悪な状況だった。


 もしここで右腕の力を緩めるようなことがあったら、物理学的に考えてスメルトの体は高高度から地面に叩きつけられる。

 そうでもしたら、いくら人造生命体ホムンクルスと言えど、ひとたまりもない。

 だから、右腕を壁から離されまいと必死になるのは、スメルトにしてみれば当然の防御策だった。


 しかしながら、それは悪手と言わざるを得なかった。

 フリップ・フロップの視点で見れば、これこそ狙っていた通りに事が運んでいる状況に他ならなかったからだ。


 ビルの壁際へ移る瞬間。

 闇夜に支配された空間を輝線が奔り抜け、獲物に群がる毒蛇のようにでたらめな力でワイヤーが巻き付いた。

 スメルトの、右腕へと。


 二対の触覚が、狼狽を現わすように滅茶苦茶に蠢いた。


「きさ――」


 衝動的に何かを口走ったスメルトだったが、あとは言葉にすらならなかった。


 ワイヤーの尋常ならざる張力で、右腕がビルの壁から無理矢理引き剥がされる。

 スメルトの体が、地面へと真っ逆さまに落下した。

 衝撃で軽い地割れが発生し、盛大に粉塵が舞い上がる。


 褐色のカーテンに包まれた視界の向こう。

 月明かりに照らされ、揺らめくは巨大な影。


 それに気づくやいなや、フリップ・フロップは迷うことなく、マフラーに仕込んだワイヤーの半分近くを獰猛な勢いで解き放ち、軽く首を前後に振った。

 大物を引っ掛けた釣り竿のような感覚が、首元にかかる。


 夜風が吹き、徐々に視界が復活していく。

 大量の獣拷ワイヤーに全身を隈なく覆われたスメルトが地面に横たわっているのを即座に確認すると、フリップ・フロップは下半身に力を込め、思い切りワイヤーを引っ張った。首の力だけで。


 スメルトが、壮絶な絶叫を上げた。

 ワイヤーから逃れようと、震えながらも両腕を動かそうとする。

 力と力の拮抗を崩そうとする。


 ワイヤーの張力が倍化して、更により強く締め付ける。

 今度こそ筋肉という筋肉が根こそぎ千切られ、内蔵されていたレーザー射出装置が筋肉と骨の隙間から顔を覗かせた。


 しかしながら、それでもスメルトは両手を地面についたまま、たった二本の腕の力だけで体を持っていかれまいと支えていた。とんでもない腕力と、理解の範疇を超えた忍耐力の現れだった。


 スメルトの本体に巻き付いたワイヤーも、その頑丈にも過ぎる要塞じみた殻に、ひび割れを起こすには至っていない。ワイヤーの何本かが限界を迎え、ぷつりと弾け飛んだ。


 まるで綱引きだった。

 命と生存の意志を賭けたロープ・ゲーム。

 先にスメルトの殻が破壊されるか、それともフリップ・フロップの首が負荷に耐え切れず折れるか。

 そのどちらかしか結末は用意されていない。


 フリップ・フロップが、更に多くのワイヤーを放った。

 殻を縛る――引き絞るように――殻の奥から響く叫び――腕の力はまだ衰えない。


 追加のワイヤーを放った。

 既にマフラーは、それ本来の役目を十分に果たせないくらいぐらいには痩せ細っていた。


 スメルトが、足の指先で大地を掴むかのように踏ん張り、腰にますますの力を込める。

 そうして、飢えた肉食獣のような咆哮を上げた。

 両掌はワイヤーの猛撃を凌ぎつつ、いまだに地面へ吸い付くようにしてある。


 ここにきて、全力を込めた分子間力の発露だった。

 ドクターの野望を支える者としての必死の抵抗が、そこに詰められていた。


 死にたくない――勝ってやる――敵対し合いながらも、どちらも共通の想念を戦いの力に変えていた。

 それでいながら、この期に及んでフリップ・フロップの脳裡を、『あの疑問』が幾度となく掠めていった。


 憑物病に罹った時、自分はどうして死を選ばなかったのか。

 単純に怖かったからではないと、今この時になってはっきりと自覚した。


 半獣と化し、人々から好奇の視線を浴びようが、石を投げられることがあろうが。

 それでも命を世界から断ち切れなかった理由。

 それが今になって、ようやく分かった。


 結局は信じたかったのだ。

 人間の善性を。

 こんな体の化け物を見ても、侮蔑や嘲笑、あるいは生理的嫌悪などおくびにも出さない。

 そんな人間に出会えれば、このくだらない世の中も、少しはまともな景色として映るだろうと信じた。


 彼女・・が愛した、この街に生きる人々の心を、信じてやるべきだと強く決めたのだ。

 それが、遺された者の役目だと強く意識して。


 再牙――エリーチカ――思えば、彼らがまさにその手助けをしてくれた。

 行きつけの喫茶店の店主も。バーカウンターで仕事に精を出すマスターも。

 数は少ないが、心の最奥に土足で踏み込んでくるような真似をせず、ただ受け入れてくれる人達に出会えた。

 それは確かに、何物にも代えがたい幸運だった。


 そして今日、また一つの幸運に巡り会えた。


 獅子原琴美――死んだ父の足跡を辿りに、都市を訪れた儚げな少女。

 しかしながら、あのか弱い存在は立派な意志の強さを持っている。

 魔界と化した幻幽都市へ、単身で乗り込んできたほどの度胸がある。


 かつては自分もそうだったのだと、フリップ・フロップは思い知らされた。

 部下たちと共にデッド・フロンティアに乗り込み、度胸と知恵だけを頼りに生きてきた。

 あの時の積み重ねを燃料に変えて、今日まで生きてきた。


 生き方を変えることはできない。

 それでも出来る事がある。

 理不尽な世界の闇が、儚げな幸運を塗りつぶすのを防ぐぐらいのことは――

 恐るべき毒牙から、誰かの身を守ってやれるくらいのことは――気まぐれな私にだって!


 不意に、殻を縛っていたワイヤーが緩んだ。

 少し遅れて、分厚い金属の隔壁に亀裂が走ったような異音が、獣の耳に届いた。


 拮抗が破られた。


 無意識だった。無我夢中だった。

 勝利への糸を、あらん限りの力で手繰り寄せた。


 ワイヤーが、超高速で引き締められていく。

 怪物の身の毛もよだつような断末魔に混じり、偉大な殻が粉々に粉砕された。

 ピンクに染まった肉や内臓の欠片が鋼の糸によって猛烈に掻き混ぜられ、辺りの瓦礫にばら撒かれた。


 猛烈な悪臭が鼻をつく。

 ワイヤーにまで染み込んでいるのではと思うくらいの惨状で。

 だがそれが正しく、勝負の決着を告げていた。

 

 殺戮遊戯グロテスクのメンバーは、残り三人となった。

 試験合格者は、いまだにゼロ。

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