3-6 衝撃は刃のごとく

 部屋に入ってきたのは、短く刈った金灰色ゴールド・アッシュの髪を整え、透き通るような紫色の目をした一人の男だった。

 義体陸上競技者アスリート・ボーガー顔負けの上背。伸縮性の鋼で覆われたような筋肉を搭載しているのが、服の上からでもはっきりと見て取れた。とても四十歳を超えているとは思えないほどの鍛え抜かれた体躯だが、異彩に染まっているのは肉体だけではなかった。


 男の顔――その中心より右半分――正常な肌の色ではない。窓から差し込む陽光を浴びて、鈍い金属光沢の色味を放っているのだ。


 その意味――男の右半身の九割が、サイボーグ化手術を施されていることの証に他ならない。有機と無機の合成人間というフレーズが、まさにぴったりとくる出で立ちと言って良かった。そんな独特の風貌をしていながら、絶えず穏やかな笑みを崩さずにいるのが、どことなく不気味な存在として再牙の目には映っていた。


 男は、機関の一員であることを示す白を基調とした警邏服に身を包んでいた。詰襟には村雨や七鞍と同じく、紋章がパッチされていた。階級を現す軍体制的なエンブレムだ。

 ただ、紋章の数は村雨や七鞍と比較しても段違いに多く、形状も星型に留まらず様々だ。ガーデンの管理人たる地位にいる人物であることを示す、無言のサインがそれだった。


 蒼天機関二代目機関長ガーデン・ザ・セカンド・ヘッド――それが男の肩書き。

 名は、大嶽左龍おおたけ さりゅうと言った。


「そんなに緊張する必要はない。公式的に、もう十年前の事件は決着を迎えたんだから。今更君を捕えてどうこうしようっていうわけじゃない」


「……」


「それにしても、本当に久しぶりだね。何年ぶりだっけ? こうして顔を突き合わせるのは」


「十年と三か月」と、機械的に再牙が応えた。


「なるほどなぁ。どおりで最近、白髪染めに時間がかかるわけだ」


 どこか懐かしむように口にしながら、大嶽は再牙の対面にどっかりと腰を下ろした。


「都市の成長は目まぐるしい。あれから色々な事があって、組織もだいぶ変わった。だからこそ、アヴァロ・・・。十年前と全く変わっていない君の姿を見ていると、どうしてもノスタルジックな気分になってしまう」


「俺の名前は、火門再牙だ」


 ゆっくりとした口調の大嶽を遠ざけるように、再牙が冷たく言い放った。そこに、若干の怒りと後ろめたさを込めて。

 

「アヴァロなんて、そんな名前の奴は知らないな」


「……そうか。新しい人生を満喫しているようで、何よりだ」


 うんうんと、大嶽が頷く。


「……煙草、吸ってもいいか?」


 大嶽は右手を差し出し「どうぞ」といったジェスチャーを見せた後、テーブルの端を強めに撫でた。テーブルの真ん中が開いた。丸い台座に乗って、底から灰皿が立ち上がってきた。

 再牙はオルガンチノのポケットから愛用の嗜好品とライターを取り出すと、ゆっくりとした動作で火を点けた。

 部屋を支配する固い空気をほぐすかのように、紫煙をくゆらせる。煙が大嶽の顔にかかるのも気にせず、再牙は比較的早いペースで吸い続けた。


「なんで俺がこの街を訪れているって、分かったんだ」


「たまたま。窓の近くに立って、なんとなく外の景色を眺めてたら、君があの女の子……獅子原琴美だったか。彼女と一緒に入っていくところを見かけてね。慌てて連絡を取って、君と面会するよう取り次がせた」


「何の為に?」


「君に話さなければならないことがあるんだ。もっとも、こちらとしては何としても話を聞いてもらうつもりでいたからね。本当は使いの者を練馬の自宅へ寄こす予定だったんだけど、手間が省けて助かったよ。ところで――」


 大嶽は軽く手を振るって煙を払いのけると、再牙が着用している、その魔法じみた黄色いコートに郷愁を憂うような目線を向けて、ふいに尋ねた。


「風の噂で万屋稼業をやっていると聞いているけど、景気はどうなんだい」


 およそ十年ぶりの再会だと言うのに、大嶽は再牙の職業を把握していた。だが再牙は動じなかった。特に驚く必要がないと思った。機関の情報網の広さは、よくよく熟知している。


「……普通さ」


「普通か」大嶽が、真っ白な歯を剥き出しにして笑った。


「君の普通は、常人と比較する分にはいささか常軌を逸しているから、その返答は何とも掴みがたい響きがあるね」


「良い時もあれば、悪い時もある。依頼人の精神状態を重要な要素とする仕事だからな。どんなに役立つ能力・・を身につけていても、失敗する時は失敗する」


「それにはまったく同意するが、驚きだよ。まさかあんな事件を起こした君から、『失敗する時は失敗する』なんて台詞を聞くことになるとはね。組織から弾かれるような真似をしでかしたことを、いまさら後悔しているのかい? それとも、自省できるだけの精神力が身に付いたことを喜べばいいのかな?」


 虚を突かれた思いだった。再牙はハッとして、機械と人間の融合生物とも言うべき男の顔をじっと見つめた。何を考えているのか分からない深淵を思わせる紫の瞳に、困惑の表情を浮かべている己の顔が映り込んでいるのを見て取り、すぐに視線を逸らした。

 こういうところは、まるで変っていない――親し気な態度を装いながら、その実、何食わぬ顔で人の心にずかずかと付け入る話術。精神的な揺さぶりをかける言葉の暴力を、手品師のように振るってみせる。

 目に見える武器以上に、大嶽は言葉を武器として扱い尽くしてきた。だからこそ、ただの一兵卒から今の地位に成り上がれたのだ。これこそ、彼が得意とする戦い方・・・なのだ。

 

「話したい内容ってのは、嫌味のことか? 機関長ってのは随分暇なんだな」


「まさに君の指摘の通り、こいつが思った以上に閑職でね。優秀な部下がめんどくさい書類整理をやってくれるおかげで、日がな一日、趣味の読書と剣術トレーニングに精が出せるって訳だ。でもね……」


 精一杯放った再牙の皮肉をさらりと受け流した直後だった。大嶽の紫色の目が窓からの光を受けて塗り替わり、真剣な色彩を帯び始めた。


「どうやら今回ばかりは、呑気に構えてもいられないようなんだ」


 本題に差し掛かる気配が、部屋を満たした。大嶽は、懐から一枚の紙切れを取り出してテーブルの上に置くと、再牙の方にすっと差し出した。

 黒インクで記された文字の羅列。さながら詩のようだった。

 しかしながら、その詩が含んでいるのは趣とも美的感性とも異なる、膨大にして暗雲としたデータの沃野である。

 再牙は灰煙草ミネラル・シガーを灰皿の底に押し付けて火を消すと、ひったくるように紙を手に取り、そこに書かれた意味深長な内容を凝視した。





 月満ちる晩、天蓋を穿たし雷鳴が、犬神人いぬじにんの門より帰還を果たす

 銀の異形は傷となりて、更なる異形の呼び水となろう

 都市抗体の亡霊が、神魔の肉に病を降ろす日は近い

 五肢に恵まれし最後の抗体を以て、陥落の瀬戸際を超えるべし





「読書、剣術ときて、今は詩作に嵌っているわけだ。充実した趣味をお持ちのようで何よりだ」


 興味なさげな物言いを受けて、腹を立たせる様子も皆無に、大嶽が低い笑いを漏らした。


「なかなかの出来だろう? ウチの麒麟児モンスターが導き出してくれた、未来への梯子だよ。コンクールに出せば、最終選考までは残るんじゃないかな」


「一次落ちが関の山だ。装飾過多が酷すぎて、何を伝えたいのか見当もつかない」


「接続先の異界ではきっと、そういう風潮が隆盛を極めているんだろうね」


「接続先の異界?」


 不可解な面持ちを浮かべて、再牙が尋ねた。


大規模神託演算機アンティキティラさ」と、物知り顔の科学者のような雰囲気を滲ませつつ、それでいてレアな電子戦闘兵器を見せびらかすマニアのような興奮ぶりも兼ね備えながら、大嶽は説明を始めた。


麒麟児モンスターの名前がそれなんだ。ヴェーダ・システムの余剰演算能力を搭載させた予言筆記式算出装置さ。空間転移技術・・・・・・を応用して多数の並列異界と接続・・し、異界の原理原則を司る疑似神的存在エホバの挙動を観測する。そこで得られた『時代に影響を及ぼすだけの事件・事故』を、我々が住んでいるこの基本世界にフィードバックさせ、『ありうるであろう未来の形』を導き、現時点において発生確率が最も高いと予測できる『現象』だけを、四行詩の形で記すという仕組みになっている。『現象』の発生は確率論に帰属するから、必ずそこに書かれている内容が起こるという訳ではないけどね。けれどもおおむね、これまでの都市の歴史は、装置が書き記す予言に沿って歩みを進めている。君がウチにいた頃には、まだ開発されていなかった代物さ」


 大嶽は一区切りをつけるように、上着のポケットから蒸気煙草ヴェイパーを取り出した。フィルターに口をつけて中身を吸い込むと、真っ白な煙を吐き出す。


「いわばコイツは、都市という名の海を渡るための、航海図みたいなものだよ。ただし普通の航海図とは違って、進んだ先に宝島があるとは限らない。恐ろしい悪魔たちが棲む島が待ち受けているかもしれない。どっちにせよ、『知っていて損はない』だろうけど」


哲学する人工知能ヴェーダ・システムね……流石は都市のインフラ管理を一手に担うだけのことはある。現実世界と仮想世界の制御だけでなく、シャーマニズムの世界を読み解くのにも力を貸し始めたってところか」


 想像の斜め上を行く大嶽の発言に、再牙は呆れるようにして言葉を漏らすしかなかった。自分の知らない所で着実に、都市はあらゆる概念を飽くことなく飲み込みながら、恐るべき成長を続けているのだと思い知らされた。

 そうして、都市が津波のように飲み干していく有象無象の概念の中には、ほんの僅かに混じる、だが決して見逃せない『過去の幻影』すらも含まれているのだと、気づかされた。


「気に入ってくれたかい?」


「んなわけあるか」


 本当なら唾を吐きかけてやりたい気分であるところをぐっと抑え込み、再牙は大嶽を鋭く睨みつけて、問い質した。


「さっきの説明の中に、空間転移技術ってのがあったが……」


「そうだ。バジュラの力を応用させてもらったんだ。大規模神託演算機アンティキティラだけじゃない。この建物自体にも、彼女の能力を『正しい形で』使っている」


「転送システムの事だろ。あの夜城とかいう女から聞いた」


「随分と時間がかかったけれど、ようやく実用段階まで漕ぎ付けたところなんだ。いずれは民間でも使えるレベルまでカスタマイズする予定さ。貴重な資源は、よりよい形で社会発展の為に消費していかなくちゃいけないからね」


 資源――消費――ついに、再牙の中で何かが音を立てて切れた。


「死者を墓の中から引き摺り出した挙句、もっと働けと強要するつもりか。悪徳企業ブラック・カンパニーも真っ青の論理だな。死んだ人間をモノ扱いするような発言は、冒涜の極みだぞ。蒼天機関ガーデンの長が、そんなことを口にしていいのか」


 自然と、言葉に力が籠っていた。大嶽は特にこれといった感情も見せず、再牙の口が激情のままに動くさまを、じっと見守っている。

 やっぱり、十年前に下した決断は正しかった――大嶽の、どこか飄然としながらも慇懃無礼な態度を見ている内に、ふとそんな衝動が湧き上がってきた。

 だがすぐに被りを振り、馬鹿なことを考えるなと、感傷に浸りかけた自身を戒めた。


「君が言いたいことは良く分かる。でもよく考えて欲しい」


 大嶽は言って、すっかり短くなった蒸気煙草ヴェイパーを尚も口に咥えながら、数学の公式を説明する教師のように、順序立てて理屈を述べ始めた。白い煙が顔の右半分にかかるが、当然、機械化された右目が刺激を受けることはない。


「まず第一に、これは非公式アン・オフィシャルの面会だ。君に会ったという事実は、公式記録には残されない。だから何を発言しようが、それは機関長の立場にある者の言葉とは捉えられない」


「そんな勝手な……」


「第二に、死者を冒涜している気はさらさらない。寧ろ、彼女・・に対しては悪い事をしたと思っているよ。君に対しても、同じくらいにね。そして第三に言うけれど、君たち・・・付与エンチャントされた能力・・は、ここで開発され、ここの技術者によって提供された。つまり開発元がこちらである以上、能力それ自体の応用利用権もまた、こちら側にある。ゆえに、君たちの能力をどのような形で扱おうが、誰にも口出しは出来ないし、口出しさせない」


「じゃあ俺の能力も、都市のお守りの為に役立てる日がくるという訳だ。ありがたいねぇ、実に。俺が生まれたのも、無駄じゃなかったってことになるもんな」


 唇を尖らせる再牙に少しばかり辟易した様子で――無論、これは相手を自分の側に引き込む為の演技であるが――大嶽は自慢の金灰色をした短髪を、ポリポリと掻いた。


「そう拗ねないでくれよ。だいたい、五体五感を人間の許容範囲を超えたレベルで強化する技術なんてものが出回れば、医療経済団体が黙っていないよ。それくらいのことは分かるだろう? 話が逸れたけど、まだ続きはあるんだ。最後まで聞いてくれ」


「どれだけ舌を回そうが、馬に念仏ってもんだぜ」


「それはそれは。じゃあこんな風に回して聞かせたら、面白い反応を見せてくれるかな?――第四に、君は彼女・・が死んでいると思っているようだけど、それは間違いだ」


 再牙の怒りが鳴りを潜め、代わりに驚愕が顔面に張り付いた。くすくすと、大嶽の口から囁くような笑いが転がった。


「馬に念仏どころか、寝耳に水って感じのようだね」


 大嶽は、口から蒸気煙草ヴェイパーを外した。その瞳から、すでに笑みは消えていた。

 崩れた消しゴムのような形に成り果てた嗜好品の残骸を、サイボーグ化された黒い右手で握り潰しながら、大嶽はきっぱりと言い放った。


「バジュラは生きている。間違いなく、今もこの都市のどこかで生きている」


「馬鹿な、何を根拠に……」


「ニワトリ頭じゃないんだから、ちゃんと思い出してくれ」


 コツコツと、大嶽の左手の人差し指がテーブルを叩いた。視線を落とした再牙の目の先に、四行詩の書かれた紙がある。

 それだけで、彼が何を言わんとしているのかを察した。だがあまりの事に、現実を良く受け入れきれない。


「信じられないって顔してるけど、一応言っておくよ。大規模神託演算機アンティキティラの予言の力を、あまり舐めない方がいいってことをね。的中率はお墨付きさ」


「……この四行詩に、バジュラの居場所が書かれていると?」


「正確には、彼女が何を為そうとしているのか。それが書かれているはずだ」


「はず?」


「解析に時間がかかっていてね。これを吐き出したのが一昨日の事だったんだけど、まだ半分程度しか意味を汲み取れていない。一種の呪文スペルにして暗号のようなものなんだよ。文節を解体していくことで、真相が見えてくる仕掛けになっている。ありのままを書き記すようじゃ、万が一盗難された時に困るだろ?」


「で、どこまで分かってるんだ?」


「一行目の一部と三行目の全文節、それに今朝方、四行目の解析が終わったばかりだ」


 大嶽の、太い枝のような右手の人差し指が、四行詩を上から指示していく。再牙は黙って、彼の口から出る言葉に耳を傾けることにした。


「まずは一行目。月満ちる晩、天蓋を穿たし雷鳴が、犬神人いぬじにんの門より帰還を果たす……『月満ちる晩』は文字通り『満月』を指す。つまりは今夜だ。『天蓋を穿たし雷鳴』……天蓋とは囲う物、天地を覆いつくす物。つまりは古代インド神話に登場する『悪竜・ヴリトラ』だ。それを滅ぼす雷鳴といったら、『バジュラ』しかない。犬神人の下りは、まだ判明していない」


「……」


「三行目だ。都市抗体の亡霊が、神魔の肉に病を降ろす日は近い……『都市抗体の亡霊』は、『致死攻征部隊サイトカインに属していた機関員』のことを指し、『神魔の肉』は『幻幽都市』を指す。『病』は『破壊』だ。つまり、致死攻征部隊サイトカインに所属していたバジュラが、幻幽都市の破壊の為に動き出そうとしている……端的に言えば、そういうことになる」


 言いながら、大嶽が探るような目つきで再牙を見やった。しかし、自身にそのような視線が向けられている事にも気づかないまま、再牙は彫像のように黙し、予言の内容に釘付けとなっている。

 目を逸らすわけにはいかなかった。遠い過去に追いやっていたはずの記憶の断片が、暗闇の向こう側から集合し始めていて、それを止める術はどこにも用意されてはいない。


 致死攻征部隊サイトカイン――再牙がその名を忘れたことなど、ただの一度もなかった。

 己の人生に、言葉で言い尽せないだけの爪痕を残した居場所。そこに所属していた仲間たちについても、一人一人の顔をはっきりと思い出せるくらいには、記憶が鮮明に残っている。

 とりわけ、抜きん出て恵まれた能力を授かっていながら、実戦ではただの一度だって暴力に傾くこと拒否し続けた、一人の女・・・・のことは。


 バジュラ――仏を加護する武具の名を冠された戦士にして、同じ釜の飯を食った間柄。

 当時、都市を震撼させていた犯罪組織の連中と相対しても、決して誰一人として自らの手で殺めたりはしなかった臆病者。

 それでいて、十年前に都市を揺るがした事件――サイトカイン騒乱ストームの際に、行方不明と報道された二人・・のうちの一人。


 彼女が生きていた。

 その事実を伝えられただけでも驚きだったが、予言はそれだけに終わらない。都市を崩壊に導く為に、錆びついた牙を懸命に研いでいるとまで記している。

 いったい何の為か――直感で理解できた。再牙だけに心当たりがあった。そしてまた、この場にいない彼女の気持ちに想いを馳せた。幻痛が胸の中央にずしりと乗しかかり、黙って受け止めるしかできないように思えた。


「もし、ここに書かれた内容が本当に起こることだとしても、俺は驚かない」


 それはまるで、自分に言い聞かせるような呟きに近かった。


「バジュラには動機がある。幻幽都市を破壊する動機が。そして、それに相応しい力もあいつは備えていた」


「解析報告を耳にした時は、正直言って驚いたよ。あの超堅物の理想主義者にして非暴力推奨の道を邁進していたバジュラが、誰かを殺すなんてね。それも一人じゃない。予言を解読する限りでは、都市機能がマヒするほどの大虐殺を決行すると推測できる。あのバジュラが……」


「環境が変われば人は変わるもんだ……さて、それで四行目の中身については?」


 再牙が紙に落としていた視線を大嶽へと――その機械化された右目へ向けた。ここまで予言の内容が明らかになった今、ほとんど再牙にも全容が見えてきていた。四行目が指し示す意味深な一文と、大嶽が自分に面会を求めた理由が、確かな線で結ばれていた。

 それでも、彼は確認を迫った。相手の望みを聞き、そのうえで自分がどう振る舞うべきかの判断を下すために。


「五肢に恵まれし最後の抗体……言うまでもなく、君だ。アヴァロこと、火門再牙。致死攻征部隊サイトカインの生き残りにして、消息不明・・・・となっていた戦士のうちの一人。十年前の昔、この地で前代未聞の『サイトカイン騒乱ストーム』を引き起こし、機関に反逆の牙パンク・タスクを剥いた君の力がいま、必要な時なんだ。バジュラが企んでいる残虐な魔術の行使から、都市を守るためにね。はやい話が、我々に協力しろということだよ」


 芝居がかった口調で、だが確固たる決心が大嶽の声色には込められていた。その生身の左眼と機械の右眼が、たった一つだけ残された選択を迫る様に再牙を見つめた。お前の歩むべき道はそれしかないのだと、傲岸にも主張するかのように。そして彼はその通りにするはずだと、この時の大嶽はほとんど確信していた。

 だが、そんな彼の期待をひっくり返すような行動を、再牙はとった。

 予言の書かれた紙をテーブルからひったくり、滅茶苦茶に破り捨てた。

 千切られた紙の残骸が、ろくな空気抵抗も受けずに散乱していく。

 相手が予想外の行動を起こったにも関わらず、大嶽は怒りも慌てもしなかった。ただ冷然として、再牙が見せた反応の裏にある真意を見極めようと、紫色の瞳を細めながら告げた。


「さっきも言ったけど、予言の的中率は甘く見ない方がいい」


「別に、装置の精度に疑問を持っちゃいないさ。それとは別の理由がある。協力はしない」


 そこで、大嶽が何かに気が付いたように顔を伏せ、そして直ぐに上げた。今まで纏っていた穏やかな雰囲気がすっかり引っ込んでいた。代わりに、氷河のような迫力と冷たさが双眸に宿っていた。


理由・・……それがまだ見いだせていないから、君は動けない。なるほど、そういうことか」


 早すぎる理解力。

 心を見透かすようなその台詞が、再牙の脳を激しく揺さぶった。同時に、この男が不気味にも放つ確信の気は、何を根っことしているのか考えた。

 すぐに合点がいった。

 全身のおよそ半分をサイボーグ化させるに至ったきっかけ。大嶽が最初に配属された未界開拓局ヴェアヴォルフで味わった、想像を絶するほどの凄絶な苦難。

 デッド・フロンティアでの苛烈な任務をこなしていたある日、ベヒイモスに襲われ、肉体の四割・・を失った。仲間は全滅。後方支援部隊との連絡もつかない。

 ひっそりと失血死を迎える寸前、大嶽に奇蹟が舞い降りた。その奇蹟に必死にしがみ付き、ありうべからざる生還を果たしてのけたという自負心が、この男の根底を支えているのだ。


「もう一度聞くけれど、理由・・が必要という訳なんだよね? バジュラを倒す理由が。それなら十分に用意されているはずだよ。誰がどうやっても覆せない大義名分が、今回の戦いにはある。バジュラを止める・・・・・・・・。まさか、それが理由であってはならないと言うんじゃないだろうね?」


それ・・は俺が決めることだ、大嶽。昔じゃないんだ。機関の犬として生きていた時とは違う。俺がどう生きるかは俺が決める。この身に備わった力の使い方は、誰に強要されるでもない。俺がバジュラに対してどう向き合うかを決めてから、俺は俺なりに能力を行使する」


主体性わがままを優先している暇なんてないよ。今こうしている間にも、バジュラは都市陥落の為に牙を研ぎ、それは今夜、罪なき都民へ向けられると、予言に書かれているんだよ?」


「奴の居場所は分かっているのか?」


「目下のところは分かっていない。可能な限りの電子探査兵器を稼働させて事に当たらせているけれど、撒き餌にすら引っ掛からない。おそらくはウィザード級の、電子戦のプロを雇っているんだろうね。それでも必ず見つけるさ。でだ、見つけたとしても、有用な武器が無ければどうしようもない」


 大仰に、大嶽は両手を広げた。


「火門再牙、いま一度我々の傘下に入り、武器となり、彼女とけじめをつけるんだ。そもそもの発端は、サイトカイン騒乱ストームから始まっている。君には、過去を清算ゼロしなければならない義務があるという事を、忘れてはいけないよ」


「確かにあの騒乱ストームを引き起こしたのは俺だ。バジュラが都市陥落なんぞを企てるようになってしまったのも、全てはあれが要因なのかもしれない。だが、あの事件を引き起こすきっかけを作ったのは、あんた達だ。責任を取るべきはお前たちの方じゃないのか?」


「ご指摘の通り、君たちの暴走を招いたのは我々の落ち度だ。十九年に渡る蒼天機関ガーデンの浅い歴史の中で、決してあってはならない恥部だって言う人もいる。けれども、身内の恥を気にしてやっていけるほど都市の管理は甘くはないんだ」


「分からないでもないさ。今のお前の心境が分からないほど、俺は冷たい人間じゃない」


「だったら――」


「だとしても、それは俺がお前らの軍門に下る理由にはならない。都市を守るのは万屋の仕事じゃない。蒼天機関ガーデンの仕事だろうが。筋違いってもんだぜ。一介の万事屋に過ぎない俺に、バジュラ討伐を頼み込むってのは」


「…………」


 大嶽は黙した。再牙も黙った。どちらも同じ部屋にいて、同じテーブルを挟んでいながら、それでも内に抱える考えは大きく異なっていた。ほとんど乖離していると言って良かった。

 時は無言という名の平行線をなぞっていくばかりで、事態を回転させることを諦めたかのように秒分を浪費していく。

 窓の外から、何台かの車のエンジン音が聞こえた。

 ふぅ、と大嶽は溜息をつくと、


「分かったよ。君の決心がつくまで待とうじゃないか」


「いや、だから協力する気はないって言ってるだろ。話聞いてたのか?」


「再牙、今の君と喋っているのは誰だい? 大嶽実戦剣術道場の師範? ただの一兵卒から機関の全権限を掌握するに至った今太閤? 違うな。君が相対しているのは、蒼天機関ガーデンが要する巨大な歯車ギアの一つさ。歯車ギアが形成する渦巻きは、あらゆるものを引き摺り込む。君だって、それに巻き込まれる者の一人であることを自覚する必要がある。もう一つ覚えておくべきことは、こっちには沢山の武器があるということ。法律や条例といった、きっちりと明文化された鎖を使えば、君の意志などどうとでも縛れる」


「さっきと言ってることが全然違うじゃねーか。非公式アン・オフィシャルとかほざいていた口はどこに行ったんだよ。それに、俺を緊急配員法で縛り上げるつもりなんだろうが、そんなもの、当事者本人が拒否すれば手を出せない筈だ」


「機関の法務局バード・ケイジの存在をお忘れかい? 法務官ウォーバード囀りハミングはあらゆる面倒事を掻き消すのにうってつけだ。君がどんな屁理屈を捏ねようと、彼らはその遥か上を行くぐらいには『お喋り』だよ。それに、わざわざウイルスの侵入を許してやっているんだから、ちょっとくらいはこっちの要望も聞いて欲しいな」


 再牙が、呻くように声を上げた。まさか気づかれていたとは思わず、二の次を続けることが出来なかった。

 大嶽が、いたずらに嵌った大人をからかう子供のような笑みを浮かべ、見せつけるようにして自身のこめかみを強く押し込んだ。電脳を起動させて、視覚野上に現れたウイルスのデータを脳裡で観察しはじめた。


「仮にも機関のトップだ。電脳部隊に負けず劣らずの防壁ファイアウォールを搭載しているのは当然さ。これは……うん、スキャンしてみたけど、間違いない。視覚経路・・・・で電脳内に侵入するタイプのウイルスだ。おまけに中継能力も獲得してる。接続先は君の電脳だね? なるほど、灰煙草ミネラル・シガーと見せかけておいて、その実体は情報変性型のナノマシン射出器械。なんだ、こっちのほうがずっと非合法アン・オフィシャルじゃないか」


「そこまで分かっていて、責めないのか? 俺を」


「分かるからね。君がなんでこんな真似をしたのか。おおかた、万屋関係だろ?」


「まぁな」


「だったらいい。君が悪巧みをしているなら、こっちも全力・・で君をぶん殴るところだったけど、仕事が絡んでいるなら別だよ。それはきっと、君を君らしくさせている大事な習慣なんだろうから」


「ヘマはしない。必要な情報があるかどうか、そっちのデータベースにアクセスしてさぐらせてもらうだけだ」


「人探し?」


「ああ。そうだ、一応アンタにも聞いておこうか」


 ポケットから獅子原錠一が写っている写真のコピーを取り出し、大嶽に手渡す。

 大嶽はしげしげと写真を眺めた後、「知らないな」と、簡素に答えた。


「見たところ《外界》の人だね。あの女の子の父親?」


「依頼人のプライバシーに関わることは答えられない」


 ぴしゃりと言い放った。大嶽が、目を細くさせた。


「だいぶ板についてきたようだね。万屋稼業」


 再牙は何も答えず、大嶽の言葉を無視するように立ち上がった。大嶽は特に引き留めるような真似はせず、ただ黙って、死骸のように眠る灰皿に目を向けていた。


「……アンタの言っていることも分かる」


 ドアノブを捻る前に、大嶽の背中にぶつけるように言った。


「けじめをつける。確かにその通りだ。バジュラが本当に都市破壊を企てているのなら、それを止めるのは俺の役割だ。誰にも譲れない。だが、物事に臨むためにはいつだって、心構えが必要だ」


「じきに彼女の居場所は特定する。その時には、何がなんでも君に協力してもらうから、そのつもりでいてくれ」


 即座に大嶽は応えた。機関の全権を預かる身として、マイナスな発言を吐くわけにはいかないという意思表示がそこに込められていた。 

 果たして再牙は大嶽の置かれた立場を理解しつつ、その上で口を動かした。


「どちらにせよ、未来の事が分かっても、今は先手を打てるような状況じゃないんだろう? だったらなおさら、俺はお前の命令下には入らないし、入れない。それに、俺にはもう先約が入っているんだ」


「自分がやるべきことをやろうとするその姿勢は立派だ。でも、やらなければならないことを真っ先に片付ける柔軟さも、身につけておくべきだと思うけどね」


 互いの主張は、いつまで経っても交わる気配を見せなかった。

 もう口にすることは何もないとばかりに、再牙は部屋を後にした。


「……確約してもいいよ、アヴァロ」


 一人残された蒼天機関ガーデンの首魁が、うっそりと呟く。


「君はもう一度、ここを訪れる。それも数時間以内に。必ず。それが君の運命だ」

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