1-2 来訪者・獅子原琴美②

「お嬢ちゃんとここで出会ったのも、何かの縁だ。ちょいとウチの露店を覗いていきなよ」


 声を無視してさっさと何処かへ行ってしまうのも何となく気が引けたため、琴美は言われるがまま、布の上に無造作に置かれた品物の数々に目を通した。

 餓鬼を模した木彫りの彫像に、黒と赤の混在した勾玉。三つの顔と三十七本の腕からなる西洋風のブロンズ彫像……思春期を迎えた少女の気を引くには、どれもラインナップが珍妙すぎる。

 どんな感想を口にすべきか琴美が悩んでいると、商人は懐からペンケースサイズのアルミ箱を取り出し、勿体つけるようにして中身を見せつけてきた。


「最近のオススメはこれなんだがねぇ。他のお客さんからも、評判は上々さ」


 箱の中は仕切られていて、細口の葉巻に似た嗜好品が中に収められていた。葉巻はクレヨンのように色とりどりで、長さはおおよそ五センチといったところだ。


「こいつはパステル・シガーって代物でさぁ。まぁ簡単に言えば、タバコみたいなものさ」


 商人の言葉にぎょっとして後ずさり、琴美は遠慮がちな視線を商人に向けた。


「タバコって、そんな、吸えませんよ。私、まだ十五歳ですし」


「何言ってるんだいお嬢ちゃん。ここは日本じゃねぇんだぜ? 幻幽都市なんだよ。都市には都市のルールってもんがあるのさ」


 有無を言わさぬ断定的口調が、琴美の心に強くめり込む。

 急に商人の言っていることが理解できた。

 幻幽都市。日本列島にありながら、日本の常識は通用しない。

 心のどこかで、まだ引き返せると思っていたが、それは大きな誤りだった。

 あの巨大な門を潜った時点で、道はただ一つしかないのだと思い知らされた。それを選択したのは、他ならぬ己自身の心だ。


「都市新法っつってな。機関が敷いたお触れ書きだ。そいつによれば、この街では十五歳以上ならタバコを吸ってもいい事になっているんだ」


「でも……」


 困ったように眉根を寄せて拒む姿勢を見せる琴美だったが、商人はしつこかった。


「苦いのは嫌かい? だったら安心しなよ。キャンディみたいな味さ。歯触りもいい。こいつの煙がまた良くてねぇ。心がすーっと解き放たれる感覚になるんだ。まるで、そう、お星――」


「お星様になったかのような気分……とでも口にするつもりか?」


 急に聞き覚えの無い声がした。商人が「ひっ」と小さく叫んで、琴美の肩越しを凝視した。

 琴美も、急に後ろから声をかけられた事に驚き、何事かと慌てて振り返った。


 二人の目線の先に、男と少女がいた。

 どちらも威風堂々として、白を基調とした厚手のロングパンツと、機能性を付与した銀色の軍靴を身に着けている。

 加えて、男の方は長袖の白ジャケットを羽織り、少女の方は、もう十月の時期だというのになぜか半袖の白ジャケット姿だった。上下合わせて防刃防火性の逸品だ。

 彼らの袖や裾には赤色の刺繍が施され、詰襟には星型の部隊章が付けられていた。男には二つ。少女には一つ。つまりは、男が上官。少女が部下というわけだ。

 そして、商人と琴美の位置からは見えないが、彼らが羽織るジャケットの背には、『無限』の象徴たるウロボロスと『慈悲』を司る白鷺を組み合わせた黒の紋様が意匠されていた。

 その紋様が彼らの立場を、無言の意を以て表していた。


「伊原誠一だな?」


 男の低い声が、空気をひりつかせる。

 剣呑な雰囲気から逃れようと、周囲の露店商人たちは早々に店仕舞いの支度を始めた。

 それでも男は周囲の様子には露ほど目も向けず、怯え腰の伊原をきっと鋭く睨み続けるままだった。 


 視線だけで相手を射殺そうとする迫力が、男にはあった。

 角刈りの、見るからに実直そうな風貌。貌は岩のようにごつごつとしていながら、眼だけが清潔に澄んでいる。

 男の腰には軍刀型のグラフェン・ブレードが鞘に納められた状態でぶら下がっていて、まるで守護者然とした存在感を振り撒いていた。


 幻幽都市の行政・司法・立法を司る議会組織・最高枢密院。

 その直属組織にして、都市管理の任に当たる蒼天機関ガーデンが抱える『支部』の一つに含まれる練馬支部こそが、男と女の所属先だった。

 はやい話が、彼らは幻幽都市における治安維持業務を担当する役職に就き、その立ち位置は《外界》で言うところの警察に近い。

 ただし、従来の警察機構と違って階級は軍体制を真似ている。また、威嚇攻撃はもとより殺傷行為も辞さないという、その徹底性に何よりの特徴があった。


「警邏中に思わぬ輩に出くわしましたねー。こりゃー、ツキが回ってきたってもんですねー」


 男の脇に控えていた少女が、癖の強い金髪を右手の指先でいじりながら、のんびりとした調子で言った。

 年の頃は十七かそこらだろう。それでも身長が百六十センチの琴美よりも低いことから、大分幼い印象を受ける。

 小鼻の周りに散らばるそばかすと眠たそうな雰囲気が愛くるしいが、ひ弱という印象は皆無だった。少女の瞳の奥底で、強い輝きが漲っているせいだった。


「それにしても、キミあぶなかったっすねー」


「え?」


 少女の唐突な台詞に困惑していると、男が伊原という名の商人に視線を向けたまま、言葉の後を引き継いだ。


「コイツが君に勧めていたパステル・シガーっていうのはな、覚醒剤の一種だよ」


 まるで現実離れしたその言葉の意味を琴美が理解するのに、それほど時間はかからなかった。

 今、自分は覚せい剤を売られかけていた――事実を頭の中で反芻しているうち、だから何なのだろう・・・・・・・・・という感情が不思議と沸いてきた。


 だがそう感じたのは、身に迫っていた危機に対して琴美が鈍感だったからでは決してない。

 突然の事態を前にどんな反応をすれば良いのか分からなくなり、混乱してしまったが故のことだ。

 しかしながら、威厳を具象化させたような白服を纏うこの男女は一味違った。

 闇市場で取引される違法物のたぐい。それを街中で売りさばくような不届き者へどういった種類の刃を向けるべきかを、経験から熟知しているようだった。


「伊原よ、貴様、この頃姿を見せないと思っていたら、秋葉原に潜んでいたらしいな。稼ぎが少なくて出戻りというわけか。惨めなもんだな。だが、これでようやく貴様を法廷に立たせられる。売人バイニン稼業は本日で廃業だ」


「つーか、ウチらの許可取らずに露店を出すとか、いい根性してますよねー。ここから練馬支部まで、目と鼻の距離なのにー。ちょっと警戒心が薄いんじゃないですかねー」


「糞が……機関の犬が……」


 伊原は、さっきまで琴美に見せていた穏やかな雰囲気とはうって変わって、剥き出しの敵意を二人に向けていた。だが、そんな程度の威嚇で怯むほど、蒼天機関ガーデンの人間はヤワではない。


「さぁー、さっさと手を後ろに回して、そのまま腹這いになってくださいよー。さもなくばー……」


 少女が急に口を閉じて、奥歯を噛むような仕草をみせた時だった。その細い腕が機械音を唸らせ、腕が左右に割れて裏返った。

 武装型機械製義手の、展開と変貌。痩せた肉体には似つかわしくない、獰猛な獣の顎を彷彿とさせる機関銃の姿が露わとなる。

 機械式ナノマシンから構成される口径八ミリの銃口が、座り込んだままの伊原へ向けられた。


「こいつで蜂の巣に仕上げますけど、どうしますー?」


 返ってきたのは沈黙だった。

 ちょっと愉快そうに、少女が口の端を持ち上げた。


「豚箱にぶち込まれるくらいならー、ここで蜂の巣にされた方がましってことですかー? ひゅー、かっちょいいっすねー。俺も男だから根性見せるぜって、感じですかねー」


「さぁどうする? 生きて臭い飯を食うか? それとも、今すぐここで銃撃の的にされるか? あるいは、俺のブレードで首を掻き切って、貴様のケツ穴にぶちこんでやろうか?」


 伊原は喋らない。ただ、己のプライドを徹底して崩しにかかる男と少女の瞳を、不気味なくらい静かに睨み返している。


「おい、どっちだ。早く選べ」


「……どっちもお断りだっ!」


 叫ぶ様に吐き捨てた直後だった。

 伊原の足元で唐突に旋毛風が爆ぜ、布の上に置かれた陶器製の品々が割れ、姿が完全にその場から消失した。

 やられた、と思う間もなく、角刈りの男は咄嗟に背後へ視線をやった。そこに、あってはならない光景を見て愕然となった。


「舐め腐りやがって。異能力者ジェネレーターでもなんでもねぇ素人トーシロが粋がりやがってよぉっ!」


 窮鼠猫を噛むとは、まさにこのような状況を指すのだろう。

 伊原が、何時の間にかズボンのポケットから取り出した高電磁ヒートナイフを右手に構え、琴美の首に左腕を回して自身と密着させている。

 今、伊原が立っている場所から露店の位置までは、およそ二十メートルもの開きがある。その間を、彼は信じられない速度で一瞬にして駆け、あまつさえ琴美を人質にとる凶行に転じたのだ。


「た、助け……」


 無知だったがゆえに被る羽目になった手痛い仕打ち。琴美は身を強張らせ、唇を微かに震わすことしかできない。


「伊原貴様!」


 出し抜かれた男が、すかさずグラフェン・ブレードのつかを握る。連られるようにして、部下の少女が右腕と一体化した重機関銃の撃鉄を作動しかけた。


 ところが、


「下手な動きを見せるんじゃねぇ。お嬢ちゃんの頬に傷がつくぜ」


 恫喝。伊原の右手の親指が、高電磁ヒートナイフのの目盛りを最大値にまで押し上げた。

 一本当たり十万もするナイフが白熱し、焼かれた空気が琴美の頬を掠めた。

 明確なる生命の危機。それまで経験したこともないあまりの恐ろしさに、琴美は思わず目を瞑った。


 下手に威嚇姿勢を見せて、伊原の神経を逆撫でする事態は避けるべきだった。

 口惜しそうに眉根を歪めながら、男の手がブレードから離れる。 

 上官に習って、女も自前の機関銃を畳んで腕に収めた。


「貴様、さっきの動きはどうやって……そうか。機能片フラグメントを手に入れていたんだな?」


 男は納得がいったように伊原の頭部と、次いで口元を見た。

 彼の奥歯に隠されているであろう、著しい身体能力向上を促すための物理的スイッチ。

 それこそが、伊原を危機的状況から脱出させる糸口となったのだ。


「こういう時の為に、取っておいた甲斐があったぜぇ」


 伊原が喉奥で笑いを噛み締めるようにして言った。

 それを受けて、男の眉間に一層の皺が刻まれた。伊原の発言が挑発であると分かっていても、忸怩じくじたる感情を出さずにはいられなかった。


「来訪者を人質に取るとは、堕ちるところまで墜ちたか」


「誉め言葉と受け取っておくぜ」


「それじゃあばよ」と言い残し、伊原は凍えた兎の様に動かない琴美を肩に担ぐと、またもや奥歯を噛み締め、残像すら残さずに姿を消した。

 彼の脳内に埋め込まれた、特殊なマイクロチップの恩恵だ。運動神経と反射神経を活性化させる、機械式ナノマシン製の強化回路形成装置・機能片フラグメント

 それに秘められた効果が、人並み外れた膂力りょりょくを、限定的にではあるが伊原に与えていた。


「くそったれが」


 遠巻きに状況を観察していた野次馬共の視線を無視して、男は苛立ちを隠さず毒づいた。

 手痛い失敗を前に、体面を気にしている場合ではない。


「七鞍、《来訪端末》のシリアルナンバーを確認しろ」


「もうやってますよー」


 七鞍と呼ばれた女性機関員の機械化された目の奥で、ちりっと、電子の火花が散った。

 彼女の電脳化された大脳が、練馬支部に設置されている情報端末機器を通じて、蒼天機関ガーデンの本部と通信を開始する。


 男が言ったところの《来訪端末》とは、《外界》からの来訪者が滞在を希望した場合、または永住を申請してからの一年間、装着が義務付けられるアイテムである。

 壁門ゲートを警護する門番から支給されるそれは、見た目には指輪の形状をしていた。

 耐水、耐火、耐衝撃に優れているのは勿論、特殊な細工が施されていて、装着者の体温と脈拍、更には心理的状況までを読み取り、蒼天機関ガーデンが保有する都営電子倉庫ポリス・アーカイバという名のデータサーバーへ、来訪者の位置情報が送られる仕掛けになっている。

 もし《来訪端末》を身につけたまま立入りが制限された区域に侵入してしまうと、警戒信号を受け取って駆け付けてくる機関員にどやされるのだ。

 監視システムめいているその仕組みから、実施当初は一部から批判の声も上がったこともある。

 しかしこれが、都市で破壊工作を企む来訪者の活動を防ぐのに一役買っており、また、来訪者が都内で事件に巻き込まれた際の追跡システムとしても機能していた。

 今の、この状況のように。


「お、照合完了しましたー」


「よし。来訪者の位置情報と近辺のマップを合成して、こっちに送ってくれ」


了解ウィルコ―」


 間延びした返事の直後、男の、これまた電脳化された脳内の視覚野に、オレンジがかった半透明の図面が認識された。

 人質となった琴美の位置が図面上に青い光点となって表示され、狭い裏通りを高速で移動しているのが分かる。


「(速いな。移動特化型の機能片フラグメントか。それも連続使用とは)」


「というか、このシリアルナンバーかなり若いですねー。つい三十分くらい前に取得されたものですよー」


「なんてこった」本当に申し訳なさそうな声を、男が漏らした。「とんだ洗礼を受けさせちまったな」


 男は心の中で名も知らぬ少女に謝ると、ジャケットの内ポケットから乳白色の錠剤を取り出し、一息に呑み込んだ。七鞍もそれに習った。

 胃の辺りがにわかに熱くなる感覚があったが、そうなったら後は簡単だ。


 はやく――そう、単純に念じるだけで、伝播強壮剤スジャータは精密に効力を発揮した。

 思考力が電気信号へ変換されて肉体へと伝わり、脚力が強化される。

 だが機能片フラグメントと異なり、伝播強壮剤スジャータのもたらす肉体強化の効果時間は三分と短い。うかうかしてはいられなかった。


「予測ルートを割り出して、回り込むぞ。最悪、伊原は取り逃がしても構わない。人質の救助が最優先だ」


了解ウィルコ―」


 二人は駆けた。

 それこそ獣のように。

 入り組んだ裏路地を飛ぶ様に走った。


「あーあ。一週間後に板橋支部に異動だってのに、直前で厄介な事になっちゃいましたねー」


「あのな。そもそもお前があんな挑発的なことを言ったから、伊原があんな行動に出たんだぞ」


 前を走る男の自省を促すような言い草に、七鞍は頬を膨らませて切り返した。


「それを言ったら、村雨パイセンの方が酷いですよー。なんですか、あれ。ケツ穴にぶちこんでやろうかなんて、イマドキあり得ませんよー。下品なギャング映画の見過ぎですよー」


「女がケツ穴とか言うな。それに、ギャング映画も見ないぞ俺は。あと、村雨パイセンじゃなくて、村雨連絡長と言えと何度言ったら分かるんだ」


「今更無理ですよー。村雨パイセンは村雨パイセンですからねー」


「……もういい。分かった。だがな、せめてその、眠たそうな口調だけは何とかしてくれないか」


「それも無理ですねー。生まれつきですからねー」


 二年前。初めて彼女が村雨の部下になった時と、それは全く同じ返答内容だった。

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