第二幕 闇の中の人形たち/ホムンクルス

2-1 殺戮遊戯は舞台で踊る①

 死体安置所モルグとして利用されていた経歴を持つその施設は、今では大がかりな機械装置と有り余るほどのバイオプラントを抱える研究所として稼働していた。それと同時に、法に背いた実験すらも厭わぬ、残酷な科学技術者マッド・サイエンティストらの巣窟でもあった。

 冷凍化された屍肉を納めていた時代の名残が、腐臭や血痕となってある。だが施設の住人らにとって、これほど居心地が良い場所もなかった。

 まさか死体安置所モルグを研究施設として運用しているとは、さすがの蒼天機関ガーデンも思わないであろう。野望と禁断の力を蓄えるには、ここはまさにうってつけの根城であった。


 施設は地上部に一階、地下に三階という構造をしていた。

 とりわけ地下三階部は、他の階と比べても倍近く広大だった。吹き抜け構造型の訓練フィールドとして、日夜使われているためだ。

 障害物としての役割を背負わされた鉄骨が、訓練フィールドのあちこちから規則的に生え茂っている。天井には等間隔で照明が設置されていた。わざと輝度を落として薄暗さを演出しているのは、これから行われる訓練にリアリティを持たせるためだ。


「芸術家気質なのも程々にしてくれねぇと、困るよなぁ」


 コの字型をした吹き抜けの廊下に、ペイントの禿げた鉄製の手すり。そこに寄りかかる何者かが、毒素を吐き出すように愚痴を漏らした。

 下は迷彩柄の軍用パンツ、上は黒のパワード・ウェアという恰好の大男だった。髪の毛の一本も生えていない禿げ頭に苛立ちのせいか、青筋がいくつか浮かんでいる。

 男の、猛獣を思わせる凶悪な面構えに、ただならぬ迫力が漲っていた。


「呼び出されてから、もう一時間だぜ? 信じられねぇなオイ。こんなんだったら、外に出て軽く人狩りマン・ハントでもしてくりゃよかった」


「しょうがないわ。ドクターの凝り性は、今に始まったものじゃないし。とにかく待ちましょう」


 優しく宥めるように、大男の傍らに立つ長身の女が口にした。赤一色の、ぴっちりとした防刃防弾性のインナースーツに豊かな肢体を包んだその女の瞳は、鋭利な棘めいて鋭く、妖しげな輝きに満ちている。

 薔薇が人の姿を模したと思わせるだけの、美麗さと容赦のなさが、女の体内に同居していた。

 危うい情熱に身を任せるのも悪くないと男達を暴走へ至らせる蠱惑的な笑みは、こういった手合いの女がよく使う武器の一つである。

 だが、そんなものよりもずっと危険な力を、女は獲得していた。そして彼女自身、恵まれた姿態を武器にするより、その分かりやすい力を振るうのを好む傾向にあった。


「なぁルビィ。暇つぶしついでに、ちょっと賭け事でもやらねぇか?」


 大男が放り投げるような口調で、女に提案した。ルビィと呼ばれた妖女は、僅かに表情を曇らせると、スーツと同じ火炎色の長髪を優美にかき上げながら、面倒くさそうに口にした。


「キリキック、ここじゃポーカーもバカラも出来ないけど?」


「賭け事なんてのは、些細な道具を使ってでもできるだろ?」


 大男――キリキック・キリング・ブラスターが吹き抜け廊下からフィールド全体を見下ろして、獲物を前にした肉食獣のように目を爛々と輝かせた。


「事前通達によると、今日の訓練相手はあの棺の中にいるっていうじゃねぇか」


 フィールドをぐるりと囲む灰色の壁際には、幾つもの黒めいた直方体型の大箱が置かれていた。

 キリキックの言葉通り、それは正しく『棺』と形容して良い形状をしていた。内部に蓄積された濃密な殺戮の臭気を決して外に漏らさぬよう、棺の蓋はしっかりと閉じられている。

 見た目から察するに、どうやら遠隔操作で電子ロックが解除されるタイプのようだった。


「あの中から何が出てくるか、予想しようぜ。ドクターの話によれば、屍鬼人ゾンビィとか単眼巨人サイクロプスとか、今まで駆逐してきた有害獣ダスタニアとは違うって話だ。初物らしい」


「貴方はなんだと思うの?」


「そうだなぁ」


 唇を歪ませ、キリキックの浅黒い顔面皮膚に深い皺が刻まれる。

 彼は頭髪だけでなく、眉毛も髭も、産毛すら全く生えていなかった。まるで、ズル剥けの煮卵のようだった。そういう風貌で生まれてくるように、彼はデザインされたのだ。

 この、恐るべき闇の施設に君臨する支配者の一人によって。

 

「なんだって構わねぇよ。俺は、俺の戦闘意欲を食ってくれる相手がいれば、それでいい」


「呆れた。自分で言っておきながらそれはないわ。賭けにならないじゃない」


「本気になるなよ。軽いジョークさ。まぁ大方、俺らと同じ人造生命体ホムンクルスってところが妥当じゃないかね」


「安直よ。あのドクターが二番煎じをやるとは思えないわ」


「じゃあ、何だと思う?」


「そうね」


 ルビィは、その真紅に輝く瞳に情熱的な色を込めて、じっと睨むように棺を眺めてから、呟くようにして言った。


「形状記憶式液状多脚戦車」


「なんだって?」


「百万通りのプログラムを実行し、自由自在に武器を換装できる多脚戦車。本質は液状であるため、あらゆる衝撃を吸収拡散。ほぼ完璧に近い無人思考を有する次世代の戦術兵器よ」


 ルビィの流れるようなジョークを耳にして、珍しくキリキックがぽかんと口を開けた。が、直ぐにその顔が愉悦に歪み、下品な笑い声をがなりたてた。


「そいつぁたまらねぇ! 傑作だ! まさに素晴らしい戦闘相手ユニーク・ウェポンじゃないか! 俺の最愛の両腕ユニーク・ウェポンも、そういう奴が相手なら振るい甲斐があるってもんだ!」


 キリキックは狂気に満ちた視線を居並ぶ棺へ向けたまま、隣で静かに佇んでいるソレ・・へ声を掛けた。


「なぁスメルト、お前はどう思う? あの棺の中身について。賭けようぜ」


「別に、何が飛び出してこようが私は構わん」


 渋みのある声で応答したスメルトの出で立ちは、しかし驚くべきことに人間の姿からは遠くかけ離れていた。

 アンモナイトを彷彿とさせる、灰色がかった巨大で平らな巻き貝状の殻。それが彼の頭であり、同時に肉体そのものだった。

 渦巻の奥部には大脳や心臓などの重要器官がいっぺんにぶち込まれていた。

 殻からは、丸太のように逞しい筋肉質な腕が突き出ている。

 スメルト・シェル・ハンドレットというにとって、それは足としての機能も果たしていた。


 スメルトは、自慢の怪腕で床を掴むようにして直立していた。

 十本ある指の一つ一つはどれも硬質さを備えていて太く長く、分厚い爪は鋭く丁寧に研がれていた。


「目の前に現れた障害を排除して、生き延びる。それが私の、都市社会への関わり方だ。そういう意味ではお前と同じさ、キリキック」


 腕と巻き貝の口の隙間から、クジラの髭のような細長い器官がにゅるにゅると伸びて、キリキックの方を向いた。スメルトが有する感覚器官。熱と空気の流れを精密に感知して、ほとんど目の役割を果たしている。


「つまり、お前も俺と同じ意見で、人造生命体おなかまがあの棺の中にいると?」


「そう捉えてもらって結構だ」


「スメルト、話に乗っちゃだめよ。どうせ、いつものおふざけなんだから。あんたの聡明な頭脳を賭け事なんかに使っちゃダメ」


 キリキック、スメルト、そしてルビィ。異様なる三者がいつもの調子で会話を繰り広げていると、背後に位置しているドアが横滑りに開いて、新たに二人の人物が姿を見せた。

 一人は、両手に黒い手袋を嵌め、顔面の左半分に龍を象る刺青が彫られた、琥珀色の目をした優男。

 もう一人は、やや幼い顔つきながらも意志の強さを目の奥に宿し、右手に金色の指揮棒タクトを携えた少女だった。

 優男は、鮮やかな淡紅色に染まった長髪をなびかせ、キリキック達がまだ訓練フィールドに降りていないことを訝し気に思ったのか、探る様に声をかけた。


「とっくに十五時を過ぎているのに、訓練はまだ始まっていないのか」


「マヤの兄貴。それに――」


 キリキックが一段目線を下げて、マヤ・デイブレイク・ブラッドフォレストの隣に並ぶ少女を見た。


「チャミアも一緒か。そういや、アハルの奴はどうしたんだぁ?」


「いつもと同じ調子だよ。超現実仮想空間ネオ・ヴァーチャルスペースで平常運転。もう三十五時間も没入ダイヴしっぱなし」


 ゴシック様式の黒い衣裳を纏うその少女――チャミア・ネクロ・コンダクターが、自分の倍の身長もあるキリキックを見上げながら、この場にいない仲間の状況について答えた。


「もう少しで相手の防壁を破れるみたい。やっぱり思った以上に手強い相手みたいだね」


「例の、特殊な自走地雷を扱うとかいう電脳ユーザーのことでしょ? まったく、いつになったら決着をつける気なのかしらね」と、ルビィが呆れ気味に訊いた。


「アハルが言うには電脳ユーザーじゃなくって、量子的幽霊クォンタム・ゴーストなんだってさ。まぁ、眉唾ものだろうけど。自分と同格の実力を持っている奴を相手するのはアハルも初めてだから、それでそんな言い訳をしてるんだと思うよ」


 チャミアが首を横に振りながら答えると、全てを打ち消すような大声で、キリキックが快哉を叫んだ。


「別に相手がどんな奴だろうといいじゃあねぇか。強けりゃ強いで問題ねぇ! 弱い奴をいくら殺したって、毒にも薬にもなりゃしねぇんだからよ!」


「……どうしたキリキック。今日はいつも以上にハイテンションじゃないか」


 落ち着き払った様子でマヤが問うと、キリキックは目を剥いて笑った。狂犬病に罹った野犬のように、歯をむき出しにして。フィールドに立ち、未知の獲物を前にした己の姿を想像しているせいだった。


「マヤの兄貴。俺からしてみりゃ、兄貴がそんなに落ち着ているのが不思議でしょうがねぇよ。事前にドクターから聞いてたろ? 今日は初物が相手なんだ。テンション上がらずにいられるかってんだ」


「それなのに、さっきから一向に始まる気配がないのよねぇ」


【あーあー、テス、テス】


 停滞した空気を破る様に、手すりの端に設置されたスピーカーから若い男の声が鳴り響き、フィールドを震わせた。

 一向はスピーカーではなく、フィールドのすぐ隣に設置された小部屋へ視線を投げた。前面がマジックミラー式になっている為、フィールド側から小部屋の様子を伺うのは不可能だったが、声の主がそこにいることは明らかだった。


【あー……よし、全員揃っとるようやな】


「遅いですよ、ドクター・サンセット。待ちくたびれました」


 ルビィがさっきとは打って変わって、どこか調子の良い感じでスピーカーに声を掛けた。

 そういう態度で窘める分には、ドクターの機嫌が悪くならないことを、彼女だけではなく皆が知っていた。


 声の主は、ドクター・サンセット。

 通称・黄昏時サンセットの魔術師。

 死体安置所モルグを実験用の地下施設として蘇らせた最初の奇特者にして、マヤたち六人の人造生命体ホムンクルスを造り出した科学者でもあった。

 ここでは、ドクターの発言一つで全てが決まる。日常生活を送る上でのルールから、購入する機材、闘争心と肉体の成長を促すための訓練メニューに至るまでの全てが。

 正確にはもう一人、地下施設には支配者の存在があった。しかし、そちらはいわば象徴のようなもので、キリキックたちの前に姿を見せることは、ほとんど無い。


【それじゃ、さっそく始めようか。まずはスメルト、お前からや】


「承知しました」


 スメルトは二本の腕を器用に操り、馬鹿でかい殻を左右に揺らしながら階段を降りてフィールドに立った。

 その様子を他の仲間たちが二階から見下ろす中、キリキックだけは明らかに不服な顔つきでいた。自分が最初に初物を相手にできないことが、気に食わないのだろう。

 しかし呼ばれる順番は毎回・・ランダムであったし、ドクターの決定事項に逆らうことが何を意味するかは重々承知していたから、キリキックが不平不満を口にすることはなかった。


【事前通達していたように、今日の相手はワシが創り出した逸品や。いつもの如く、制限時間内に指定された数を倒せば、訓練クリアや。倒した数はこちらでカウントし、訓練終了後に掲示板へ反映させる】


 ドクターのその言葉の後で、フィールドの壁際に設置されていた棺の扉が一斉に横へスライドした。

 鋼鉄の箱の中に充満していた暗黒を引き擦るようにして、ゆっくりと標的が姿を見せた。


「なんだぁ?」


 二階から様子を伺っていたキリキックが目を皿にして、棺から現れた人型の何かを見やった。

 やがて、その正体が薄暗い照明の下で露わになった途端、キリキック達をはじめとする人造の怪人らは、静かに息を呑んだ。フィールドに立つスメルトも、二本の髭をぴくりと揺らめかせ、じっと相手を観察していた。

 棺という棺から現れたのは、それこそ地獄絵巻に登場する餓鬼そのものだった。身長は十歳にも満たない子供程度だが、発散される気はひどく禍々しい。全身の皮膚が緑と黒と青の斑模様を帯びて、それがどういうわけか自在に模様を変えてゆっくりと流動していた。下腹部は異様に膨らんで、手や足の爪は長く太く、何より酷く鋭かった。首は鉄パイプのように細かったが、それが支える頭部は腹部と同等なくらいに大きく、落ち窪んだ眼窩の奥で爛々と虹色に輝く瞳が極めて不気味であった。誰がどう見ても正真正銘の怪物だった。


「ちょっと、あれ……」


 ルビィが驚きを飲み込むように右手で口元を覆いつつ、左手で怪物の方を指差した。

「なんだ、どうした?」と、マヤが後ろから声をかける。が、彼もルビィが何を言いたいのか機敏に悟ったのだろう。不気味さと嫌悪感で思わず顔をしかめた。

 怪物の額には、深紅に輝く菱形の宝玉が嵌め込まれていた。それが何を意味するのか。幻幽都市に住む者なら、誰しも知るところだった。


「まさかベヒイモスとは……都市の西部地域デッド・フロンティアから拾ってきたのか?」


【マヤ、それは半分当たりで、半分はずれや】と、スピーカーからドクターの声がした。


【そいつの設計はベヒイモスの細胞が基本となっとるが、肉体を構成しとるのはワシが生み出したオリジナルの粘菌類や。そいつが寄り集まって、ああいう形をとり、活動しとる。見た目によらず、頭はええで。集合知を獲得しとるようなもんやからな。因みに、コード・ネームは軍鬼兵テスカトルや】


 マジックミラーの向こうでドクターが何かの機械を操作した。

 天井の一部が開いて、そこから電光掲示板がゆっくりと降りてきた。掲示板は二階と同じ高さまで下ったところで、ピタリと止まった。

 電光掲示板には、オレンジがかった色で『3:00』と表示されていた。

 三分間。血生臭い訓練の始まりから終わりを意味する時間。

 その限られた時の中で自らの成長具合を発表するのが、ここに居並ぶ人造生命体ホムンクルスたちの義務であり、宿命だった。


【さて、始めようか】


 殺戮遊戯の舞台開演を告げるブザー音が、スピーカーから鳴り響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る