6-9 奴の名はキリキック
時刻――20:43
千代田区――桜田門方面
キリキック・キリング・ブラスターにとって、生きるということは誰かを殺すのと同義であった。
殺人という儀式を経て他者の命を喰らうことで初めて、己の命の尊さと輝きを実感できる。
誰に教わった訳でもない。敢えて言うなら、物心つく前から魂に刻み込まれた性と言えた。
かつて誰かが口にした――人の命は地球よりも重い――まさにその通りだと実感すると同時、
だからこそ喰らう価値があるのだと、心底思えた。
悪行に違いない行為であることは分かっているが、それでも彼は、己の呪われた人生を暴力の名の下に肯定し続けた。
そんな彼にしてみれば、ドクター・サンセットが催した
事実、彼は思いのままに力を十全に発揮し、殺しを愉しみ尽くしている。
他の兄弟たちの中でキリキックが課せられたノルマは倍以上もあったが、それも達成しつつある。
いきり立つ情動のままに流した血の量は、それこそ五十メートルプールだけでは収まりきらないほど、大量だった。
「ばかげた皮膚だ。カルトリーラを幾ら浴びせても屁とも思ってねぇぞ、コイツ」
「上等な人工筋肉を仕込んでるんでな。そんなナマクラで挑もうってのが、そもそも間違っていやがるのさ」と、鋼鉄じみた上半身を武者震いに揺らしながら、得意げに鬼が嗤った。
暗黒の群雲が月光を封じ、木枯らしが吹きつける中で死闘が繰り広げられていた。
場所は桜田門付近の車道。
横転した車や、力づくで破壊された多脚式戦車の残骸を背景に、キリキックは五人ばかしの戦士たちと相対していた。
頭からつま先まで、闇に溶け込むような色合いの
先ほどまでの激闘を物語るかのように、太陽の紋様が施された斧部は
その一方で、攻撃を防ぎきったキリキックの右腕と左腕は、サイボーグ武装の極致を保ったまま、絶対無比の頑強さを維持し続けていた。
埋めようにない圧倒的な力の差を、そこに認めることができた。
それでも、戦士たちのフルフェイスヘルメットに覆われた顔には、焦りの色一つ見えない。
機関の花形たる部局に所属していることの誇りと、未だ見せていない隠れた力に寄せる、絶対的な自信ゆえだった。
「標準系の武装は無効と思われる。装備を説法系へ
小隊長と思しき大柄な男が一声放った後、隊員たちの背から鋭い銀光が放たれた。
闇が昼間のように明るさを取り戻す。
キリキックは膨大な眩しさをまともに浴びながらも、瞬き一つすらせず、事の成り行きを注視している。
突如として放たれた異様なる輝きの中で何が起こっているかと言えば、武器の換装に他ならない。
銀光の正体――クシナガラ・システムの起動。
アーマーの背部に接続された奉安器官から舞い散った
白燐の蛹と化した武器に新たな属性が意味付けされ、手に持つ武器の形状がたちどころに変化した。
直後、割れるようにして光が晴れて闇が戻る。
――鉄のような色合いをした両刃剣が、各々の手に握られていた。
キリキックは思わず、珍妙な虫でも見るような視線を、その摩訶不思議な気を放つ剣へと向けた。
刀身が変に厚く、明らかに人体を切断するのには向いていない。
しかしながらこの武器こそ、彼らが『
「これは破壊を目的とした武器じゃない。貴様の腐った性根を叩きなおすための慈悲の力そのものと思え」
キリキックの心中を見抜くかのように静かに告げてから、小隊長が一歩前へ出る。
強烈な精神矯正作用を秘めし魔具――宝珠形の
刀身に刻まれた
「散れよ悪鬼! 滅せよ羅刹!」
吠えるようにして叫び、五人の戦士たちが躍りかかる。
凄愴の気を膨れ上がらせて、対するキリキックが跳んで迎え撃った。
出し抜けに隊員の一人に向けてサイボーグ仕掛けの右腕を――
サメの歯じみた特殊合金仕様の微小刃が唸り、痛烈な斬撃となって隊員の首を刎ねた。
続けざまにもう一人を、頭の先から縦に叩き割るようにして斬り捨て、軽やかに地面に着地。
異変はその時起こった。
残りの三人を屠り去ろうと振り返ったところで、胸元へずぶりと音を立てて、
絶妙にも過ぎる隊員の戦闘歩行術が、キリキックが無意識のうちに見せた間隙を掻い潜り、刃の届く距離まで接近を許してしまっていたのだ。
奇妙なことに、剣がめり込んだキリキックの胸元からは、一滴の血すら滴り落ちてはいなかった。
破壊のための武器ではないことの何よりの証。
精神や魂に強烈な影響をもたらす一撃を秘めた、
「さっさと
若い隊員が、ぶつかるように体を密着させながら剣の柄に力を込め、滅茶苦茶に捩じり込む。
体の内側を得体の知れぬ存在に搔き乱される感覚。
痛みはなく、気味の悪さだけが全身を襲った。
獰猛な狂気を孕んだキリキックの眼が、微睡の彼方を映しつつあった。
鍛え上げられた褐色の上半身に浮かぶ珠のような汗が、震えて弾けた。
「いいぞ! 効いている! そのまま押し込め!」
小隊長の檄を受けて、隊員が更に刀身をめり込ませようと柄に力を入れかけた時だった。
アーマーに覆われたその手に、すっと別の手が乗った。
武骨な左手だった。
はっとして顔を見上げた時、若い隊員は夢を見ているのかと我が身を疑った。
無理もなかった。あってはならない光景を目撃したせいだった。
キリキックが夜を貫く眼光を発し、
若い隊員は驚きのままに何かを口走ろうとしたが、チェーン・ソーの一撃が無理矢理に黙らせた。
血飛沫が盛大に舞い上がり、キリキックの分厚い胸元に刻まれた十字型の電子タトゥーへと降り注ぐ。
無残にも若い命は鬼の牙に砕かれ、物言わぬ残骸と化した胴体と生首が車道に転がった。
「これが切れ味抜群の刀だったら、テメェらが勝っていたな」
キリキックが退屈そうに肩を鳴らしながら、左手で
「馬鹿な……! 重度の精神病患者でさえ、たったの一振りで正気に戻すほどの仏理的パワーをその身に受けて、平然としていられる訳が……!」
「テメェ、俺がラリってるって言いてぇのか?」
身を硬直させる小隊長を、小馬鹿にした調子でキリキックが詰る。
「自分が悪だと自覚してる野郎に、小うるせぇ寝言が届くわけねぇだろうが!」
キリキックの足が、何かを蹴った。
今さっき切り捨てたばかりの隊員。
その生首が弾丸のような速度となって、小隊長の隣にいた隊員の顔面を潰した。
「アンパンマン! 新しい顔よ! ってなぁ……へへへ……」
今にも快哉を叫びそうな笑みを浮かべながら、キリキックは凄まじい速度で
まるで、肉体そのものが一つの風と化したような瞬撃。
並の猛者が迎え討てるはずもなかった。
「げひっ!?」
小隊長が、車に轢かれたカエルのような声を上げた。
キリキックの右腕。鋭く振り払われたチェーン・ソーは、正しく、寸分の狂いなく、アーマー越しに小隊長の胴体を見事に二つ分断せしめてみせた。
呆気ない幕切れだった。
しかしこれは、決して
彼らが駆使する工学力も、オカルトの領域に踏み込んだ呪術的パワーも、このキリキック・キリング・ブラスターの前では蟷螂の斧だったというだけの話だ。
もし、彼に一矢報いることが可能な存在がいるとすれば、それはきっと、キリキックと同じ『怪物』のカテゴリーに属するに違いない。
「と……これでノルマ達成まで十人か……」
地に伏す五つの遺骸には目もくれず、チョーカーに蓄積されたデータを視覚野上に反映させながら、キリキックは仲間のことを考えた。
無事を思ってのことではなく、ただ単純に、仲間たちがどの程度ノルマをクリアしているのかが気になっただけの話だ。
ノルマはクリアして当然のものだ。
ドクター・サンセットの手で育てられた自分達が、負けるはずはない。
あまつさえ殺される目に遭うことなど、万に一つとしてありえない。
この時のキリキックは、愚直にもそう信じ込んでいた。
▲
地下シェルターの惨劇を乗り越えた琴美とエリーチカは、互いに手を繋いで千代田区内の車道を走っていた。
通りに人の気配は全くなかった。
既に避難を終えているか、逃げ切れずに肉塊と成り果てたか。そのどちらかだった。
中央分離帯に埋め込まれた受送電クラスタのランプが、寂しそうに明滅を繰り返し続けている。
力尽きた甲殻虫のようにひっくり返った車や、根本から脚が折れた多脚式戦車の残骸が、都市で勃発している戦況の酷さを物語っている。
耳を澄ませなくとも、離れたところから銃の発砲音が聞こえる。
それよりも幾分か大きい戦闘の残響音もあちこちから鳴り続けていて、琴美の鼓膜を揺らすには十分過ぎた。
「琴美さん、ようやく見えてきましたよ」
言われて前方に目をやれば、ビル群の隙間に、白磁のような輝きを放つ尖塔の頂上部分があるのを確認できた。
間違いなく、
しかしながら、もう三十分も走り続けているというのに、目測した限りではまだ大分距離があった。
余計な危害に巻き込まれぬよう
地下シェルターを飛び出してから今ままでの間、エリーチカは一度たりとて足を止めていない。
それでも、彼女の息が上がることはなかった。
アンドロイドが体内に飼っているナノマシンの優秀さゆえだ。
それは、人間の臓器や代謝機能以上の働きをする。
活動に必要なエネルギー量を、必要な時、必要な分だけ生成・貯蔵できる。
アンドロイドは疲労感とは無縁の存在だった。
そのせいで、両者手を取り合って走っていると言うより、全身を鉛のような疲労感に襲われ続けている琴美が、エリーチカに引き摺られているような恰好になっていた。
琴美の体力は、限界をとうに超えていた。
あちこちの筋肉が悲鳴を上げている。
彼女もエリーチカ同様、千代田区の地下シェルターからこの大通りまで、足を止めずにずっと走ってきたのだ。
距離にして、およそ三キロ。
普段から運動慣れしていない琴美にしてみれば、気が遠くなるような数字に思えた。
だが各種交通機関が封鎖されている今、頼れるのは己の足しかなかった。
汗が滝の様に流れ、心臓が破裂してしまいそうなほどに脈動している。
乳酸が溜まりに溜まっていく。固い地面を靴底が叩くたび、鈍痛が骨にまで響いた。
もう一歩も歩けないと、何度口にしかけたか分からない。
そんな弱音を懸命に飲み込んだ回数も。
走っている最中、エリーチカは様々な励ましの言葉を以て琴美を気遣った。
依頼人の体調に気を配るのは、万屋稼業に従事する者にしてみれば当たり前の義務だ。
さすがに琴美の辛そうな姿に耐えかね、何度も休憩を提案した。
しかし琴美は、提案を呑むのを徹底して拒んだ。
足を止めてしまったら、再び動かすのは不可能のように思えたからだ。
休息を挟んだ途端、蓄積されてきた疲れがどっと沸き、崩れる様に倒れ込むのが考えなくとも分かった。
ここまできたら、後は気力の勝負だった。
絶対に立ち止まる訳にはいかない。
意地が車輪のように回転し、琴美の小さな体を衝き動かす。
逃走を助力してくれた捜索屋の為にも、諦めるなんて選択は眼中になかった。
何としてでも生きて、再牙の帰りを待たなくてはならない。
成すべきことを成す。
そう覚悟を決めた時、すぐ傍にあった電脳パーツ店の一つが突如として爆発した。
エリーチカがすかさず琴美を抱え、直撃を避けるようにして車道を転がった。
燃える破片が少女らの頭上を通り過ぎ、闇の中で小さな灯となった。
「エリーチカさん、大丈夫!?」
琴美が叫ぶ。
エリーチカは鉄仮面のまま応えた。
「私の体表皮は耐燃性の金属繊維で出来ています。これくらいのハプニング、強度的に全く問題ありません」
視界に立ち込める濃い粉塵の波に包み込まれながら、エリーチカは眼球に搭載された多面式光学受容体の感度を上げた。
メカニカル・サンガンを実行した彼女の視界に死角はない。
上下に加えて前後左右、あらゆる方角を同時に精査する。
そうして、三重の縞模様が浮き出たその瞳で、彼女は捉えた。
崩壊した店。
その奥で闇と同化した人の影があるのを。
「あれは……」
エリーチカが何かを呟こうとした直後だった。
崩れた店の奥から粉塵を一掃しながら、極太の茜色に染まった熱線が、闇を消し去るような迫力で放たれた。
メイサー砲――ベヒイモスなどの危険生物を排除するのに活用されるレーザー光線。
名前の通り、
「へぇ。コイツは驚いたぜ。今ので仕留められると思ったんだけどよぉ」
闇が声を発した。否、正確には、闇の中で蠢く一人の鬼人が口にした声だった。
「ま、たかが第一世代のアンドロイドだと思って、舐めてかかったこっちのせいもあるんだろうけどな」
地面を舌なめずりするような音を立て、一人の男が姿を現した。
頭は禿げ上がり、上半身は褐色の裸。
下半身は迷彩柄の軍用パンツ。
足を固めるのも同じ柄の軍用ブーツで、出で立ちは南米のサバイバルを生き抜いてきた軍人そのものだった。
ただ一つ、野心と殺戮の昏い炎に燃える瞳の輝きを除けば。
ある面では、この男を軍人として見ることもできるだろう。
しかし一般的な軍人とはやはり大きくかけ離れていて、彼に大義名分などという誇大な正義は存在しない。
あるのは自分本位な悦楽を求め続けたあまり、悪道を進んで邁進しようとする、捻じ曲がった気概だけだ。
「たまたま見かけたからノルマ達成の為にと思って近づいたが、とんだ掘り出し物だ。さっきの身のこなしといい……テメェ、ただの初期型アンドロイドじゃねぇだろ」
良く通る低い声で、キリキックが両腕の武装を見せつけながら微笑んだ。
新しい玩具を目にした子供のように。
「(
エリーチカは相も変わらず氷のような相貌でいたが、その頭の中は混乱で満たされていた。
もし感情を表に出すことができるのなら、きっと苦虫を潰したような表情を見せたに違いない。
「俺の名はキリキック・キリング・ブラスター。その名前を、テメェの
自らの名を明かす必要はどこにもないのに、キリキックは聞かれずとも自分から名乗り出た。
彼なりのルールに基づいての行動だった。さっき殺した五人の隊員たちにも、同じような言葉を吐いた。
これから貴様の体が、誰の手で手酷く蹂躙されるかよく覚えておけ――そう相手に伝えることで、より実感できるのだ。
他人の命を、この手で喰い散らかしてやったという歓喜を。
「まずはテメェからだ、アンドロイド。そこにいる子羊は、後でじっくり調理してやる」
狂眼の一瞥を受けて、琴美は心臓が止まるかと思うほどの恐怖を覚えた。
この街に来て彼女が危難に遭遇した回数は、三回ほどしかない。
一回目は伊原誠一に誘拐されかけた時。
二回目は
三回目は地下シェルター内に
そのどれと比べても、今の状況は絶望的だった。
敵は完全に自分達をターゲットしていて、逃走に転じたくても隙が見当たらない。
背中を見せた途端、キリキックの両腕に宿る恐ろしい形状をした武器で、身をズタズタにされるのが嫌でも想像できた。
来訪者端末を身につけてはいるが、それでも琴美の不安感を削ぐには至らなかった。
避難場所から逃れた自分を、機関の人間が隊を率いて保護しにくるだろうかという疑念のせいだった。
もし仮に来るとして、それは何時になるのか。来たとして、この大型の肉食獣じみた男を倒せるのか。
マイナスの思考が脳裡を埋め尽くし、少女の細く健気な両脚から、立つ力すらも失わせようとしていた。
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