6-16 魂性機動兵器・釈迦如来
時計の針が頂点にさしかかった頃の幻幽都市。
紅き炎と黒に包まれた闇の中を進軍するのは、邪神だけではない。
迎え撃つは、
そこに属する屈強な戦闘僧侶らを率いるのが、筆頭大僧正の位にある降魔院清玄である。
その声一つで、低級の悪霊どもを滅相可能と言われるほどの言霊力を宿した傑物でもある。
彼が導く
誰かが決めたのではなく、彼ら自身がそう自負している。
これは俺達が為すべき仕事なのだと、誇り高い意志を抱えて、戦いへ臨もうとしている。
鉄よりも硬い正義感と責任感に満ちた戦闘僧侶らの行動には、一切の無駄が無く、また一切の躊躇いがなかった。
これから己が命が消えうる可能性だってあるというのに、決戦に備える武僧らの表情に、怯えや恐怖といったマイナスの感情は皆無だった。
この上ないほど単純な覚悟を胸に抱いた彼らの動きは迫力に燃えて、どこまでも冷静でいた。
清玄の的確な指示の下、必要な武器弾薬と個人兵装を迅速に手に取り、各々が経文を独唱しながら地下の待機寺社から地上へと上がり、邪神を迎え討たんと陣を敷く。
路地を功徳走法でひた走りながら、真言を唱えつつ、決められた持ち場へ向かっていく。
経文詠唱により場に満ちた言霊エネルギーが、重仏装戦車の卒塔婆原動機を次々と駆動。
タイヤの回転する重々しい音が、大地を蹂躙するかのように都市中に響き渡る。
あっと言う間に、人と機械が見事なバランスで混じり合った、正方形の陣が形成された。
眼前――およそ二キロ先に、名もなき邪神の全容を目視。
十二鐘の涅槃梵鐘を打ち鳴らして都市全域に阿頼耶識多重結界を敷き、臨戦態勢へ移行。
正方形型に展開した重仏装戦車の山の中央で、戦車に積まれて赤々と燃ゆる神聖護摩壇を前に蓮華坐を組んだ清玄が、独特の調子で指示を出す。
「最高特性即身仏、用意ッ! 起動準備ッ!」
これに応じるは、百八輌の仏装戦車のうち二十四輌。
戦車のハッチが次々と開き、自動昇降式の台座に乗せられた呪符防護処理済みの桐柩が、暗天の下に晒されていく。
二十四台全ての柩が出揃ったのを確認すると、清玄は原音に近い
途端、桐柩の呪符防護が解け、全ての柩の蓋が自動的に前方へ倒れた。
棺から現れし聖なる中身――金色の僧衣に包まれた、枯れ木色のミイラ。
都市の安寧と平和を願い、一生を仏に捧げた聖人クラスの僧侶の亡骸だ。
その身に内包された法力は熟成されきっており、煩悩塗れの一般人が触れれば、魂の底まで焼き尽くされてしまうほどの代物である。
その絶大なる滅相の力を今、ここで使い尽くす。
「曼荼羅術式・釈之陣、展開用意ッ!」
間を置かず、清玄の脇に控えていた十二名の僧正位の戦闘僧侶らが印を結び、即身仏の法力を拡散させた。
濃霧のように周囲へ広がり満ちた莫大な力の奔流を、仏装戦車に搭載された各々の天気輪が吸収。
更に高速回転を加えることで、即身仏の法力を召喚陣形成に必要な別種のエネルギーへ変換する。
これと並行して、仏装戦車群と重機動僧衣を装備した武僧らが入れ替わり立ち代わり、一つの事象を描いた。
頭上から
これが、
名もなき不浄なる邪神は、実に目敏かった。
戦闘僧侶たちが防御結界を敷いて、曼荼羅型に隊列を整えるのを見るや、街の破壊を一旦停止。
そうして、魂が凍りつくほどの雄たけびを全身から発した。
魔の叫びを受けて、重仏装戦車を盾に居並ぶ戦闘僧侶たちは、獰悪な瞳に睨みつけられているような、ひどく気味の悪い寒けを感じた。
だがそんな中にあって、降魔院清玄の覚悟はいくばくも揺るがない。
「昇天迫撃砲、用意ッ!」
邪神の変化を一早く察した清玄が号令を鳴らし、戦闘僧侶らが
まずは、標的の実力が如何ほどのものか探るための、小手調べに出る。
僧侶たちの個人武装――総重量三十キロに及ぶ重機動僧衣の三番兵装。
その背面に取り付けられている瓔珞ジェネレーターが黄金光を放射。
レフトアームにマウントされた莫迦でかい砲身の中央に、白き光が収束していく。
たまらず、邪神の左腕が――暗黒の色を纏う
それはさながら、天空から墜落してきた神の杖じみた威力を彷彿とさせた。
「――
悪意が込められた死神の杖を落とさんと、一斉に砲撃が轟いた。
昇天迫撃砲が、次々と邪神の左腕に命中する。
凄まじい衝撃が大気を千切り飛ばし、邪神の腕が爆ぜた。
聖なる爆炎の牙が、三本の腕へめり込む。
三本ともあっという間に炭化し、極楽浄土へ逝きかけた。
だが、瞬く間に再生――神秘的現象の発現と言う他ない。
まさかの事態に表情を強張らせる戦闘僧侶たちだったが、清玄だけは興味深そうな眼差しを向けつつ笑っていた。
「ほう、やりおる。輪廻転生に準じた生命回帰機構を標準搭載しておるか。なら話は早い。さっさとおっぱじめるとするか……総兵、仏舎利用意ッ!」
きた――誰も口には出さなかったが、内なる猛りが激しさを増した。
重機動僧衣のサブウェポンケースから仏舎利入りの薬包を取り出し、示し合わせたように一気に呷る。
「これより、魂性機動兵器の召喚に移るッ! 総兵、経文詠唱ッ!」
間髪入れずに、一斉に読経の大合奏が始まった。
悪霊――それも『邪神』を滅するための読経となれば、命を削る作業に等しい。
気を削げば最後。詠唱中に魂魄が消失する危険性だってある。
だがその代わりに、得られる成果は途方もなく大きい。
すなわち、魂性機動兵器――戦闘用にチューニングした仏尊の召喚。
究極のオカルト・バスターを現世に呼び出し、邪神にぶつけるのだ。
「神聖護摩壇、言霊エネルギー充填率、九十パーセントに到達ッ!」
清玄の傍らに立つ観測役の僧侶が、神聖護摩壇の中で激しく燃える炎の揺らぎを、
仏舎利がもたらす強烈な精神幇助を受けて、経文を唱え続ける僧侶らの言葉が、一つ一つ、明確な力を宿していく。
たまらず、邪神が動く。
戦闘僧侶らを蹴散らそうと、その驚異的な三本の巨腕をまたもや垂直に振り下ろした。
だが、攻撃は通らない。
読経により大気に満ちた言霊が不可視の
邪神の腕撃を、弾き飛ばしてみせた。
「言霊エネルギー充填率、九十七パーセントに到達ッ! 九十八……九十九……百パーセント到達を確認ッ!」
邪神の動向に逐一目を光らせながらの詠唱の最中、ついに、炎の揺らめきが凍結したかのように静止した。
神聖護摩壇に装着された蓮の花弁――全部で十個――それが一斉に花開き、高速回転を開始する。
「
そこから先は、怒涛の連続であった。
一秒間に六千正道回転する蓮の花が、神聖護摩壇に貯蔵された言霊エネルギーを、黄金色の法力として発散させていく。
法力が悟りの境地にまで高められていく。来るべきその時を迎える為に。
そうしてついに、依代と化した神聖護摩壇が、明らかな変異を遂げてみせた。
正確には、それが盛大に炊き上げる聖炎に。
あろうことか、内炎が幹となり、炎心が太い根と化していき――一本の巨大な沙羅双樹へと成り変わった。
炎から転生した聖なる大樹の枝葉は鮮やかに繁り、見るからに頑強そうな幹には、深い窪みがいくつも刻まれている。
沙羅双樹を守護するかのように、虹色の霧が周囲に濃く立ち込めていく。
戦闘僧侶たちの経文詠唱が継続していくに従って、その不可思議な霧はあるべき形を取り始めた。
「機動仏尊文殊型、普賢型、顕現を確認ッ!」
圧倒的な威圧感と慈愛を込めて、大曼荼羅型に展開された陣の両脇に、それは現れた。
片や、六牙の白き巨象の上で結跏趺坐し、合掌する菩薩。
片や、獅子の背で結跏趺坐し、左手に経典、右手に宝剣を携えた菩薩。
どちらも神位の魂性機動兵器であることに変わりない。
単体で見ても相当の力を誇るこの二体が、しかし今宵は言霊エネルギーの変換器役に留まる。
本命は、これからだ。
これが、御仏への最期の奉公になるやもしれない。
そんな想いと共に、清玄は結印した。
施無毘印、与願印、定印、降魔印、説法印を神懸かり的な速度で展開。
合わせて、唇を清浄級の速度で震えさせ、言霊を編む。
一節に千理を超える意が込められた、その超高密度の呪的祝詞の詠唱も、無事に完了。
刹那、暗黒色の叢雲漂う天空で、鋭い稲光が幾重にも疾駆。
沙羅双樹の頂点付近で、落雷が爆ぜた。
稲妻の直撃を受けて、縦に激しく割られた聖なる巨木。
その裂け目から、熱風を迸らせて灼熱に燃える超巨大な火焔塊が上宙に放たれ、闇を昼間のように眩しく照らした。
そうして、ついに『それ』の脚が、火焔の中から現れた。
圧倒的畏怖に満ちた聖なる巨脚が、軽く大地を踏み締める。次いで、炎を突き破って伸びてきた黄金の指が、降魔の印契を象った。
ものすごい地鳴りと共に、半径十キロメートル内にいた
炎の中から誕生した『それ』の全長は、邪神とほとんど変わらない。
しかしながら、破滅の瘴気に満ちた邪神とは大きく異なり、『それ』が背負う瑞雲光背は、力強さと暖かさに満ちる光を散布している。
『それ』の正体――余計な装身具を何一つ身に着けず、袈裟だけを羽織った螺髪の巨人。
魂性機動兵器の一つにして、
その黄金の輝きに満ちた姿が完全に露わになった時、経文の響きに今夜最大の意気が灯った。
「心月輪ジェネレーター、完全起動を確認ッ!
呼びかけに、聖なる巨人が無言で応えた。
黄金満ちる威光を纏いし
莫迦かと思うほどのスピードだった。
もし、この場に結界を敷いていなかったら、その足踏みで生じる衝撃波だけで、周囲の建造物は跡形も無く塵と化してしまったことだろう。
突如として現れた敵を押し潰そうと、邪神が三本の腕を鞭のようにしならせ、襲いかかる。
偉大なる聖衝が直撃。勢いそのままに邪神の体勢が後方へ崩れかける。
そこへ
大気が爆裂したかのように震動する。
邪神は、背面を強かに地面へ打ち付けた。
表情が無くとも、どれほどのダメージを受けたかは分かる。
いくら、あの平将門公の荒魂を依り代にしているとはいえ、涅槃の境地に至った釈迦の力を前にしては、流石に手こずるのだろう。
標的を解脱させて無害化するのに、今こそが最良の好機であった。
すかさず、十二合掌の体勢へ移ろうとした
だがしかし、そこへ予想外の一撃が襲いかかってきた。
邪神の腹部から無数の巨大な口唇が現れ、青白い破壊蒸気線を発射したのだ。
相手を完全解脱させる為の準備に入っていた
仏にとって、両腕は重要な部位だ。
彼らは手指を駆使して森羅万象を表し、己の威力をそこへ込める。
だからこそ、万が一両腕が破壊されたなら、すぐに再生へ移るのが鉄則とされる。
宙を舞う二本の腕は金色の粒子となり、両腕の断面へ吸い付いて再構成され、元の形へ復元。
一旦距離を置こうと足を動かした
絶大な万力である。逃れようとする仏を嘲笑うかのように、邪神の翅から迸る暗黒の粒子が、仏の聖なる巨軀を蝕んでいく。
いや、これはーー
「だ、大僧正閣下。て、敵は
一連の流れを小曼荼羅型のモニターで観察していた戦闘僧侶の一人が、声を震わせながら報告した。
「ヤツが上半身に纏っているあの黒い瘴気から、複数の強い怨霊共鳴反応が検出されています。敵は単一型では無く、複合的呪禁要素を持つ邪神……このままでは、いずれ
部下の必死の訴えを耳にしても、清玄は具体的な指令を出さなかった。
彼は、動かない。ただ、黙って事態の経過を見守っている。
この切迫した状況を前に、頭が混乱して言葉が出ないからではない。
無策であるからというわけでもない。
空前絶後の修行を今日まで続けてきた彼には、この後の展開が、予知めいて分かっているからこその、無言の返答。
邪神が雄叫びを上げ、膝下まで瘴気に侵食された
その際に生じた反動を利用して再び立ち上がると、邪神は、世界中へ怨恨を撒き散らさんとする勢いで永い慟哭を迸らせた。
咆哮に込められし禍々しさは先ほどよりも威力を増している。
実際に、その雄叫びを迂闊にも耳にした戦闘僧侶の何人かは魂魄が凍結され、昏倒した。
「測定不能レベルの怪念波を確認ッ! 阿頼耶識多重結果に、甚大な損傷を与える可能性大ッ!」
「経文詠唱速度を六徳級速度へ上昇。第三、第四武僧隊は、
清玄の冷厳とした指揮の下、必至の形相で武僧らの経文詠唱速度が数段階跳ね上がる。
経文は言葉としての体裁を崩しながらも、その真意は変わらずであった。
その発声は『言葉』の観念からは大きく外れ、森のさざめきや川のせせらぎにも似た、極自然的な領域の一種と化していた。
「このデカブツめ! さっさと六文銭を支払ってあの世に逝きやがれ!」
重機動僧衣を纏いし強面の戦闘僧侶たちが、
僧衣背面に設置された
全身の至る所にマウントされた砲身から放たれる、金剛杵榴弾、種字誘導弾、昇天迫撃砲の数々。
嵐のように撃ち込まれる、オカルト・バスター用の支援攻撃。
真言と仏舎利が高密度に圧縮封入された砲撃は、爆煙と爆炎の大瀑布を生み出した。
激しい火炎と黒煙に呑まれ、一時ではあるが、邪神の姿が全員の視界から消えた。
瞬間、内側から物凄い圧力でもかけられたのか。
爆煙が周辺空域へ弾け飛んだ。
邪神の全身に喰らいついていた炎が、無数の欠片となって四方へ飛散した。
聖なる攻撃をものともしない邪神は、ここにきて更なる変貌を遂げていた。
誰もが息を呑んだ。
あの爆炎に包まれていた中で、何があったのか。
それを知る者はただの一人もいない。
ただ分かっているのは、いつの間にか邪神の
誰も見たことがない、異形にして巨大。
それでいて、極彩色の禍々しい色味を伴う五枚の花弁。
それが、邪神の首から上に生えていた。
花弁の中央部には、極太の長大な触手が何本も生え、互いに絡まりながらうねり狂っている。
生理的な忌避感を植え付けるには十分な光景だった。
邪神の異変は他にもあった。
四対の翅――その中心線をなぞるかのように、黒々とした男根型の背ビレが背中から生え茂っている。
ズルムケになった先端からは、見ると黄色い液体が噴水の様に吹き上がり、溶解液の雨となって都市中の建物を泥濘と化していった。
更に臀部に当たる部分に目をやれば、今度は長大にして自在に宙をうねる尻尾が目に入った。
尾の先端に、亡者と思しき死相が幾つも写り込んでいる。
まるで、ここから出してくれと懇願しているかのような、絶望と恐怖に染まった色をしながら。
「なんと、哀れな……」
怒りでも、恐怖でもない。清玄の胸に去来したのは、哀切にも似た感情だった。
怪物が無意識のうちに発している歎き。
それを知りたいと思う。その意味を考えたいと思う。
何をそんなに苦しんでいるのか。何が不満なのか。
何がお前をそうさせてしまったのか。
答えはわからない。
ならば救おう。
お前の名前を見つけてやろう。
なんとしても、仏の御心で彼の者を天へ返す。
ひいてはそれが、幻幽都市の寿命を延ばす事に繋がり、人々の明日へと繋がる。
「骸は野に朽ち、風は空へ還るもの。もうそろそろ、幕切れといこうか」
まだしばらく、夜は続く。
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